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魔術学院のクレナイ魔術師  作者: 芦屋 和希
第ニ章 双子の忌み子
28/42

第ニ章11話 水銀の涙



「わ、わわ……凄い音と振動が……」


「風吹、本に気をつけ……きゃあっ!?」


「わぁああああ!?優華ちゃん大丈夫!?」


 ソラがビショップとの戦いを始めた頃、蔵書室で本を手当たり次第漁っていた風吹と優華、ホーンズは突然の城を揺るがす衝撃に身を竦める。その振動を受けて、頭上の本棚が揺れると辞典並みに分厚い本がドドドッ!と雪崩のように優華に降り注いだ。

 本の雪崩に巻き込まれた優華を見てホーンズが呆れた溜息を吐き捨て、目の前で飲まれていった優華を掻き出そうと風吹は急いで本をどかし始める。


「いったぁ……誰よ、派手にボンボン鳴らしてるのは」


「この爆発のような威力は恐らくビショップだろう。女王直属の配下で、相手を馬鹿にする事に関しては一級品の馬鹿だ。当たった奴は不運だな、馬鹿故に説得どころか会話すらままならないぞ奴は」


 ホーンズはそう言うと興味なさそうに本を捲り続ける。三人は今、この国を混乱に陥れた『アリス』の情報を探る為にこの蔵書室に来ており、二階まで突き抜けた圧倒的な物量の本の海に身を投げ出していた。

 一体どれだけの本を開いたのか数えるのも面倒になる程テーブルに積み上げられた本の塔は先程の揺れで見事に崩れ落ち、優華を助け起こした風吹は爆発音が聞こえる方を向きながら眉を曇らせる。


「……大丈夫、かな」


「ふぅー……他人の心配をしている暇はないぞ、風吹君。『アリス』を突き止め、この馬鹿げた狂乱を終わらせなければ我々とて無事では済まない」


「と、言っても……流石にこれだけの本の中から入出記録を見つけ出すのは骨が折れるわよ……」


「馬鹿め、たったこれだけしかないの間違いだろう。だから脳筋だと言うのだ馬鹿め」


 ビキッ、と青筋がいきり立つ優華をなんとか宥めて風吹は床に落ちてきてしまった本を拾い上げた。上質な赤い革のカバーで保護された分厚い本を手に取ればふとザリザリとした乾いた感触が指先に触れる。

 本を裏返せば、カーブを描いたペンキのような線が走っていた。首を傾げる風吹は似たような革のカバーがされた本がないか辺りを見渡し、ホーンズが積み上げた崩れかけの本の塔下段にそれを見つけると勢い良く引き抜く。


「わぁああああっ!!」


「ちょっと、何遊んでるの風吹?」


 当然、更に崩れた本の塔は風吹の方へと倒れ下敷きにされてしまう。埃が舞い、咳き込みながらどうにか本だけは混ざらないように突き上げるとホーンズは「ふむ」と何かを察したように頷いてみせた。


「その革細工の本だけやけに()()な?それにかなり汚れている」


「ぷはっ……そ、そうなんです。なんか変な汚れが付いてて気になって……」


「ふーん……こっちは『王国の植生』、そっちは『美の探求』ってタイトルね。というか此処の本って無駄な内容が殆どなんだけど、大丈夫なの?」


「半分は外界からの流れ物だ、女王は本という()が大嫌いなのだよ。なので排斥した結果がこの蔵書室でもある」


 へぇ、と大した興味も無くキョロキョロと視線を彷徨わせる優華は丁度似たような本を見つけた。場所は二階側の最上段の本棚だ。助け起こした風吹に指を差して教えてやり、「取ってくるわね」と一言言って足に力を込めると静電気が巻き上がり始める。

 いざ、というタイミングでパチン!と目の前でシャボン玉が割れ、優華が目をぱちくりさせるとわざとらしい呆れた溜息が盛大に吐き出された。シャボン玉で待ったを掛けたホーンズは優華を見下ろしながらキセルを咥え、


「馬鹿め、こんな古紙だらけの燃えやすい場所で火花を散らすな。本が燃えたら我々も丸焦げになって死ぬぞ」


「うっ……わ、悪かったわね」


 ふぅー、と煙を吐き出すとちゃんと非を認めた優華は素直に謝った。しかしそんな事よりもどうするかだ。

 天井付近まで積み上げられた本棚の最上段は高さで言えば二十メートル以上はあるだろうか。確かに優華が電気を纏えばあの瞬足で取って来れるのだろうが、もしもの事を考えると無駄なリスクは負いたくない。どうしたものか、と顎を撫でるホーンズの視界の隅に影が落ちる。

