ユリアーネ、平民街を探索する
読んでいただければ嬉しいです。
本日四話目です。
よろしくお願いします。
友達がいなかったユリアーネは、書物以外の物欲はないので屋敷と学園以外で外に出ることが極端に少ない。最近よく話題に上る平民街に行ったことがないと話したところ、カリスタとキエイマが案内役を買って出てくれたのだ。
そんなわけで、今日はユリアーネの初平民街探索だ。
平民街に行くことが決まってから、ユリアーネは遠足が楽しみな子供のように、今日の日を数えて待った。もちろん、お昼の話題は常に平民街の話だ。キエイマとカリスタにユリアーネが質問しまくるという、いつもと逆の構図も新鮮だった。
平民街に浮かれたユリアーネが、エリアスに「今度の休みは友達と平民街に行くので家にいません」と伝えると、なぜか既にそのことを知っていたエリアスは当然のように一緒に行くことになっていた。
「初めまして、ユリアーネ・コーイングです。えっと……」
カリスタの母親に挨拶をするユリアーネは、自分の右側に立つエリアスを見上げる。自分より高位のエリアスを自分が紹介するのもおかしいと思ったが、本人が黙ったままなのでそのまま紹介を続ける。
「こちらは…………エリアス・シュスター様です……えーっと……」
なんと紹介すればいいのだろうかと、ユリアーネは頭を悩ませた。
フォルカーより兄以上の存在だが、兄ではない。師匠と言ったら不機嫌になる。しかし、兄の友人では、あまりに他人行儀。かといって親しいとアピールするのも、エリアスの思い人に申し訳ない。色々思い悩むユリアーネと、エリアスは愛おしそうに見守っている。
だが、飛びかからんばかりに興奮しているカリスタの母は、本来せっかちなこともありユリアーネの言葉を待つことができなかった。
「お二人の話は娘から聞いておりました。わたくし共の店に来ていただけるなんて、本当に光栄です! 他国の商品を扱う仕事をしていて、コーイング家を知らない者はおりません。コーイング家のお嬢様に会えるなんて、今日は本当に興奮しています!」
大興奮でグイグイとユリアーネに寄ってくる母親を後ろに引っ張ったカリスタが、そのまま扉まで引きずっていく。
「ちょっと、店に来たわけじゃないの。今日はユリアーネを平民街に案内するの。もういいから、母さんは店に戻ってよ、恥ずかしい!」
カリスタそっくりでひょろりと細長い母親は名残惜しそうにユリアーネを見ていたが、娘に家から追い出されてしまった。
「ごめんね。こういう商売をしていると、コーイング家の伝説を聞くことが多くて。母が興奮してしまって……」
頭を下げるカリスタには申し訳ないが、コーイング家の伝説って何なのだろうとユリアーネは気になって仕方がない。トリスタンがやり手なのはユリアーネも分かっているが、伝説と言われれば気になってしまう。
カリスタは何事もなかったように微笑むと、ユリアーネとエリアスのいかにも貴族な服装を指摘する。
「部屋に着替えを用意しています。シュスター様とユリアーネの服装では平民街では浮いてしまって危険です」
カリスタに急き立てられたユリアーネは、伝説について聞く間もなく部屋に押し込まれてしまった。
ササッとドレスだけ着替えようとするユリアーネに、カリスタは「せっかくだから、平民のお洒落を楽しもう」と提案してくれた。普段はお洒落には興味はなく全て侍女にお任せのユリアーネだが、遠足気分で気持ちが高まっていることもあり、カリスタの提案を喜んで受け入れた。
平民街で流行っている髪を結ってくれたり化粧をしたりと楽しそうに色々と準備をしてくれたカリスタが、扉を閉める直前にクローゼットに掛かっているワンピースを指差して「私一押し」と嬉しそうに微笑んだ。
カリスタがユリアーネに用意してくれたのは、菫色のシンプルなワンピースだ。白いレース編みが襟になっていて可愛い。ユリアーネは洋服に詳しくないが、なぜかとてもこのワンピースが気に入った。さすがカリスタの一押しだけあると感心しきりだ。
菫色のワンピースに袖を通すと、平民街に行く切符を手にしたみたいで余計にワクワク感が増す。
スキップする勢いで部屋から出ると、既に着替えを終えたエリアスが廊下で待っていてくれた。
白いシャツに茶色いズボンに茶色いブーツのエリアス。さっきキエイマも同じ格好をしていたはずだ。なのに、エリアスが着ると、直視できないかっこよさ。どういうことなのだろう?
