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【完結】王妃様の置き土産  作者: ナベ セイショウ
17/21

ユリアーネ、黒幕と対峙する

読んでいただければ嬉しいです。

本日三話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 部屋の中にいたのは、間違いなく王弟殿下だった。

 部屋は埃臭く、明らかに使われていないと分かる。壁にひびが入り、机や椅子、キャビネットといった家具には黄ばんだ布が被せてある。

 色褪せたカーテンは開いていて部屋の中に陽の光は差し込んでいるが、窓の前には背の高い木が生い茂っており明るいとは言い難い。

 ここは『北の棟』だなと、ユリアーネは頭の中にある記憶を呼び起こした。


 自分の置かれた状況に戸惑っているユリアーネに、王弟は人好きのする笑顔を向ける。

「こんにちは、フェルナン・ハイマイトです。ユリアーネ嬢の話は息子のアリスティドから聞いています。今日はアリスティドのために、わざわざ王城まで足を運んでもらってありがとう」

 王族に多い黒髪赤目の王弟は、国王陛下や王太子殿下や第一王子のキリッした厳めしい顔立ちとは正反対だ。垂れ気味の大きな目と笑みを絶やさない顔は、優しい穏やかな印象を与える。体つきも三人は軍人同然に鍛え上げた大柄な身体だが、王弟はフワフワと小太りで柔らかそうだし小柄だ。こんな状況で対面していなければ、評判通りに人当たりの良い温和な人物だと信じて疑わなかっただろう。

 王弟の丸く垂れた赤い目は人懐っこい犬みたいだが、今は瞳の奥に獰猛で残酷な闇が揺らめいているのが見て取れる。この人が間違いなく黒幕なんだと、ユリアーネは確信した。


 恐怖で声が震えないように、爪が掌に食い込むほど両手を握り締めて体中に力を込める。

「コーイング家長女の、ユリアーネ・コーイングでございます。アリスティド様には、学園でお世話になっております。本日は、お招きいただき、ありがとうございます」

「そんなに怯えなくても、取って食ったりしないよ。北棟に手を入れようと思っていて、下見に来ていたんだ。そんな時に、アリスティドがユリアーネ嬢を城に連れて来たと聞いてね。どうしても会って日頃のお礼を言いたくて、こんな場所で申し訳ないけど来てもらったんだ」

 王弟の穏やかな表情から、すらすらと嘘の言葉が紡がれて怖いくらいだ。シルヴェストルもローランも尻尾を出さない強敵だと言っていたが、その言葉に今なら素直にうなずける。

 笑顔が似合う人の良さそうな顔に、威圧感のない丸みのある身体。いかにも人畜無害ですと言わんばかりのこの人が、ヴィルヘルミーナや国を陥れたなんて、誰も信じないだろう。


 自分一人では太刀打ちできないと分かっているユリアーネは、この場から無事に去ることだけを考える。

「殿下にそのように仰っていただくなんて、恐れ多いです。その上、大変お忙しいのに時間を割いて頂き、お目通りが叶い身に余る光栄です。ですが、これ以上殿下のお時間を頂く訳には参りませんし、アリスティド様がお待ちですので、わたくしはこれで失礼させていただきます」

 王弟の時間を奪わないよう気を遣っている風を装って、戻ろうとするも思う通りにはいかない。

「そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ。この後の時間は全て君の為に使える。私が執務室に戻らなくても、誰も探しに来ないよう手を打ってある」

「……」

 薄ら笑いをユリアーネに向ける王弟の方が、一枚も二枚も上手だ。

 王弟の赤い瞳が、みるみる残酷さを増していく。さっきまでの穏やかだった笑顔は、今は恐ろしいくらい酷薄な笑みにしか見えない。

「もう少し世間話を楽しむつもりだったのに、君はどうしてそんなに怯えているのかな? 私は兄上達とは違って、優しそうに見えるだろう? ユリアーネ嬢は何を知ってしまっているのかなぁ?」

 王弟が一歩近づけば、ユリアーネが一歩下がる。そして王弟が一歩進める度に、ユリアーネの顔色が失われていく。それに反して王弟は、ユリアーネの怯えを糧にした。笑顔が晴れやかになり、怖いほどに残酷さが増していく。

