ユリアーネ、囮になる
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本日一話目の投稿です。
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「コーイング様よ、本当にパッとしないわ」
「頭は良いけど、平凡な見た目よね。物凄く地味だわ」
「第一王子の婚約者なら、未来の王妃よ。あんなにも地味では、国が舐められるわよ」
「地味なくせに偉そうに歩いて、恥ずかしくないのかしら」
学園内を歩けば、必ず聞こえる中傷の声。ユリアーネに至っては入学以来、定期的に中傷の内容が変わるのだから、もう笑うしかない。
突然降って湧いたように第一王子の婚約者最有力候補となったユリアーネは、粗を捜そうとする令嬢達の監視の目と、中傷に晒され続けているのだ。今まで以上に注目度が増してしまい、学園にいる間は気を抜くこともできない。
三人だけの昼食時間になってやっと身体の力を抜いたユリアーネは、不満を吐き出すように長いため息をついた。
その痛々しい様子を見たキエイマは「日に日に嫌味がパワーアップしていきますね」と、眉を寄せてユリアーネを心配する。
「私は平凡だと、自分では十分承知しているのよ。だけど、それを他人に毎日何度も言われ続けるのは気分が悪いわ……。事実だから言い返せないだけに、余計にね……」
「ユリアーネが完璧だから、令嬢達も陰口の叩きようがなくて迷走しているのよ。さっきなんて、ついに歩き方にまで不満を言い出したじゃない。嫉妬に駆られて、みっともない」
カリスタは悔しそうに話し終えると、鬼の形相でノートにペンを走らせる。そのあまりの気迫にユリアーネは気になって仕方がない。
「……ねぇ、カリスタ、ノートに何を書いているの?」
「ユリアーネに、誰が何を言ったか記録しているのよ。正式に第一王子殿下の婚約者となった日には、このノートを殿下に進呈するわ! 王家の力でこの馬鹿共を消し去ってもらえないなら、ユリアーネは渡さないんだから」
呆気にとられるユリアーネの横で、キエイマが何度も納得の表情だ。
「第一王子殿下は素行が悪くて人気もなく、次の王太子から遠のいているって話だったはず。アリスティド様の方が王太子に近いってこの前聞いたけど。ここにきて第一王子が次の王太子になることが確実視されてるけど、一体何が起きたんだ?」
キエイマの疑問に、カリスタの目がキラリと光る。
「ユリアーネが婚約者に確定すれば、第一王子は次の王太子の座が確約されるの。要するに、婚約者候補がユリアーネでなければ、第一王子が一歩抜け出ることはない。今まで通り次の王太子の座はアリスティド様と競い合っていたはずよ。ユリアーネが婚約者であることが、王太子になるために一番重要な条件なの。だから、ご令嬢達がユリアーネに嫉妬して蹴落とそうとするのは、可笑しな話なのよ!」
「うーん、良く分からない。普通王太子妃って、他国の王女とか、家族が国の重要なポストに就いているとか、議会で影響力のある貴族とかの令嬢だよね? コーイング家は裕福だけど、どれにも当てはまらない。それなのにユリアーネと婚約すると、王太子になれる理由が分からない」
キエイマの当然の疑問に、カリスタが必死に集めた情報を得意げに披露する。
「コーイング家は、他国と貿易をしている者達の間では神と崇められる存在なの。技術を集結させた自前の船と独自の高い航海技術を持っているコーイング家だから、大陸間を飛び回って貿易ができるのよ。普通の商会では、取引先は一国か二国で恩の字なの。世界各国が取引先なコーイング家は、規模が飛びぬけ過ぎてもはや規格外。その上ユリアーネのお父様は交渉術が抜きん出ていて、諸外国で『どんな大国より、コーイング家を敵に回すな』と恐れられているのよ。そのコーイング家が後ろ盾になるなら、第一王子殿下が次の王太子になるのは決定したも同然よ」
「なるほど、ユリアーネは大国の王女以上ってことか。それであれば、いくら嫉妬しているとはいえ、令嬢達がユリアーネを目の敵にするのはおかしいんじゃない? コーイング伯爵が娘を溺愛しているのは明らかだし、仕返しされると思わないのかな?」
「その通りで、おかしいのだ。だが、時代に乗り遅れた貿易に疎い貴族だと、コーイング家の恐ろしさが分からない。そういう何も知らない馬鹿令嬢が、嫉妬に狂って攻撃している訳だ」
ここにいる誰でもない声が、キエイマに答えを教えてくれた。
キエイマとカリスタが、声のした背後を振り返って、驚きのあまり目を見開いたまま石化した。
当然だ。今最も旬な話題の人だが、学園で最も遠い人でもあるローランがニッコリと微笑んで立っていたのだから。
「殿下……」
「ユリアーネは最も有力な俺の婚約者候補だろ? 『ローラン』って呼べって言っただろ」
