第ニ章22話 危険信号
「はっ……はぁ……病み上がりだってのにさ、走ってばっかりだちくしょう!」
城の中の通路を走り続けるウィルが息を切らしながら愚痴を零した。傍らに並走するハンプティ・ダンプティは顔面のみならず身体中を汗まみれにして必死の形相でウィルについていく。
二人の後ろを追いかけるのは禍々しい姿をした鬼の軍勢だ。中央広場で戦っていた二人が蛍火を見て腰を落としたのも束の間、トランプ兵が魔力の残滓となって消えたかと思えば森の方から鬼の軍勢が攻め込んできたのだ。
狙い澄ました攻勢に飛び上がった二人はしばし抵抗するが、押し寄せる大群を見た二人は戦力差を垣間見て撤退を選択し、負傷した仲間と合流して逃げる為に城まで走りこんだ。
「ええい、吾輩の杖があればすぐにでも転移で逃げれるというのに!イチかバチか……」
「オイ、何してんのさ!?」
走ってる途中でいきなり反転したハンプティ・ダンプティがバッ!と両手を広げ、魔力を圧縮すると彼の全面の空間が歪み始める。鬼が丸太のような腕を振り下ろした瞬間、「イッツショータァイム!」と叫ぶと暴風が吹き荒れた。
一体の鬼が盛大に吹き飛んだが、横から抜けてきた一体の鬼がゴミを払うように腕を振るう。メキッ、とハンプティ・ダンプティの身体がその威力に横へと歪み遅れてきた破壊力によって盛大に壁へと叩きつけられた。
全身から血を噴き出して倒されたハンプティ・ダンプティが意識を失い、後列の鬼が再び進軍を開始する。「チィッ!」と盛大に舌打ちを吐き捨てたウィルが靴底を擦って反転、追いかけてくる鬼と相対すると内ポケットから三枚の木札を取り出して構える。
「ウーノ、ドゥーエ、トレ!」
声に合わせてへし折った木札を投げつけ、木札に込められた魔術が暴発する。
床が変形して盛り上がり中途半端な壁となると一瞬だけ鬼達の足が阻まれ、突っ込んでくる鬼達が渋滞したど真ん中に圧縮された風の球が生成される。そして風の球の内側に内包された三つ目の火属性魔術が大量の空気を媒介にドォン!と盛大な爆発を引き起こした。
「グォオオオオオオオオッ!?」
リモコン爆弾のような魔術コンボに鬼達が苦痛の声を上げ、一気に魔力を消費したウィルがフラついて膝を付いた。
そもそも、中央広場で大立ち回りした後だ。ただでさえ疲労困憊で魔力も残りカスしか残っていなかったものを絞り出したせいか、ウィルの身体がとうとう限界を迎えた。床についた手は情けなく震え、立つ気力すら湧かない。これでダメなら――――
「グルルル……ガァアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「クソッタレ……!」
――――もう打つ手がない。
半身が焼けただれた鬼が崩れ落ちて倒れ、後列から出てきた鬼が同胞を殺された恨みで吠え猛る。血の滴る牙を鳴らして、ウィルの脳髄を啜ろうと大口を開けた顎が振り下ろされた。
寸での所で身体を転がして避けるが、牙の掠めた二の腕の肉が抉り取られウィルが激痛にうめき声を上げて腕を抑える。痛みに気を取られた一瞬、転がった先を拳で掬い上げられズガンッ!と壁に叩きつけられ、激しく打ち付けられた衝撃で額が切れたのか左目の視界が真っ赤に染まっていく。
「(やべぇ、血ぃ流し過ぎたさ……目も霞んできやがったちくしょう)」
壁に背を預けて倒れ伏すウィルの眼前、鬼達が怒り心頭といった足取りで並び立つ。視界の端ではハンプティ・ダンプティが玩具のように摘まみ上げられ、今まさに喰われようとしていた。絶望の情景を見たウィルは震える手を動かし、腹を空かせて歯をカチカチ鳴らしている醜い鬼達に中指を立てて睨みつける。
「腹下しちまえ、クソッタレの鬼野郎共」
「グルァアアアアアアアアアッ!!」
今わの際に吐き出した罵倒を合図に、文字通り鬼が一斉に牙を剥いた。走馬灯のせいか、牙が届くまでの数舜がウィルにとっては時間がゆっくりと流れる感覚へと変貌していく。コンマ数秒、極限まで圧縮された時間密度はウィルが目を閉じるには十分過ぎる時間を与えてくれた。
「(……約束、守れなかった。ごめんな)」