 うねうねと動くその影の方へと目を向ければ、太い茨が蠢いていた。呆気にとられて見つめていると先端部分に風吹が乗っており、目的の本の場所まで伸びていく茨は痛々しい棘だらけで風吹が扱うには些か似つかわしいものだ。


「植物を、操る魔術……血統を重んじる古きハイエルフ一族の秘伝として、存在するのは知っているが……」


「え、そうなんですか?ロレナの作った魔術だから、僕だけしか使えないと思ってましたけど……」


 思わず呟いたホーンズに返事をして、目的の本を引き抜いた風吹は優華の前に降り立つと手伝ってくれた茨を撫でる。まるで意志でも宿っているのか、優しい手つきに嬉しそうに身をくねらせる茨は数秒して急激に枯れていく。どうやらあまり長い時間は扱えないようで、枯れていく茨を悲しそうに眺める風吹は頭を振って切り替えると本を優華に手渡そうと伸ばすが、もはや条件反射のような速度で腕ごと掴まれてしまう。

 首を傾げた風吹は掴まれた腕と優華を交互に見合わせて、


「…………優華ちゃん?」


「……ハッ!あ、えっと、お持ち帰りするわよこの風吹!」


「えっ?僕なんで怒られてるの?」


 血走った目で風吹に言い寄る優華を見かねて、ホーンズはぬいぐるみ型芋虫の身体を見た目通りに這いずらせて机の上に乗るとパカンッ!とキセルで優華の頭を叩き、正気に戻す。

 思ったよりも痛かったのか頭を抱えて蹲ってしまった優華を尻目に、ホーンズは次の本の場所をキセルで指し示す。入口側の二階上段の位置に赤い革の本があり、頷いた風吹は懐から植物の種を取り出して魔術を詠唱、魔力を込めると種から芽が生えて徐々に大きくなり、再び茨に乗って本の場所へと進んでいく。


「はー……はー……あ、危なかったわ。美形に茨、しかし中身は純真無垢……かと思いきやまさかの茨の鞭とか持っちゃうドSな一面を持つ二面性を秘めたギャップの塊、色々捗り過ぎて頭がおかしくなるかと思ったわよ……」


「ギリギリ耐えたような言い草だったが、ほぼ手遅れだったぞ。君の性癖なぞどうでもいいから()()をしたまえ」


「仕事って……」


 ホーンズの含みのある言い草に優華が振り返った瞬間、キセルを口に咥えたホーンズは両手を合わせると魔術が発動する。それは風吹が指し示された場所から本を引き抜いたのと同時だった。

 直後、ボンッ!と引き抜いた本棚の奥から霧のようなモノが吹き出し咄嗟に口を塞いだ風吹だが、高さ十数メートルの宙に身を投げ出されてしまう。


「ま、ずっ――――」


「風よ、我が身に力を!」


 詠唱した優華の身体を取り巻くように風が巻き起こり、浮力を与えられた身体で力強く踏み込んだ優華が文字通り飛ぶように射出されると落下する風吹を抱きかかえ、息つく暇も与えられずに霧が束となって二人を突き刺す。ズドンッ!と本棚を貫通して壁まで破壊した霧の刺突は抱えられた風吹が風を束ねて盾として防いでいた。

 両手を翳した先で逆巻く風は小さな竜巻のような形状をしており、盾ごと風吹と一緒に押し込められている優華は圧迫された肺から短く息を吐き出す。


「か、ふ……っ」


「ごめん、優華ちゃん!すぐにコレどかすから……!」


「っ!だ、め……風吹!」


 優華の制止を聞く前に霧を振り払った風吹はギャリィッ!という()()()()()に目を見開き、その直後振り払われた霧が三つ矛の槍を形取り、明確な殺意を持った武器として再び振るわれた。

