第ニ章12話 マイ・フレンド
「既視感?」
「うん。胸がザワザワするというか、嫌な感情を駆り立てられるというか……僕がロレナと一緒に感じていた気持ち悪い感覚をハッタちゃんからも感じたんだ。二人は?」
「……我々は感じなかったな。風吹君は、ハッタが暴走した原因はそれだと言うんだな?」
うん、と頷いた風吹はイカれた帽子屋との戦いを振り返る。対峙した彼女からは肌がピリつくような嫌な感覚がずっと風吹に刺さっていた。その感覚はかつてロレナの内で長い間苛まれていた負の感情だ。それによって風吹は心を砕き、肩代わりしたロレナの魂さえも蝕んでいった。
一言で言うならば、悪辣で非人道的な悪霊が憑り付いていたような感覚だ。苦い顔で顎を擦るホーンズが重々しい声色でポツリと呟いた。
「やはり、あの時か……」
「あの時ってなによ。あの子に……いえ、貴方達に何があったの」
語気の強い言葉に頭を上げたホーンズを、優華と風吹の力強い眼差しが射抜いた。逡巡し、頭の中を駆け巡る仲間達との思い出が赤黒いモヤに侵されていくイメージ。ほんの数時間しか共にいない二人に話すワケにはいかないと唇を噛み締めるが、ハッタの最後の言葉が強烈なスパークとなって頭の中で弾けた。
負けないで、と。
「…………突拍子もない、詳しく説明している時間もない。それでも、これから話すことは全て噓偽りの無い真実だと念頭に入れておくがいい」
「何を今更……もう慣れたわよ。こんな摩訶不思議な国だもの」
「お願いします、ホーンズさん」
二人の覚悟の決まった眼差しが揺るがないことを確認して、足元に散らばっている本を一冊拾い上げる。その本の題名は『竜とクレナイの物語』、魔術師達の間では『クレナイ魔術師』と呼ばれている人類最古にして最初に加護を貰った魔術師だ。正確には魔術を使えなかったそうだが、その強大な加護の力によって迫りくる魔界の軍勢を追い払った伝説は讃えられ、偉大な魔術師の一人として歴史に名を刻んでいる。
「クレナイ魔術師の話は、この童話で知っている程度だと思うが……違うかね?」
「それ以外にクレナイについて描かれている書物はないわよ……そもそも存在したかも怪しいわ」
「僕は読んだことないんだけど……どういうお話なの?」
「どこにでもある英雄譚みたいなものよ。竜に愛された赤い髪の少女が、現行世界を侵略しようとする魔界の軍勢から加護の力と仲間の竜達と一緒に追い払うの。その後は……本では竜達や一緒に戦った亜人達と仲良く暮らしたらしいわ」
ほぇー、と気の抜けた返事をした風吹はホーンズが手に持っているそのクレナイの本を注視する。大きな赤い竜に寄り添われて眠る長く赤い髪をした少女の表紙だ。
眉根を寄せたホーンズは本を風吹に渡すとパラパラと捲り始める。
「……残念だが、真実は違う。魔界の軍勢は追い払ったのではなく、軍勢を押し留めている間に親玉を倒したのだよ。そして、強大過ぎるその親玉はクレナイと竜達の力を以てしても封印する事しか出来なかった」
「ちょっと待ちなさい、なんで貴方がそんな事を知っているのよ」
「言っただろう脳筋女、詳しい説明は省くと。ともかく、その親玉を封印する為に特殊な楔が生み出された。しかし数世紀の時を経て楔は劣化し、奴の封印が綻び始め……この王城は一度、今と同じように悪意に呑まれた。およそ数百年前になるがね」
ページを捲っていた風吹の手が止まる。視界の中を何かが流れていったからだ。
ヒラヒラと舞い落ちていくそれは包帯布のようで、床に落ちたそれを拾い上げると布には鍵の絵が描いてあった。
ホーンズが鍵の描かれた布を拾い上げ、裏側から思い切り叩くとポンッ!とコミカルな音を立てて鍵が現出し、床に弾き飛ばされる。
「この鍵は女王の私室に用意された抜け道の鍵だ。本に囲まれたこの場所が好きだったハッタが、女王を驚かせる為によく抜け道を使っていてな……入出記録が見つからなかった上に、あれだけ派手にやったのだ。そろそろ兵士が飛んでくるだろう」
ホーンズがそう言うと耳を澄ませた風吹はゼピュロスの加護によって遥か遠くの音を拾い上げる。ガシャガシャと鎧を引きずるような音が幾重にも重なってこちらに近付いてきているのを察知して、コクリと頷いて見せた。