 ユリアーネは隣の部屋に続く扉に追い詰められた。もう一歩も、下がれない。

「あーあ、一歩下がる度に怯えが増すユリアーネは、とても可愛かったのに。もう逃げ場がないね」

 隠すことなく残忍な笑顔を見せる王弟にユリアーネは何も言えず、ゴクリと唾を飲み込む。

「大体さ、初めから逃げ場なんて無いんだよ。君は賢いから分かっていると思うけど、外にいる侍女は私の腹心の部下だから助けてくれないよ? 『北の棟』は何代か前の国王陛下の住居棟だけど、老朽化していて今は誰も寄りつかない忘れ去られた場所だ。ちなみにこの部屋は、国王陛下夫妻の寝室ね。ユリアーネの後ろにある扉の向こうは、王の私室。私はさ、このさびれた廃墟の王の部屋にしか入れないんだよね。おかしいと思わない?」

 フェルナンは自嘲気味にそう言うと、憂いのある瞳で部屋を見回した。が、すぐに、この廃墟同然の部屋に相応しい壊れかけた瞳をユリアーネに向けると、口元だけ歪ませた。


 ユリアーネの状況を、周りの人間は理解できているだろうか?

 学園から無理矢理同然に王城に連れられてきたのだ。コーイング家に連絡をしておくと言われたが、あの侍従に王弟の息がかかっていない可能性の方が低い。アリスティドや王弟が住む『東の棟』に、ユリアーネの護衛が侵入できた可能性も低い。

 となると、ユリアーネが『東の棟』から出てこないと護衛が気が付くまでに、まだ時間がかかる。気が付いたところで、味方はユリアーネがどこにいるのか誰も知らない。

 絶望的な自分の状態に、血の気が引いていく。


「ユリアーネにいくつか質問をしておきたいな。ユリアーネも私に聞きたいことがあるだろうから、交互に質問をしていこうか?」

 主導権を握っているのは自分だと言わんばかりに、王弟は余裕たっぷりだ。

 王弟が黒幕だと知っているユリアーネが、無事でいられるはずがない。その時が来るまで、ユリアーネで遊ぶつもりだ。自分に怯えるユリアーネを見て楽しんでいるのだ。

「まずは私からね。ユリアーネはどうしてすぐに私を疑ったの?」

 ユリアーネは後ろ手にドアノブに手を掛けると、寝室と王の部屋を繋ぐ扉を開けた。

「別に隣の部屋に行ってもいいけど、ここよりもっと埃が舞っているよ?」

 王弟はにっこりと笑って、扉を開いても逃げ場にはならないとユリアーネの希望を絶った。

「もう少し会話を楽しみたいから、質問に答えて欲しいな」

 王弟との会話を楽しんだ後を思うと、身体中の血が足元に流れ出ていくような寒気に襲われる。

「それに、ほら。私と会話をして時間を伸ばした方が、助けが間に合うかもしれないよ?」

 希望を持たせるように言っているが、ユリアーネが『北の棟』にいることを誰にも気づかせていない自信があるのだ。暗に助けは来ないと言っているのと変わらない。

 助かる見込みをちらつかせて希望を持たせることで、王弟はユリアーネの心に絶望の芽を植え付けたのだ。

 ユリアーネの希望を一つずつ叩き壊して、絶望の底に落とすつもりだ。自分が与える恐怖で成長したその芽が、大輪の花を咲かせる様子を楽しんでいるのだ。

 王弟の意図が分かったユリアーネは『大丈夫だ、大丈夫だ』と自分に言い聞かせて、心を落ち着かせるためにドアノブを握る。

 気丈に自分を睨みつけるユリアーネに、久しぶりに楽しめそうだと王弟の仄暗い喜びが増す。

「……王弟殿下は、明らかな嘘をつきました。この『北の棟』は老朽化が激しく、倒壊の恐れがあるほどです。手を入れて直すはずがありません」

「ふふふふふふ、面白い子だね。あーあ、ユリアーネ、どうしてローランの婚約者になったのかなぁ? 是非アリスティドの婚約者に欲しいってトリスタンに頼んだのに、歯牙にもかけずに断られたんだよ。アリスティドの婚約者なら長生きできたのにね。見る目がなかった自分の父親を怨むしかないね」