 ドンッ!と二度目の鋭い破壊音は壁を串刺しにして砂煙を巻き上げ、隣り合った本棚が破壊力によって崩れて床へと倒れていく。


「……あ、れ?」


「あまり手を焼かせるな、戦うのは君の得意分野だろう脳筋女」


「そうね、悪かったわ。それで?アレは一体何なのかしら」


 刺される瞬間、目を瞑ってしまった風吹が目を開ければホーンズの傍らに移動していた。先程まで自分達が居た場所を見れば三つ矛の槍にシャボン玉の膜が絡まっており、粘ついた膜が壁と槍を接着している。

 いつもならホーンズの悪態に対して怒り心頭になる優華が、そんな事はどうでもいいと言わんばかりの返事をした事にホーンズは笑みを含めて煙を吐き出した。

 風吹を下ろした優華達三人の前、槍から再び霧に戻った金属質な何かは壁から解き放たれると広い部屋の中を壁沿いにぐるぐると回り出し、ノイズのような不快な音が鼓膜を刺激する。


「かつての同僚、と言ったところだ。頭のおかしい猫(チェシャ猫)本を喰い漁る芋虫(ホーンズ)我を忘れた(ハンプティ・)気狂い卵(ダンプティ)心を持たない兎(白ウサギ)……番人と呼ばれる我々四人は、少し前まで()()だったのだよ」


「……なんで、四人になっちゃったんですか?」


「簡単なことだ、奴はこの狂った国ですら持て余すほどに狂ってしまった。我々の声も聞こえなくなるほど、我々の姿も見えなくなるほど……()()()()()()()()()()()。だから女王が封印したのだが……こんな場所に閉じ込められていたとはな」


 部屋の中を飛び回っていた霧が一か所に集まり、三人の斜め前方の宙空で繭のような形を作ると何処から見つけてきたのか古びてボロボロになった懐中時計が縫い付けられたシルクハットがふわりと繭の上に落ちた。帽子を起点に霧の繭は形を取り戻していき、その姿はぶかぶかのシルクハットを被った小さな少女の姿を形作る。

 溶かした鉄のようなメタリックな身体の少女は目を覆い隠してしまう帽子を持ち上げて、ニコリと満面の笑顔を三人に振りまいた。


「赤色と悲鳴が大好物なイカれた帽子屋(マッドハッター)……封印される前はロンドン紳士だとか言う胡散臭い人間の姿をしていた筈だが」


「あたしは帽子屋さん、あなたはだぁれ?好きな色は何色かな?可愛い可愛い帽子に、綺麗な綺麗な色を塗ってあげる。あぁでもごめんね、あたしは()()()に帽子を作らなきゃ。恩返ししなきゃ」


「……恩返し?」


 訝し気に眉を顰めた優華に振り向いたイカれた帽子屋(マッドハッター)は右手を翳すと、溶けた右手が一気に伸びた。触手のように伸びた攻撃に対して瞬時に反応した優華は床を蹴り、机を遮蔽物にして身を隠す。

 続けて左手が風吹に翳されると同時にホーンズがキセルの煙を勢いよく吸い込み、魔術と同時に吐き出すと大量のシャボン玉が部屋中に撒き上がり、伸ばされた左手が異常な弾性を持ったシャボン玉によってドンッ!と天井へと弾き飛ばされた。


「奴の身体を構成するのは()()だ。傷を受ければ神経が麻痺し、受けすぎると体内に侵入されて中毒で死ぬぞ」


「……そうみたいね」


「優華ちゃん、その手……!?」


 先程の攻撃で左手の手首付近を掠めたらしい優華の左手は震えていた。感覚が鈍くなっているのか拳を握ろうとしても反応が数段遅れてやってくるその症状に冷や汗を掻きながら、駆け寄ろうとする風吹へ睨み付けて待ったを掛けた。

 固まっていると危険、という合理的な判断だ。意図を汲み取った風吹は足を止めて、手を身体に巻き戻したイカれた帽子屋(マッドハッター)に向き直る。

 イカれた帽子屋(マッドハッター)は弾かれたのが楽しかったのか部屋を舞うシャボン玉をつついて遊んでいた。


「水銀のスライム、と言ったところだ。脳筋女の電気は相性が悪い上に、流動体だから溶かす為の火も無意味。こんな本だらけの場所で水なども無く、床は石床のせいで土も無い。さて、どうするかね」


