ユリアーネ、将来を悲観する
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『誰かのために頑張れる人になる』と宣言した日を境に、ユリアーネは人と揉めなくなった。
優秀なことを褒められても、罪悪感が邪魔をして喜べないのは簡単には変えられない。だが、謙遜をすることはなくなり、「ありがとうございます」と大人しく答えるようになった。
もともとユリアーネを褒める人の半数は、妬みからユリアーネを貶めるため嫌味同然に褒めていたに過ぎない。当のユリアーネが相手にしなくなれば、言ってくる者も減った。
年齢が上がるにつれ、ユリアーネの立ち振る舞いはより洗練されていった。淑女として所作の美しさが際立っているユリアーネに、表立って文句を言える令嬢が減ったのも大きな一因だ。
かといってユリアーネが社交界に溶け込んだかといえば、それはまた話が違う。ユリアーネは他の貴族達から敬遠されたままだ。敬遠の度合いは以前よりも増している。
というのも、優秀で完璧な淑女であるユリアーネは、第一王子の有力な婚約者候補となり得るからだ。今までの揉め事に関しても、ユリアーネに悪いイメージを植え付けて婚約者争いから外す狙いがあったのだ。
第一王子の婚約者なんて望んでいないユリアーネはそんな事態に全く気付かず、『誰かのために頑張れる人になる』時のために勉強に邁進していた。
ユリアーネとは逆で、エリアスは揉め事が増えた。揉め事が増えた理由は、はっきりと自分の意見を言うようになったからだ。
今までは何を言っても黙っていた気弱なエリアスが急に言い返すようになり、始めは揶揄ってきた相手と言い合いとなることも多かった。しかし次第にエリアスが一筋縄ではいかない切れ者だと知れ渡ると、ベルトランでさえ何も言えなくなった。
気が弱いという貴族としての弱点を克服したエリアスに、多くの令嬢が熱を上げて押し寄せた。しかし、そんな令嬢達にエリアスは冷笑どころか見向きもせず、ことごとく拒否した。
お互いに自分の秘密を告白し合ったユリアーネとエリアスの仲は急激に縮まった。自分に懐いていた大事な妹を奪われる形になったフォルカーが、余計に妹愛を拗らせてしまうほどだ。
エリアスは相変わらずほぼ毎日、コーイング家に通って固いクッキーを食べ続けた。もはやシュスター家のクッキーは、柔らかくて物足りなくなるほどだ。
ユリアーネは実の兄であるフォルカーよりも、エリアスを兄と慕った。日々の出来事や、自分の知らなかった知識を得たことをエリアスに伝え喜びを共有した。
そしてエリアスを人生の師と仰ぐのも忘れなかった。しかし、これを表立って言うと、エリアスの機嫌が少し悪くなる。だから、ユリアーネの心の中だけで『師匠』と呼び続けた。
シュスター家は相変わらずで、祖父とエリアスの父の仲は悪く、母親も実家から戻らなかった。家の空気も変わらず張り詰めている。変わらない状況をユリアーネが心配しても、エリアスは『今更気にならない』と平然と言ってのける。日々強さが増していく師匠を、ユリアーネはひたすら崇拝した。
月日はあっという間に過ぎていき、エリアスとフォルカーはガートラン王立学園に通う十五歳になった。学園に通うのだから、エリアスはコーイング家には来なくなる。
毎日顔を合わせていただけに、エリアスと会えなくなるのはとても寂しい。当たり前に過ごしていた日々が、実はこんなにもありがたい時間だったのだとユリアーネは身に染みて知ることになった。
ついエリアスが兄になれば毎日会えるのにと思ってしまい、慌てて心の中でフォルカーに謝罪したのは秘密だ。
そわそわした様子のエリアスに「俺と会えなくなるのは、寂しい?」と聞かれたのは、心の中でフォルカーに謝罪した直後だった。あまりのタイミングにエリアスに心を見透かされたのではないかと思って、ユリアーネは慌ててしまい汗が止まらない。本心を言ってフォルカーに知られては後が怖いと思い、「エリアス様を兄のように思える日々を過ごせるなんて、私にはできすぎでした」と伝えた。
