第一章6話 戒めと噂好きの男
パンパンッ!と手を叩く音が鳴り響く。試合前と同じように、朝斗が手を叩いて皆の注意を引くと宙高くへ胴上げされていたウィルがそのまま地面に落下し叩き付けられた。短い悲鳴と痛そうな打撲音にソラが目を伏せる中、朝斗が気だるそうに言葉を紡ぐ。
「参加拒否した奴もいるが……これで一年生の親善試合は全員分終わりだ。お前らには改めて言っておくぞ」
厳格な声で生徒達へ言葉を向ける朝斗の表情は真剣になり、生徒達は息を呑む。誰かが唾を飲み込んだ音さえ聞こえるほど、静寂に包まれた中で朝斗は言った。
「智慧を学ぶ者として正しい使い方を覚えろ。力ある者として常に自身を戒めろ。それが異能を持つ者の、魔術師の務めだ」
「「「はいっ!」」」
「つーわけで、今日はお開きだ。次の組が来る前にちゃっちゃと撤収準備に入れお前ら」
緩い言葉で場を締めた朝斗はソラを見据えると指を軽く曲げて手招きする。皆が片付けに取り掛かり始めた中、ソラは立ち上がってムートが肩の上に乗ったのを確認。呼ばれるがまま朝斗の元へと赴けばバチン!といきなりデコピンが炸裂した。
「~~~~~っ!?」
「ギャウッ!?」
ついでと言わんばかりにムートもデコピンを喰らい、二人揃って頭を抱えてうずくまる。ただでさえ大人のデコピン、加えて教師のそれは思わず涙が浮かぶほど痛かった。理由も分からず、大量の疑問符を浮かべて朝斗を見上げれば心底呆れたような溜息を吐かれてしまった。
「お前はまず人間に対しての加減を覚えろ、加護の力ってのは簡単に人を殺めるぞ。今回は経験を積んだ魔術師が相手だったから良かったものの、そんなやべぇもんを日常的に振り回してたら即犯罪者だお前は」
「……うっす」
「このデコピンは戒めだ。そんな簡単な事を教えてなかったお前も同罪だよ、ムート君?」
「ふ、フンだギャ!あちしは悪くないギャッ!」
思いっきり顔を逸らして言い逃れするムートに嘆息し、朝斗はソラに手を差し伸べる。その手を握り、再び立ち上がると穏やかな表情で頭を撫でつけられた。
「これから学んでいけばいい、その為の俺達教師だ。俺の生徒だって今のお前よりかは十分強いしな。ほら、お前も片付け手伝ってこい」
微笑み、そう言った朝斗の顔がとても眩しく見えた。肩を軽く叩かれ、手を振りながら去っていく気だるげな教師の姿はどこか格好良くて、妙な恥ずかしさを覚える。
拳を握り締めたソラはその手を見つめて、一から学ぶことを固く決意した。
「ほら、ボサっとしてんなよ赤いの!お前も手伝え!」
「はいッス!てか腰大丈夫ッスか寮長」
「平気平気、寮長はそういうキャラだから気にすんな~」
「お前らなぁ!あ~そうそう、さっきの試合の事なんだけどさ……」
振り返り、呼ばれた方へと走り出せば一組の生徒達が暖かく迎えてくれる。
遠く離れたところで土を慣らしていた優華は、早速打ち解けて笑いあっているソラを見て小さな笑みを浮かべていた。
――――…
「はぁ~……疲れたぁ…」
時刻は午後八時を回り、夕食を食べ終え後優華に寮の部屋へと案内され、ソラはベッドに身を投げ出していた。今日は文字通り朝から晩まで動きっぱなしだったせいか屍のように重くなった身体に柔らかいベッドが心地よい。
部屋の内装は勉強机が背を向けあう形で二つ、間に窓を挟み二段ベッドが一つ、部屋の中央はふかふかのラグマットと小さな丸いテーブルが置かれており、すっかり優華の趣味でコーディネートされている。
「ふふ、お疲れ様。初めての学院はどうだったかしら?」
「いやぁもうすげぇって言葉しか出てこねぇよ…明日から楽しみで仕方ねぇって!」
言葉同時に跳ね起きたソラに優華は目を丸くして、次の瞬間には小さく噴き出した。まるで遊園地に来た子供のように目が爛々としている様は、とても微笑ましい。
