第一章7話 不穏な風音
「罰則です」
「何で!?」
「だってぇ……ねぇ?」
入学してから二日目の昼休み、早々に問題が発生した。人型になったムートが寝ぼけて廊下を徘徊していたのだ。恐らくは家の感覚が抜けてないせいで洗面所を探していたのだと思われるが、大問題なのは下着しか纏っていなかったことである。
慌てて探し出し、部屋に連れ戻す時には騒ぎを聞きつけてきた他の部屋の生徒にバッチリ見られてしまい、一気に情報が拡散してしまう。
生徒達は言った、「不良が下着姿の美少女を連れ込んでいた」と。
「こっちの都合とは言ってもぉ、年頃の男女が同じ部屋っていう事項も相当話し合って可決したのよぉ?な・の・にぃ……」
「ヒマだギャー、つまんないギャー。遊び相手がいないギャー」
ちらり、と流し目でムートを見やればパイプイスに座り、ヒマそうに前後に揺れていた。
女性的に熟れた身体を首元、手首、腰回りに足首と部分的に赤い鱗が包み、竜の美しさを人の形に象ったような人ならざる魔性を感じさせる。そんな存在であるムートを囲っているなどと広まってしまえば、教師にとっても飼い主であるソラにとっても色々と宜しくない。
ソラに詰め寄った金髪グラマー教師は色気を多分に含んだ溜息を吐き出し、可能な限り露出した胸部を弾ませる。
「思春期真っ盛りの学生が大勢いる学院で、こぉんなに刺激的な恰好でウロウロしてるのはちょっとねぇ……」
「ライラ先生、お前が言うなって言っていいですか」
「私に合うサイズがないのよぉ。だからこれは仕方ないのっ」
風船でも詰めているのかと思うほど跳ねる胸部に、ソラは冷たい視線を向けた。一般生徒ならば唾を飲み込むようなシーンだが、ラッキースケベすら効かない可哀想な男になってしまったソラはただただ冷たい目線しかできない。
幸いにもムートの噂はまだ一組寮にしか広まっていない為、早急な対策として朝斗が緘口令を敷いたが、入学して二日目でまたもや問題を起こしたソラにご立腹な教師が居た。その内の一人が目の前にいるグラマラスな教師――――ライラ・ペイン。一組の副担任であり、美術担当の教師だ。
「幼少竜じゃなくて竜人族だって事前に言ってくれれば、こぉんな面倒にならなかったのにぃ……まぁいいわぁ。君の罰則は朝斗先生によぉく考えてもらうから覚悟しておくよーに」
「やーい、怒られてるギャ」
「お前のせいだよバカムート!」
嘲笑うムートに言葉で噛み付けば、話は終わりとばかりに職員室から二人して放り出される。ついでに女子用の制服も一緒に。入学して二日目、だというのにもう先行きが不安でしかないことにソラは大きな溜息を零した。
「うぅ……これ、ヒラヒラして気持ち悪いギャ…」
「頼むから我慢してくれよ?ただでさえ第一印象最悪なんだから俺。主にムートのせいだけど」
制服に着替えたムートを連れて、二人は食堂に向かう。朝のHRでは一週間遅れの自己紹介をしたソラだが、隣に立っていたムートが爆弾発言したことによりクラスの皆からは冷たい目で見られてしまったのだ。
『私は高潔なる竜だギャ!ソラは私の…家族?あっ、ご主人様ってやつだギャ?なので私とソラに失礼な態度は許さないのギャ!ひれ伏すがいいギャ!』
魔術師である彼等の好奇心や興味は天井を知らない。しかし疑心がそれさえも上回ってしまい誰もが口を閉ざして「こいつヤベェ奴だ」と思ったことだろう。ただ一人、事情を知っている優華だけは違う目で見ていたが。
と、いきなり躓いてしまったソラだが中にはやはり変わった奴もいるようで、HRが終わるなり絡んできた奴がいた。
「おーい、こっちだこっちー」
食券を買い、おばちゃんから昼飯の乗ったトレイを受け取ったソラは周りからの好奇心旺盛な目線を掻い潜って呼ばれた方へと足を運ぶ。窓際奥の隅のテーブルについたソラは向かいの席に座る男に目を向けた。
「お前さん、死ぬほど喰うなぁ……ステーキにチャーハン、オムライスとパスタと唐揚げとフランクフルト…」
