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リボンと騎士  作者: 江葉
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リボンと騎士・中



 シルヴィアは隣国で冒険者登録し、王女を探す名目で冒険者生活を満喫していた。目指すは一攫千金だ。

 家を出る時に来ていた騎士服と鎧は売り払って路銀の足しにした。女物のローブにチュニック、魔石の付いた胸当てと初心者にしては上等の装備である。

 女物なのになぜか男と間違えられているが、女だとなめられると思って訂正しなかった。長年潰していたためどことはいわないがぺったんこのせいだろう。まだまだ、これから成長期よ、とシルヴィアは諦めていない。


 自由都市ジェムチュクに来たのはダンジョン目当てである。ソロなので踏破は無理でもダンジョンモンスターは強い代わりに上質なアイテムがドロップする。

 一応役所に王女の捜索願をだしたがここは自由都市、監禁でもされていなければ王女の意思を確認される。


「ザービ大臣でもここは介入できないだろうが、盲点ということもあるからな……」


 シルヴィアは一人ごちた。

 王女捜索の旅なので実家とは手紙のやりとりがある。こちらからの手紙は「手掛かりなし」だがクリスタニア王国では国王がロックに激怒したらしい。

 さすがの気弱王でも娘を乱暴されかけ、さらに失踪したとあっては激怒するのか。シルヴィアはほんの少しだけ王を見直した。だがそれでザービが失墜したかというとそうではない。王女の失踪にザービが関わっている証拠がなかったのだ。

 ロックの襲撃は泥酔しての突発的なもので計画性がまるでなかった。それでも失踪の原因はロックである。王女の寝室へ向かうロックを何人もの衛兵が止めて怪我をさせられている。王女付きの侍女はロックに殴られていた。無罪放免とはいかない。国王は王女が無事に戻らなければロックの家督相続を認めず、公爵家を取り潰すとまで息巻いた。ザービ派の大臣たちがなんとか取り成している状態だという。

 当然ザービの怒りも大きい。王女がいなくなり次期王となる存在がいなくなったのは良いが、公爵家を取り潰され平民になどなったら王位など夢のまた夢だ。それどころか今まで踏みつぶしてきた者たちに復讐されかねない。

 鬱憤の溜まったザービとロックが何をしでかすか予想がつかない。だからこそ早く王女を発見して保護しろ。手紙の最後はほとんど泣き言だった。我が父ながら情けない。シルヴィアは嘆息した。


 シルヴィアが拠点にしているのはジェムチュクの東地区にある冒険者ギルドだ。ここにある『証明のダンジョン』をクリアすれば一人前と認められる。

 女の身とはいえ男に混じって訓練してきたシルヴィアの実力なら充分だった。まずは一階層をマッピングして、ボスを目指す。


「ここのボスはルナティックエイプという話だったな。強敵だ」


 ダンジョン内にはボス以外にも警戒しなければならないモンスターがいる。

 フロア・オブ・エネミー。ダンジョンでも重要区域を周回するモンスターだ。彷徨う者、とも呼ばれる。

 一説ではダンジョンで死亡した冒険者の魂がモンスターに取り込まれた姿だという。出会ったが最後、死が待つのみだ。それくらい強い。しかもこちらを見つけると追いかけてくるため、姿を見たら逃げるしかない。上手くいけば出会わずに重要区域で貴重な魔法石や薬草の採取ができるが、ダンジョンの鉄則は「安全第一」だ。マッピングは周回コースを調べ、エンカウントしないためにも必要なものだった。

 ボスでさえ恐ろしいと感じているのか、だいたい周回コースとは離れた場所にボス部屋がある。シルヴィアも出くわさないように道を選んでいた。最悪なのはモンスターと戦っている時に見つかることだ。戦闘の気配を察知するのか周回コースを越えてやってくる。

 ダンジョン内にはモンスターが多く生息しているが、攻撃してこない限りやりすごすのがシルヴィアの基本だった。それでも冒険者か、と笑われそうだが無駄に体力を使うことはないと思っている。


