第ニ章18話 双子の忌み子は世界に求める
――――…
――――あぁ。世界はなんてつまらないのか。
「……キ……ヅキ、ハヅキッ!」
「坊ちゃん、早くお嬢様とお逃げ下さい!私共ではもう持ちませ……ぐぉおおおおっ!?」
赤、赤、赤。視界一杯に広がる赤一色の世界。けたたましい怒号と絶叫に目を覚ませば、目の前に広がるのはそんな世界だった。
一面の雪景色の奥の奥、大自然に囲まれた人の寄り付かない山奥の大きな古い屋敷。誰も知らない筈のその屋敷に今は火の手が回り、あたしを起こそうと双子の兄が涙を流しながら叫んでいる。執事が抑えていた扉は刃物が突き出し、暴力と熱で執事の身体が貫かれていく。
簡単なことだ。私達の家系が魔術師だったから、こうなった。
「お、にい、ちゃ……」
「ハヅキ、よかった……逃げるんだ、無理するけど我慢するんだ」
こくり、と頷くとお兄ちゃんが誰かを呼ぶ。急いで駆け寄ってきたのはこの国じゃあまり見ない綺麗な黒髪に金のメッシュを入れた、真紅の瞳が特徴的なあたし達二人の付き人だ。ゆっくりと抱き上げられて、揺れた頭からひどい痛みがして、思わず顔を歪めれば彼は心配そうに眉を顰める。あたし達は悪くない、と宥めるように。
なんて、不合理なんだろう。
「ハイ……ヴ?」
「ご安心を。お兄さんが守って見せますよ、ハヅキ様。ユウ様、行きましょう」
屋敷の隠し通路に身を潜らせて、あたし達は別の部屋へと抜ける。火の手が回っているからか、暴動を起こした人達はいなかった。絨毯は焼け、壁が燃えて、あたし達の屋敷での記憶が炎で埋め尽くされていく。
なんて、理不尽なんだろう。
「カリーナ……メルゥ……ザイネス……」
身を隠しながら通った通路には、仲の良かったメイドや使用人達が転がっていた。誰もかれもが無残な死に顔で、朧げな視界でも目に焼き付いている。
カリーナはよく一緒にお人形遊びをしてくれた。メルゥはせっかく掃除した屋敷をあたしとお兄ちゃんが汚すからよく怒ってた。ザイネスの作るクッキーは見たことない形ばかりで、毎日がすごく楽しみだった。
みんな、死んだ。
「うぶ、おっ、げぇ……!」
「ユウ様、彼等の為にも生き延びなければなりません……涙は、後で取っておくのです」
「わ、がっでる。うぐ、分かっで、るよ……!」
通路を抜けて、お父様とお母様の寝室へと走る。暖炉の裏に隠し通路があるからだ。あたしとお兄ちゃんはよくお勉強の時間にそこから抜け出して、こっそり山で遊んでいた。それが、いけなかったんだと思う。
生まれた時から、あたし達はお父様とお母様に「私達は特別な加護を持っている。だから人に見つかっちゃいけないよ」と言われてきた。気になったあたし達は色んな知識を沢山持ってるハイヴにせがんで教えてもらったけど、よく分からなかった。分かったのは加護の力が凄いことだけだ。
そんなお父様もお母様も、今目の前に転がってる。優しいお父様は何処からかやってきた人達と言い争って、あたしの前で殺された。お母様はあたしを庇っていっぱい蹴られたり刺されたりした。後からやってきたハイヴとお兄ちゃんが助けてくれなかったら、あたしもお母様と一緒に死んでたかもしれない。
みんな、燃やされていく。
「…………行きましょう、ユウ様。その暖炉の奥です」
あたし達が、お父様の言いつけを守らなかったから。あたし達が、お母様との約束をちゃんと守っていれば。こんな事にならなかったかもしれない。あたし達が山で遊んだりしなければ、誰かに見つかってお父様やお母様達が死ななくて済んだのかもしれない。
分からない。もう分かりたくない。
「このまま抜ければ、麓の方へ出れます。幸いにも麓の村には知り合いがいるので、数日は匿ってもらえるはず……」
凍えるような雪の中、大きな崩れる音がした。屋敷が燃え崩れたみたいだ。ギリッ、と苦々しい表情でハイヴが歯を噛み締める音が聞こえるほど、辺りは静かだった。ハイヴが、異変に気付くまでは。
絶望に、心が麻痺していく。
