第一章8話 茨の魔女
「茨の魔女は風の神に恋をする……ねぇ。それらしい神話なら知ってるわよ」
「マジで?神楽が適当言ってたんじゃないのか」
本日最後の授業、急遽自習となった教室は雑談で賑わっていた。各々が友達と騒いだりじゃれあっている中、ソラは椅子を反対向きに座り真後ろの席で律儀に自習している優華に話しかける。
質問の返答を聞きながら情報をくれた本人をチラりと流し見れば、
「お兄さん、涙がちょちょぎれちゃうよ?ちっとは信用してくれてもいいのになぁ」
「だったらもうちょい悲しそうにしろよ……表情と言葉が逆だぞ」
神楽はケラケラと笑いながら口内で転がしていた棒付き飴を引き抜き、ソラに「いる?」と突き付ける。丁重にお断りして、再び優華の方へと振り向くと呆れたような嘆息、面倒臭いと言わんばりに説明を始める。
「まず第一に、神と呼ばれているもの……というか、神って認識されてるものはそう多くないの。いくら神話が多いと言ってもそれを深く知っているのは信仰心のある生き物だけ、広く知れ渡っているような神様って実は少ないから特定なんて簡単よ」
「へえ、そういうもんなのか」
「へえって貴方ね……私達に与えられる加護の力、それの起源は神話、伝聞、伝説が元になっているのよ?かのキリストやブリテンのアーサー王、ドイツのジークフリート、英雄譚や伝説を残した人物はその全てが加護の力を持っていたとされるわ」
「……なるほど?」
イマイチ理解出来ていないソラに盛大な溜息を吐き捨てれば、机に腰かけていた神楽が声を上げて笑い出す。急に気恥ずかしくなって口を尖らせれば、「悪い悪い」と言葉とは裏腹に悪びれた様子もなくその先を続けた。
「術式ってのは化学の公式に魔術的意味を持たせ、イコールで出た答えに指向性の含まれた言葉と魔力を付け足して発生させる数式だ。逆に、加護の力は先人達が持っていたような意味わからんものってことだな」
右手をゆっくりと上げて掌を見つめる。ソラを含め何らかの因果が絡まった人間に訪れる加護の力、それは神様からの一方的な好意の押し付けだ。時期は皆それぞれバラバラ、突然に目の前に現れて唐突に条件を突き出してくる。断ることも出来るらしいが、神様とやらは気に入った存在に対して異常な執着を見せる為、承諾するまで追いかけ回すらしい。
それが例え、人生を縛り付けるほどの条件だとしても。
「加護の力は術式という過程を無視して、支払われた代価を元に超常の力を授ける。ソラみたいに人間を越えた力とかね」
「ちなみに、この学院にも加護持ちは結構いるぞ。一昨年は加護持ちの大豊作だったらしく、うちの学院の三年生は五割くらいは加護持ちだ。まぁ加護持ちって言ってもピンキリだけどなぁ」
「ふーん……まぁ加護のことはまたじっくり聞くとして、神楽が言ってた風の神と茨の魔女について教えてくれよ。そっちのが気になる」
適当に話を流して、本命である話を振ってみる。加護の力云々は今後の授業でも説明されるだろうから、という判断だ。
ソラにとって一番興味を惹かれるのは未知の存在、つまりは亜人や魔族などの生物的なことである。子供の頃から愛用していた魔族図鑑を擦りきれるほど読み倒したソラにとって、亜人という異なる種族は魅力の塊であり、そしてその興味の対象は神様だろうが魔女だろうが、未知の存在であれば例外なく対象になる。
「風の神で広くまで知れ渡ってるのは風神。だけど恋愛感情とか色恋沙汰が絡んでくるのはゼピュロスね」
「ビンゴ、正解者には拍手をプレゼントしよう」
パチパチと適当に手を叩く神楽を尻目に、そのゼピュロスについてソラは考える。
ゼピュロスはギリシア神話の風の神達の一角でボレアスが北風、ノトスが南風、エウロスが東風でゼピュロスは西風を担当している。
各方角の風を担当している彼等はアネモイと呼ばれ、ゲームや漫画の世界でも引っ張りだこなくらい広く浸透している風の神様だ。
「加えて、風の神の中でもゼピュロスだけは色恋沙汰が多いのよ。妻が沢山居たり、好きな人を強引に攫ったり、果てには一人の美少年を巡って他の神と競ったり」
「見境無しかよ……」
「神様とかいうすけこましにとって重要なのは、見た目と魂の純度なんだぜ赤いの。断ったらタチの悪い悪戯をしたりなんて事もザラにあるんだよなぁ……あれ、ヤンデレみたいなもんだと思えば可愛く見えて…」
変な悟りを開きそうになっている神楽を無視して、ソラは茨の魔女について話を促す。すると、優華はシャーペンを持った手をひらひらと振って否と答えて見せた。
「風の神ゼピュロスにまつわる神話に魔女なんて出てこないわよ」
「やっぱりデタラメじゃねぇか……契約はこれで終了だな」
「ちょちょちょ、落ち着けって赤いの!契約結んで数時間で破棄とか、お兄さんの信用落ちちゃうから!」
