プロローグ1
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ちょっと長めのプロローグが続きます。主人公はまだ出てきていません。
「王妃様、シュスター公爵夫人が、予定を変更して礼拝堂でお会いしたいと仰っているのですが」
わたくしを『王妃様』と呼ぶ度に、不快そうに眉をひそめる侍女が報告してきた。わたくしは気にせずに「そう」とだけ答えた。
シュスター公爵夫人であるアデライトが、わたくしを礼拝堂に呼び出す訳がない。礼拝堂どころか、わたくしを呼びつけるという概念をアデライトは持ち合わせていない。
今のわたくしの立場は、このハイマイト国の王妃だが、嫁ぐ前はクリステンス国の第一王女だった。アデライトもハイマイト国に嫁いで来る前は、クリステンス国の公爵家の娘だ。アデライトにとってわたくしは、王女であり王妃でもある。アデライトは二重の意味で、わたくしに対して敬意を払っている生真面目な友人だ。その彼女がなぜ、わたくしを呼びつけるのか? 答えは簡単だ、呼びつけたのはアデライトではない。わたくしと会う予定を、馬鹿な者達に利用されたに過ぎない。
この呼び出しは罠だ。
わたくしはハイマイト国の高位貴族達には、嫌われ蔑まれている。理由は、ハイマイト国の令嬢から王太子妃の座を奪ったから。
わたくしの伴侶であり国王陛下でもあるガストン・ハイマイトは、わたくしと婚約する直前まで婚約者がいた。わたくしが割り込んできたことで、今は王弟の妻となった筆頭公爵家であるクライトン家のライサだ。
ガストンとライサが婚約した頃は、国同士はもちろん大陸間でも不穏な動きはなかった。しかし火種が一度飛び散れば、あっと言う間に燃え広がるのが戦争だ。国を取り巻く情勢が一気に変わり国同士の協力が必要となったため、急遽決まったのがハイマイト国とクリステンス国の政略結婚だった。隣り合った両国の王太子と第一王女を結婚させて、同盟関係を強化することにしたのだ。
ハイマイト国とクリステンス国は、領土の面積や経済力は大差がない。だが、軍事力で言えば、クリステンス国の方が上回っていた。クリステンス国は戦争で領土を広げてきた過去があり、内戦も多く、平和なハイマイト国と比べると争いが多いのだ。
軍事力が勝っている国から花嫁を迎えることを、ハイマイト国は不安に思っていた。この政略結婚は同等な関係の基に結ばれている。それなのに軍事力が勝るクリステンス国に守ってもらうための同盟に思えてしまい、その劣等感からクリステンス国の王女を敵視する者も少なくなかった。
一枚岩ではない政略結婚だったこともあり、目の前にあった王太子妃の座から滑り落ちたライサやクライトン公爵家にしてみれば、いまだに納得のできない話なのだ。おかげでクライトン公爵家絡みの貴族達からは、今でも嫌がらせが絶えない。
クライトン公爵家は筆頭公爵家であり宰相職でもあるため、それに相応しい大きい権力がある。その上、婚約を解消した負い目と、王弟の婚家に遠慮があるガストン様は、クライトン家に強く出られないのだ。そのせいなのか、王城の使用人はクライトン公爵家の息のかかった者ばかりで、わたくしにとっては息つく暇がないほど嫌がらせの日々だ。日常生活でも常に嫌がらせを受け続けるのは、さすがのわたくしも精神的に辛い。嫁いで二十四年目でこの状態なのだから、いい加減弱音を吐きたくもなる。
ガストン様に相談できればいいのかもしれないが、これ以上迷惑をかける訳にはいかない。
一人しか子供を産めなかったわたくしを、ガストン様は守って下さったのだから……。
わたくしが産んだ子は男の子ではあるが、跡取りに何があるか分からない王族ならば、国王の子が一人では不安だ。だから、結婚して五年を過ぎた頃から、ガストン様には「側妃を取るべきだ」という声が上がった。
辛いが仕方がないことだと、わたくしも受け入れて、ガストン様に候補者の紹介もした。
しかし、ガストン様は側妃を取らなかった。
自分の娘を側妃にして権力を手にしたい臣下達は大荒れに荒れて大騒ぎだったが、ガストン様の弟であるフェルナン様が間に入って取り成して下さったのと、唯一の子供であるマルスランが優秀であったことも幸いして側妃の話は立ち消えになった。
しかし、側妃問題を発端に、国王と臣下達との間に溝ができてしまった。これ以上わたくしのせいで、その溝を更に深める訳にはいかない。臣下との信頼関係がこれ以上拗れれば、国王の進退問題、ひいてはマルスランの王位継承に響いてしまう。自分が我慢すれば済むことなのだから、疲れたなどと思ってはいけない。
王女として生まれ、王妃になるべく嫁いだ。国のために自分を殺すのは当然だと言い聞かせられて育ったのだ、日々の嫌がらせなど大した問題ではない。
それに、最近のガストン様はわたくしに対してよそよそしい。あの噂を真に受けていると思うと、暗澹たる気持ちになる。
ガストン様は側妃を取らず、わたくしだけを選んで下さった。でも、わたくしはこの二十四年間で、ガストン様の信頼を得られなかった。
「王妃様」
クライトン公爵家の息がかかった侍女が、いつも通り不機嫌な顔で急き立ててくる。
今すぐに礼拝堂に向かわせたいのだろう。全く、何が待っているのか? 閉じ込められるのだろうか? たっぷりと嫌味を言われるのだろうか? どちらにしても面倒な話だ。閉じ込められた時のために、窓をこじ開けられる何かを持っていかないと……。