するとエリアスの美しい菫色の瞳が曇り、口を真一文字に結んで不機嫌になってしまった。代わりになぜかフォルカーが上機嫌で、鼻歌を歌っているところを初めて目にした。
二人が学園に通い始めると、ユリアーネにとって平日は信じられないほど暇なものになってしまった。珍しいことがあっても、嬉しいことがあっても、すぐにエリアスに伝えられずストレスばかりたまる。
休日になるとエリアスがコーイング家に遊びに来てくれるのが、ユリアーネにとっては唯一の救いとなっていた。
律儀なエリアスが真剣な表情で、「平日は会えないけど、休日は今まで通り会いに来てもいいかな?」とユリアーネに聞いてくれた。もちろんユリアーネは手を叩いて喜んだ。
ちなみに、その遣り取りの際、エリアスは満足気に微笑んだが、フォルカーは「お前はサルか!」とユリアーネを罵った。
今日も固いクッキーを食べながら、エリアスは目を丸くしていた。
「えっ? 断ったのか?」
涼しい顔のフォルカーは事も無げに「当然だろう? 死んでも文官になんかなりたくない。親父の仕事を継いだ方が数百倍は面白い」と言い切った。苦り切った顔のフォルカーは「それにローランの目的は多分俺じゃない」と小声で言うと、チラリとユリアーネを見た。
何があったのかと言うと、学園に入学したフォルカーはなぜか第一王子に気に入られ、側近の打診を受けたのだ。
未来の国王の側近に選ばれた訳だから、普通に考えれば一族郎党挙げてのお祭り騒ぎとなるはず。でもコーイング家は、それをあっさり断った。
フォルカーに至っては、側近なんて糞だと言わんばかりの態度だ。ユリアーネは「王家の依頼って断れるんだ……」と、自分の家の図太さに感心した。
「だからって……」
世間の常識から逸脱しているコーイング家に、エリアスは納得できない表情を浮かべている。
一方、世間の常識なんて気にしたこともないフォルカーは、白いシャツに付いてしまった染みでも見るような目をエリアスに向けた。
「そう言うなら、未来の宰相、お前がやれよ。ローランは勝手気ままで自由な奴だから、貴族連中からの評判が悪いだろう? エリアスみたいなニコニコしながら毒を吐く優等生が世話役にはピッタリだ」
「知っての通り、俺とローランは気が合わない。それに王弟殿下からは、息子のアリスティド様の側近を打診されている。将来的に俺が宰相になることを考えると火種になりかねないので、父がやんわりと断っているけどな」
エリアスの話を聞いて不愉快極まりないと、フォルカーは整った顔を歪めた。
「ほらな! 政治なんて下らない思惑ばかりで気分が悪くなる。王城には足を踏み入れたくないね。権力に執着した亡者共の集まりなんて、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。だったら荒くれ者共をまとめ上げる方が、よっぽど楽しいね」
コーイング家は大陸間を跨いで貿易を行っているが、荒くれ者をまとめ上げる仕事があるのだろうか? そう思ったユリアーネは、自分の家のことなのに何も知らないのだと今更ながら気が付いた。
将来の話をしているエリアスとフォルカーが、急に大人になって自分から遠い存在になったように思えてきた。自分だけが何も知らない子供のままで、置いて行かれている気分だ。
自分は将来どうなりたいのか? 自分にそう問いかけて、ユリアーネは愕然とした。
ユリアーネの様子がいつもと違うことに気が付いたエリアスが、「ユリアーネ、どうかした?」と心配して声をかけた。
しかし、二人と距離を感じたユリアーネには、その気遣いさえも子供扱いに思えてしまう。