完全に悪ノリで悪戯っ子のみたいな顔をしているローランに対して、ユリアーネの表情は無だ。
「何だよ、ノリが悪いな。第一王子の婚約者候補なんて、令嬢の憧れだろう?」
「憧れの場に立ったら、嫉妬の視線に身を焦がされ真っ黒焦げです。あの蔑む視線や誹謗中傷を、殿下のように笑い飛ばす精神力は一生身に付きそうにありません」
「俺の嫁になるんだから、それだと一生苦労することになるな」
また揶揄ってとユリアーネは苦笑しているが、ローランの表情はいつもの悪戯っ子みたいな笑みではなかった。ローランの笑顔には、大事なものを慈しむ優しさがあった。
ローランの急な変わりように呆然とするユリアーネの顔にかかった髪を、ローランはそっと耳にかけた。その様子を瞬きせずに凝視していたカリスタが、ひゅっと息をのんだ。
ローランは真顔で「少し話がしたい」と言うと、返事も待たずにユリアーネの手を引いて歩き出す。
昼食時で生徒が多く集まっていた和やかな中庭に、ローランに手を引かれたユリアーネが現れる。中庭にいた者達は皆、喋るのも食べるのも忘れて二人に注目した。
今まで婚約者を持ったこともなく、寄って来る自称婚約者候補に見向きもしなかったローランが、令嬢の手を引いて歩いている。それも自分勝手で自由気ままで相手のことなど気にしないローランが、ユリアーネの歩調に合わせてにこやかに歩いているのだ。ユリアーネがローランにとって大切な女性だと思わせるには十分だった。
二人の登場と同時に一気に静まり返った中庭が、二人が通り過ぎ見えなくなるとドッと沸いた。今の様子を見て、第一王子殿下の婚約者はユリアーネだと確信して大騒ぎになっている。
そして、その輪から少し外れたところに、二人の後姿を見送るエリアスがいた。
悲鳴と怒号が飛び交う中、あっという間に『第一王子殿下の婚約者はユリアーネ嬢で確定だ』『第一王子はユリアーネ嬢にご執心で、恥じらうユリアーネ嬢の髪を耳にかけ優しい目で見つめていた』と噂が広まった。
定番となった図書館の小部屋で、ユリアーネは令嬢らしからぬふくれっ面を見せている。
「ちょっとやり過ぎじゃないですか?」
「祖母さんを死に追いやり、俺の失脚を望む奴は、絶対に俺を次の王太子にしたくないんだ。だからユリアーネが婚約者最有力候補だと思わせる必要があるって説明されただろ? さっきお前達が話をしていた通りで、俺の後ろ盾がコーイング家となれば、俺が次の王太子になるのは確定だ。そうなる前に、敵は焦って必ず何か仕掛けてくる」
「相手を揺さぶるために、私との仲を学園中の噂になるようにした。ってことですか……」
「何年もボロを出さない、一筋縄でいかない奴を引っ張り出すんだぞ! 撒ける餌を出し惜しみしていたら囮の意味が無いだろう?」
「……え、さ……? 私は囮どころか、餌なんですか?」
噛み付かんばかりに怒り出すユリアーネに、ローランは大慌てだ。
「待て、待て、待て。餌はユリアーネではない。餌は俺達の仲の良い姿であって、敵に婚約間違いないしと思わせることだ。それに俺はユリアーネを囮にしたくない。むしろ俺がメインの囮になって、俺に罠を仕掛けてくればいいと思っている。だから、俺が派手に行動したんだ」
「殿下が派手に行動すると、どうなるんですか?」
「俺がユリアーネにぞっこんだと分かれば、自己中心的な俺は王命を使ってでもユリアーネを婚約者に指名すると敵は思う。そうさせる前に、俺を何とかしようと敵が動くことを願っている」
ローランの杜撰な計画にユリアーネは「フフフ」と笑ってしまう。お粗末な計画だと自分でも分かっているローランは、顔を見せないようにそっぽを向くが耳が赤い。
ローランだって分かっているのだ。ユリアーネとローランだったら、敵は必ずユリアーネを狙うと。王族と伯爵家、男と女、ユリアーネの方が容易に手が出しやすい。
それでもユリアーネを守りたいローランは、自分に悪意の手が伸びるよう悪足掻きに躍起になっているのだ。
「しつこいようだが祖母さんの記憶には、黒幕のヒントはないのか?」
ユリアーネは両手でこめかみを押さえて記憶を手繰り、「無いんですよね……」と眉間に皺を寄せて困り顔を見せる。
「王妃様の記憶を漁るのは申し訳ないと思いましたが、必死に確認しました。でも、敵は手がかりを残すような真似はしていません。王妃様は自分が襲われた事件の犯人も、ライサ様とクライトン家だと思っていました。王妃様に嫌がらせをしていた人達は既に粛清されていましたし……」
「俺の親父、婆さんの息子のことは? どう思っていたんだ?」
「えっ?」
ローランは耳の上で切り揃えられた艶やかな黒髪をガシガシとかき乱すと、ユリアーネから微妙に視線を逸らし言い難そうにしている。ずっと気になっていたけど、口に出せなかったのだろう。
