ユリアーネ、記憶が蘇る
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金色の髪を揺らして近づいて来た碧い瞳には、ピンクブロンドをした女性の恐怖に歪んだ顔が映り込んでいる。
陽の届かないステンドグラスは、濁った光を映し出す。曇り空のせいで薄暗い礼拝堂の中で、キラリと何かが光った。短い剣、懐剣だ。
刀身の部分にまで緻密な細工が施されている美しい懐剣は、この壊れた男が持つには似つかわしくない。そう思った瞬間に、懐剣を握っているのが私だと分かった。私が私の意思で鞘から出し、私に向けている……。
嘘、嘘、美しい剣が私めがけて振り下ろされるなんて!
目が覚めた。目が覚めたということは、今のは夢だったのか!
ユリアーネはガバッと起き上がり、「穴、開いてない」胸の状態を確認した。
穴が空いていないのだから、やっぱり夢だったのか。とにかく酷い内容な上に、現実としか思えないリアルさだった。驚きと恐怖で心臓が猛スピードで打ち付けられ痛いほどだ。痛いけど、心臓が動いて、ちゃんと生きているのだ。
しかし、ホッとする間もなく、息ができないほど強い力でクロエに抱きしめられていた。
強盗にナイフを向けられたユリアーネが倒れたと聞いて、クロエは自分が倒れそうなのを堪えて娘が目を覚ますのを見守っていたのだ。力が入ってしまうのも仕方がない。
「良かった、ユリアーネ。良かった、良かった、良かった。怖かったわね、でも怪我はしていないわ。もちろん穴も開いていないから、安心して」
クロエが少し離れてくれたので、ユリアーネは息を吸い込むことが可能になった。しかし、トリスタンはそれを恐怖からくる過呼吸と勘違いし、後ろに下がっていた医者を引っ張って来る。
「先生、ユリアーネが呼吸できなくなっているぞ! 大丈夫か?」
一部始終を第三者の目で傍観していた医者は、ユリアーネの状態をちゃんと把握している。
「呼吸ができなくなったんじゃない。呼吸ができるようになったんだ!」
クロエに代わって、ユリアーネの横に立った医者は、昔から顔なじみのお爺ちゃん先生だ。先生の診療所に行っては、医学や薬草について教えてもらったこともある。腕は確かでかつては王城で働いていたこともあるそうだが、とにかく変わり者の医者だった。
とにかく不愛想な先生だが、教え子でもあるユリアーネには優しい顔を見せる。
「気分は悪くないか? 吐き気は?」
「どれも大丈夫です。ちょっと、夢見が悪くて、鼓動が早いくらいです」
「怖い目に遭ったからな、その影響で悪い夢を見たんだろう。だが、強盗に立ち向かっていくのは、感心できんぞ。確かにユリアーネは賢い。だが、その賢い脳みそを置き去りにして、身体が先に動いてしまうことが多々ある。今までも何度も言っているが、お前の賢さは何のためにあるのだ? まずは自分ができる最良の手段を考えてから動け! いいな?」
「……はい」
ユリアーネは診療所に運び込まれた暴れる患者を抑えようと近づき、弾き飛ばされたこともある。先生には何度も今と同じ注意をされていたのだ。
ベッドの周りには先生と心配そうな顔のトリスタンとクロエ、ムスッとしたフォルカーがいる。いつもはこの輪の中にいるはずのエリアスが、離れたところに立っている。おかしいなと思ったが、まずは自分がしでかしたことを謝ることが優先だ。
「エリアス様、助けていただき、本当にありがとうございました。先生の言う通りで私が考え無しに行動したせいで、エリアス様まで危険な目に遭わせて申し訳ありません」
エリアスは顔面蒼白で言葉が出ず、机に手をついたまま静かにうなずいた。
エリアスの態度に一体何があったのかと心配になり、疑惑の目でトリスタンを見た。するとトリスタンは顔の前で右手を左右に振って、ユリアーネの疑惑を否定する。