エリアスの身長は百九十センチ近くあり大柄ではあるが、ユリアーネの印象としては穏やかな性格が影響して良く言えば細身、悪く言えば少し頼りないと感じていた。しかし、シャツ一枚になると、意外と身体に筋肉が付いていて鍛えられているのがはっきりと分かる。
ユリアーネはなぜだかドキドキしている自分が理解できない。貴族の服は肌を見せないから、エリアスの色気がここまで漏れ出ないのだ。とにかくエリアスを見ると、恥ずかしいし、緊張するしでユリアーネは困り果てた。
エリアスはパニック寸前のユリアーネに近づくと、「ユリアーネは、菫色が本当に似合うね。今度私が菫色のドレスを贈るよ。是非夜会で着て欲しい」と言って嬉しそうに目を細めている。
夜会で相手の髪や瞳の色のドレスを着るのは婚約者か配偶者だが、まともにエリアスが見れないユリアーネの耳が機能しているはずがない。
一年半もの間離れていたこともあり、より大人の色気をまとったエリアスを目の当たりにしたユリアーネの心臓は口を開けたら飛び出しそうだ。自分でも分かるほどに真っ赤になっている顔も上げられず、ワンピースの裾を握り締めたユリアーネは必死に自分を落ち着かせる。
「……エリアス様は、帽子を被られるのですね」
「ハイマイト国は濃い髪の色が多いから、私の色は目立つんだ」
確かにハイマイト国は濃い髪の色が多く、クリステンス国は淡い色が多いと言われている。
今のエリアスは髪を隠すより、はだけた胸元を隠すためシャツの上にベストでも着て欲しいとユリアーネは切に願う。しかし、エリアスがベストを着ることはなく、全員が揃って歩き出してしまった。
できるだけエリアスと離れて歩こうと決めたユリアーネだったが、「人が多いからね」と言われてガッチリ手を握られている……。さすがに「そこまで子供ではないので」とやんわりと断ったが、エリアスが聞き入れることはない。
このままでは心臓が暴走して息が止まると思って二人に助けを求める視線を送るも、キエイマもカリスタも嬉しそうに見守るだけだ。全身真っ赤なユリアーネを心配する者はいない。
コーイング家の領地にある港とは、また違う活気が王都の平民街にはあふれていた。
「港は観光地でもあったので、様々な国の店が立ち並び混ざり合って色彩豊富な感じでした。でもここは、日々の生活に寄り添っている店が多く、ホッとする優しい色の街ですね」
平民街では目に映るもの全てが真新しく、エリアスに対するドキドキも薄まっていったのがありがたい。とはいっても、エリアスが眩しすぎることに変わりなく、目が合うと必ず眩い笑顔を向けられ、その都度ユリアーネの心臓は飛び跳ねていたが。
店一つ一つに興味が尽きず、ユリアーネは終始カリスタとキエイマに質問し続けた。
喋り過ぎて喉が渇いた一行は、カリスタの家が経営するカフェに入った。
「庶民のカフェなので、ユリアーネ達が食べるお菓子は置いていないのだけど……」
カリスタは申し訳なさそうに言っていたが、ユリアーネは大満足だった。
「この揚げたパンは、とても美味しい。パンを揚げるとは考えなかったわ。そのまま食べるのが当たり前だと思っていたけど、何でも試してみれば他の一面が見られるということね。大発見だわ!」
ユリアーネは新しい体験に感心しきっていて、子供みたいに大興奮だ。喉を潤すために寄ったのに、ここでもずっと喋り続けている。
カリスタとキエイマも自分達の文化にユリアーネが興味を持ってくれたことが嬉しくて、自分達の知っている話題を織り交ぜて教えてくれた。そして二人の話をエリアスが補足してくれる。公爵家の嫡男がここまで平民街に詳しいのかと、キエイマとカリスタも驚いたほどだ。
平民街は一日あれば一回りできる程度の広さだ。しかし、興味津々のユリアーネがすぐに足を止めるため、今日は半分しか回れなかった。
帰る時間が近づいて、ようやく時間配分を誤ったことに気が付いたユリアーネ。しかし、もう遅い。
「ごめんなさい。私がもう少し気を付けていれば、全部見て回れたのに……」
「何を言っているの! ユリアーネに興味を持ってもらえて、俺達も店のみんなも大喜びだよ」