 クスクスと心底楽しそうに笑いながら、王弟はユリアーネの心を蝕んでいく。


「次はユリアーネの番だよ、聞きたいことがあるだろう? 君はもう他の人に話をする恐れがないからね、包み隠さず真実を話すことを誓うよ」

「……王弟殿下は、一体何がしたいのですか?」

 王弟は「最初の質問から核心をついてきたね」と、またクスクス笑い出した。

「私はね、兄を心の底から恨んでいる。だから兄の子や孫が王位を受け継ぐことが、許せない。昔は自分が王位に就くために画策したこともあったけど、私ももう年だからね。だから、アリスティドに王位を就かせることにしたんだ。その邪魔をする者は、全て消えてもらうよ」

 と言った王弟は、全身の毛穴が開いて冷たい汗がドッと噴き出るほどの不気味な笑顔をみせた。

 喉が渇いてヒリヒリしているのに、飲み込む唾もない。それなのに、不思議なことに目には涙が溜まるのだ。


「次は私の番だね。ユリアーネ嬢は、何でローランの婚約者になったんだい?」

「……なん、で? ……」

「君は王家とは何の関わりも無いだろう? 王妃を狙っているとも思えないし、ローランに好意があるようにも見えない。それなのにローランの婚約者になったのには、何か目的があるはずだよね」

 黒幕をおびき出すことが目的だとバレているのか? こんな質問をするくらいだから、怪しんでいるのだろう。ローランやシルヴェストルと繋がっていることはバレていないのか? でも、私が一人で動いているとは思っていないはず。だからといって王弟を引きずり出すための囮ですと自ら告白なんて絶対にしない。できる限り油断させて隙を作らないと。

「……ご存じだと思いますが、わたくしは大変優秀です。ですが普通に嫁いだのでは、必死に学んで得た知識を活かすことは叶いません。ですが王妃になれれば、わたくしの知識を国の為に活かすことができます。ですからローラン様の婚約者を望んだのです」

「なるほどね。確かにその知識が活かせないのは、もったいないと思う気持ちは分かるよ。でも、相手を間違えてしまったね」

 王弟の言葉が、じわりじわりとユリアーネの心を害していく。

 残酷な笑みをユリアーネに向けた王弟は、「次はユリアーネの番だね、どうぞ」と満足気に微笑む。


「……どうやって、いや、どうして、王妃様を自殺に追い込んだのですか?」

「!」

 目を見開いた王弟は一瞬ポカンとした顔を見せ、直後楽しそうにお腹を抱えて笑い出した。目尻に涙を溜めて笑い続ける男は、陽気なおじさんにしか見えない。

 しかし、楽し気に笑いながらも、目の端は抜かりなくユリアーネが逃げ出さないよう捉えている。その狡猾な態度に、ユリアーネはゾッとする。

「なぁんだやっぱり知っているんだ。シルヴェストルから聞いたのかな? ローランかな? いや、今はユリアーネの質問に答える時間だったね。これは私の次の質問だ」

 笑いを収めた王弟が、再度ユリアーネと向き合う。

 王弟は首を傾げると「惜しいな。ユリアーネを失うのは、実に惜しい。残念だよ」と、悔しそうに呟いた。

「結論から言うと、『どうして』は国王である兄のせい。『どうやって』は兄が王妃を追い詰めた。私はちょっと手助けをしたに過ぎない」

 話についていけないユリアーネが眉間に皺を寄せると、王弟は「そんなに怖い顔しないで。大丈夫、順を追って最後まで話すから」と微笑んだ。


「私は愛し合っていた婚約者と引き離されるまでは、王弟として兄を支えていくことに何の不満も抱いていなかったんだよ」

 そう言った王弟は、かつての記憶を懐かしむような遠い目をした。

「ハイマイト国を含める近隣諸国の情勢が変わり国の守りを強化するには、兄がヴィルヘルミーナと結婚する必要があった。そのせいで私は愛し合う婚約者と引き裂かれ、王妃への野心と未練しかないライサという愚かな女を宛がわれた。国の為だ、仕方がないと何度も思い込もうとしたよ。だってそうだろう? 私が望まぬ結婚を受け入れているように、兄だって同じなのだと思っていたからね」