閉じた目の先で浮かぶのは生まれ故郷に隣する海岸を窓から眺められる部屋で、ベッドから身を起こして本を読んでいる病弱な少女。透き通るような銀髪を二つ結びにした少女と交わしたとある約束が、あと数秒で消え去ってしまう事にウィルは歯を噛み締める。
負けた事が悔しいのではない。死ぬ事が怖いのではない。ただ、彼女との約束を破ってしまう事だけが、死ぬ事よりも痛いだけだった。
願わくば――――誰かが彼女に、手を差し伸べてくれる事を祈って。
「邪魔だギャ」
轟ッ!!と鼓膜が破れかけるほどの破砕音が響き渡った。突然の事態に目を見開いたウィルは目の前にいたはずの鬼達が膝から上をごっそり綺麗に抉り取られている光景を目の当たりにする。恐る恐る左右を見れば、鬼達だけでなく城を端から端まで貫通している巨大な穴が空いていた。少しでもズレていれば、自分自身も丸ごと消し飛んでいたかもしれないと思いウィルは身震いする。
何が起こったのか?フラつく足を奮い立たせて抉り取られた穴に顔を出せば、数十メートル離れた城の入口側に髪の長いシルエットが見えた。
遠くてもハッキリと見える赤くてボサボサの長い髪、突き出した拳は火の粉が舞い、それを煩わしそうに振り払うとウィルに気付いたのか呑気に手を振ってくる。
「おー、居たギャ。これで全部ギャ?アホ猫」
「ミーはアホじゃないニャー!でもでもこれで全員の筈ニャー?オスなのにメスなのが一匹、つまんなそうな黄色が一匹、紫頭と……あ、赤い奴がいないニャー」
「探してるのはその赤い奴だって言ってるギャ!適当な事ばっか言って……燃やされたいのギャ!?」
「落ち着いて頂きたい、バハムートよ。その猫はアホで人をおちょくる事しかできないバカなのです、私が説明するので奴は無視して頂いて構わない」
フシャー!と猫の怒った鳴き声が聞こえてくる。乾いた笑みで手を振り返しながらウィルがシルエット――――ムートに合流すると何ともファンシーな状態で口喧嘩をしていた。
頭の上には紫色とピンク色の縞々模様のすらりとした小さな猫、包帯でぐるぐる巻きにされ赤ん坊のように背中に固定された芋虫のようなぬいぐるみっぽい生き物、そして噂では聞いていた人型のムートはギリギリまで攻めたホットパンツにTシャツの裾を結んだ夏に見かけるギャルのような服装だ。
傍から見ればこの上なくシュールなのだが、助けて貰った手前笑うのも忍びないのでウィルは目を逸らしてぬいぐるみっぽい芋虫に目を向ける。
「状況が飲み込めていない、という顔だな。私はホーンズ、結論から言おう。この国に迷い込んだ学院の者……一部を除いた負傷者は全て私の隠れ家に避難させた。残るは貴様と赤い髪の男、チェシャ猫を襲った二人組のみだ。分かったか馬鹿め」
「状況説明ありがとうでもなんでいきなり罵倒されてるんさ!?あででで……!」
「アホのチェシャ猫と気が合うらしい貴様もアホなのだろう。簡単な推測だ馬鹿め」
「くじになってもソラが帰ってこないからアオイと遊んでたらこのアホ猫が来て、助けてくれって言うからソラを探すついでに来たギャ。私は偉大なる龍の始祖、バハムートだから助けを求められたら助けるのギャ!」
ムフー!と自慢げに大きな胸を張るムートを見て、訝しげに眉を顰めたウィルが流れるように芋虫を見ればそっぽを向かれた。おそらく無理矢理連れてこられたムートを芋虫が口八丁手八丁で丸め込んだのだろう。
ともあれ、危機一髪の所で助かったので「ワッハッハッハ!」とガキ大将ばりに笑うムートに見えないよう芋虫にサムズアップすれば同じく親指を立てて応えてくれた。ぬいぐるみっぽい手なのにどうやってるのかは気にしない。
「そうだ、ヒゲ男爵は……!?」
「……呼んだかね、紫の君ッ!!」
勢いのある声が響き渡るが、辺りを見渡してもあのヒゲ男の姿はない。疑問符を浮かべて全員が首を傾げれば、突然ウィルの制服のポケットが暴れ始めた。
慌ててブレザーを脱ぎ、遠ざけるようにブレザーを掲げるが待てども待てども右ポケットで暴れたまま出てくる気配がない。
「ちょ、あの、頭がつっかかって……!?」
「何してんのさお前」
「ぶふぉ!?ナイスだ紫の君!よくぞ吾輩に気付いた!!」