身体を這わせて入口から右手側の本棚に近付いたホーンズは最下段の本を適当に引き抜くと鍵穴が現れる。そこへ先程の抜け道の鍵を差し込み、カチリと回すと地震のような振動が三人を揺るがした。
丁度奥川にあった本棚が左右に分かれ、剝き出しになった壁が開かれると古びた匂いが一気に部屋へと充満する。思わず鼻と口を袖で隠した優華が真っ暗闇に包まれているその階段を見上げて「うわっ」と声を上げた。
「……我々が境界にこの国を作ったのは、楔を守る為だ。誰にも悟られず、如何なる者にも気付かれない、場所も時間も狂ったこの国を……全ては、クレナイとの約束の為に」
「……そんな大事なこと、私達が聞いても良かったのかしら」
「構わんよ。どのみちこの国の楔はもう応急処置でしか対処出来ないのでな……この狂乱が終わった所で、いつまた兵士達が暴走するか時間の問題だ」
「…………そうなったら、どうするんですか?」
ホーンズは答えない。部屋に転がっているランタンを拾い上げ、火の魔術で灯りをつけると頭の上に乗せて現れた階段へと身体を潜り込ませる。
優華と風吹は顔を合わせて、遅れないようにホーンズの後に続く。螺旋状になっている階段は老朽化が進み、壁に沿って作られた柵もない階段は緩やかに上へと向かっていた。人一人分の幅しかない階段を踏み壊さないように慎重に登っていく二人は果てしない闇が続いている上を見上げて一抹の不安を抱く。
「我々は、この国以外知らない。チャシャ猫も、白ウサギも、ハンプティ・ダンプティも、私も……女王などもっての外、誰もこの国より外では生きられないだろう」
「そんなこと……!」
「いいんだ、風吹君。歴代の女王が作り上げ、クレナイが愛したこの国と共に在ることが我々の誇りなのだよ……例えそれが、この国と共に朽ちる結果になろうとも」
こちらを向かずに言い放った言葉は酷く重く、二人は瞼を伏せて沈黙する。
ホーンズの覚悟は決まっていた。恐らく何十年も前から、それこそ生まれた時には決まっていたのかもしれない。
摩訶不思議で、デタラメだらけのこの国でも彼らには生活があり交友があり守るべき大切な人や居場所があった。それらが失われる恐怖に日々脅かされながら、彼らは運命の時を待ち受け入れるという。
優華と風吹にはどうすることもできない話だ。仮にも一国の進退の話、二人は成り行きでホーンズと共にいるが元々は神楽を探しに来ただけの学生である。下手に首を突っ込めば当事者達に余計な迷惑にもなるだろう。
二人は沈黙を続ける。掛けるべき言葉も、何も見えないまま暗闇の階段を上り続けた。
――――…
「…………はっ、はぁ……」
「大丈夫かい、ユウ?」
時は戻り、ユウとシエルが鏡送りで連れ去られた頃、彼らは深い森の中で背中を預けあって立っていた。周りにはユウが森の入口付近で出会った鬼のような何かが複数体、周りを囲む形で唸り声を上げながら今にも噛み付こうと機を伺っている。
対してユウとシエルの二人はもう何時間戦っているのかも定かではない。休むことなく湧き続ける鬼、最初は一蹴していた相手でも無限に違い物量には疲労が蓄積し、魔力は枯れていった。
「前衛は僕に任せて、暫く息を整えておくんだ。ユウの銃は魔力を弾丸にしてるんだろ?」
「グルァアアアアアアッ!!」
「あぁ……元々魔力が少ないからさ。コイツに頼らないと戦えない……なんて事にならないよう、にっ!」
突っ込んできた鬼の剛腕を頬に掠めながら、ユウの腕が剛腕を巻き取ると勢いを殺さずに頭から地面に叩き落とした。苦悶の声を上げて沈んだ一体目、二体目が間髪入れずに突っ込んできた所をシエルが前に出て振るわれた剛腕をナイフで斬り飛ばす。
バヅンッ!と腕が吹き飛んだ一瞬の隙を逃さず、靴のかかとに仕込まれたナイフが音を立てて突出するとそのまま振り回して鬼の喉元を引き裂いた。
人を殺す為の体術だ。ユウが教え込まれたのは柔術や合気道に近しい反撃技が多く、反対にシエルの体術は果敢に攻め込んで致命傷を与えることに徹底されている殺人術。その証拠に、シエルは魔力をほとんど温存したまま鬼達の猛攻を捌いていた。
メキメキ、と異音が響くと鬼の甲殻が膨張し、背中の棘を発射しようと低く構える姿がシエルの視界の端に映る。射線はユウの背後、本人は見えておらず迷わずこちらに走りこんでくる。
同時に、シエルの背中を狙った鬼が木の上から爪を振りかぶって飛び降りてきていた。