 そう言うと王弟は顔を歪ませて、ひびの入った壁を怒りに任せて殴りつけた。その衝撃で扉越しに背中が揺れ、ユリアーネの身体が恐怖でびくりと跳ねる。

「しかし、兄は違った……。ヴィルヘルミーナは高慢で人の話に耳を傾けなさそうに見えたが、実際は優秀で身分の垣根を越えて人の話を聞く人だった。だから、私と元婚約者がそうであったように、兄とヴィルヘルミーナは愛し合うようになった。私の幸せを叩き壊しておきながら、兄は幸せを掴んだ。そんなの許せるはずがない!」

「みんなが国を守るために振り回されたのです。王弟殿下の幸せを壊したのは、国王陛下ではないはずです!」

 自分勝手な理由で激昂する王弟を咎めたユリアーネを、王弟は狂気を浮かべた赤い目だけを動かして黙らせた。

「兄は心からヴィルヘルミーナを愛した。そして、ヴィルヘルミーナも兄を愛していた。私が失った愛を手に入れた兄を、私はどうしても許すことはできなかった。だって、不公平じゃないか! 兄は愛も家族も王位も手に入れた。なのに、手に入れていた愛を手放さざるを得なかった私には、何も残っていないのだから!」

 ユリアーネの目の前に突き出された何も手にできなかった両手は、血管が浮き出るほど強く握りしめられた。

「だから二人の愛を試すことにしたんだ。私と元婚約者との愛と、兄とヴィルヘルミーナの愛、どちらが本物なのかを見極めたかった!」

 そう言った王弟の恍惚の表情と、礼拝堂のブリュノの顔が重なった。瞳の奥にある壊れ切った狂気の色が、ユリアーネには同じに見えた。

 自分の狂気に当てられて震え上がるユリアーネには目もくれず、王弟は悦に入って自分が与えた試練について説明を始める。

「一つ目の試練は、王妃が第二子を授かれず、馬鹿な貴族共が自分の娘を側妃にと騒ぎ出した時だ。兄は王妃を愛していると言って、側妃は取らなかった。もちろん愛は何よりも優先されるべきものだから、私も兄の選択を応援したよ。そうしたら兄は私に感謝してね。なぜか勝手に私に頭が上がらないと思うようになったんだよ。笑っちゃうだろ?」

 王弟は一人、本当にクスクスと笑い出した。

「だって私は馬鹿共にこう言ってやったんだよ? 『兄が側妃を取らないのは、王妃が泣いて縋るからだ』とね。馬鹿共はすぐに信じたよ。自分の娘が側妃になれないのは王妃のせいだと、恨みを募らせクライトン家と一緒になって王妃に嫌がらせ三昧だ。国王に対しても不満を抱いているから、兄が王妃への嫌がらせを咎めればエスカレートしていく一方で、何も言わないのが一番の対処法になってしまった。兄の立場を危うくする良いきっかけになった出来事だった」

 子供がちょっとした悪戯を自慢するのと同じように、当時を楽しそうに振り返る王弟は狂気でしかない。


「次の試練は、マルスランだ。何度か殺そうとしたけど、王妃に阻止されたんだよね。クリステンス国は王族同士の内紛が一時酷かったからね。それを経験している王妃の守りが堅くて、一度も上手くいかなかった」

 身内を殺せなかったと悔しがる姿は、異常だ。

 王弟の言う通りでクリステンス国では、ヴィルヘルミーナの父や兄や弟が何度も命を狙われていた。ヴィルヘルミーナ自身だって、殺されかけたのは一度や二度ではない。ハイマイト国に嫁いできたのだって、王位目当てに国内の有力貴族がヴィルヘルミーナを娶るのを防ぐ狙いもあった。

 家族や自分が常に危険に晒されていたヴィルヘルミーナだから、たった一人しかいない可愛い息子のために細心の注意を払うことができた。

「毒や誘拐と何度も未然に防いでいたけど、黒幕は王弟殿下だったのですね……」

 ヴィルヘルミーナの記憶が鮮明に思い出されて、ついユリアーネの口をついて出てしまった。

 王弟は感心したというように何度もうなずくと、「コーイング家の情報収集能力は、大国以上と聞いていたけど……。何十年も前のことまで完璧に調べ上げるんだね。味方にできなくて、本当に残念だな」とわざとらしく肩を落とした。

