リボンと騎士・前
かる~い気持ちで読んでください。
きゃああああ。お待ちください。なりません。悲鳴と怒号がしだいに近づいてきたことに、部屋の主と侍女は顔を見合わせた。
「何事かしら……」
王城では舞踏会が開催されている。成人していても未婚の者たちはあまり遅くならないうちに家に帰されていた。
王城の舞踏会は無礼講ではない。酒が入って多少はめを外す者がいたとしても、王城の奥、国王一家が住まう宮まで来られる者は限られていた。
「姫様、お下がりください。わたくしどもが対処いたします」
頼れる侍女と王女付きメイドたちが主を守るべくドアの前で立ちはだかった。
姫様、と呼ばれた部屋の主はドキドキと鳴る胸を押さえ、そっとバルコニーに隠れる。
「なりませんぞロック殿! この先はジュリエッタ姫様の寝室……あぐっ」
ドアの向こうにいた衛兵が制止するも、殴られたかそれとも切られたか、低いうめき声があがった。
侍女とメイドがロックという名前に身構える。バン! と乱暴にドアが開かれた。
あきらかに泥酔しているロックに侍女が一喝する。
「無礼者! 姫様の寝室に何用です!」
ロックは一瞬怯んだものの、侍女に怒鳴られたことで余計頭に血が昇ったのか、酔いで赤らんでいた顔をさらに赤くした。
「うるせえ! 夜に男がやってきて何用って、一つに決まってんだろ~?」
バカにした口調で言って止めにかかる侍女たちを殴り飛ばし、ロックはへらへらしながら部屋の主を探した。
ベッドを乱暴に剥ぎ、クローゼットからドレスを放出し、隣に備え付けられたバスルームまで覗き込む。好き勝手やっていたロックがバルコニーの影に気づいた。腰に下げていた剣でレースのカーテンを切り裂いた。
「止まりなさい」
月明りに浮かび上がったその人物に、ロックが息を飲んだ。
すでに下ろされた長い銀色の髪は月光を浴びてきらきらと輝き、緊張にこわばった白い顔は化粧が落とされてもなお月の精のようにうつくしい。スカイブルーの大きな瞳は気丈にもロックを睨みつけている。
赤とピンクが入り混じった、少女らしいドレスは胸元にリボンが付き、留め部分はこれも大きなルビーが付いている。
高貴なる者はかくあるべし。たとえ敵を前にしても一歩も引かぬ気高い姫君そのままの姿にロックは見惚れ、次にいやらしく舌なめずりをした。
「未来の旦那様にその態度はなんだ? おまえはどうせ俺のものになるんだ、ちょっと早まるくらい良いだろ?」
「お前の妻になるくらいなら死を選びます」
毅然と言い切られ、ロックは白けたように鼻を鳴らした。
「……へっ。どこまで強がっていられるかなぁ? お姫様よぉ」
わざとらしく近づくロックに一歩一歩下がっていく。手すりが背中にあたり、とっさに下を見た。
にやっとロックが笑い、両手を広げて捕まえるべく突進した。
「おとなしく俺のものに……っ!?」
王女の部屋は王城でも一番高い三階にある。この高さから飛び降りたら命は助かっても無事では済まない。階下とロックを交互に見ていた部屋の主は意を決して手すりを越えた。勢いをつけて飛びかかろうとしていたロックが勢い余って落ちそうになり、無様に足をじたばたさせている。
「きゃあああああ!!」
「姫様が、姫様が……っ!」
「衛兵、早く姫様をお助けして!」
叫んで駆け出していく侍女たちに、ロックは慌てて自分を引き上げるように命令したが、すでに誰もいなくなっていた。
「おい、俺を助けろ! おい! おーい!?」
なんとかバルコニー側に戻ろうともがいていたロックは、残念ながら見ていなかった。
ロックを拒んで飛び降りたジュリエッタ姫は地面に激突する直前で風の魔法を使い、着地するや落下の勢いを利用して王城の塀を飛び越えていた。
ドレスの裾を翻して城下町の民家の屋根に飛び移り、王城での騒ぎにすわ一大事、と集まる騎士とは反対方向を目指す。
そしてついに王都の門を飛び越え、地面に降り立った。
さすがに息が切れている。
ゆっくりと王城を振り返ったジュリエッタ姫は拳を天に突き上げ、
「うおおおおおー!! やったぞクソ親父! 俺は王女をやめるぞ――!!」
実に雄々しい叫びをあげた。
◇
クリスタニア王国の王女ジュリエッタ姫の正体は、ジェイド王子である。