 一階層で戦ったモンスターはワイルドウルフ、幻想花だ。ワイルドウルフからは魔石と牙、幻想花からは痺れ薬がドロップした。痺れ薬はモンスターにも有効だ、運が良い。ルナティックエイプにも当然効く。

 一階層のボス部屋には扉がなかった。ルナティックエイプの身長は成人男性ほどだが腕が異様に長く、手も大きく指も太い。ルナティックの由来は目を合わせると狂気に呑まれ敵味方の区別がなくなり見境なく攻撃しまくるところから来ている。そのため先手必勝、とにかく目が合う前に倒すのがコツだ。長い剛腕で攻撃してくるので痺れ薬で一瞬でも動きを止められたら御の字である。

 シルヴィアは腰の細剣を抜いた。女でも扱いやすいレイピア。それなりの重量はあるものの打撃力は低い。シルヴィアはそこに水の魔法をかけて魔法剣として使っていた。

 ボス部屋の前で中を窺い、ルナティックエイプの位置を確認する。お気に入りの餌なのか魔紅林檎を食べていた。わずかだが魔力を回復してくれる林檎だ。


「……っ」


 深呼吸して素早く接近すると敵の気配を察知したのかルナティックエイプが耳障りな猿叫をあげた。その口目掛けてかまえておいた痺れ薬を投げつける。喉奥に入ったルナティックエイプの目と鼻が刺激物に反応して水分を飛ばした。


「せぇぇえい!!」


 気合いと共に勢いよく振り下ろした剣がルナティックエイプの首を落とした。水を刃物のように尖らせてあるのでただのレイピアより切れ味が増してあるのだ。

 息を荒げながら、ルナティックエイプが瘴気となって消えるのを待つ。ぽとっと音がして魔石がドロップした。ボスなだけあってけっこうな大きさだった。それと薬瓶があった。ルナティックエイプは稀に万能薬をドロップする。狂気の原因から治す薬がとれるのもおかしな話だ。

万能というだけあってたいていの状態異常を回復してくれるこれは、ソロで動いているシルヴィアにはありがたかった。討伐証明の魔石も高値が付く大きさで、疲れてはいるが充足感があった。


「さて、無事に帰るまでが冒険です、ってね」


 行きは注意していても帰りは疲労で注意力散漫になりやすい。彷徨う者と出くわす確率が高いのが実は帰りだ。周回していることをつい忘れて近道しようと横切ったり、あるいはボスを倒したことで欲が出てさらに深く潜りに行ったり。ダンジョンは人間の欲望をくすぐる何かに満ちている。


「ヴィーさん、お帰りなさぁい。ご無事でなによりですぅ」


 ギルドに戻ると受付嬢が手を振って招いた。美人で巨乳なエルメラは受付一番人気、ではない。行列はできているがそれは彼女の仕事が遅いせいだ。現にカウンターに陣取り口説いていた男が唖然としている。それからシルヴィアを睨みつけてきた。

 ヴィー、とあだ名で呼ばれたシルヴィアは甘ったるい声に苦笑だけ返すと、ギルド受付三十年、荒くれ猛者どもを軽くあしらうベテラン職員マリーの列に並んだ。夕方のギルドはダンジョン帰りの冒険者で溢れている。遊びの誘いをのらりくらりとかわして仕事の遅い美人より、多少愛想がなくてもてきぱきと仕事をこなしてねぎらいを忘れないおばちゃんのほうが良いに決まっている。ただでさえ疲れているのだ、さっさと報告を済ませて宿に帰りたい。


「お前、あいかわらずエルメラちゃんにそっけねえなあ」


 シルヴィアの前で並んでいた男が笑った。モテる男は妬まれるものだが、シルヴィアが人探しのために冒険者になった事情を知っているため嫌がらせをするものは少ない。

 深い青の髪に金の瞳をした少年は「実はどこかの王国の貴族」「婚約者を悪漢に攫われた」とあながち間違いではない憶測が飛び交っている。世間ずれしておらず、男たちの下品な笑い話に顔を赤くしてはその純情ぶりを可愛がられていた。