「いやいや、俺の分はオムライスだけだから。残りは全部ムートの分……っていうかそういう神楽はあんぱんとか少なすぎじゃね?」
「お兄さんは金欠という名のダイエット中なのだ。何に投資したかって言うと内緒だけど」
「原因はその手に持ってる妖しい枝だろ……」
男にしては長いボサボサの黒髪に金のメッシュ、不良なのかそうでないのかイマイチ分からないその人物――――東雲 神楽はあんぱん片手に妖しい枝を嬉しそうに眺めていた。
茨の蔓が固まったような、奇妙な枝だ。相当古い物なのか鮮やかな緑色であったろうその身は色褪せており、強く振ればそれだけでポッキリと折れてしまいそうである。
「ソラ、いいか!?もう食べてもいいか!?」
「たーんとお食べ、ムートちゃん。余ったらお兄さんが食べてあげるから」
ソラが言うよりも早く神楽が合図を出せば、待ってましたと八重歯が光り夢中でかぶりつき始めた。怪訝な顔で神楽を見つめれば、口に運んでいたあんぱんを止めて、
「どったのマイフレンド、お兄さんの食べかけが食べたいとかいう変態嗜好ならお断りです」
「ちげぇよ!いや、良くムートって分かったなって思って」
あぁ、と一人納得した神楽は止めていた手を再び動かし、あんぱんを齧る。
魔術学院は三学年あり各学年毎に三クラスからなる生徒達で構成されている。もっとも一般的な構成だが各クラスの生徒数は約四十人前後であり、まだ入学したての一年生は利便性も含めてほとんどがこの食堂に集まっていた。つまりは人でごった返しているワケだ。
おかげでムートが制服を着こんで紛れていも誰も気にしていない。一瞬だけ好奇心の視線を向けられたが、大量の昼飯に釣られただけでムート自体は注目されなかったのが幸いだ。もしここでムートが人型になったとバレていたらそれはもう質問の嵐で大変な目にあっていただろう。
神楽は奇妙な枝を教鞭のように振って、周りの目を確認するとあんぱんを飲み込んだ。
「ムートちゃんはちゃんとした人語話せるじゃんか。竜族の口は発声器官じゃないから成熟するまでは念波で意思疎通するのが基本だ。幼少竜と名の通り幼い竜なら人語が上手く喋れないのは尚更だろう?じゃあちゃんと話せるムートちゃんは幼少竜ではないっていう結論さ」
「おぉ……凄いな神楽」
「っていうのは知識としての裏付けで、ぶっちゃけちょっと前まで竜人族の国に居たんだよねお兄さん。だから見分けくらいは簡単なんだよなぁ」
「そういうオチかよ、俺の感動を返せ……竜人族の国?」
怪訝な声で問いかけてオムライスを一口。あんぱんに齧りついたまま神楽はちらりとムートを見やると、
「別にいいギャよ」
「んじゃお言葉に甘えて……あの国を説明するにはまず世界の成り立ちからになるんだけど、平気かね?」
「むしろ大歓迎だ、頼むぜ神楽」
期待の籠ったキラキラした瞳で詰め寄るソラと、思わず身体を引く神楽。予想外のリアクションに戸惑いながらあんぱんを食べ尽くすとゆっくりと口を開いた。
「まず、世界は三つに分かれて成り立っている。これはお前さんも知ってるだろう?」
「天界、物質界、魔界の三すくみの話だよな?絶対不可侵の天界、俺達の住む物質界、そしてあらゆる亜人と魔族が生まれる魔界……」
「オーケーオーケー、んじゃあこの学院があるのは何処でしょーか」
神楽は人差し指を立てて、片目を瞑ると口角を歪ませる。その問いかけに対してソラは改めて思考を巡らせてみることにした。
天界はその名の通り、神や天使達といった神格化された存在が住まう世界だ。肉体を持たず、魔力や精神力によって存在を確立しているスピリチュアルな存在は明確な格付けがされており、一般的に知られているのは妖精で最下級、妖精の女王ティターニアは上級となっている。最上級は言わずもがな天使や神と呼ばれる存在達だ。
天界が絶対不可侵なのは理由がある。天界は物質的質量を持つものは存在できず分解されるからだ。