双子が入れ替わっているのではなく、王子が王女として育てられたのだ。
もちろんこれには理由がある。国王と王妃の間に生まれた第一子が男だとばれては命を狙われる危険があったのだ。狙っているのはザービ大臣、前王の甥で、たいそう可愛がられていた男だ。
前王の息子であるアンバーが王太子になってもザービが王になるのではと囁かれるほどの人物で、ザービ自身も王になるのは自分だと信じていた。だが、甥への寵愛と王位は別だと考えていたのか、前王はアンバーに王位を継がせ、ザービを公爵家に婿入りさせ大臣に臣籍降下させたのである。
夢破れたザービだが、彼は諦めの悪い男だった。自分が駄目なら息子を、と望み、実現させるべく画策する。王に生まれたのが王子であったのなら暗殺くらい簡単にやっただろう。
アンバー王は妻と子供を愛し、国民を思う善い王ではあるが、弱い人であった。幼い頃からザービが次期王として振る舞いアンバーを見下していた、その弊害であろう。父に愛されていない息子の自分と、父に溺愛される従兄弟を見続けてきた彼は自己肯定感が低く、気弱で、ザービに強く出られるとうなずいてしまう、お飾りの王になった。そんな王にザービはますますなぜこんな奴がと憎しみを募らせる。それがわかっていてもなに一つできないのが王であった。
そんな王が息子にできたことが、王子ではなく王女として育てることだった。買収などされない、信頼できる者を侍女につけ、ジュリエッタ姫がジェイド王子であることを徹底して秘匿した。真実を知っているのは王と王妃の他には乳母と乳母の娘である侍女の四人だけである。
物心つく前からジェイドには事情を話し、ザービとロックをなんとかするまでの辛抱だと言い聞かせた。
ジェイドの美貌も彼が姫として育つのに役立った。成長するにつれ男らしくなっていく体つきはドレスと淑女教育で培った仕草でカバーし、変声期を迎えてから声は魔法薬で変える徹底ぶり。しかし心まではどうしようもなかった。
姫として育てられる理由は理解できても、ジェイドは限界だったのだ。
ザービとロックをなんとかするまでと父王は言うが、王はザービの言いなりでその気配もない。しかも社交界デビューまでしてしまった上にロックからしつこく迫られ、他の貴族からの縁談まで来た。
結婚などしたら一発で、いや、一発前にばれる。ザービとロックをなんとかできないのなら、いっそのことジュリエッタ姫は病死でもしたことにして自由にしてほしかった。ザービはたしかに腹黒で自分の野望のためなら人を踏みつけにしてもかまわない悪辣大臣だが、王になれば案外落ち着くかもしれない。少なくとも、ノーと言えないダメ王よりましだ。
そんなわけでジェイドは城を抜け出すチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。舞踏会にはジュリエッタ姫の婚約者最有力といわれるポラス公爵家の次男、シルバーまで来ており、着々と迫る『結婚』の足音に危機感を抱いた。
一曲踊ったものの顔を見せないようにしていたためシルバーがどんな顔なのかは見えなかったが、それでも評判くらいは伝わっている。青髪に金の瞳をした彼はいかにも貴公子といった美形らしい。二人が踊っている最中は令嬢たちの視線が集中して気が気ではなかった。
ジェイドを姫だと信じているシルバーにも申し訳ない。このままではシルバーまで王子に求婚した男だと笑い者にされるだろう。
ロックはシルバーと踊るジュリエッタ姫に焦ったのだ。ザービに似たロックは金髪碧眼で、美形といえなくもないが彼が男らしいと思っている乱暴さは女性に批難され、なによりザービと同じく卑しさが滲み出ている。誰が見たってロックとシルバーではシルバーを選ぶだろう。
なんにせよ、ロックが今夜襲撃してくれて良かった。このままでは明日にでもシルバーとの婚約話が進められてしまったはずだ。ジェイドは心の中ではじめてロックに感謝しつつ中指を立てた。それはそれ、これはこれだ。
「これで自由だ! ざまあみろ!!」
ひとしきり悪役めいた高笑いをした後、ジェイドは再び風の魔法を操り文字通り飛んで王都から遠ざかっていった。
◇