「私は何も言っていない。ちょっとは心の中で、気が緩んでいたのではないか? と思っているよ。でも、ユリアーネの好奇心が強いのは昔からだ。それを『駄目だ』と言って止めたら、ユリアーネの人生がつまらないものになってしまうだろう? ある程度の自由は私が認めたのだから、今回のことは私に責任がある。だから、エリアスを責める気は一切ない。だが、今回のことを機に、ユリアーネにはきちんと反省してもらいたい」
「はい……申し訳ございません」
フォルカーがため息をついて、肩を落としたユリアーネの鼻を摘まむ。
「今更反省しても遅い。お前は父上を疑っている場合か? まず自分の行動を思い返せ。エリアスが気に病んでるのは、ユリアーネがぶっ倒れたからに決まってるだろ! お前が勝手に強盗を捕まえようとした上に、目の前で倒れたんだ。守れなかったと思う人間の気持ちになれ!」
珍しくフォルカーの言う通り過ぎて、ユリアーネは自分の甘さを嫌ってほど知った。
「本当に、ごめんなさい。これからは、この様なことがないよう気をつけます」
いくら自分の意志とは異なる力が働いたとはいえ、周りに迷惑と心配をかけたことをユリアーネは心から反省した。
「エリアス様、本当に申し訳ございませんでした」
エリアスからの返事はなかった。
夜になり部屋に一人になったユリアーネは、暗い夜が見える窓の前に立った。窓に映るのは、見慣れた自分の平凡な顔だ。ピンクブロンドに水色の瞳を持った絶世の美女ではない。
ユリアーネは、強盗にナイフで脅されたから気絶した訳ではなかった。
自分に備わっていた知識が誰の物なのかを理解したから、その人の記憶が蘇ったから、その事実が衝撃的過ぎたから気絶したのだ。
ユリアーネは、ヴィルヘルミーナの記憶と知識を持って生まれてきたことを知った。
強盗にナイフを突きつけられるまでは、ヴィルヘルミーナの知識しか認知できていなかった。
だが、金髪・碧眼・ナイフによって、ヴィルヘルミーナの最期の記憶が呼び起こされた。その最期の記憶を手にしたことが鍵となり、ヴィルヘルミーナの全記憶がユリアーネの中に蘇ったのだ。
しかし、なぜ自分にヴィルヘルミーナの記憶や知識があるのかは、ユリアーネにも分からない。もちろん血縁関係でもないし、接点なんか全くない。あるといえば、ヴィルヘルミーナの亡くなった日が、ユリアーネの生まれた日というくらいだ。
例えその微かな接点が理由となってヴィルヘルミーナの記憶や知識を受け継いだのだとしても、『何のために?』という疑問は相変わらず残る。
「誰かに何かを伝えたい? 一体、何を?」
ヴィルヘルミーナは病死ではなく、自殺だ。それも限りなく他殺に近い。王家が醜聞と混乱を避けるため、外交問題を鑑みて病死としたのだとユリアーネは考えた。
偽りが嫌いなユリアーネとしては納得できないが。ヴィルヘルミーナは国の為に生きた人だ。今更自分の死を偽った理由を発表して、国を混乱の渦に陥れたいとは思えない。
「どうしたいの? 何で私に記憶を残したの?」
誰かに自分の思いを伝えたいのだろうか? そうだとしても、ヴィルヘルミーナは王妃だった。該当する人物は皆王族で、ユリアーネが軽々しく声をかけられるような相手ではない。
誰かに相談したいが、そのためには王妃の死因がすり替えられた事実を隠すことはできない。
第一王子であるローランなら、話を聞いてくれるだろうか? 聞いてくれるかもしれないが、ローランはヴィルヘルミーナが命を絶った事件の関係者ではない。当時を知る者の方がいいとユリアーネは判断した。
事実を隠さずに伝えられ、ヴィルヘルミーナの記憶と知識を持っているという事実を信じてくれ、当時を知り話を聞いてくれる人……。そんな人は、いるのだろうか?