「親父は、シルヴェストルと祖母さんの仲を疑っていただろ? 祖母さんが『淑女の証』で身の潔白を証明して、初めて目が覚めたみたいだからさ。実の息子に疑われた祖母さんは、辛かったんだろうなって思ったんだ。親父のこと、恨んでたのかなって……」
婚約者を立てないことでも同じように言えるが、意外にもローランは女性の気持ちを大事にする。世間の評価とは違う、ローランの意外な一面を知れてユリアーネの心はじんわりと温まる。
「息子や夫に信じてもらえなかったのは、王妃様が生き疲れてしまった理由ですね。国王陛下が側妃を取らなかったのは、王妃様がそれを許さなかったのだと王太子殿下は思い込んでいたようです。王妃様は側妃を取るように、自分からも候補者を陛下に挙げていたのですが……。でも、王妃様は王太子殿下を恨んでなんかいなかったですよ」
ユリアーネの話で、父親が祖母を責めていたことを察したのだろう。ローランは顔を顰めて、脱力するようにため息をついた。
「祖父さんと祖母さんが結婚しなかったら俺はこの場にいないのだから言いたくないけど、二人の結婚には不幸しか見当たらないな。でも、お互いに王族として国を守るためには必要なことだった……」
「私は二人の結婚が不幸だったとは思わないんですよね。だって王妃様は陛下を愛していましたから。お二人が国を優先する高潔な王族だったからこそ、すれ違ってしまったのかもしれないですね」
「王族って、面倒だな」
そう言って顔を顰めるローランに、ユリアーネは微笑みかける。
「殿下も誇り高い王族ですよ。自分の評判をなげうって、国を守るために奔走しているんですから」
その言葉に耳まで真っ赤になったローランは照れ隠しの為、「俺達は婚約間近な設定だからな、敵を釣り上げるためにも『ローラン』と呼べ」と早口で捲し立てた。
どんな設定だよと言いかけたが、囮となり餌となっている身としては、うなずくしかない。
素直にうなずくユリアーネを満足気に見ていたローランが、スッと顔を引き締め王子らしい厳しい声を出す。
「学園内はユリアーネにつけている護衛が見張っているから安心だが、もし王城に来ることがあれば気をつけろ。王城の警備だとユリアーネの護衛は機能しない。俺も周りに目を配るが、出来るだけ王城には近づくな!」
囮なので表立って護衛をつけられないユリアーネには、秘密裏に護衛がついている。ローラン直下に位置する極秘の特殊部隊の人間だ。護衛はもちろんだが、得意分野は諜報らしい。
二人が完璧な囮になるために、ローランが馬車まで送ると言い張った。テスト前の図書館には生徒が多く残っているので、二人が連れ立って歩けば話題には事欠かないはずだ。
せっかくだから本を読みたかったと恨み節のユリアーネに、「また今度な」とケラケラ笑うローラン。こんな二人でも傍から見ると仲睦まじい姿に見えるらしく、図書館中の生徒達の視線を釘付けにしている。
扉の側まで来た二人の前に、エリアスが通りかかった。
久しぶりに見るエリアスは相変わらず美しく、身体が少し大きく精悍になった気がする。耳かかる長さに伸びたシルバーブロンドや、憂いを帯びた菫色の瞳は、エリアスの妖艶さを倍増させている。
一年半会わなかったエリアスも、大人の色気が増していて驚いた。それでも遠くなったと感じなかったのは、エリアスが以前と変わらない笑顔を見せていてくれたからなのだとユリアーネは痛感した。
ただの知人になったエリアスは、たった一カ月会わないだけで別人のように遠い。目の前にいるのに、親しみを込めて笑うことは許されない人になってしまったのだ。
ローランはユリアーネの手を取ると、エリアスに向かって「おう」と王子とは思えない挨拶をした。ユリアーネも慌てて、「お久し振りです」と何とか淑女の笑みを顔に貼り付けて対応した。
エリアスはローランのことは目に入っていないのか無視し、ユリアーネだけを見て「元気そうだね」と冷たい笑顔を向ける。
素っ気ない態度だって、無視されなかったのだから喜ぶべきだ。第一王子の婚約者候補だから、臣下として義理で挨拶してくれたのだ。そうでなければ、無視されていたはずだ。それなのに顔を合わせれば、いつもと同じ笑顔を見せてくれると期待していた自分が恥ずかしい。
恥ずかしさのあまりうつむいたユリアーネは、涙を堪えるためにローランの手を強く握り締めた。
ユリアーネの様子に気付いているローランは、空いた右手でユリアーネの頭を撫でると、挑戦的な目をエリアスに向ける。
「俺の未来の奥さんを馬車まで送ってくる。またな、エリアス」
そう言って手を振って去って行くローランとユリアーネの後姿を、エリアスはずっと見ていた。
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