「ありがとうな橘、色々教えてくれてさ。すげー助かったよ」
へへっ、と満面の笑みを真っ直ぐに向けてくるソラに思わず顔を逸らして、視線を泳がせながら頬を掻いた優華は小さな声で「どういたしまして」と返事をする。
その挙動に疑問を感じながらソラはベッドの上で丸くなっているムートに手を伸ばし、
「ムート、起きろって。ちゃんと風呂入らないと」
「ギャゥ……」
頭を撫でくり回せば、尻尾が抗議の念を表わしているのがパタパタとベッドに叩き付けられる。嘆息してどうにか起こそうと試行錯誤していると、横からマグカップを差し出された。
中身はホットミルクで、受け取ったソラの横に優華が座りムートの鱗を優しく撫でる。
「ふふっ、ムートちゃんは本当に可愛いわね。ソラも疲れてるだろうし、よければ私がムートちゃんと入ってもいいかしら?今後の為のスキンシップって事で」
「そりゃ助かるな。橘ならムートも大丈夫だと思うし……今日のお礼代わりに、存分に可愛がってやってくれ」
「珍しい竜族の身体だもの、丁寧に洗ってあげないとね。さぁ行きましょうね」
「ギャワ…?」
今度は優華が爛々とした目でムートを抱き上げて脱衣場へ向かって行った。手を振って見送った後、視線を部屋の隅に向ければ大き目のダンボール箱がニ、三個積まれておりソラは重い腰を上げてホットミルクを一口。若干舌を火傷して狼狽えながらマグカップをテーブルに置き荷ほどきを始める。
荷ほどきといっても替えのシャツや下着、携行品などの最低限の物ばかりだ。更にいえばダンボール一箱分は全てムートの物である。コレでもかとぎっしり詰め込まれたダンボール箱を開けてみれば、かなり派手な部類の女性物の下着や服が出てきて眉を顰めた。黒い透け透けの下着や、限界まで丈を短くしたホットパンツ等中々攻めている服達。
これらはソラがお世話になっていた夫婦、そのおばちゃんがムートに買い与えた物だ。決してムートの趣味でもソラの趣味でもない。ないったらない。
「いやでも、日南先生とか意外と似合いそ……んん?」
ふと何かが引っ掛かり、ソラは首を傾げた。目の前にある物はソラにとって見慣れた物だ。生で着ている姿を見るのは見慣れることはなかったが、夫婦に世話になる代わりにやっていた掃除や洗濯の時に数えきれないほど見てきた。だから物自体には疑問はない。
だが何か引っかかる。唸りつつ答えを考えていると、答えの方から耳に殴りこんできた。
「きゃああああああああああああああああっ!?」
優華の悲鳴が部屋中に木霊し、ぽん!と手の平を叩いたソラは脱衣場に向かい、迷うことなく風呂場のしきりを開ければそこには。
「む、ムートちゃんが急に女の子になったんだけど、どういうことよ!?」
指をさして、小さなタオルで身体の前部分を隠し尻餅をついた優華がソラに叫ぶ。濡れそぼった赤くて長い髪を身体に巻き付けた美少女が猫のように唸って立っていた。 「遅かったか」とソラは呑気に頭を掻いて溜息を吐き出す。
「ふー…ふー…!」
「あー……悪い、言いそびれてた。とりあえずムートは落ち着け」
困惑する優華にバスタオルを手渡して、風呂場から出るように促す。そして目の前で唸っている美少女――――ムートをどう落ち着かせようか考えながら、
「ムートはちょっと変わった竜で、多分洗ってる時に触ったんだと思うけど……尻尾の上辺りに逆鱗があったろ?そこ触ると魔力が暴走してこうなる」
「ちょっと何言ってるか分からない」
切れ味の鋭いツッコミに喉を詰まらせ、咳払い。実際のところ、ソラが中学二年生頃に急にこうなったのでソラにも原因が全く分からないのだがそれは割愛しよう。