自分が思い描いていたのと違う現実の未来が、ユリアーネに襲い掛かってくる。現実に飲み込まれたユリアーネから、つい本音がこぼれた。
「エリアス様や兄様は学園を卒業した後に、外の世界で自分の力を試す未来があります。ですが、私にある未来は、あの面倒で陰険な社交界でにこやかに生きていくことかと思うと……そんな自分が想像できず、ゾッとします……。いくら学んだところで知識を活かして外の世界で働くなんてことは、私にはできないのですね。男に生まれれば、二人と競い合えたのに残念です……」
自分は人の為にこの知識を活かして働くことができないと、人の役に立てないと、今更気が付いたユリアーネは意気消沈だ。
「えっ? 今頃気が付いたの? お前は本当に鈍臭いな」
と言ってフォルカーは、傷心のユリアーネに追い打ちをかけた。フォルカーを睨んで黙らせたエリアスは、真剣な面持ちでユリアーネの前に立つ。
「確かに貴族の令嬢は仕事を持てないけど、愛する人と人生を共にし、幸せな家庭を築くのも悪くないと思う。俺ならユリアーネの知識を無駄にせず、必ずユリアーネの望む形で活かすことを約束するよ。それに嫌な思いをしてまで社交界に顔を出す必要もない」
顔を真っ赤にして熱弁するエリアスに対して、ショックから抜け出せないユリアーネは深いため息をつく。
「……エリアス様みたいに器の大きい方ならそう言って下さるかもしれませんが、私の政略結婚相手はどうでしょう? どんな相手かによって自分の運命が決められてしまうって、本当に女って嫌ですね……」
ユリアーネがガックリと肩を落としてうつむいている間、ショックで顔を歪ませるエリアスをフォルカーはそれは楽しそうに眺めていた。
その日、自分の将来について思い詰めたユリアーネは、眠ることが出来ず母の部屋を訪ねた。
偶然にも父親が外国から帰ってきており、二人に自分の気持ちを聞いてもらうことになった。
「…………と言う訳で、私は自分の得た知識を活用できず、誰かの妻に納まる未来に納得が出来ないのです。もちろん社交界を馬鹿にしている訳ではありません。ただ、社交界の爪弾き者である私が、社交界で生きていけるとは到底思えないのです……。それに、生まれ持った知識や努力して得た知識を、人の為に活かす機会を一度も持てないのは悔しいのです。知識は持っているだけでは意味はありません、活用してこそ生きるのです。貴族だから活用できないのであれば、貴族籍から抜けて平民となり、教師として身を立てるのも一つの手段だと思うのです。女の私では国政に携われませんが、優秀な平民を育て上げ、凝り固まった既得権益をぶち破る一歩を……」
「分かったわ、分かったから、ユリアーネ。貴族籍から抜ける辺りで、お父様が気絶してしまったから、ちょっと待っていて」
ソファに座ったまま器用に白目を剥いている父を前に、ユリアーネは大人しく待った。
身体が大きい以外は栗色の髪に茶色い目(今は白いが)の平凡な見た目の父親は、とにかく仕事が大好きだ。常に海を越えて国々を飛び回り、ユリアーネの知らない知識があることを教えてくれる尊敬する父親だ。その父を見て育ち、娘を溺愛する父から「ユリアーネの優秀さは私の仕事の役に立つ」と言われ続けてきたユリアーネは自分が父のように働くと今日まで信じて疑わなかったのだ。
父の頬をぺちぺちと叩き「旦那様、トリスタン、おーい」と声をかけている母は、誰もがすれ違いざまに振り返ってしまうほどの美女だ。
星空のような藍色の髪と、本物のエメラルドと言っても過言ではないほど大きく吸い込まれるような緑色の瞳は、娘から見ても神々しく見惚れるほど美しい整った顔をしている。
名門と名高い侯爵家の長女にして美しく聡明となれば、妻にと望む声が後を絶たなかった。隣国の王太子からも声がかかった美女が選んだ夫は、伯爵であるトリスタン・コーイングだった。