「でも、知ってる? マルスランの暗殺には失敗したけど、母親に嫌悪感を抱かせるのは大成功だったんだ。大事な息子を危険から守るために、王妃はマルスランの自由を制限していた。それが不満で仕方がなかったマルスランは、すぐに私の言う嘘を信じて懐いたよ。暗殺計画は失敗したけど、結果として役には立ったって訳だね」

 王太子が母親を良く思っていなかったとローランが話していたのを、ユリアーネは思い出した。陛下達の家族の不和は、全て王弟に仕組まれたのだ。

「最後は兄に、直接試練を与えた。シルヴェストルはクリステンス国に留学していて、王妃になる前のヴィルヘルミーナと出会っている。兄はそのことをとても羨んでいた。自分より先にヴィルヘルミーナと知り合って、ブリュノからヴィルヘルミーナを守ったシルヴェストルに、兄はずっと嫉妬していたんだ。今だけではなく、過去でさえ、王妃が自分以外の男を愛した事実を兄は許せなかった。まぁ、そんな事実自体が私の作り上げた嘘で、シルヴェストルと王妃の間に愛情なんてなかったんだけどね。嫉妬に狂った兄は、そんなことでさえ正しい判断が下せない状態だった。だから、王妃とシルヴェストルは出会った頃からずっと想い合っていると仄めかしたら、馬鹿みたいにすぐに信じたよ。やっぱり兄と王妃の愛は、私達には劣ったんだ!」

 そう叫んだ王弟は、右腕を突き上げて喜んでいる。


「国王陛下の方が劣っているのが分かったのですから、ブリュノに王妃様を襲わせる必要はなかったのでは?」

「あれ? ユリアーネの番じゃないけど? まぁ、いいや。答えてあげる」

「私が王位に就くためには、王妃の不貞が必要だったんだ」

「……王位、ですか?」

「だって兄より私の愛が勝っていたのだから、私の方が国王に相応しいだろう? ライサも邪魔でしかなかったから、上手く罪を被せて消えてもらう予定だった」

 愛が勝っているから国王に相応しい? ユリアーネには全く理解できない。そもそも、愛し合っていた人を『元婚約者』としか呼ばないのもおかしい。

 王弟はユリアーネの存在などお構いなしで、嬉々として自分の話を続ける。ずっと誰かに話したかったのかもしれない。


「まさか王妃が命を絶つとは思わなかったよ。私の書いた筋書きは、『王妃がブリュノと通じていて、それを手引きしたのがアデライト』だったんだ。だって、王妃が他国の男を城に連れ込むなんて、情報漏洩が疑われるだろう? そんな国家を貶める王妃に浮気された国王など外聞が悪いと、兄への不満を溜め込んだ貴族共が排除に動く。ついでに兄の右腕で目障りなシルヴェストルも一緒に引きずりおろせると思ったんだけどな。アデライトも始末し損ねたし、上手くいかなかったな……」

 本当に残念そうな王弟は、「でもねぇ、まさか兄が王妃の死因を捏造するとは思わなかったよ」と言って馬鹿にするようにニタァと口角を持ち上げて笑った。

「兄は愛よりも、自分が王位につき続けることを優先したんだよ」

「でも、腹が立つのは、その事実を隠すのに私を使ったことだな。事もあろうに兄は、『王妃の座を奪われた嫉妬でヴィルヘルミーナを陥れたライサを抑えられなかった夫』と私が後ろ指差されるのを防ぎたかったと言ったんだ! おまけに『ライサやクライトン家を咎めるのは、夫である私を貶めるようで踏み切れなかった』とまで言った!」

 一気に激昂したフェルナンが、顔を紅潮させて何度も壁を殴る。剥がれた壁の一部が、パラパラとユリアーネの頭に降ってくる。

「ライサを抑えられない? ふざけるな! 抑える気なんて最初からなかったよ。私がライサの『王妃の座を奪われた恨み』を煽り続けて、王妃を虐げさせ続けたんだからね。ライサは私の駒であって、操っているのは私だ! なのに馬鹿な兄は、ただの手駒に過ぎないライサやクライトン公爵家を、この私が扱い切れなかったと言ったんだ! 絶対に許せない!」

 王弟は怒りに任せて、また壁を殴り続ける。

 自分の顔の横が殴られているのを見ているのは、決して気分のいいものではない。この拳が、いつ自分に向かってくるのかと思うと、ユリアーネは身体の震えを止めることが出来ない。