平民街での事件から一カ月が過ぎた。
キエイマとカリスタは『自分達が平民街に誘ったせいだ』と反省しきっていて、学園でも青い顔をしていた。ユリアーネが謝り倒して、二人のせいではないと何日もかけて説得して、今まで通り友達でいて欲しいと拝み倒して、キエイマとカリスタはやっと笑顔を見せてくれた。
「ユリアーネ、お昼に行こう」
キエイマとカリスタが声をかけてくれる。この日常が失われる所だったのかと思うと、自分の失態が周りに与えた影響の大きさを身に染みて感じる。
取り戻せたものばかりではないから、余計に……。
三人が旧校舎に向かって歩いていると、相変わらずユリアーネへの陰口は聞こえてくる。
ただ、今までの平民を馬鹿にする内容から、別の中傷に変わっていた。
「コーイング様よ」
「シュスター様に愛想を尽かされたんだってな?」
「あの傲慢な性格ですもの、嫌われて当然よ」
「本当に、いい気味だわ」
「今までだって、あんな地味な人が側にいるなんておかしかったのよ」
クスクスクスクス笑う声がそこかしこから聞こえてくる。
キエイマとカリスタは心配そうにユリアーネを見るが、噂の当人はいつもと変わらず凛とした態度で歩いている。
だが、外側はとは違って、心の中は取り繕えていない。今まで陰口なんて気にしなかったユリアーネだが、今は耳にする度に自分はエリアスから嫌われたのだと心を抉られる。
事件の後からエリアスは、明らかにユリアーネと距離を置くようになった。
毎日顔を出していた教室に、来なくなった。週末は必ずコーイング家に来ていたが、事件後は一度も姿を見せていない。
あの日から、ユリアーネは一度もエリアスの顔を見ていない。自分から会いに行こうかとも思ったが、避けられている理由が自分の暴走のせいだと分かっているだけに会わせる顔もない。今まで距離が近すぎただけに、急に置かれた距離の遠さに寂しさを感じる毎日だ。
今までだって『その程度の容姿でシュスター様の隣に立つなどみっともない』などと文句を言われてきたが、いつも近くでエリアスが笑っていてくれたから気にせずに済んだ。顔を見て、声を聞けることが、幸せなことだったのだと気が付くのが嫌われてからでは遅すぎる。
そんなユリアーネに同情したのか、放課後に図書館にいると、ローランが例の部屋で本を読ませてくれるのが唯一の救いだ。
今日もローランが「おい、暇人!」と声をかけてくれたが、ユリアーネには言い返す元気はない。
大好きな本を読んでいるはずのユリアーネは、いつもと違って明らかに集中できていない。文字を追っているはずの目は、実際には何も見ていない。だからページもめくられることなく、ため息ばかりついている。
「ユリアーネほどの本好きが、本に集中できないとは、相当重症だな」
呆れたような声が耳に入り慌てて顔を上げると、組んだ足の上に器用に頬杖をついたローランが心配そうにユリアーネを見ている。
自由奔放で自分勝手と言われているローランだが、実は細やかに気を遣える人だとユリアーネは思う。
「エリアスに拒絶されるとは、一体何をしたのだ?」
笑顔でかわしたいところだったが、ローランはそれを許さない。抵抗虚しく結局、洗いざらい説明させられた。
「そんなことで? あの、エリアスが? ユリアーネを避けているのか? 嘘だろ? いや、嘘じゃないな、本当に避けてるのは間違いない」
強盗に飛びかかった話を聞いたローランは鋭い瞳を真ん丸に見開き、ゆっくりとユリアーネに視線を向けてから、自分の失言に気が付いた。
「あっ、嘘じゃないと言うか、なんだ、確かに避けているかもしれないが、いや、避けているのではなく。今までが異様に構い過ぎていただけで、今が普通の対応なんじゃないか? あいつもやっと普通の対応を覚えたんだ。だから、嫌われている訳ではないと……」
「……大丈夫です。殿下にまで気を遣わせて、申し訳ございません」
泣き笑いの表情しか作れないユリアーネは、傷ついた顔を隠すためにローランに向かって頭を下げた。バツが悪そうにしているローランは、ユリアーネの髪をわしゃわしゃと撫でた。
驚いたユリアーネが顔を上げると、いつもと違う優しい顔のローランと目が合った。
「無理して大丈夫な振りをするな。俺にも気ぐらい遣わせろ」
ローランの今までにない温かい声が、弱った心に響き、押さえていた感情が溢れてしまった。
「自分の力では敵わない相手に向かうなんて、誰かが助けてくれると思っている甘えた行為です。そのせいでエリアス様の命まで危険に晒しました。嫌われて当然です。それに、エリアス様が学園を卒業したら、家格や容姿のつり合う方といずれ結婚されます。ですから、いつまでも一緒にいられないのは分かっていたのです。ただ、こんなにも早く、こんな形で、感謝の言葉を伝えることもできずに、エリアス様と距離を置くことになるとは、さすがに考えていませんでした。今の自分があるのは、エリアス様のおかげなので、何一つ恩返しができなかったことが、心残りです」
そう言って無理に微笑むユリアーネの頭を撫でたローランは、ヴィルヘルミーナの記憶にある国王と同じ笑顔で「我慢するな」と言ってくれた。だから、そう言われた時のヴィルヘルミーナと同じように、ユリアーネは涙が止まらなくなった。
読んでいただき、ありがとうございました。
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