「だってエルメラさん仕事遅いし。ずるずる話を引き延ばされるだけでこっちが疲れてるの考慮してくれないのは苛つきます。それに比べてマリーさんの仕事ぶりはほれぼれしますよ」

「なっ」

「褒めても何もでないよ!」


 怒りで顔を赤くするエルメラを遮って、仕事の手を止めずにマリーが声を被せてきた。


「私は事実を述べたまでです」


 どんな仕事であれ、誇りをもって働く姿はうつくしい。流れるような称賛に仕事が遅い自覚があったのかエルメラがうなだれた。男たちが「あーあ」という顔になる。

 女がいることを匂わせている男に手を出すから痛い目に遭うのだ。冒険者の男は基本的に一途な者が多い。危険と隣り合わせだからこそ、惚れた女に尽くすのだ。

 若くて美人でおっぱいぷるんな受付嬢を口説くのは通過儀礼みたいなものである。冒険者の実態を知ってほしくて声をかけるわけだ。軽くあしらって、相手に合う依頼を紹介できれば一人前。ちやほやされる代わりに信頼され、マリーのように尊敬されるようになる。ダンジョンに行くにせよ森で採集に行くにせよ、一日に必ず顔を出すのがギルドの受付だ。顔を覚えてもらうのは、何かあった時の保険みたいなものだった。それを理解せず、ちやほやされたいからと可愛さアピールに終始していては失格の烙印を押されて終わりだ。

 シルヴィアが見るに、エルメラは結婚退職目当てで受付嬢になったようだし、女の自分に声をかけるより良い男を見つけて幸せになってほしい。きついことを言うのはそう思っているからだ。


「はい、次の方どうぞ」

「お願いします」


 シルヴィアが提出した地図と魔石にマリーはわずかに眉を寄せた。


「証明のダンジョン一階層クリアですか……」


 ダンジョンの構造は時々変わるのでギルドは常に最新情報を求めている。マッピング依頼もそのためだ。


「ラプト草の群生地に幻想花がいたので注意喚起しておいたほうがいいでしょう」

「そうですね。ありがとうございます」


 マリーの眉間の皺が深くなった。

 理由はわかっている。ソロのシルヴィアが一階層とはいえボスを倒してしまうとは思わなかったのだろう。マッピング依頼も危険だと教えるつもりだったに違いない。

 心配してくれるのは嬉しいしありがたいが、男とパーティを組むのはごめんだ。かといって女だらけのパーティで上手くやっていける自信がない。男として育っているため、女とどう接すればいいのかわからないのだ。正直すごく羨ましいし入ってみたいけど気後れする。自分の女子力のなさに何度悔し涙を呑んだことか。自分の凛々しさが恨めしい。

 シルヴィアはそ知らぬふりで買取を済ませ、宿に帰った。





 クリスタニア王国ではザービ大臣と息子のロックの鬱憤が最高潮に溜まっていた。

 ザービの場合は怒りが大きい。国王が公爵家取り潰しを示唆するや傘下の貴族が離れていったのだ。中には今までの恨みとばかりにザービの不正を暴露する者までいる始末。今まで見下していた者に見下されて嗤われるなど、プライドが天を突くザービには許しがたいことであった。


「それもこれも貴様のせいだ! 酔って王女を襲うなど何を考えている!?」

「なんだよ、モノにしちまえばこっちのもんだって言ったのは親父だろ!」


 親子喧嘩もこの調子で責任の擦りつけ合いに発展している。どちらも醜いしどっちもどっちだ。

 もとよりザービは悪知恵こそ働くが、人を慰撫して人心を摑む、ということができない。裏金でゴリ押しするか、弱みを握って言いなりにするかだ。貴族はどこも多かれ少なかれ後ろ暗いことがある、ザービのやり方に眉を顰めつつ人のこといえない、という家が多かった。