バスタオルを両手いっぱいに広げて、犬歯を剥き出しにしている全裸の美少女改めムートへにじり寄り、
「ほれ、風邪引くからこっち来いムート」
「いやギャ!そうやってまた私の身体を好き放題する気ギャ!さっきの優華は目がギラギラしてたギャ!まじゅちゅしめ、私を高潔なる竜の始祖と知って…!」
「噛んでるし知ってなかったよ橘は。ついでに言うと身体洗ってくれてたんだからちゃんとお礼言っとけよ?」
ぽかんとしたムートがチラリと優華を覗き見て、苦笑いで応える。ただの誤解だったという事実に分かりやすく唇を尖らせたムートは警戒を解いて、ソラの広げたバスタオルに飛び込んだ。
嘆息しびしょびしょの頭を撫でてやればムートがくしゃみをして、バスタオルで乱暴に拭いてやる。
「ごめんな橘。ムートはちょっと変わってる竜だけど、仲良くしてくれると俺も嬉しい」
視線だけを流して、優華に告げれば意外な表情をしていた。信じられない物を見たような神妙な面持ちで思考にふけっていたのだ。ソラの言葉に弾かれるように顔を上げた優華は次の瞬間には顔を真っ赤にする。
「ちょっと、どころじゃ…ていうかこっち見るんじゃないわよ!」
小さなタオルでは隠し切れない裸体を庇い、声を荒げる優華に首を傾げた。
中学から現在に至るまで、もっと煽情的な肉体をしたムートと大人の色気が一切隠せてないどころかむしろオープンなおばさんのせいで、ソラは完全に感覚がマヒしているのだ。
かたや野性味あふれる健康的な身体、かたや磨き抜かれた美しい身体。それらが毎朝視界に飛び込んでくるのだから目も肥えるというもの。思春期真っ盛りにも関わらず耐え続けたソラはちょっとやそっとのお色気シーンには屈しないのである。
「ほら、橘にお礼と驚かしてごめんなさいしようなムート」
「それはいいから、あなたはとっとと出ていきなさい!」
「うぉっ!?」
言葉同時に脱衣場から蹴り出されたソラは顔面から着地、潰れた鼻を掻いて起き上がれば部屋の扉をノックする音が響く。
「おーい、寮長のウィルだけどさ、隣の部屋の奴等知らねぇか?」
そう言えば挨拶もしてなかったな、と思いつつ扉を開ければ「お前か」といった目で溜息を吐かれた。大方優華が出てくると思ったのだろう。やっぱりチャラいだけではないのかこの男は、とジト目で睨む。
「昨日の夜からいねぇらしくて、優華ちゃんなら何か聞いてねぇかなって期待したんだけどさ……まぁいいや、丁度良いからちょっと付き合えよ赤いの」
「俺の呼び方、赤いので定着してんスか……あんま遠く行くとムートがキレるんで、部屋の前でいいッスか?」
「ムートはお前のオカンか何かか?」
笑いながらツッコむウィルに乾いた笑みを零して、ソラは扉を閉めると背にして寄りかかる。それを確認したウィルは隣に寄りかかると、簡単に説明を始めた。
「とりあえず、門限は二十二時な。寮の入口に鍵が掛かるのは二十三時で、消灯時間も同じだ。それまでに部屋に戻れなかったら教室とか先生達と寝ることになるぞ」
「ちゃんとルールがあるんスね」
「規則規則って縛りたいワケじゃねぇさ。朝斗が言ったように、これも戒めの一つだよ。人間ってのはとかく自由を主張するが、人間らしくある為にルールが必要なんだと俺は思うね。特に魔術師なんてもんは限界を知らないからな」
人間らしくある為に、ルールが必要である。ウィルの発言は今日見てきただけのソラにも深く理解できた。
人を殺せば罪に問われる。物を盗めば罪に問われる等の当たり前の常識を、何故法律という規則で縛っているのかは赤子でも分かる問題だ。しかし、そこに魔術師を嵌め込むと状況は一変してしまう。
魔術師達の知的探求心は限界を知らない。故に、法律という規則に疑問を抱いてしまったら検証せずにはいられなくなるだろう。例えそれが禁じられた行いでも、どれだけ危険な目に遭おうとも恐らく簡単に破ってしまう危うさを感じさせた。