そうなると肉体を持つ場合天界は答えにはならない。では物質界か魔界の二択だが、魔界は交通手段が限られている上に特定の条件が揃わないと物質界と繋がらない仕様だ。となれば答えは一つ。
「……物質界、なのか此処?」
「ピンポーン。正確には物質界と魔界の狭間、境界って呼ばれる場所だな。どっから来たかはお兄さんも分からないが、広大な土地が漂流してて尚且つ魔力が満ちている此処は魔術師の育成に最適ってワケだ。行ったり来たりも容易だし資源もあるとなればまぁ使わない手はないよなぁ」
神楽の説明に付け加えて、優華が言うにはこの境界という場所は座標によって時間も多様にズレるらしい。一番ズレが少ないのが、物質界に設置された学院の門だ。優華がソラを迎えに来た時のように特別な鍵を使って門を解錠、毎週金曜の深夜に外出申請が通った生徒だけ物質界に帰ることが出来る。なお、門の解錠は決められた時間にしか行われない為遅刻厳禁である。
「んで、それと竜人族の国にどう関係があるんだ?」
「お兄さん、もう答えは言ったんだけどなぁ……鈍感系主人公なんて飽和して腐り始めてるんだぜ?もうちょっと思考の海にダイブしてみようか」
「んんーーーー……」
呆れた口調で神楽に言われてしまったので、目を瞑り仕方なく二回目の思考の海へ。その隙にオムライスを盗み食いする神楽は、あれだけ大量に頼んだムートの昼飯がもう無くなりかけていることに目を見開いていた。
竜人族という種族に限らず、竜という種族はその殆どが魔界の頂点に近い地位と力を持っていることで有名だ。天界とは違い、多種多様な種族が存在する魔界では強靭な肉体と力を基準に格付けされる。その中でも、竜人族はより人間に近しい進化を遂げたことから、知識に置いて森の大賢者とさえ呼ばれるエルフ族に並ぶものを持っていると噂されているのだ。
エルフ族はスマフォの開発や宇宙観測機の発明など、技術的な革命を起こしてきた著名人に多い。エルフ族の技術者にすら匹敵する知識を持っているのに何故、噂だけなのか。
「そもそも、竜人族に会える事自体が珍しいから……?」
「――――」
ポツリ、と何とはなしに呟いた言葉を切っ掛けに頭の中で何かが紐解かれていく。乱立していた情報がカテゴリーごとに綺麗に纏められたような不思議な感覚だ。
呟いた言葉を追いかけるように、纏められた情報の中から一つずつ付随するものを抜き取り、言葉という形に置き換えていく。
「魔族は安全面を重視しない。それは生まれ持った力で十分に自衛できるからだ。でもエルフ族と同じだけの知識を持つなら話は違う。エルフ族が村に結界を張り、認めた者しか里に入れないのは潔癖と血統を重んじる種族だからであって、表舞台に立つことも厭わない」
「――――」
口元に指を当てて、行きついた思考をそのまま吐き出せば神楽は聞き入るようにソラを見つめる。その表情には薄っすらと笑みが零れており、ソラの導き出す答えに興味津々だ。
「竜人族の知識を持ってして人間と同じように情報の保全を考えたら、いくらでも隠し通せるかもしれない。そうしたら表舞台に名前が出てこないのも納得がいく。けど、国があるというのなら必ず何処かしらから情報が漏洩するはずだ……逆に、漏洩するような場所に無いとしたら」
驚くべき集中力で仮説を組み立て、証明する為の知識を引っ張り出しては当てはめる。全てのピースが埋まった時、顔を上げれば神楽の赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見て微笑んでいた。
ゆっくりと口を開き、思考の果てに得た確信を持ってソラは告げる。
「竜人族の国は此処――俺達の居る境界の何処かにある。何故なら、何らかの理由で自分達の存在を隠さないといけないから…?」
「……素ッ晴らしい!当たりも当たり、大当たりだ!!」