「あいつら、なんで此処が……ユウ様、ハヅキ様をお願いします。ユウ様はお兄ちゃんだから、大丈夫ですよね?」
「ハイヴ……イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだッ!なんで、ハイヴまで……!!」
「ユウ様……涙を拭って、前を向け。歩き続けろ。――――旦那様達からの言伝をお伝えします。それを胸に、生き延びて下さい」
お兄ちゃんに預けられたあたしに、優しい光が灯る。頭の痛みが引いていって、光魔術の癒しだと分かると急に眠気が襲ってきた。そして、お兄ちゃんにはある首飾りを渡してハイヴが立ち上がる。行かないで、と出ていかなかった声と共に手を伸ばしたら、優しく頭を撫でられた。視界が暗くなっていく。
分からない。分からない分からない。
「いたぞ!屋敷の奴だ!」
「こいつも加護の力を持った災厄の者かもしれない!殺せぇ!!」
「うぉおおおおあああああああああッ!!」
雄叫びが聞こえる。怒号が聞こえる。ハイヴの悲痛な叫びが、お兄ちゃんの涙声が聞こえる。もう分からない。ただ生きていただけなのに、ただ笑っていただけなのに、どうしてこんなに苦しまなきゃいけないのか、分からない。
なんで、生きてちゃいけないの?
「絶対、生ぎ延びて、やる……父さんと、母さんと、ハイヴ達の為にも……ぜっだい、生ぎてやるッ!!」
お兄ちゃんが、血の涙を流しながら呪いのように叫んだ。お兄ちゃんの体温を感じながら最後に見た光景は、真紅の炎に包まれた私達の屋敷が、燃え尽きた情景だった。
そうしてあたしは眠りに落ちる。まるで悪い夢を覚ますように、悪い夢のような世界から逃げるように。
この灰色になった世界を、歩き続けなきゃいけないなんて――――
――――…
「……なんデ、神様は――――あたシ達に、その力をくレなかっタの」
異形の爪が振り下ろされる。風を切って、自分の血だまりに沈むソラへと真っ直ぐに。
加護の力があったから、ハヅキ達は忌み子へと堕ちていった。それを最初に生み出した龍であるバハムートを憎み、絶望に抗う力であった加護の力を与えられなかった双子は神と自身さえも恨み、歪んでしまった。
ガギィンッ!と激しい音が鳴り響く。動けない筈のソラに、自分の爪が止められたことが理解できずハヅキは目を見開いて固まってしまう。
「お前が、絶望したのは、分かった……心が張り裂けそうな、痛みを、抱えてるのも、分かった」
「バハムートの、チから……っ!?」
「そういや風吹の時も、見えちまってたな……」
爪を弾き、嫌悪感を丸出しにしながらハヅキは勢いよく距離を取る。ふらふらと覚束ない足取りで切り裂かれた腹を抑えながら立ち上がったソラは、荒い息を吐き出して顔を上げる。
その瞳には、光が宿っていた。その様は先程の風吹と同じ目をしており、死という恐怖を前にして曇らない瞳を見たハヅキは歯ぎしりする。
ありえない、立てるはずがない。死にかけたはずのなのに、何故まだ立ち上がるのか。何故まだ立ち上がれるのか。
「人ノ心を覗キ見るなんて、正ニ醜悪のチからだね加護ってやツは!そんなもノがあるかラ、あたシみたいな化け物が生まレたんだ!!」
「…………」
「生きる力モ、抗ウ力もない子供がどうやって生き延ビたと思う?あたシはお兄ちゃンと違っテ何もなカった、だから魔族のちカらを手に入レた!この醜い身体モ、傷付ける事しカできないこの爪モ、ぜンぶゼんぶぜんブ!!」
涙を流しながら、感情の爆発に合わせてハヅキを覆う魔神の黒い魔力が膨れ上がる。同時にハヅキの身体の異形化が進み、手足は竜のようになり、竜人族に悪魔を混ぜたような姿に変わっていく。
「この爪モ、こノ翼も、ぜンぶお前達のせイだ!あたし達は、もウあノ時のよウにはならナい!突き刺シて、引キ裂イて、潰しテやる!あたし達ノ日常がそうサレたようにッ!!」
なんて、痛ましい。
ソラの心に湧いたのはそんな言葉だった。仲間達を、この国を傷付けたハヅキは確かに許せない。だけどそれ以上に、今もなお自分の無力を呪い続ける幼い少女に涙が溢れそうになる。