「最近じゃあ、魔族よりも人間の方が事件率が高くなってるし、魔術師の事故発生率も年々下がらねぇ。噂じゃあその煽りを受けて南部魔術学院が悲鳴上げてるってよ」
「あぁ、あっちはめちゃくちゃ緩いらしいッスよね」
「逆に、ほぼ軍隊教育の北部は鼻高々ってな。ゲームみてぇに冒険者ギルドとか勇者とかいる世界ならそんなこと問題にならねぇんだけどな」
どうやらウィルもその煽りを受けているようで、教師から何か言われてるのだろう。盛大な溜息が物語っている。
ウィルが言うようにファンタジーあるあるの冒険者ギルドなんていうものはこの世界に存在しない。警察機構兼治安維持部隊である黄金の夜明け団、通称GDが国家主導のもと鎮圧に勤しんでいるからだ。
強靭な肉体を持つ魔族や実戦経験の豊富な魔術師などを採用し、世界各国がGDを年々強化しているのにも関わらずどの国も事件発生率は下がっていない。
「フリーメイソン、セフィロトの樹、白蓮、色んな魔術結社が潰されてんのに懲りないッスね」
「お、イケる口か?また色んな結社……結社っていうかテロリストがどっかで発起してるって噂だぞ。BB、白銀の十字団とか」
どうやら噂話が好きらしいウィルは楽しそうに笑い、思わぬ意気投合にソラも笑みを零した。しばらく歓談して、本題から逸れていることに気付いたソラは話を戻すと、
「悪い悪い、つい話し込んじまったな。寮の詳しい説明は紙資料で明日渡すとして……隣の部屋の奴らが戻ってきたら、見かけたときにでも声を掛けてくれな」
「おッス」
「んじゃ、早めに寝ろよ。明日の食堂メニュー、朝から肉が出るらしいから早起きしねぇと喰いっぱぐれるぞ~」
ひらひらと背を向けて手を振るウィルに手を振り返して、部屋に戻れば寝間着に着替えた優華がアイスを貪る人型のムートを抱えてデレデレした顔をしていた。
何とも言えない微妙な表情で見つめていると、しばらくして気付いた優華がハッとして咳払い。いつもの凛々しい表情でソラに向き直り、
「お帰りなさい。随分楽しそうにお喋りしてたみたいね?」
「今のお前ほどじゃないけどな」
「うるさいわね!ムートちゃんが可愛いのがいけないのよ!」
「なんだ優華、私が可愛いのギャ?仕方ない、私を褒めちぎり愛でることを許すのギャ」
ムートの発言を曲解して全力で頭を撫でる優華と、頭から煙が出そうなほど撫でられて痛みに驚くムートという意味不明な光景を尻目にソラはベッドの端に座り込む。
「い、痛いのギャ!?毛が焼き切れるギャ!!」
「あぁー可愛いわぁ。髪もふわふわだし凄く私好みの美少女……んんっ!妹とかにこういう子が欲しかったのよねぇ」
何やら危険な発言が聞こえたが、聞こえないフリをしてスルー。この調子だと今日は優華の抱き枕にされるであろうムートに胸中で合掌して、ソラはスマフォのアラームをセットして倒れこむようにベッドに寝転がった。
明日から始まる新しい生活。ベッドに寝転がったことで気が緩んだのか、ワクワクが止まらないのに抗い切れない眠気が襲ってくる。
「あら、もう寝るのかしら?それじゃあムートちゃんは私と一緒に……」
「い、いやギャ!優華の目がまたギラギラ……なんか凄い濁った目になってるギャ!ソラと一緒に…ぐぇ!?」
「ふふ、ふふふふっ」
締め上げられたようなムートの声が聞こえたが、今起きたら確実に危険な気がしてソラはそのまま襲ってくる眠気に身を委ねることにした。入学初日で死ぬような地雷を踏み抜きたくないからである。
「ちょっ、離すギャ!ていうかどこ触ってるギャ!?ギャアアアアアアアッ!!」
明日の朝、起きたら怒られるんだろうなと適当に考えながら眠りに落ちた。