バン!とテーブルを叩いた神楽に驚き、思わず身を引いたソラへぐいっと思い切り顔を寄せる。これまで以上に口角を歪ませたその笑みは一種の恐怖すら感じるほどに爛々と輝き、ソラの両目を至近距離で捉えて離さない。
「そうとも、彼等が表舞台に出ないのはワケがある!エルフと同じ膨大な知識を持ち、鬼人以上の戦力を個々に内包しているにも関わらず、その力を理性とルールで隠している!どんなルールが彼等を縛り付けている?どれほどの力を隠している?それらの先にある彼等の目的とは?お前さんも知りたいと思わないか??」
神楽の赤い瞳の奥に、ゆらゆらと揺れる歪な熱を見た。意外にも中性的に整ったその顔は「知りたい」という欲求に蝕まれた異常な狂気に染まり、知識欲の権化と言い換えてもいいほど悪魔的に歪んでいた。魔術師の枠に嵌めるのすら憚られる異質な執着が神楽から感じられる。
圧倒されるがまましばらく固まっていると、ようやく正気に戻ったのか咳払いをして神楽は席に座り直し、
「いやぁ、お前さんが存外頭が回るもんだからお兄さんも興奮しちまったい。これからは愛をこめて『赤いの』って呼ぶわ」
「それ名前呼びより酷くなってんじゃねぇか!つーか、自分で言うの何だけどそこまで頭良くねーぞ俺」
「おぉっと、地頭が良いのと頭が回るのはまた違うベクトルの話だぜ赤いの。まぁそれは置いといて……お前さん、俺と契約しないか?」
恍惚な笑みを浮かべる神楽に、契約?と問い返しスプーンを器に差し込むももぬけの殻。驚愕しつつ隣のムートを見るも我関せずといった態度でフランクフルトを咀嚼していた。
中身の消えたオムライスに肩を落として、項垂れているソラに神楽が言葉を浴びせる。
「見て聞いて感じた通り、お兄さんは知識を取り扱ってる。まぁ簡単に言えば情報屋みたいなもんかね?古今東西、手が届き足が踏み出せる場所のありとあらゆる知識と情報、それを教えよう。報酬は気分次第だゾ」
「なんでまた……」
「俺なんかに?優華ちゃんとかの方が良いんじゃないかって?ありゃダメだ。素質も無ければ質も悪いし凝り固まってすっかり毒されてる。典型的な魔術師だよ」
言葉を先回りされて不服そうな顔で見やれば、神楽は片目を瞑り人差し指を立てて笑った。
「お兄さんは知識に対して真摯に向き合う姿が大好きなのさ。決められた答えや当たり前の解答ほどつまらない物はない。思考して、考察して、推察して、想像と理解をフル回転させ知識と情報を咀嚼して飲み込む。結果はどうであれ、その過程に加わり見届けるのが面白い」
「……なんか、観察される動物の気分だな」
「お兄さんからすれば、要育成の推しキャラだよ赤いの。お前さんを気に入ったから教える、そーんな感じの緩いお助けキャラだと思ってくれよ」
複雑な心境をよそに、子供のような笑みを浮かべた神楽は手を差し伸べてくる。訝し気にその手を見つめるソラの顔を覗き込み、目と目が合うとウィンクされた。顔が整っているからか妙に様になっていてムカついたが、そういうヤツだと割り切れば良い友達になれそうだと思い、ソラは一拍置いて差し伸べられた手を握り返す。
「どーも、今後ともご贔屓に。まぁ前払いでオムライス貰ったけどな」
「喰ったのお前かよ!俺が拒否ったらどうしてたんだよ……」
「そん時はそん時じゃん?そうそう、契約記念に一個だけお得な情報を教えてあげよう」
疑問符を浮かべて首を傾げれば、神楽は満足そうに席を立ち上がり蔓の枝をこれ見よがしに振って見せる。
「茨の魔女は、風の神に恋をする。むかーしむかしの御伽噺だ。風音が妖しいときは、首の裏を刺されないように注意しような?じゃないと悪い魔女に身体を乗っ取られちゃうゾ?」
ごっそさん、と最後に言い残して神楽は食堂から去っていった。嬉しそうに蔓の枝を投げていたかと思えば落としそうになり、慌てて抱きかかえるという何とも締まらない後ろ姿を見送って、
「……いや、俺のメシ返せよ」
鳴り響く予冷を聞きながら、空になったオムライスの器を眺めるのであった。