 王弟は急に壁を殴るのを止めると、かつて壁画が描かれていた薄汚れた天井をゆっくりと見上げた。

「絶対に兄と兄の家族を許さない。年齢的に私が王位の座に就くのは難しいからね、自分の血を引く子供が必要だ。だから、ライサと離婚した後、すぐに運命の女性と結婚したよ。そして生まれたのがアリスティドだ。絶対にアリスティドを王位に就かせると私は決めた」


 王弟は壁から離れるとキャビネットに向かい、上を覆う黄ばんだ布を外した。

「そのために私は、アリスティドのライバルであるローランの評判を落とした。そして、シルヴェストルの息子であるアヒムやアヒムの息子エリアスにも近づいた。シルヴェストルはしぶとくて、隠れて色々と調べていたからね。だからアヒムとエリアスは、シルヴェストルを憎むように仕向けたんだ。親子で協力されても困るし、国王を憎むアヒムを味方につけておけば、アリスティドを王位に就ける時に役に立ってくれるだろうからね」

 王弟はキャビネットの引出しから、何かを取り出してユリアーネのところに戻って来た。

「もちろんマルスランだって、父親より私を慕っている。だから兄と仲違いさせておくのは楽な仕事だった。兄が長く王位の座にしがみ付いてくれたのも、今となっては幸運だった。マルスランに王位を譲っていたら、アリスティドが王位に就くのは難しくなっていたからね。こうやって、アリスティドが王位に就くための、全ての準備が整ったんだ。それなのに……」


 王弟の話は、ユリアーネの耳には入らない。

 ユリアーネの全神経は、耳ではなく目に集中していたからだ。

 ユリアーネの怯え切った瞳は見開かれ、王弟の右手に向けられている。

 王弟の右手には、銀色に光るナイフが握られていた。

「ユリアーネ・コーイングがローランの婚約者として現れた。大陸を股にかけ、大国の王だって頭が上がらないコーイング家が、ローランの後ろ盾になった。たったそれだけで、計画は崩れ去ってしまった。アリスティドが王位に就く道が、いとも簡単に潰えてしまったんだよ。だったら、私が取る方法は一つ。邪魔者を排除するのみだ」

 ユリアーネの目の前にあったナイフが、高く振り上げられる。

 だが、ナイフはすぐには振り下ろされず、狂気に満ちた笑顔で王弟がユリアーネを見下ろしている。

 遊んでいるのだ。追い詰めた獲物をいたぶるだけいたぶって、恐怖におののく姿を見て楽しんでいるのだ。すぐにとどめを刺す気がないのであれば、必ず勝機があるはずだ。

 震える身体を引きずって、ユリアーネは背後にある扉に手を掛ける。半開きの扉はすぐに開き、倒れるように隣の部屋に入ると扉を閉めた。

 ユリアーネは渾身の力で側にあったキャビネットを扉の前に押し出し、隣の部屋からは扉が開かないようにした。そして、恐怖と焦りでもつれる足を引きずって、本棚の前に進む。

 扉からは狂気に満ちた声が響く。

「私を楽しませてくれるのは嬉しいが、この棟には君の味方は誰もいないんだよ。逃げられないのになぁ」。

 ユリアーネが見えなくなっても、王弟の圧倒的優位は揺るがない。

 部屋を繋ぐ扉が開かないなら、廊下から隣の部屋の扉を開ければ済む話だ。その程度の時間で、ユリアーネが逃げ出せるはずがない。ましてや、廊下には侍女だって待ち構えているのだ。

 それが分かっているから、王弟も余裕の姿勢を崩さない。

 ユリアーネに植え付けた絶望の花が咲き誇るには、良い頃合いだ。王弟は最後の一押しとして、『もう逃げ場はないのだ』と果てしない絶望をユリアーネに与えたい。それが、ユリアーネの唯一の希望だとも知らずに……。

 廊下側の扉からコンコンとノックする音が聞こえる。

「ユリアーネ、開けるよ。もうこの部屋からは逃げられないからね。扉の前に何を置いても無駄だよ……」

 鼻歌でも歌い出しそうな陽気な声が響いた。


読んでいただき、ありがとうございました。

もう少し続きますので、読んでいただければ嬉しいです。

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