「お、りゃあっ!」
「しぃ……ッ!」
一瞬の交錯、二人は互いの武器を当たり前のように抜き去り、当たり前のように振るう。
ブチィッ!と腕を斬り裂いたナイフは鮮血を散らし、銃が眩い光を銃口に装填すると一筋の弾丸となって遠い鬼の頭を撃ち抜いた。
余韻もなく、二人は再び交錯するとナイフと銃を手で受け渡して次の獲物に目をギラ付かせて再び背中を合わせた。
まるで長年一緒にいたコンビのような動きだ。ユウとシエルは完璧な連携に高揚感を隠せず、口元に笑みを浮かべて構える。
「(凄いよユウ、大人でさえ僕に付いてこれる人は少ないのに……!)」
「(最高だよシエル、同年代で俺と同じレベルの奴なんて今までいなかった……!)」
今までいなかった、息の合う最高の友を背中に感じながら二人はどちらともなく同時に走り出した。
なりふり構わず迫り来る鬼の大群を前に、丸太のような豪脚を斬り捨て、振るわれた剛腕を撃ち飛ばし、鋭い牙には鉄の刃を、強靭な肉体には弾丸を、暴力の権化を更なる暴力で殴り返して返り血を雨のように浴びる。
横腹を爪が掠め、肉が切れた――――どうでもいい。
身体を叩きつけられ、鼓膜が死んだ――――どうでもいい。
「うぉおおおおおおッ!!」
「あはははははははははッ!!」
二人は雄たけびと狂喜の声を上げる。出会って数時間、たったそれだけの関係だというのにお互いがどう動くのか、何を考えているのか手に取るように分かる。魂で感じられる。
ユウは胸の内で問い掛ける。どこまで行ける?と。
シエルは行動で応える。どこまででも行ける。と。
低く潜り込んだシエルが鬼の足を斬り飛ばし、落ちてきた頭をユウの弾丸が撃ち抜いた。そのまま突っ込むシエルは狂気的な笑みを浮かべたまま瞬間的に振り向き両手のナイフを投擲。背後から迫る鬼の頭に命中すると横から湧いて出た鬼が襲い掛かり、その腹を魔力で強化したユウの足がボキ、ベキ!と粉砕しながら蹴り上げ、右手の銃をしまうと水色の燐光が魔術の発動を知らせた。
釣り上げるように引っ張ったユウの魔術は糸を繋いだようにシエルのナイフを引き寄せ、タイミング良くキャッチするとそのまま入れ替わるように腹を粉砕した鬼の頭にナイフを突き立てる。
十は斬り殺した、二十は撃ち殺した、五十は惨殺し、百ほどの蹂躙をもって鬼達の足が竦み、攻撃が止む。
「はっ……はぁ……んぐ、はぁ……」
「ふっ……ふっ……すぅ、はぁ……」
胸に抱いた高揚感、二人でならどんな敵にも負けない全能感、そして一人では決して得られなかった戦場での安心感。それら全てが、孤独に戦場を生き抜いてきた少年二人に初めて訪れた、同じ年頃であれば誰もが当たり前に知っている関係性。
全身を返り血で染めながら、天を仰いだ二人はこの瞬間――――初めて『友達』を得た。
「…………んっ」
「ふふ……うん」
血に塗れた顔で握り拳をシエルに向けると小さく微笑んで、コツンと拳と拳が合わさる。
耳から垂れてるくる血を不快そうに搔き出してみれば、シエルが光魔術を詠唱して耳の治療を始めてくれた。数分して、トントンと頭を振ってみれば血の塊が転げ落ちてなんとか聞こえるようになり、「サンキュ」と小さく礼を言う。
ズズン!と地面が揺れた。
「ギャギャギャギャギャギャッ!!」
「シエルってどの辺に住んでるんだ?今度遊びにいく……ていうか、姉さん探し手伝うぜ」
「本当?それは助かるな……僕はホテルを転々としてるからこっちから会いにいくよ」
虫のような不愉快な奇声が響き渡り、見上げるほど大きな生物が二人を見下ろしていた。胴体はトカゲ、頭は昆虫のようなギョロギョロとした目玉が二つと鋸のような牙、蝙蝠の羽と三本指の巨大なかぎ爪をした化け物だ。先程の鬼達と比べれば凶悪さは薄いが、それ以上に遥かに気持ち悪さが上回っている。
口から垂れた紫色の涎が木々に落ちると溶けて腐り、異臭が充満していく。ゆっくりと化け物に振り返った二人は言う。
「うるさいトカゲだな……」
「気持ち悪いな……僕達の邪魔をするなよ」
「「殺すよ?」」
同時に言い放つと二人は殺意の籠った眼差しで地を蹴った。異形の化け物など眼中になく、ただ二人で踊る死の舞踊を一秒でも永く楽しみたいが為に。
銃とナイフの鈍い輝きが、偽物の夜空に煌めき続ける。