「霧になってた事から形状形成も自由自在みたいよね。正直、GDの特殊部隊じゃないと手に負えないレベルよ」


 金属個体であれば溶かせるだけの熱を生み出せる火属性が有効だったが、そもそも身体が水銀で出来ているイカれた帽子屋(マッドハッター)は溶かしたところでまた形を作って終わりだ。水属性で纏めて流そうにも自由自在に身体を弄れるせいで水が混ざる事は無く、フラスコのように閉じ込めようとも土属性は土壌や自然物に対してのみ作用する魔術ばかりで、金属などに関しては失われた錬金術のカテゴリーになってしまい今では扱える魔術師など世界で一握りだ。

 

「……僕、ちょっとやってみるね」


「…………正気かね、風吹君」


 ホーンズがそう確認した意味とは、風属性が一番相性が悪いからだ。身体を霧状化出来るせいで操る風に混ざられたら、それだけで風属性魔術師の武器が全て奪われる事になる。液状化すれば風の刃などの物理攻撃も無意味、無闇たらに風を振るえば透過して魔術師本人が襲われるだろう。

 それでも、唇を引き締めた風吹は覚悟の決まった顔で真っ直ぐにイカれた帽子屋(マッドハッター)を見ていた。


「じゃあ、頼んだわ風吹」


「っ!?風吹君を見殺すというのか脳筋女め!」


「ありがとう優華ちゃん。ホーンズさんは優華ちゃんと、出来れば本棚とかもお願いしますね」


 シャボン玉を払いのけて、風吹は堂々とイカれた帽子屋(マッドハッター)の前に躍り出た。遊んでいて忘れていたのか、思い出したように風吹を見た瞬間に両手をばんざいの形で振り上げるとナイフとフォークの形に変質し、切れ味を確かめるようにこすり合わせて耳障りな金属音を響かせる。

 ギャリンッ!と擦り合わせる嫌な音が終わると同時にイカれた帽子屋(マッドハッター)が両手を同時に振り下ろせば、ドゴンッ!と石床が軽々しく破砕された。しかし、そこに風吹はおらず、イカれた帽子屋(マッドハッター)の背後から優しく肩口に人差し指で触れる。

 直後、轟ッ!と爆風がイカれた帽子屋(マッドハッター)の身体に流し込まれて爆散した。ビチャビチャと身体を構成する水銀が辺り一帯に撒き散らされ、滴る血液のように壁や本棚から垂れ落ちる。


「……貴方それ、生身の人間にも使えたりするわけ?」


「うん?傷口に触れれば多分出来ると思うけど……ここまでしなくても、ちょっと空気を送り込むだけで十分危ないよ」


 眉を曇らせて答える風吹に優華は引きつった顔で「そうね」と返事をする。

 思わぬ結果になったが、ホーンズを見ればこの程度で終わるワケがないと表情が物語っていた。そして、次の瞬間には飛び散った水銀がふるふると震え出し、風吹から距離を取るように反対側の壁の方に水銀が集まって形を整えていく。


「――――あぁ、アリスはどこ?あたしがアリス?いいえ違うの、アリスはあたしに形をくれたの。あたしという帽子(カタチ)をくれたから、綺麗な色を塗らなくちゃ。アリスの好きな好きな……()()()()()()()を」


「風吹君ッ!!」


 先程まで浮かべていた笑みが消え失せたイカれた帽子屋(マッドハッター)は完全に風吹をターゲットにしたようだ。右手を鋸、左手をアイスピックに変えたイカれた帽子屋(マッドハッター)は荒れ狂うように両手を交互に振るい始める。

 風を纏い、無重力状態で宙を舞うように避ける風吹に振り下ろされた鋸がギャリィッ!と石床を切り、アイスピックの刺突は竜巻の盾で受け流すと弾性を持つシャボン玉で覆われた本棚がいとも容易く貫かれた。


「よい、しょっと!」


 流れる身体のままに振りかぶった手の先から風の刃が飛んでいき、イカれた帽子屋(マッドハッター)の左腕が切り離される。しかし瞬時に回復、気にも留めずに振るった右手が轟っ!と風吹ごと二階部分を一掃した。

