第一章3話 魔術師という存在
迷子になった挙句気絶させられたり、教師に無理やり戦わされたり、何なら鬼のような教師に殺されそうになったりと朝から踏んだり蹴ったりだ。だというのについに腹の虫まで鳴き出したソラは、げんなりした様子で優華に連れられて校内を歩く。
「シャキっとしなさいよ。誉れある魔術学院の生徒なんだから自覚を持ちなさい」
「んな事言っても……腹が減ってりゃどこの誰だろうと関係ないだろ…」
毅然とした態度で背筋を伸ばして先を歩く優華は、その立ち振る舞いだけで優等生だと分かる。否、優等生でなければそもそも魔術学院には入学出来ない。
学院の入学には人格、知識、意欲の三つが問われる。なんて、よく御大層に言われたりするが普通の高校入試と大して変わりはない。人格の審査は普通の一般的な面接、知識はそのまま試験を受けるだけ。意欲は願書の提出と「魔術に興味ありますよ!」という、学びたい意欲を示した物を提出するのだ。ほとんどは作文や論文になり、ポートフォリオ提出のようなイメージである。
端的に言ってしまえば、魔術学院とは専門学校のようなものなのだ。そう捉えてみれば誉れがどうのなんて思えないソラなのだが、大多数にとっては魔術学院に入学出来たというのが誇らしいようだ。
「あぐあぐっ」
「あだだだだっ!俺の髪を喰うんじゃねーよバカムート!」
だがそんなことより空腹の方が勝る。誇りで腹が膨れるワケではない。
頭の上で髪を食べ始めたムートを無理やり引き剥がして、胸に抱きかかえる。ムートも空腹でしおらしくなっており、しょんぼりしている。黙ってれば可愛いミニドラゴンなのに、と頭を撫でてやればすかさずガブッ!と牙が指を噛んだ。
「ぎゃああああああっ!?」
「ほら、此処が食堂よ」
「俺の惨状はスルーなの!?慣れるの早すぎじゃね!?」
華麗にスルーされ、優華がドアをスライドさせた向こうにはとても大きな空間が広がっていた。五十人は並んで座れる長いテーブルが六列、窓際にも六人用の丸いテーブルがあったりと棟の一階部分が丸々食堂となっているようで、とにかく広大だ。
「ひっ…れぇな」
感嘆の声を上げれば、部屋の奥に見える配膳受付からおばちゃん達が手を振る姿が見える。ソラと優華は手を振り返し、
「まぁ、此処でご飯を食べるのはほとんど一年生だけどね。不便がないようにって学院の各所に自販機や購買があるから、二年生とか三年生は購買で買って教室とかで食べてるわよ」
「あー……小学校の時にもあったなぁ。学年上がるとどんどん上の階にされて朝めちゃくちゃキツイやつ」
「そういう事。学年が上がるごとに中央棟、東棟、西棟と移動になるから中央棟の一年生ばっかなのよ。それと……」
言葉を切った優華に首を傾げれば、窓際に寄ってちょいちょいとソラを手招きする。分からないまま近寄り日差しの眩しい外を覗き込むと、
「あら、お口が汚れていましてよ?」
「あ、お姉様……」
一面に広がる草原と、花。そこに学院の制服を纏った二人の少女が百合の花と化していた。
「~~~~~っ!?」
「……景色が良い場所だから、食堂で食べるより外で食べる事が多くなるって説明しようとしたのに。あらぁ…」
こちらに気付いていないのか、百合の花がますます絡み合い……というところで咄嗟に頭上のムートの目を手で覆い隠し、真っ赤になったソラが口をぱくぱくと酸素を求めて開いたり閉じたり唾を飲み込んだりしていた。エスカレートしていく過剰なスキンシップから目が離せなくなっていく。
「あらあらあら……」
「よしいけ、いけ…!そのまま押し倒してしまえ…!」
「こ、これが魔術師…すげ………いや何してんだよ先生!?」
いつの間にかソラと優華の間に挟まり、目の前の百合を全力で応援していた朝斗が眉を顰める。やれやれ、と肩を竦めて朝斗は不遜に言い放った。
「馬鹿だなお前、こういう美味しい場面を逃さない為に教師になったんだからな俺は。分かったら静かにしてろ」
「教師になった理由が不純過ぎぃ!」