用はないと言わんばかりに立ち上がったソラを慌てて引き留めて、割と冷たい目で目線を合わせてくるソラと見つめあう事数十秒。嘆息して降参の意を示した神楽を見て、ソラは再び席に座り直す。
「お兄さんは学院の教師にも数人契約者がいる。今回教えるのはその数人に教えたとっておきだ。ここまでサービスするんだから契約破棄は無しだぞ?」
「分かった、けど俺が知りたいのは茨の魔女のことで……」
「そう慌てんなって、正にその茨の魔女の話だよ」
自信満々に答えた神楽は懐から何度となく見た茨の枝を取り出した。しかし、その枝は異様な変質を見せていた。
動いているのだ。化石のように固まっていた茨が、触手のように蠢いている。
「うわ……何よそれ、気持ち悪いわね」
「これぞまさしく、茨の魔女が使役してた茨の化石……だったものだよ。どういうワケか、昼過ぎ頃から急に息を吹き返した……さて、ここで問題だ赤いの。何故この茨は急に復活したと思う?」
唐突な問題提示に怪訝な顔を見せるも、神楽は楽しそうに赤い瞳を揺らすだけだ。食堂の時と同じ顔、つまりはソラが思考して導き出した答えを聞きたがっているのだ。なんとも面倒臭い性格をしている神楽に呆れつつ、
「ちなみに術式には物体を動かすものがあるけど、有機物を生み出して使役する術式はないわよ。あってもとっくの昔に廃れてると思うわ」
「じゃあ、大昔の魔女さんが復活したとか……」
適当に答えてみたら神楽の顔がいやらしく歪んでいく。まさかまさかの正解を引いたソラは神楽の狂気的な笑みに気圧されつつ、その先を考える。
茨の魔女が復活した、だから切れ端である茨が再び動き出した。茨の魔女は風の神に恋をしている。つまり、魔女が生き返ったのは風の神の為である。
「確かに神話の中ではゼピュロスと茨の魔女に接点はない。だが神話後……つまり現在までの気まぐれに神様の加護を貰える状況ならどうだい?」
「ってことは、ゼピュロスの加護を貰った魔女が惚れたとかそういう話か?」
「そゆこと。ゼピュロスの神々しい美しさに惚れた魔女は自分以外にもゼピュロスの加護を与えられていると知り、嫉妬心を燃やしてその肉体を奪っていった。文字通り身体を乗っ取りまくって、ゼピュロスの寵愛を一身で受ける為に」
「力のあるヤンデレって厄介極まりねぇな……」
その状況に置かれた自分を想像してみるが、どう考えても最悪だろう。それは多分神様でも例外ではないと思う。
改めて神楽の持つ茨をじっと見つめるが、先程とは違い少しだけ元気がないようにも見える。と言っても気がする程度なので現状は無視。それよりも気になるのは、茨が一定方向に向かって蠢いていることだ。
「茨の魔女は風の神に恋をする。強すぎる愛は、村と森と大地を薙ぎ払い寵愛を貪った。潰された村の生き残りから聞いた伝承だ。本人は隙間風にすら怯えててな、聞き出すのに苦労したゾ」
「隙間風にって……酷いトラウマになってるじゃない。何があったのよ」
ガタガタと教室の窓が揺れる。ふと外を見れば雲行きが怪しくなっており、暗い雲が空を埋め尽くしていた。
今にも雷鳴が響きそうな分厚い雲が窓の向こうから迫ってくるのを見て、「境界にも天気とかあるのか」と呑気に考える。
「前触れは薄暗い雲、不吉な風音を連れて、一人の魔女が嵐と一緒に歩いてきた。その後は村も畑も、地面さえも吹き飛ばされていった。村の人間は飛んでいかないように、首の後ろを茨で突き刺されていた。だってよ」
ケラケラと笑いながら言う神楽に嘆息して、ふとソラの髪を風が撫でた。ムートの悪戯かと思ったが、今は部屋で反省という名の惰眠を貪っている筈だ。
辺りを見渡してみる。確かに雲行きは怪しいが窓は一つも開いていない。ふと思い立って、廊下側の窓を覗き見たのがいけなかった。
目を見開き、その異常事態に気付いてしまったことを後悔したから。
反対側の廊下から見える外は、雲一つない青空だった。
「きゃああああああああっ!?」
暴風が吹き荒れ、全ての窓ガラスが一斉に叩き割られる。悲鳴が響き渡るのを皮切りに教室内は絶叫と混乱が伝播していく。
我先にと廊下の方へ逃げていく生徒をすり抜けて、神楽は口角を歪ませながら割れた窓へと肘を掛けた。
「丁度こんな感じだったんじゃね?茨の魔女の話」
「……貴方が手引きしたのね」
「まっさか、お兄さんはタダの情報屋……まぁこうなるんじゃねぇかなーって思ってたから、教師陣にはもう対応に動いてもらってる。どっちかって言うと味方だよ、御剣 優華ちゃん?」
瞬間、ソラの背筋に氷が走った。射殺さんばかりの気迫で神楽を睨み付ける優華が、肌で感じ取れるほど殺気を漏らしているからだ。
そんな殺気を前にしてなお、神楽はケラケラと道化のように笑みを浮かべて言葉を続ける。
「さぁて、ここで問題です。肉体を得た恐怖の魔女がする事と言えば……なーんだ?」
暗雲を背に、神楽は歪んだ笑みのまま最悪の問題を突き付けた。