 スイッチが入ったのだろうか、先程とは余りにも違い過ぎる破壊力に伴って金切声を上げる。


「キャハハハハハハハハッ!」


「違う、こうじゃない。ロレナはもっと……」


 ホーンズは目の前で繰り広げられる乱戦に目を凝らす。

 何かを呟きながら手探りで戦っている様子の風吹に顔を顰めたホーンズはどういう事か優華に聞こうと顔を向けるが、優華は荒い息を吐き出しながら項垂れていた。

 慌てて寄り添ったホーンズは脈を計ろうと触れたぬいぐるみの手が湿った事に驚く。尋常じゃない量の汗と悪くなっていく顔色から、急いで口を塞いでやった。

 その原因は――――


「空気中に、水銀を混ぜ込んでいるのか……実に、奴らしい」


 水銀の毒性は蓄積される事によって発揮される。その為皮膚接触などの毒性は薄いが、呼吸器系から吸収すると毒性が強くこれが長時間続けば様々な中毒症状が現れ、いずれは死に至る。ただ呼吸をするだけで水銀を吸い込んでしまう今の状況では時間の問題だろう。


「時間は掛けられないぞ、風吹君……!」


 シャボン玉を吐き出して優華を包み込み、意味が薄いと知っているホーンズは一抹の希望を、荒れ狂う鋸とアイスピックを相手に舞い続ける彼に託して見上げる。


「イメージ、イメージ……!」


 かつて、風吹の中には希代の天才でもある薬師のロレナがいた。植物の種を発芽させて使役する、字面で言えば酷く地味な印象だが現代の魔術師にとっても異常な事だ。

 まず、魔術によって生きている物を道具のように使役する事はほぼ不可能である。人間であれば尚更、魂への干渉はどんな呪術であろうと神の加護であろうとも許されざる行いであり、無限のパターンによって魂が分かれている為に実質的に成し得ない。こちらも極低確率ではあるが、意識を操る洗脳や特定の感情を増幅させる魔術などの方がよほど実用的に思えるほどの低い確率なのだ。

 しかし、ロレナはこの問題を解決し実際に魔界の植物を使役していた。もしも正当に評価されていたのなら今頃ロレナは現代魔術の権威となり一生を遊んで暮らせただろう偉業である。

 偉大な魔術師にして、風吹の師であるロレナですら単純な方法でしか使いたがらなかった力が風吹の中に残されていた。


「素敵な赤色で綺麗な綺麗な帽子(カタチ)にするの!あぁ、アリスに見せに行かなきゃ!キャハハハハハハハハッ!!」


 イカれた帽子屋(マッドハッター)の左手がアイスピックから巨大なハンマーへと変質し、轟ッ!と一回転して風吹へと叩き付けられると本棚を守っていたシャボン玉ごと壁にめり込まされ、突き抜けた衝撃が口から血を吐き出させる。

 宙を舞う血を手の形に戻した右手で受け止めたイカれた帽子屋(マッドハッター)は伸ばした腕を戻し、頬に擦りつけると口だけが凶悪な笑みを浮かべた。


「げほ、もっと……もっと小さく……」


「もっと、もっとぉ!沢山の絵具をちょうだぁい!」


 ハンマーが再び形を変えて手の形になると風吹を掴み、キャンパスに直接絵具を塗りたくるようにそのまま壁で引きずり回す。耳を覆いたくなる破砕音と共に二階側の本棚を吹き飛ばしなら引きずった手には大量の血で彩られ、ホーンズが「風吹君ッ!」と叫んだ。

 パシュンッ、と。何かが軽く弾ける音がした。


「……あら?あらら?絵具はどこかな??」


 握っていた筈の赤い絵の具――――風吹が手の中から消えている事に気付いたイカれた帽子屋(マッドハッター)は何処に行ったのかと辺りをキョロキョロと見渡す。

 ゾワリッ、と水銀で出来た身体に鳥肌が立った気がした。

 慌てて振り返れば蔵書室の入口側、自分の血が散らばった場所にふらふらと覚束ない状態で立っていた。辛うじて脱出したが満身創痍、風吹の状態は明らかにそう見て取れる。

 なのに、イカれた帽子屋(マッドハッター)の手は、足は、彼に向かおうとしなかった。


「赤い、赤いよ……またこの色だ、僕は、また……違う。()が……」


「風吹君、何をしている!?早く逃げ……っ!?」


 ホーンズが言うよりも早く、ゆらりと手を翳した風吹の手から茨が放たれた。先程の茨とは違い、明確な殺意を持って生み出されたそれはイカれた帽子屋(マッドハッター)の身体を風穴だらけにするが、ニコリと笑ったイカれた帽子屋(マッドハッター)はすぐに別の場所で身体を形成し直す。