ジュリエッタ姫失踪の報は王国に衝撃をもたらした。
バルコニーから落下したはずの王女が見つからず、目撃者もいない。衛兵が現場に着いた時にはすでに王女の姿はなく、ザービ大臣の手の者が攫っていったのでは、という噂がまことしやかに囁かれた。
見るからにか弱い淑女の姫君が、まさか魔法を駆使して自分から城を出奔したとはザービですら思わず、国を挙げての大捜索となった。
そしてそれは王女の婚約者最有力と目されていたシルバーにも当然伝わっていた。
「父上、それでは行ってまいります」
「シルバー、姫様を頼むぞ」
「姫様は我らの希望だ。このままではザービが王になってしまう」
兄のゴルトと父の言葉に、シルバーは力強くうなずいた。
「わかっています。姫様を見つけ出すまで、私は国に帰りません」
決意を込めて言ったシルバーを、母が涙目で見送った。
愛馬に跨ったシルバーは胸に白銀の鎧を着け、腰に剣を下げている。凛々しい騎士が姫君救出の旅に出る、物語のようなシルバーに娘たちは黄色い歓声をあげた。
これほど探しても見つからないのは、すでに国外に連れ出されたのではないか、とシルバーは推測していた。
不埒にも夜中に王女の寝室に侵入したロックは謹慎の名目で表に出てこない。どこか外国に家を買い、王女を閉じ込め、ロックはそこにいるのではないか。そしてやがて子供を産ませてから戻るつもりなのではないか。
シルバーの推測を父は真っ青になって聞いていた。
ザービはたしかに王家の血を引いているが、すでに臣籍に降下されている。彼が婿入りした公爵家はザービ一党に支配され、公爵夫人は失意のうちに亡くなった。ロックは夫人の生んだ子ではなくザービの数多くいる愛人が生んだ子だ。事実上、公爵家はザービに乗っ取られてしまったのである。
そしてついにザービの魔の手が王家に伸びてきた。
あのやり方を見ていた貴族は、ザービでは国を正しく導けないと思っていた。ザービに与する貴族は多いが、彼らだってザービが王になるのは内心では反対だろう。ザービは自分の欲望を満たすためなら手段を択ばない。ザービ派のほとんどは金で釣られたか脅されているかのどちらかだ。
ロックが王になってもザービが死ぬまで傀儡だろう。その後は鬱憤を晴らそうと横暴に振舞うのが目に見えている。王女に襲いかかるような自制心のなさではろくな王になるまい。
ザービを打倒し、王女が女王として立つ。ポラス公爵はシルバーが王配になれなくてもかまわない。むしろ王女とシルバーを会わせないよう、なるべく遠ざけてきた。ロックと結婚させないための、苦肉の策だったはずなのだ。
シルバーの正体はシルヴィア公爵令嬢。れっきとした女だった。
ザービとロックをなんとかするまでのその場しのぎとして男装させ、男として育てたが、どういうわけかシルヴィアは凛々しい貴公子になってしまった。体力こそあまりないが剣技も魔法も一流と申し分ない騎士である。
幼い頃は窮屈な淑女教育は嫌いと喜んでいたシルヴィアも、男たちとの訓練についていけなくなり、さらに王女との結婚が現実味を帯びてきたあたりで危機感を抱いていた。
とはいえ今はシルバー……いや、シルヴィアに頼るしかない。迂闊に軍を動かせば謀反と取られかねない。ザービに付け入る隙を与えることになる。ザービを見張るためにも、貴族の多くは自家に籠り国を守る選択をした。
「頼んだぞ、シルバー……」
父が見上げた同じ空を、息子……もとい娘もまた見上げていた。表情はまったく違ったが。
「今頃「頼むぞ」とかかっこつけて言ってるんでしょうね。ハッ、誰が戻るかっていうのよ!」
シルヴィアが吐き捨てるように言った。
物心ついた時から男として育てられ、おしゃれどころか髪を伸ばすこともできず、シルヴィアが女に戻っても結婚は難しいだろう。
そのことに気づいたシルヴィアがどれほど絶望したか、両親も兄も知らない。
ならば男として生きてやる、と訓練に励んでも女の身ではとうてい男の力には及ばない。力のなさを利用した戦い方を身につけるために、血のにじむ努力をしてきた。
王女のためではない、自分のために。
いつか家を出て冒険者になるのがシルヴィアの夢だった。もはやまともな令嬢にはなれない。髪が伸び、淑女教育を受けていたら婚期が終わってしまう。