コーイング家は伯爵家ではあるが国政には携わっておらず、領地も温暖で農業が盛んというだけの平凡な家だ。領地は海に面しているので漁業や貿易に有効かと思いきや、港は昔からの地元の民が幅を利かせていて、領主を馬鹿にして舐めきって言うことなんて聞く気もない。そんな威張り腐った地元の民だって、海に出れば釣り上げた魚を海賊に強奪されてしまうのだ。そんな治安の悪い荒れた海に面した港だからこそ、貴重な港なのにも関わらず国も手を出すこともなく放っておいたのだ。そんな国に見放された領主泣かせの土地をまとめ上げ、国一番の貿易と観光都市に生まれ変わらせたのがトリスタンだ。
結婚当初は「もっと良い相手がいたのに」と陰口を叩かれていたクロエだったが、あっと言う間に「男を見る目がある」と評価が取って変わってしまった。自分を選んだせいでクロエが周りから貶められるのが許せなかったトリスタンが、当初の予定より急激なスピードで領地の立て直しを図ったからだ。
もちろんクロエはそんな手の平を返した輩は相手にせず、コーイング家と関わって甘い汁を吸おうと擦り寄って来ることも許さなかった。
トリスタンを馬鹿にした貴族達は、全てクロエの頭の中に刻まれていて、ことごとくコーイング家から排除されていった。もちろんユリアーネとは異なり、クロエは社交界も優雅に泳ぎ切っている。
ちなみに、ユリアーネは父親似の平凡な容姿で、フォルカーは母親似で美しい顔立ちだ。その美しさもユリアーネに言わせれば、「兄様がシンデレラの王子様だとしたら、シンデレラを探した理由は、自分に挨拶もせず勝手に帰ったことを謝罪させるためね」ということだ。
クロエの呼びかけでトリスタンの意識が戻り、ジンジンと熱を持つ頬を押さえながらユリアーネに懇願する。
「ユリアーネを政略結婚の駒に使う必要なんてない程度には、コーイング家は裕福だ。頼むから、家から出るなんて言わないで欲しい」
しかし、トリスタンが娘を溺愛する父親の姿を見せたのはここまでだった。
「ユリアーネが教師の真似事をしたいなら、丁度いい。領地にある平民向けの学校で教師が足りていない。一年間、そこでやってみればいい」
「お父様、私は真剣に言っているのです。それを真似事だなんて!」
「そうだね、ユリアーネが真剣に言っているのは分かるよ。一年間やってみて、もう一度この話をしよう」
トリスタンにしては珍しくユリアーネの言葉を取り合ってくれなかった。
その日は平日だったが、空を茜色に染める夕日と共にエリアスが駆け込んできた。
目を丸くしたユリアーネは「どうしたのですか?」と言って、荷造りする手を止めた。
「どうしたと聞きたいのは俺だよ。この部屋の様子を見る限り、本当に一年も領地に行くの?」
エリアスの言う通りで、ユリアーネの部屋は領地に持って行くために買ったものでごった返している。
「もう三週間も前に決まっていたそうじゃないか! どうして俺に教えてくれなかったんだ?」
「兄様が、エリアス様は今が正念場だから、手を煩わせないために言うな、と……」
エリアスは殺気のこもった目で「あの野郎」と低い声を出す。
「いつも言っているけど、フォルカーの言うことは信じてはいけないよ。俺の中でユリアーネ以上に大事なことはないのだから、手を煩わせるなんて思うことは一切ない」
ユリアーネの両肩を掴むエリアスは、窓から差し込む夕日をバックに立っているため眩しすぎて表情が見えない。眩しさばかりが気になって、言葉の内容まで気が回らないユリアーネは目を閉じたままうなずいた。
眩しそうなユリアーネのためにカーテンを閉めるエリアスは、「三週間前に知っていたら何とか出来たが、ここまで話が進んだら無理か……フォルカーの野郎」とユリアーネに聞こえない小声で悪態をついていた。
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