 様子のおかしい風吹に危機感を感じたのか、イカれた帽子屋(マッドハッター)は両手を合わせると巨大な剣に変質させるとブオッ!と天井を削りながら真っ直ぐに風吹へと振り下ろした。


「そうか、そうだったね。これは()のだ、僕が()を苦しめてたんだ。思い出したよ……ごめんね、ありがとう(ロレナ)。でももう大丈夫だから、ちゃんと向き合って……」


「キャハハハハハハハハッ!!」


「もう――――()()()()()()


 ギィンッ!と甲高い音が響く。まるで堅い岩に打ち付けたような音は、振り下ろされて風吹の肩に直撃した音だ。水銀とはいえ固体化した巨大な剣だ、断ち切れなくても肩が潰れてなければならない。なのに、風吹は邪魔そうな目線を飛ばすだけでそのまま手を振り上げた。

 バツンッ!とイカれた帽子屋(マッドハッター)の両手が切断され、呆然とするイカれた帽子屋(マッドハッター)は風吹の手を見やる。手には何も握っていない、握っていないが明らかに()()()()()()()

 蔵書室の鍵を断ち切ったあの風の刃、あれが風吹の右手全体を覆うように目に見えるほど圧縮した魔力と共に空気を振動させているのだ。

 風吹の右手が危険だと気付いたイカれた帽子屋(マッドハッター)は後方に飛び退くと切り飛ばされた腕を引き寄せようと切られた腕を向ける。だが、転がった腕は意志に反して動かない。否、動けなくさせられていた。


「なんで、なんでぇ!?あたしの帽子(カタチ)、戻らないぃいいいっ!!」


「あの腕の周囲だけ風を使って空気を薄くして、圧力を掛けてるんだ。空気って、実は結構重いんだよ」


 イカれた帽子屋(マッドハッター)が形取った少女の姿らしく、何度も何度も腕を戻そうと足掻くがその間に風吹がゆっくりと近付いて来る。

 だが、イカれた帽子屋(マッドハッター)は胸の内で口元に凶悪な笑みを浮かべていた。空気中に分散させた霧よりも細かい水銀、合わせて身体を形成する水銀を形状変化させて見えないようにナイフの尻尾を作り上げる。イカれた帽子屋(マッドハッター)は悲鳴が大好物、故に大好物を貪る為のありとあらゆる手段を知っており、実行に移すだけの狡猾さを備えていたせいで女王に何度も怒られたのだから。


「――――っ」


 イカれた帽子屋(マッドハッター)の脳内でノイズが走った。砂嵐の向こう側に見える記憶は色んな姿をした自分が番人の皆と楽しそうにお茶会を開いてる映像だ。何回も、何度でも開いたお茶会に欠席者はいない。

 違う、違うと記憶を振り払うように頭を振ればもうすぐそこまで風吹が来ていた。あと一歩近付いた瞬間に、部屋中からかき集めて作ったこの水銀の尻尾で喉元を一突きにして――――


「――――もう、いいんだよ」


 風吹がそう告げた瞬間、イカれた帽子屋(マッドハッター)は突き出したナイフの尻尾は喉に刺さる一歩手前でピタリと止まった。

 何故か。その答えは、かつて風吹も同じ経験をしたからだ。

 全ての感情が、記憶が、心が、たった一つの醜い想いに支配される恐怖を風吹は知っている。かつて胸の内にいたロレナが、その苦しみに魂すらも摩耗させていたのを風吹は知っている。では、何故この言葉をイカれた帽子屋(マッドハッター)に告げたのか。

 改めて、水銀で構成された少女の顔を見る。口元は笑みを作っているが、眉は八の字を描き出ない涙を流したくて目は歪んでいた。


「あ、あた、あ……た……しぃ……」


「きっと、()()のせいだね。僕とロレナも、そうだったから分かるよ」


「あた、しぃ……もう、戦い……たく、ないぃ……っ!」


 言葉とは裏腹に、身体は風吹を殺そうと震えていた。ギリギリの所で踏みとどまっているイカれた帽子屋(マッドハッター)は狂気に塗れて固定されてしまっていた口をなんとか動かして、自分を分かってくれた風吹に最初で最後の()()()へと誘う。