 城への出入りを禁じられ社交からも遠ざけられた今、貴族の動きは密偵に調べさせている。王女の捜索も密偵だが、しょせん金で雇われた者たちだ。金でたやすく寝返る。落ち目の主人など簡単に見限るだろう。人を信頼しないザービは自分が使っている密偵ですら不安になっていた。

 ロックのほうも怒りが大きかった。今まで彼に侍っていた女たちはたちまち手の平を返し、ロックに見向きもしなくなった。側近として顎で使っていた者たちは軽蔑の眼差しをロックに向け、見損なったと吐き捨てて去っていった。

 他人を思いやることをせず、金と親の権力で強引に従えさせていた、いわば自業自得なのだがロックは反省しなかった。何者かの陰謀だと考えた。


「ジュリエッタがいなくなって得したのはポラス公爵家だろ。あいつらが攫ったんじゃねえのか?」

「あそこは次男が王女の捜索に出ている。冒険者として金を稼ぎながら旅をしていたようだ」


 そのあたりの情報は密偵からだ。自由都市ジェムチュクは広く、シルバーを見張るのも大変なので追加で金をよこせと言ってきた。

 冒険者は結束が固く、簡単に仲間を売らないからと理由づけしているが、本当は遊んでいるんじゃないかとザービは疑っている。仕方なく金を渡したが、次は王女を見つけてからだと厳しく言い渡してやった。汚れ者の金づるになってやるつもりなどザービにはさらさらない。


「……ジェムチュクに腰を落ち着けたということは、王女を匿っているのかもしれん」


 ザービとロックがいる限り、クリスタニア王国が安全ではないことはわかっているだろう。

 ならば二人を排除して、となる可能性が高かった。公爵、大臣としてだけではない、暗殺の危険がある。

 そこまで考えてザービは蒼くなった。もとはといえばバカ息子のせいなのに、その尻拭いで潰されてたまるものか。


「ロック、お前も行け」

「はぁ!?」

「王女が見つからないなら身代わりでも立てればいい。だがその前に、邪魔者を始末しておく必要がある」

「……なるほどな?」


 王女が本物でなくても良いのだ。銀髪に蒼い瞳の女などいくらでもいる。身代わりと結婚して言いなりにしてしまえばこっちのもの。王妃になれると言えば喜んで飛びついてくる女がいるだろう。

 そのためにはポラス家のシルバーと、本物の王女が邪魔だ。


「わかった。じゃあ親父、王と王妃は任せたぜ?」


 父と息子はそっくりな顔でにやりと笑った。





 ジェイドの戦い方はパーティ向きではない。罠を張って群れを一網打尽にする戦法は、ひとつ間違えると味方を巻き込みかねなかった。個人的な事情はともかく、ギルドや他の冒険者にはそう説明してある。


「行きました、二体!」

「了解!」


 シルヴィアの戦い方は一撃必殺である。モンスターの属性によって細剣に流す魔法を替え、気合いの一撃で敵を屠る。味方の誘導があれば有利だが、個人的な事情でパーティを組まずにいた。


 現れたのはオーガが二体。ジェイドの罠のおかげで一体は片目に、もう一体は右腕が切断されている。その他にも足に切り傷が複数ついていた。力任せに罠を飛び出してきたのだろう、それがこちらの狙いだ。あきらかに動きが鈍っている。


「せぇえい!」


 下段に構えて腰を落とし、剣を抜きざまに一体目の首を落とし、


「てぃやあっ!」


 二体目は心臓に突き刺した。オーガは皮膚が固いため、風の魔法を同時に流している。背中から突き出た剣にそって緑色の血液がパッと散った。


「お見事です、ヴィー。まったく危うげがないとは」

「ジジの誘導があればこそだ。オークが二体連続では、負傷していなければ危なかった」


 互いに腕を讃える。にこっと笑いあった二人は次の瞬間赤くなって目を反らした。

 二人がいるのは証明のダンジョン一階層。出会ってはならない二人が出会ったのは偶然などではもちろんなく、ジェイドを心配した南地区のギルドとシルヴィアを心配した東地区のギルドが会合で若いソロ冒険者のことを愚痴ったのがきっかけだ。