叫んだことで気付かれたのか、窓越しに百合の花と目が合った。それはもうバッチリと目が合ってしまった。見る見るうちに百合は赤く染まり、冷や汗が止まらないソラと朝斗に向かって力強く睨み付けると、
「「いやぁーーーーー!!」」
「しだらばっ!?」
「おんどぅるっ!!」
絶叫と共に魔術が発動、発射された。水の弾丸と土の塊が窓を突き破り、ソラと朝斗に直撃すると二人は奇声を上げながらもんどりうって食堂に転がる。
窓を壊したことで追い打ちのように食堂のおばちゃんに怒られて平謝りする二人を、見つかる前に逃げていた優華はケラケラと笑いながら眺めていた。
「………もう帰りたい…」
陰鬱な空気を纏ってテーブルに突っ伏すソラに優華が苦笑いを浮かべて、トレイを置いた朝斗が横に座ると紙パックのジュースを渡す。
「ほら、やるから元気出せ。ホームシックには早すぎるだろ」
「あざす……てか先生はなんで此処に?つーかほとんど生徒を見かけないんだけど…」
「そりゃ今日は日曜だからな。ついでに言うと朝の七時半過ぎ、食堂にメシ喰いに来るのは普通だろ……っていうのは建前で、ヒマだから色々おせっかいしに来た」
優華はベジタブルサンド、ソラはステーキを頼んだというのに二人に渡されたジュースはバナナミルクといちごミルクである。
小気味の良い音を響かせて割り箸を割った朝斗はラーメンを前にして薄く笑う。勢いよく麺を啜り出した教師をジト目で睨む二人に、もぐもぐと口の中の物を噛んで飲み込んだ朝斗は告げる。
「まず一つ、お前の不登校と遅刻の件は学院側の不備として処理されたからお前はお咎め無しだ、不知火。お前の事情は理解した」
「あはは…………」
チラリと表情を覗き込めばソラは苦笑いを浮かべていたが、頭の上に乗っているムートが威圧的に睨み付けていた。唸りこそしないが敵意を持って睨み付けており、意図を汲み取った朝斗は胸中で呟く。
「(これ以上は踏み込むな……ってトコか)」
「もう一つは解説役……ってところですか?私じゃ役不足って事ですか?」
右からはムートに睨まれ、前からは優華が怪訝な表情で目を細める。四面楚歌のような状況で朝斗はラーメンを飲み込むと、大きな溜息を零した。
「そう噛み付くなよ橘、入学式サボッた不良の為に初日の説明を改めてしようと思ってな。いくらお前が優等生でもコレは教師の義務なんだよ」
「……分かりました」
「って顔じゃないけどなソレ。それはさておき、不知火には改めて説明するからよぉく聞いておけよ」
ラーメンのメンマを齧りながら、朝斗はズボンのポケットから丸まった資料の束を取り出した。学校内規定、と書かれた資料だ。それをソラの前に置くと朝斗はラーメンの器を両手で持ち、スープを一気に飲み干すと「ぶはぁっ」と男臭い息を吐き出して言葉を続ける。
「簡単に言えば、物理的・魔術的問わず学院内での殺傷・暴力行為は禁止。それ以外は中学とかと変わんねぇから、マナー講座とかはしねぇぞ」
「はぁ……ん?でもさっき俺と先生は魔術でブッ飛ばされたッスよね?」
「自衛の場合はノーカウントよ。ちなみに、先生達は常に生徒達を見てるから人格や振る舞いが学院に不適切だと判断された場合、問答無用で退学。もしくは懲罰ね」
口を挟んだ優華の言葉にあった懲罰という言葉。バツが悪そうな顔をしている朝斗を尻目にソラはフォークで肉を突き刺し、一口。学校の食事とは思えないほど良い肉で作られているステーキは美味く、ゆっくりと味わうように咀嚼する。
それはそれとして、懲罰なんて学生にはいささか厳しい言い方だ。しかしこれには理由があり、ここ数十年もっとも抗議された話である。どこの時代、どんな国にもあるように親が子を想っての化学反応と言えるだろうか。要は「我が子に罰を与えるな」問題だ。
「【血統持ち】っていうどっかの馬鹿な魔術師達のせいで、真っ当な教育として必要と国が判断したのよ……それはそうと、ムートちゃんがステーキ全部平らげちゃってるわよ?」
「んなぁ!?」
一切れしか食べていないのに、ステーキプレートの中身が空。むしろプレートを手に持ってソースすら上機嫌で舐めているムートのこめかみをグリグリと圧搾しつつ、ちらりと朝斗を覗き見る。