ステキな男性と出会い、恋をして、結婚する。女の子の夢を一つ捨てられたのだ。
「姫様には申し訳ないけど女同士で結婚できるわけないし。子供の頃は恨んだけどこうして自由になれたんだし、感謝してもいいかな。一応捜索はするけどさ……」
まさか王女が王子で、自由の雄叫びを上げていたと知る由もないシルヴィアは、女として王女に同情していた。あのロックに襲われ、今もどこかに監禁されているのだとしたらあまりにも気の毒だ。傷物にされてしまったとしても、せめて助けてさしあげたい。
あの儚げな姫君を思うとシルヴィアの胸が痛んだ。
◇
さてそのジェイドだが、隣国を通りすぎさらに先にある自由都市ジェムチュクにいた。
ジェムチュクは大規模なダンジョンが複数存在し、一攫千金を狙う冒険者たちが集う都市だ。そのため自由自治権が認められており、一種の緩衝地帯であった。どの国もジェムチュクに干渉できない。犯罪さえしなければ好きに生きられる、まさに自由都市である。
ドレスと宝飾品を売り払って冒険者の装備を調えたジェイドは、このジェムチュクで冒険者登録を済ませ、自由を満喫していた。
「ワイヤースピア!」
鋼の糸を張り巡らせてモンスターを一カ所に集め、そこを糸を集中させて編み出した槍で一掃する。
ゴブリンの群れが瘴気と共に消えた後には、ドロップしたアイテムが落ちていた。ほとんどが魔石だ。
ジェイドの魔法「ワイヤースピア」は、剣を持たない王女のための護身術の一つだった。本来なら魔法で生み出した鋼の糸で慮外者を捕らえる、あるいは足を切断してそのすきに逃げるものである。ジェイドは自在に操れる糸を罠に使い、モンスターを一網打尽にしていた。
「ゴブリンの集落ではあまりお宝は期待できませんけど……」
女装を止めて魔導士のローブに胸当て、護身用の短剣を腰に下げたジェイドだが、長年染み付いた言葉使いはなかなか改善されなかった。長い髪は生活に困ったら売ろう、と長いまま、邪魔なので結い上げてある。しかし身の回りのことをすべてやってもらっていたジェイドは不器用で、ずいぶんと雑だ。
城を出奔して一人で旅をしたジェイドは、ずいぶん逞しくなった――と自分では思っている。罠を張ってテントで野宿したこともあるし、塩味しかない携帯食にもだいぶ慣れた。町に行けば宿と食堂があるのでへっちゃらだ。
実際にはなんにもできないお嬢様なジェイドを見かねて周囲の人々が手を貸していた。荒くれ男にも笑顔で接し、新米冒険者だからと汚れ仕事も嫌がらずにこなすジェイドは人気者なのだ。
どう見ても貴族の令嬢なのに身の上話で同情を引くでもなく、さらに自分は男だと言い張ることから『結婚が嫌で家を飛び出してきた令嬢』『男だと言っているのは嫌いな男に迫られたからだろう』と、ほぼ正解な憶測が飛び交っている。
次元の違うジェイドの美貌にのぼせ上がる男は多く、こういう女を女は嫌うものだが、なにしろ世間知らずなものだからついつい女たちは口を出す。ついでに手も出す。素直に礼を言われ、懐いてくれればそりゃ可愛い。すっかり「みんなの妹」で定着してしまった。
冒険者ギルドに戻ると受付嬢がにっこり笑って無事を喜んでくれた。
「ゴブリン討伐終了しました。奥に村規模の集落があったので、そちらも潰しておきましたわ」
「ありがとう、お疲れ様ジジさん。あそこは嘆きのダンジョンまでの道のりだったから困ってたの。これで新米冒険者がダンジョンに行けるわ」
嘆きのダンジョンは初心者向けのダンジョンだ。階層が浅く、モンスターは剣と初級魔法で倒せるものばかり。ドロップアイテムは換金しやすい魔石や宝石が付いたアクセサリーが多いので、装備を調える金稼ぎにぴったりなのである。
そんな初心者向けダンジョンへの道のりにゴブリン出没は問題だった。ゴブリン一体はそう強くないのだが、群れで現れる。数の暴力で来るので厄介なのだ。ダンジョンに到着する前に疲労したくない冒険者たちはすっかり困っていた。
「じゃあ、これが依頼料ね」
「ゴブリンの魔石と、村ボスの討伐でドロップした宝箱の鑑定お願いできます?」
「もちろんよ」