 両者ともにギルドのエースになれるほどの実力者。できることならパーティを組んでさらに深い階層を目指し、できれば踏破してもらいたい。だがソロでは無理だ。まずギルドが深階層は許可できない。

 人間不信ではなさそうだが訳ありの二人に、一度パーティの良さを知ってもらおう、と南と東のギルドが手を組んだ。ソロでは少し難易度の高い依頼を二人に発注、ダンジョンでばったり、ドキドキ吊り橋効果作戦である。ちなみに作戦名は東地区ギルドベテラン職員のマリーだ。


 ギルドの思惑通りダンジョンでかち合った二人は受注した依頼内容を確認し、そうきたか、とため息を吐いた。気持ちは嬉しいが余計なお世話だった。

 ジェイドはダンジョン内で目立たないように銀の髪をローブのフードで隠してある。声を変える薬は飲んでいないので『ジェイド』がジュリエッタ姫であることはばれていない。ダンスでは顔を見せないようにうつむいていたためシルヴィアもシルバーだとばれなかった。これも男と(女と)結婚してたまるか、という両者の危機管理能力の賜物である。

 一緒に行動するのは避けたいが、今回だけなら仕方がない。そんな投げやりな気分で組んだ臨時即席パーティだが、これが上手くいった。


 依頼は『証明のダンジョン一階層、重要区域にある魔法石の採取』だ。つまり、あの厄介なフロア・オブ・エネミーを避けつつ進まなければならない。

 重要区域は重要というだけあって、本来は二階層から奥に進まなければ出現しないモンスターや、採取できるものがある。オークは巨体、剛腕、なのに素早い、と三拍子そろった強敵だ。

 一人で倒せないことはないが手こずっただろう。この人がいてくれて良かった、とジェイドとシルヴィアは思った。それが素直な賛辞として口から出た。


「彷徨う者は誘導ができません。周回コースに変化は?」

「ない。せいぜい他のモンスターが近づいてこないことを祈ろう」


 一階層はところどころ崩れた壁に蔦が這い、木が壁を突き破って茂り、水が垂れて泉になっているところもある。壁越しにフロア・オブ・エネミーが通り過ぎるのを待つ二人を、影から窺う複数の目があった。


 ロックと、ザービに雇われた密偵たちである。


 ロックはジェムチュクに到着し密偵と合流してから数日預かった金で豪遊していた。典型的な駄目息子である。密偵たちは呆れかえったがこれが最後のお務めだ、と言い聞かせ、ロックに従った。

 魔法石採取依頼を出したのはロックだった。悪知恵だけは働くこの男はシルヴィアを見つけたものの自分の手で討ちとる自信がなく、ならばモンスターを利用すればいいと思いついた。

 シルヴィアがモンスターを狩る姿を見てその強さに嫉妬し、さらには美少女ジェイドと二人きり。大変羨ましい状況に憎しみを募らせたのだ。シルヴィアをフロア・オブ・エネミーと戦わせ、隙を見てあの美少女を救出、命の恩人として思いのままにしてやろう、とゲスな欲望を滾らせていた。彼は美少女がジュリエッタ姫であることにまったく気づいていなかった。実におめでたい頭である。

 いざとなったら密偵たちを囮にして逃げればいい。そう考えているロックは密偵たちも同じことを考えているとは思っていなかった。


 周囲のモンスターはあらかた狩り終わり、罠で近づけないようにしてある。青白く発光しているフロア・オブ・エネミーに見つからないようジェイドとシルヴィアは身を寄せ合い、念のため隠蔽の魔法をかけてモンスターに発見されにくいようにした。