意図を汲み取った朝斗は爪楊枝を振りながら、
「つっても教師だって好き好んで生徒を痛めつけねぇよ。精々反省文とか一週間教師の手伝いとかだ……俺はな」
「俺は、ってとこにすげぇ不安を覚えるんスけど」
「まぁまぁ、馬鹿みてぇなことしなけりゃ縁の無い話だ。長ったらしい話もいい加減飽きたろ、楽しいとこに連れてってやる」
そう言って朝斗が立ち上がり、トレイを受付に持って行く。慌てて食べ始めた優華を置いて朝斗の後を追いかければ、こちらを見ずに小さな声で話しかけられた。
「お前が思ってる以上に、魔術師って奴は面倒な問題を抱えてる奴が沢山いてな。プライドが高い、コンプレックスまみれ、その他諸々……魔術師の事情に下手に首を突っ込むな。じゃないとお前が苦しむことになるぞ」
「…………まぁ、なんとなく分かりますよ」
魔術師という存在は一般人や亜人から見ても、決して手放しでもてはやされるような存在ではない。人間、亜人、魔術師というように世間ではもう一つのカテゴリーとして扱われている。
優華のような【血統持ち】やソラのように人間離れした身体能力を持つ者、朝斗のように簡易的な術式でさえ破格の威力を持っている者。総じて魔術師という存在は人間の枠を理解と常識という点から大きく逸脱している。先の戦闘で朝斗が垣間見せた逸脱した精神が正にソレだろう。
そして人間は当たり前のように、自分達が理解できない存在を虐げるものだ。であれば、魔術という普通の人には理解されがたい在り方をした人達がどうなるかは火を見るよりも明らかで、同時に無くてはならない存在でもある。
技術の発展や軍事力の拡大、そういったメリットも勿論含まれている。だが魔術師の存在は目に見えない部分のメリットの方が大きい。
「魔術師という異端は人の心を忘れてはいけない。また自分が異端であることを認めなければならない…」
「へぇ……そりゃこの学院の古い言葉だ。よく知ってたな?」
「俺の親父がよく言ってたんスよ。魔術師だったんで」
トレイを片付けて、優華を待つために先に廊下へ出て朝斗と並び立つ。
人間と亜人という根底から異なる種族がどうして今なお平和的に手を繋げているのか、それは共通した敵がいるからに他ならない。意思が合致していれば種族が異なろうとも団結出来るのが生物の特権だ。
感情の差異はあれど、魔術師という存在を槍玉にあげることで、彼らは傷付き合わず理解する方向へと傾いている。
普通の人間ならば好んで嫌われるような立場にはならないだろう。だからこそ、魔術師を目指す者は異端であると自身を認め、人の心を忘れないようにと楔を言葉にした。
「俺の尊敬する先輩もそれが口癖だったよ。お前の親父さん、良い魔術師だな」
どこか遠くを見つめるように、感慨深く言う朝斗に視線を向ける。もしかしたら、父親の事を知っているかもしれないという希望が湧いたが、朝斗の顔を見てソラは開いた口を閉ざした。
眉根を寄せて、まつ毛を震わせて、今にも泣きそうな顔をしていたから。
「……ん?悪い悪い、心配させたか。魔術師って奴はどうにも繋がりに執着しない奴らばっかりでな……俺の先輩も連絡付かなくなってからもう五年だ。今頃どうしてんのかと思ってよ」
「うわっ、ちょっ!?」
ソラの頭を乱暴に撫でまわして、朝斗は軽快に笑う。
首を突っ込むな、と言っておきながら自分は分かりやすく線引きをしてくれるのだから優しいものだ、とソラは思う。たった数時間で垣間見た朝斗の人間性は、その優しさ故に魔術師らしくないとも取れた。
食堂から出てきた優華がわしゃわしゃと頭を撫でくり回される二人を見て、
「またじゃれあってる……先生も教師としての自覚を持って節度を保たないと、舐められますよ?」
「いいんだよ、俺はこれで。そんじゃあ行くぞ」
「さっき言ってた楽しいところっスか……」
そう、と人差し指を立てて杖のようにくるくると回した朝斗は得意気に行先を告げる。
「向かうは【東の庭】が誇る領地……ベリウスの大森林だ」