「いやお前「呼んだかね」って言ってたじゃん、アホか」
ポケットに引っかかっていたハンプティ・ダンプティを引きずり出してみれば、これまたぬいぐるみっぽい卵の妖精のようなものが出てきた。目と鼻がついており、ご丁寧に鼻の下にはちょびヒゲ、ぬいぐるみのような手足。ハンプティ・ダンプティと聞いたら想像する卵の生き物にちょびヒゲの生えた変な生き物を摘まんだままウィルは薄目で凝視する。
「そういやお前さ、さっき「イチかバチか」とか言って特攻してったよな?まさかこうやって逃げられるからやったんか??」
「あ、いや、吾輩が足止めしてる間に紫の君が地の果てまで逃げてくれると思って、あの、はい、苦渋の決断で、ダンディーな姿を捨てて、その逃げ込んだのであるが……」
「だったら最初からそう言えさ!?お前が勝手に特攻したせいでこっちまで死にかけてんだぞコラァ!!」
キレたウィルが摘まんだハンプティ・ダンプティをブンブンと振り回し、気が済んだのかムートに投げ渡すと鷲掴みにキャッチされ目を回したハンプティ・ダンプティが今にも吐きそうな顔色でぐったりとする。
「リョーチョー、ソラを探すから手伝えギャ。サッサと帰っておやつにするんだギャ」
「…………お前、すげぇな。この状況でも唯我独尊過ぎるさ」
「ゆいギャどくそ?よくわからないギャ、此処にきてようやくソラがどの辺にいるのかなんとなく分かるようになったギャ。多分あっち」
ムートの指差した方角は城でもなく、裏手側の鬱蒼とした森の中だ。最後にソラを見たのは城の上階、そこからどうしてそんな所にいるのか全く予想がつかないがムートがそう言うのであればそうなのだろう。
ムートが手に持ったハンプティ・ダンプティを背中のホーンズの隣に無理矢理差し込むと露骨に嫌な顔したホーンズがグイグイと遠ざける。
「曖昧過ぎるだろ……あっちって言っても森しかねぇさ」
「私が力を使えるって事はソラへの加護が途切れてるって事ギャ。加護が途切れた場所が大体あの辺ギャ」
「加護が……って、先にそれを言えさ!急いで助けに……おぐぅ!?」
ガシィッ!とウィルの脇腹がムートに掴まれ、抱えられるような形で軽々と持ち上げられた。嫌な予感がして血の気が引いていくウィルがムートを見上げると、首を鳴らして大きく息を吸い込んだ。
瞬間、ドンッ!!と地面に亀裂が走るほどの脚力を速度に変えて、空気の壁に押し負けたウィルの身体が一気にのけ反った。顔の皮が剝がれそうな程の速さで文字通り飛ぶように、森の木々さえもなぎ倒して一直線に突き進む様は正に龍が如し。
「あばばばっばばば折れる折れる折れる、首が折れるってぇええええええええ!?」
「うるさい奴だギャ、ちょっとは我慢するギャ」
「無理無理無理無理、全身の骨がヤバイ方向に行こうとしてるんさ!!ちょっと、速度落とし……ごふぁっ!?」
「ギャ?静かになったギャ」
ゴキンッ!と嫌な音を聞いたチェシャ猫達がウィルを見れば、顔を真っ青にして口から魂が出かかっている瀕死の状態だ。チェシャ猫が尻尾を伸ばしてウィルの身体に光魔術を施しながら、ムートの大行軍は止まることなく続く。
――――ムート達が走り去った後の巨大な穴に、ひょっこりと顔を出す男がいた。
「……イジられる星の下にでも生まれたのかねぇ、寮長は。今回ばかりは流石に同情しておくわ」
神楽が走り去った先へ合掌し、ムートがなぎ倒していって出来た道を追おうと走り出した瞬間。
ゾワッ!!と全身が総毛だつほどの殺気が神楽を襲った。それは無数の剣に刺されたように精神を抉り、身体中の危険信号が焼き切れるほどの圧倒的な威圧感。
魔術を詠唱しながら即座に反転した神楽は、背後に居る存在に目を見開く。
「オイオイ……これが、運命ってやつかよ。熱い展開になってきたなぁ……!」
「……アンタは相変わらずだね。それで、あの赤い子は?」
鋼のような銀色の髪をした目の前の人物が、宝石のように蒼い瞳を引き絞って問い掛ける。
数多の国を救ってきた【英雄】と呼ばれる少女が、空気を切り裂くように一人の少年を名を口にした。
「――――バハムートの加護を不当に利用している、不知火 ソラは何処にいる」