 密着する二人にロックは嫉妬でぎりぎりしている。


「今だ、やれっ!」


 ロックの合図で密偵たちがあらかじめ捕らえてあった双頭の狼、オルトロスを解き放った。オオカミの遠吠えが響くより早く、密偵たちがさっと逃げ散った。


「えっ?」


 自由になったオルトロスは自分を捕らえていた者を、恨みと怒りのこもった赤い目で見据えた。

 本能だけで群れて生きるゴブリンとは違い、オルトロスには知性がある。

 自分を捕らえる実力を持った密偵たちが相手ならオルトロスは逃げただろう。だがそれを見て震えるばかりだったロックなど敵ではない。

オルトロスも基本は群れで行動する。ただしテリトリーが広いため一匹狼だと考えられていた。

 眠り薬で意識を奪われ、テリトリー外に連れ出されたオルトロスがやることは一つだ。自分をこのような目に遭わせた人間を喰い殺し、群れに帰る。

 遠吠えは敵への宣戦布告であり、周囲のモンスターの闘争本能を呼び覚ますものであった。


「今のは?」

「オルトロスだ。まずい、やつは遠吠えで群れを呼ぶんだ。急いでここを離れよう」


 オルトロスの遠吠えはジェイドとシルヴィアにも聞こえ、二人は即時撤退を決めた。

 雇っていた密偵が逃げ、図らずもオルトロスとの戦闘になったロックは慌てた。お前の敵は俺じゃないと言ってもオルトロスが理解できるはずもなかった。


「クソ! なんて奴らだ! 親父に言ってクビにしてやる!」


 こう見えてロックは魔法使いとして優秀と言われていた。涎を垂らして襲いかかるオルトロスの口目掛けて火球を投げつける。


「ファイヤーボール!」

『ギャン!』


 熱かったのかオルトロスが悲鳴をあげた。二つある頭を振り、前足で火を消そうともがいている。


「は、ははっ。俺に挑むとはバカな奴だ。クリスタニア王国の筆頭魔法使いロック様の魔法の威力を見たか! おい、わかったらさっさとあいつらを――へ?」


 ロックは優秀な魔法使いだが、それはあくまで訓練でのこと。対人戦を経験したことがなければ、モンスターとの戦闘もこれがはじめてだった。当然モンスターの生態など知らなかった。

 シルバーを襲え、とそちらを見たロックは固まった。さっさと撤退していた二人はそこにおらず、代わりにここにはいないはずのオルトロスの遠吠えに触発されたオーク、ボーンラビット、ガンロック、幻想花――一階層のモンスターがずらっとロックを見ていた。

 長々と自画自賛などしていないでオルトロスがもがいている間に逃げれば良かった。はじめての戦闘、自分の魔法がモンスターを傷つけたことに酔ったロックの運命はここで決まった。

 気が付いた時には前後左右まんべんなくモンスターが群れており、やっと消火に成功したオルトロスが火傷で爛れた顔でロックを睨んでいた。

 生き残るには、勝つしかない。


「ファイヤーボール! ファイアーショット! ウィンドブレードぉぉっ!!」


 恐怖で半泣きになりながら、ロックは戦った。モンスターなりのルール、序列があるのか、いっせいに襲いかかってこないのが幸いか、それとも不幸か。

 回復薬も回復役もいないロックはしだいにぼろぼろに追い詰められた。魔力も残り少ない。それでもオルトロスは倒してさらに群れを呼ぶのは止めることができた。あと少しで逃げられる――そう安堵しかけた時に、ソレは来た。

 冒険者が絶対にエンカウントしたくない敵、フロア・オブ・エネミーである。

 固定ルートを周回しているフロア・オブ・エネミーは戦闘の気配を嗅ぎつけるとコースを外れて近づいてくる。目が合っただけで追いかけてくるのだ、魔法と悲鳴に気づかないわけがなかった。