「楽しい、楽し、い……お茶会を、しよ、う……きらきら、こうもり……おそ、らは、くもり、と、ぶよ、ぼん、ぼん……」


「――――ごめんね」


 そう言って、一歩下がった風吹はイカれた帽子屋(マッドハッター)に手を翳すと風に乗った薄緑色の魔力が少女の身体を球体状に包み込む。何万層も重ね合わせた空気と魔力で出来た球体は鉄以上の硬度を持ち、ナイフの尻尾が何度も打ち付けられるが音すらも聞こえてこない。

 目の前の人間を殺そうと勝手に動く身体に抗って、少女は古びたシルクハットに縫い付けてあった懐中時計を震える手で掴み取ると開いてみる。

 年月だけが過ぎ去り、時だけが止まってしまった懐中時計だ。止まってしまった時は、沢山の仲間に囲まれた一番幸せなお茶会の時間。封印されてからはそれまでの幸せな記憶や想いと共に年月を過ごした少女は、掠れた声でお願いをする。


「ハッタ……!」


「お茶、会は……もう、()()()。皆は、負けない、で……ね……?」


「――――っ」


 愛称で呼んだホーンズに向き直った少女は、ぎこちない本当の笑みを浮かべた。

 ギリッ、と歯を噛み締めた風吹は翳した手を強く握り、球体に魔力を込める。球体内の空気が圧縮に圧縮を重ねて徐々に高温になっていき、中に入っている水銀の少女の身体がプラズマとして電気となり消費されていく。その光景はまるで少女が光の中へと消えていくようで幻想的だった。

 少女が音の無い声で言う。「ありがとう」と。


「……今度は、僕と……僕達とお茶会をしよう、ハッタちゃん」


 震える声で返事をした風吹は流れ落ちる涙を拭って、一際強く手を握ると球体自体が一気に圧縮され、小さな風を起こして空気に溶けて消えていく。

 数秒して、その場に座り込んだ風吹は爪が食い込んで血を流すほどに握り締めていた手を開き、この手が少女を消し去ったのだと改めて実感した瞬間、振り上げて勢い良く床へと振り下ろした。

 バシッ!と。振り下ろした手は床に当たらず、振り上げた状態で誰かに止められてしまう。


「……優華、ちゃん?」


「……腐っても魔術師の家系よ。光魔術の治療でなんとか、症状は抑えられたわ」


 そう言いつつもまだ息が荒い優華は立っているのが辛いのか、風吹の後ろに跪くと風吹の頭を覆い隠すように優しく抱き締めた。


「まだ、ちょっとツライから身体借りるわよ。私からも、ホーンズからも何も見えないわ」


「…………うん。あり、がと……」


「馬鹿ね、困らせてるのは私よ。貴方は好きなようにしてなさい」


 優華の言い様に小さく笑った風吹はそのまま項垂れるとポタリ、と雫の落ちる音がした。慈しむように頭を優しく撫でる優華は目を閉じて、小さく洩れるすすり泣く声と床を濡らしていく涙の音に聞こえないフリをする。

 本来ならば、現代の魔術の物差しで考えるならば絶対に在り得ない。しかし風吹とイカれた帽子屋(マッドハッター)という事例が二つも出てきてしまったせいで、優華の中で生まれた疑問はほとんど確信へと変わる。

 悪意を増幅、又は植え付けて暴走させるような魔術師がいる。自分達の置かれている状況がその魔術師の掌の上かと思うと背筋がゾッとするが、最悪の状況を考えると事態は想像を超えて悪化する。

 人類史上もっとも混迷を極めた魔族陣営と人間と亜人の混合陣営の生存戦争、魔大戦。

 老若男女は夥しい量の血を流し、子供は種族問わずに奴隷愚者(スレイブール)とさせられる、命の価値を失いかけたあの時代が現代に訪れる未来。

 そうなってしまえば、この世界は今度こそ崩壊するだろう。現代には魔大戦を終焉へと導いた七賢者も、四聖(しせい)ですら揃っていないのだから。御伽噺のクレナイでも現れない限り、戦争が勃発してしまえば世界が救われるような奇跡は起きない。

 目の前で起きた助けられなかった死ですら、心が張り裂けそうなくらい涙を流す人がいるというのに。もしもそんな事が起きてしまったら――――


「(私達は、一体何と戦っているの……?)」


 思考を振り払い、今は悲しみに包まれてしまった友人を少しでも癒せるようにと、優しく寄り添い続ける。這い寄り続ける果てしなく深い闇が見えないように、目を瞑って。



 


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