礼拝堂の前に着くと、案の定、侍女が護衛に「王妃様の命令です。中には王妃様がお一人で入られます」と勝手に指示を出している。注意をすれば身に覚えのない醜聞を広められるのだから、何も言わずに黙っているのが一番だと学んだ。
何が待っているか分からない礼拝堂に、一人でなど入りたくもないが仕方がない。うんざりしながら中に入ると、侍女によって扉を閉められた。
二階の窓を彩るステンドグラスから、柔らかな春の陽が礼拝堂に降り注いでいる。礼拝堂の白い床に色とりどりの光が差し、まるで宝石のようだ。
そんな穏やかな礼拝堂にガチャリと鍵の閉まる無機質な音が響き、背筋にぞくりと不安が這い上がると同時に異様に胸がざわついた。
王妃らしからぬ弱気な自分が恥ずかしく、気持ちを立て直すためにも、お守り代わりに持ってきた嫁入り道具に触れて心を落ち着かせる。
「……ミーナ」
突然聞こえた声は、吐き気を催すほどの不快感をせりあがらせた。ここまで不愉快な気持ちになる相手は、一人しか考えつかない。
「あぁ、やっと会えた、ミーナ」
一人で勝手に懐かしんで、いつの間にかわたくしの視界に入っていたその男は、ここに居るはずもない人物だ。
クリステンス国でまだ学生だった頃に同級生だったこの男は、わたくしと愛し合っていると勝手に思い込んだ。毎日執拗に追い回された挙句、遂にはわたくしを連れ去ろうとした為、この男の父であるクリステンス国の侯爵によって幽閉されたはずだ。
それが、どうして?
どうやって抜け出したか分からないが、きっとライサの手引きによってここに来たのだろう。王妃になれなかったことを恨み続け、わたくしを穢すことが生きがいの彼女なら、これくらい平気でする。
であれば、わたくしを貶めるために、わたくしとこの男との不貞を裏付ける偽の証拠や証言が既に用意されているはずだ。
油断した……!
わたくしとガストン様の結婚は国同士が決めたことだから仕方がないが、女としてライサに多少は同情していた。それが裏目に出たのだ。こんなことになるなら、もっとアデライトやシルヴェストルの言うことを聞いて警戒しておけば良かった。
今更後悔しても遅い。今できる最善を尽くさねば。例え偽であっても私の醜聞が、国王陛下やマルスランの足を引っ張る訳にはいかない。礼拝堂にはアデライトの名前で呼び出されているのだから、アデライトやシルヴェストルにも迷惑がかかるかもしれない。
「……アデライトは?」
この計画のために、勝手に名前を使われたアデライトは無事なのだろうか? ここまで手が込んだ仕打ちは初めてだから、アデライトの安全が気になる。
アデライトの名前を聞いたブリュノが、ニヤリと口角だけを上げた。
「以前も僕達を邪魔した、あの女に罪を擦り付けるってあの男は言っていたよ。フフフ、今頃襲われている頃じゃないかな? 早く死んじゃえば、僕たちの邪魔をする者がいなくなるね」
心底楽しそうにアデライトの命を語るブリュノの狂気が恐ろしくて足が震え出した。
ステンドグラスを輝かせていた太陽が雲に隠れ、礼拝堂が雲の影に覆われる。灰色の影をまとったブリュノが一歩一歩と近づいて来る。
「僕がいない間に、こんな所に連れて来られて、辛かったね。もう大丈夫だよ、僕が迎えに来たからね。一緒に逃げよう」
揺らめく金髪の下にある碧い瞳は、現実を見ていない虚ろな瞳だ。狂気の世界に住む男が、目の前に迫っている。
「こ、こんなことをして、国際問題になりますよ!」
わたくしの言葉は耳に届いているのだろうか? 生気のない碧い目からは、狂気がドロリと溢れ出てきそうだ。
「……国際問題? この国の王が僕に君を差し出したのだから、国際問題になんてなるはずないよ。安心して僕と一緒に行こう」
ガストン様が? 嘘だ、そんなはずない! でも、ずっとわたくしとシルヴェストルの不貞を疑っていた。嫁いでからずっと、わたくしを疑っていたのかもしれない。
だから、クライトン家にも強く出られず、わたくしに対する嫌がらせも見て見ない振りをしていたのかもしれない。
嫁いで二十四年、二十四年もわたくしがハイマイト国の貴族から蔑まれているのを放っておいたのは、わたくしの心を疑っていたから?
ガストン様の本心を聞きたい。もうわたくしが信用されないのだとしても、わたくしの心を知って欲しい。そのためには、ここから逃げなくては。
叫び声を上げようとするも、この細腕の一体どこに隠されていたのかと思える力でブリュノに口を押さえられた。
汚らわしいブリュノに触れられたことで、『絶望』その言葉が頭をよぎった。
仮に助けられたとしても、この事件をネタに今まで以上に貴族達に蔑まれ生きて行かなくてはならない。
王城に他国の恋人を連れ込んだ不貞の娘として、クリステンス国の家族にも迷惑をかけるかもしれない。
何よりも悲しいのは、ガストン様から今以上に冷たい疑惑の目を向けられることだ。マルスランから今以上に嫌われることだ。
そして、わたくしの悪評が愛する二人の足を引っ張ることが、何よりも辛い。
お守り代わりにこれを持ってきたことも、運命なのかもしれない。
握りしめていた懐剣を鞘から引き抜き、わたくしは自らの胸に『淑女の証』を突き立てた。
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