ゴブリン討伐依頼は冒険者ギルドが依頼者なのでけっこうな稼ぎになった。それなのに人気がなかったのはゴブリンが群れることと、ゴブリンの魔石は価値が最低ランクだからだ。ゴブリンの血の色そっくりの暗い緑色の石は、加工がしやすいので多く流通しているがそのぶん安い。それでも数があれば一晩の宿代くらいにはなる。ジェイドは査定が終わるのをギルド内に併設された食堂で待っていた。
「ジジちゃんお疲れ! ゴブリン討伐だったんだって?」
ジジはジェイドのあだ名だ。こんな扱いを受けたことがないので呼ばれるたびにくすぐったくなる。
「お疲れさまです。あの辺のゴブリンは一掃してきましたから安心してください」
食堂のウェイトレス、ロザリーが笑顔で話しかけてきた。ギルド食堂の看板娘だ。
「助かるよ。初心者はまず嘆きのダンジョンで色々学ぶんだ。その手前のゴブリンで疲れて全滅、なんて笑い話にもならないよ」
冒険者に憧れてなったものの現実を知って嘆くため『嘆きのダンジョン』と呼ばれている。ロザリーは子供の頃からこの食堂で働いていただけあって、冒険者の危険性をよく知っていた。
「ゴブリンは数ですからね……」
「そう、数。次から次へと湧いて来て、いったい何人の新人が泣いて逃げ帰ってきたか。その上臭いし、割に合わないよね」
「えっ、臭いですか?」
肉感的な美女に言われ、ジェイドは慌てて自分の匂いを嗅いだ。ジェムチュクに戻る前に清潔の魔法をかけたのだが、ゴブリンの血は物凄く匂うのだ。ロザリーが笑って手を振る。
「ジジちゃんじゃないわよ、大丈夫。それで、注文は?」
「ミルクティーと、ミルクレープお願いします」
「はいよ。ちょっと待ってね」
ジェイドは酒を飲まない。それより菓子のほうがよっぽど美味しいと思っている。もちろん王城の味とは比べ物にならないが、慣れてくると素朴な味わいが好きになった。
「ジジさーん、お待たせしました。査定終了しましたー!」
ギルドの買い取りカウンターに呼ばれ、ジェイドはそそくさと席を立った。
「ゴブリンの魔石三百八十八個がぜんぶでギル銀貨二十枚とドル銅貨八十枚ね。で、宝箱の中身なんだけど」
「何でしたか?」
宝箱は罠の可能性もあるためこうしてギルドで開けてもらうことにしている。手数料はかかっても安全には換えられなかった。
「トルマリンとアクアマリンがそれぞれ二つ。けっこう大きかったから売るなら銀貨百五十枚になるよ。あとはナタナエルの瞳が入ってた。売ってくれたら嬉しいけどきちょうな石だからね、どうする? 売るならキル金貨十枚を出すよ」
「買取でお願いします。金貨は持ち歩くの怖いので、ギルドの口座に入れておいてください」
大金を持ち歩いていると気が大きくなって必要のない物を買ったり、ぼったくりに遭ったりするのだ。それが賢明だね、と買取窓口の職員が苦笑で賛成する。
「それじゃあこちらになります。また来てくださいね」
「はい。ありがとうございました」
銀貨と銅貨を財布にしまい、ぺこっと頭を下げるジェイドに、中年の男性職員はでれっと笑み崩れて手を振った。
テーブルに戻るとミルクティーとミルクレープがサーブされ、ロザリーが待っていた。
「ロザリーさん、ありがとうございます」
「はいよ。……ねえ、ジジちゃん」
「なんですか?」
「いい加減、どっかのパーティに加入する気ないの? あんたの実力なら嘆きのダンジョンを踏破だって夢じゃないのに」
「パーティですか……」
新米冒険者はまずパーティを組むのがセオリーだ。たがいの特技を活かし、支え合える強みもあるが、死亡率を下げる意味がもっとも大きい。ソロでは撤退するのも難しく、負傷して動けなくなっても助けを呼ぶことすらできないのだ。
ジェイドはいくつかのパーティに声をかけられたがすべて断っている。いつクリスタニア王国に見つかって連れ戻されるかわからない以上、迷惑をかけたくないのだ。
加えて冒険者の男は気性が荒い者が多い。箱入りで育てられたジェイドはそのノリについていけそうになかった。
「ごめん。困らせるつもりじゃなかった」
「いえ……ロザリーさんが心配してくださっているのはわかっています」
「冒険者稼業は危険のほうが大きいんだ。命あっての物種だからね?」
「はい」