「キエイマの言う通り。ユリアーネさえ良ければ、残り半分はまた次の機会に回りましょう」
カリスタの提案はユリアーネの胸を躍らせた。すぐに答えが欲しくて「よろしいでしょうか?」と、隣に立つエリアスを見上げた。
エリアスはふんわり微笑むと「伯爵には俺からもお願いしておくよ」と言ってくれた。
「今日全て見て回れなかったのは残念ですが、次の約束があると楽しみが続いてウキウキします。友達とのお出かけって、やっぱりいいですね」
ユリアーネの今日一番の笑顔を向けられたエリアスは、同じように微笑み返すと。
「ユリアーネは外出したがらないから誘うのを遠慮していたんだ。友達ばかりでなく、たまには俺と二人で出かけてくれると嬉しいな」
溢れ出す色気を放出したエリアスは、カリスタに結ってもらったユリアーネの三つ編みにそっと触れた。そこには最初に入った雑貨屋で、エリアスが買ってくれた菫色のリボンが結ばれている。
エリアスの顔が見れず真っ赤になってうつむいたユリアーネは、つむじから処理しきれない感情が花火のようにドンッと打ち上げられた気分だ。
その様子を見守っている二人は、お互いに顔を見合って満足そうにうなずいていた。
帰る前に公園を散歩したいユリアーネの願いに応え、平民街の象徴である大きな鐘がある公園を一回りする。
「学校の友達と、学校以外の場所で会うって不思議ですけど、楽しいですね」
一日中はしゃいでいるユリアーネは、自分の言葉にカリスタとキエイマが喜んでいると気づいていない。とにかく見るものすべてが珍しくて、あっちこっち見ては驚いている。
「象徴が置かれている公園だけあって、人が多いですね。あっちの広場はシートを敷いて、のんびりしている家族連れが多いです。こっちは通路の両脇に露店が並んでいるから若者が多いで……」
楽しそうにキョロキョロと周りを見ていたユリアーネが、何か気になるものを見つけたのか走り出した。今日一日ずっとこんな調子だったこともあり、エリアスは「露店が気になったのだな」と気にせず後ろから見守った。
「何をしているのですか! 売り物を奪うのは泥棒です!」
と言うユリアーネの厳しい声を聞いた瞬間に、三人は飛び出した。
大きな鐘に向かう公園のメイン通路に並ぶ露店のアクセサリーを奪い取ろうとした若い金髪の男が、商品を手に握り締めて暴れている。そして、ユリアーネはその泥棒の腕にしがみ付いていた。
「離せ! 何だお前は! おい、離せ!」
男は腕を振り回してユリアーネを振り落とそうとするが、ユリアーネは男の碧い目を睨みつけ「返しなさい!」と譲らない。
猛スピードで走り寄って来るエリアスに怯えた男が、ユリアーネが掴む腕と逆の手でナイフを掴んだ。
「早く離せ! さもないと、怪我するぞ!」
ユリアーネは目の前に出されたナイフに目を見張るが、なぜだかかえって怒りが増して手を離すことができない。
ナイフをちらつかせれば怖がって離れると思ったのに、逆に自分を掴む力が強まったことで金髪碧眼男の焦りが増した。男がやみくもに振り回したナイフが、ユリアーネの三つ編みに当たった。菫色のリボンが切れて、ダークブロンドの髪がふわりと広がる。
猛烈な速さで飛び込んできたエリアスが、ナイフを持った男の腕を掴みねじり上げて、ユリアーネから引き離した。あまりの痛さに男がナイフを落としたところで、少し遅れて到着したキエイマに男を放り投げた。
エリアスは呆然と立ち尽くすユリアーネに駆け寄ると、怪我が無ないことを確かめ、ギュッと抱きしめた。
「ユリアーネ、無事でよかった。気を抜いてしまった俺が悪いが、今のような場合は、まずは俺に声をかけて欲しい。一人で突っ込んでいくなんて絶対にやってはいけない」
「……金色、碧い目、剣……」
ユリアーネにエリアスの声は全く届いていなかった。目の焦点があっていない状態で、ブツブツと同じことを何度も呟き、気を失った。
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