「あ、あぁ……」


 シルヴィアを殺そうとした罠に自分が嵌ったと知って、ロックは絶望した。





 証明のダンジョンを出たジェイドとシルヴィアはギルドに急行していた。


「一階層にオルトロスが出た!?」


 新しいモンスターを発見した場合はギルドに報告する義務がある。冒険者が知らずに入って全滅するのを防ぐためだ。


「はい。重要区域の近くでした。もしかしたら重要区域で発生し、そこから溢れたのかもしれません」


 ジェイドが言った。王族だけあってジェイドの声はよく通り、ギルドにいた誰もが耳を澄ませている。


「俺も遠吠え聞いた」

「俺らもだ。ジジちゃんとヴィーくんはよく逃げてこられたな」


 同じく一階層にいた冒険者たちも次々帰ってきて報告する。テリトリー外のオルトロスが呼ぶのは群れの仲間ではなく近くにいるモンスターなのは有名な話だった。囲まれると逃げられなくなる。


「彷徨う者を回避するために警戒していました」


 なるほど、とうなずく者よりあまりの状況の悪さに蒼ざめる者が多かった。


「本当によく無事で逃げられたな……」

「重要区域はただでさえ気を使うしな」

「ジジさんの罠もありましたし、隠蔽魔法をかけていましたから」


 シルヴィアのモットーは安全第一だ。退路の確保も大切である。


「すみません。それで撤退してきたので、依頼達成できませんでした」


 申し訳なさそうにジェイドが頭を下げると、受付のマリーは手を振った。


「日時指定はないからかまわないわ。生きて帰ってくるのが一番大切な依頼よ」

「はい……」

「オルトロスの件はギルドマスターに報告して、おそらく北地区の冒険者パーティに索敵依頼を出すことになるわ。それまで証明のダンジョンは封鎖ね。みんな! 黙ってダンジョンに行くんじゃないよ!」


 マリーが声を張り上げた。ダンジョンに入るにはギルドの許可が要る。許可なく入って全滅しても自業自得だが、帰還予定時刻を過ぎても戻らなければ次に行くパーティに依頼を出すこともあった。もちろん特別料金が請求される。相互補助、持ちつ持たれつがギルドである。

 わかっている冒険者たちは「うぃーっす!」と野太い返事をした。

 必要な報告を終えたジェイドとシルヴィアはギルドを後にした。ダンジョン封鎖となれば即席パーティはこれにて解散だ。


「…………」

「…………」


 ジェイドはシルヴィアに、居心地の良さを感じていた。ジェイドの作戦を素直に聞いて、それでいて新しいやり方を教えてくれる。自分だけで頑張らなくてもいい、というのがこれほど心地良いとは思わなかった。新鮮な感動だった。

 シルヴィアはジェイドに頼もしさを覚えていた。罠を使った作戦は素晴らしいし、シルヴィアに花を持たせてくれる。これほど安心できる戦闘ははじめてだった。

 育ちが良いせいか、こちらを詮索してこないのも良い、と二人は思っていた。


「あの……」

「あの」


 二人は同時に声をかけ、目を丸くした。


「良かったら……」

「君が良ければ」


 本当のことは言えない。けれどもう少しだけ、知りたくなった。

 互いに同じことを思ってくれている。確信したジェイドは赤くなり、シルヴィアは涙ぐんだ。


「パーティを組みませんか?」

「喜んで。では今夜はパーティ結成祝いで食事をご一緒願えるかな?」

「はい!」


 そこでようやくジェイドがフードを外した。現れた銀髪にシルヴィアの息が止まる。

 銀髪にスカイブルーの瞳の少女。かすかに見たジュリエッタ姫を思い出そうとしたシルヴィアは、しかしジェイドのインパクトが強すぎて思い出せなかった。似ている気がするが、違うかもしれない。


「……何か?」

「あ、いえ。……その、妹に似ていたので」


 慌ててごまかしたが、ジェイドは顔をこわばらせていた。不愉快そうにフードを被りなおす。

 女と間違われて不機嫌になっただけなのだが、理由のわからないシルヴィアはとりあえず巷で憧れらしい頭ぽんぽんをやってみた。


「こ、子供扱いしないでくださいませっ」

「ふふ、すまないね、つい」


 なんだ、子供扱いが嫌だったのか。シルヴィアはほっとした。

 一方のジェイドもジュリエッタ姫を探しにきた王国の使者ではない、とほっとした。




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