失うことの痛みを、奪われることの恐怖を、色褪せた灰色の世界に生きることの絶望を、この少女は知ってしまった。胸を締め付けられる慟哭に、ソラは胸を強く握る。
「…………怖いよな、その世界は」
「知っタ風なコとを……!!」
「知ってるよ。色の無い世界じゃ、自分の目に映るのはただの映像で、温もりも冷たさも、心地よさもない……感じられないんだ。まるで自分だけ世界から弾き出されたみたいに。黒い感情ばっかり目について、それに囚われちまうことも知ってる」
「うルサい、うルさいウるさイうるサいッ!!」
ハヅキの激情に呼応して異形の爪が再生し、横薙ぎに振るわれる。轟ッ!と風を巻き起こしながら叩きつけられた爪をソラは魔装で受け止め、耳をつんざく金属音が鳴り響いた。不覚にも先程の一撃で魔装は切り裂けないと分かってしまった脅威の爪だが、感情のままになおもソラを引き裂こうとギチギチと音を鳴らしながら力で押し付けられる。
さっきまでの戦略的な戦いが嘘のようだ。感情に任せて、荒ぶる心の制御も分からずに、ただただ暴れている。それもそうだ。なんせ目の前の少女は自分より年下の子供なのだから。
だからこうやって、真っ向から受け止めてやれる。
「俺にとって、加護の力は大事な家族との繋がりなんだ。この力があったから、俺は大事な事を見失わずにいられた。大切な人達と知り合えた。誰かの為に、手を差し伸べてこれた」
「だカらなンだ!あたシは、そのちカらのせイでこんナ身体になっタのに!こんなに苦シんでルのに!だから、だっタら――――なンであの時、神様はあたシ達を助けテくれなかったのッ!!」
神の加護は望む望まずに関係なく、神の気まぐれで与えられる。潜在的魔力が優れている者、肉体や血統が優れている者、容姿が優れている者。神の好みによって千差万別だ。
しかし、世界とは得てして不条理だ。不幸に見舞われた者には更なる苦難が訪れ、辛苦には更なる困難が訪れる。
神はかつて、こう言った。生きとし生けるモノの全ては、死に近付いた時こそ、その魂を美しく輝かせる、と。
だが、不知火 ソラは神の言葉に否と首を振った。
「だから、お前にも手を差し伸べるよ。お前の大嫌いな力で、お前を救ってみせる。お前の灰色の世界に――――俺を救ってくれた、道標となってくれた夜空を描いてやる」
数々の苦難や不幸、絶望が神からの試練だと言うならば――――知ったことか、とソラは手を差し伸べる。
燃えるような強い意志を宿した瞳に気圧されて、ハヅキは爪を勢いよく弾いて距離を取った。
瞬間、城が大きな地震に揺れる。ゴゴゴゴッ!と轟音を伴って揺れる城はまるで胎動のように蠢き、小さく笑ったソラが右手を前に突き出し、左手を添えて静止する。
この地震は、神楽が楔を壊してくれた音だろう。眼下に大きな庭ではウィルとハンプティ・ダンプティが大立ち回りしてトランプ兵達の進軍を食い止めてくれている。風吹と優華も、この国の民の為に戦ってくれた。
ならば、自分も応えたい。目の前の少女を救うことで。
「遅くなって悪い……だから、今からお前を助けるよ。そんな灰色の世界なんて、俺がぶっ壊してやる!」
轟ッ!と唐突にソラの身体から魔力が溢れ出した。まるで栓をしていた蛇口が壊れたかのように、噴き出した膨大な魔力がバハムートの加護によって赤く染まり右腕に集約していく。伴って、龍の雄叫びが木魂すると吸収された膨大な魔力によって魔装の形状が変化した。
右腕の魔装が腕を伝って、左腕にも装着される。指先はより鋭利になり、龍の腕を武具化したような両腕の新たな魔装は真紅の炎を迸らせた。
「第二ラウンドだ。もう泣くのはやめて、上を見ろ。お前の空は――――灰色なんかじゃねぇ!!」
鮮やかな紅色に染まったソラの瞳が闘志を燃やして叫ぶ。轟ッ!と呼応して吹きあがる真紅の炎を携えて、拳を強く握りしめる。
涙を零すか弱い少女を救う為に、悪しき魔力を浄化する為に。




