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魔術学院のクレナイ魔術師  作者: 芦屋 和希
第一章 クレナイの兆し
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第一章15話 妖精と小悪魔




「こ、これはもうクリーニングでも駄目そうですね……」


「でっすよねぇ……」


「か、神様のやった事ですから……あ、あまり引きずっても仕方ないと思います、よ?事故にでも合ったものだと、思うしか」


 はぁ、と大きな溜息を零したソラは目の前に広げられているカーペットを眺める。血の跡がくっきりと残っているだけでなく、痛みに呻いたのか所々剥げたりしていて余りにもボロボロだ。こうして優華のお気に入りのカーペットはご臨終となり、八つ当たりでまた何か言われると思うと憂鬱で仕方がない。

 それを察してくれたのか、日南は優しい香りのするマグカップをソラの前に置いていく。中身はホットミルクで、顔を上げてみれば恥ずかしそうにトレイで顔を隠しながらぎこちない笑みを浮かべていた。

 一言お礼を言って、出されたホットミルクに口を付ける。甘い、非常に甘い。角砂糖を十個くらい入れたのかと思うほど甘過ぎるホットミルクにソラは詰まる喉を鳴らして辛うじて飲み込んだ。


「ていうか、ゼピュロスの奴いつの間に帰ったんすか?挨拶くらいしてけばいいのに……」


「えっと、わ、私が保健室に戻ってきた時に、かな?神の座にいる彼等はそもそも、そ、そんなにこっちには居られないんだよ」


 日南曰く、天界と現行世界ではそもそもの世界の作りが違うという。天界に物質は存在出来ないという世界の常識は、日南の解説付きで紐解いてみれば意外と簡単な理由だった。


「て、天界に物質が存在出来ないのは……元々、物質っていう概念が存在しないから、なんだよ」


「え、じゃああいつら何食って生きてんの?霞でも吸ってるんすか?」


「だ、段々神楽君に似てきてるね?か、神様は一種の精神生命体なの。信仰とか、魔力とか、そういった物で存在してるから現行世界に降りてきたら……長くても、三日くらいしかこっちには居られないんだって」


 神楽に似てきた、と言われてソラは心底嫌そうな顔をして息を吐き捨てた。例え友人でもあそこまで人をおちょくるのに特化した人間に似てきたと言われてもあまり嬉しくはない。

 それはそれとして、ゼピュロスが挨拶も無しにいなくなった理由はわかった。あの時はロレナも風吹も心が限界に陥っていた場面だ、無理を通してでも愛し子を救う為に現界したのだろう。その矢先に狂っていたロレナに返り討ちに遭い、ソラ達と出会った。


「本当に感謝する。この恩は西風の神、ゼピュロスの名に置いて我が魂に刻んでおく」


「んえっ?」


「か、彼からの伝言だよ。それとコレを、渡してって頼まれてたから……はい」


 日南から渡されたのは緑色の美しい羽根だ。淡く光るその羽根はまるで風そのものを形として閉じ込めたようで、芸術品のような美しさを感じられる。神楽が見たら目を光らせて飛びついてきそうな代物だ。

 正直ソラには価値が分からない、分からないので首を傾げていると日南が「私も分からないの」と苦笑いを浮かべていた。くれると言うのだから大人しく貰っておくことにしよう。


「あ、あの、身体は大丈夫……かな?」


「あ、はい。風吹から聞いた大怪我も治ってそうすけど……全身がヤバイ筋肉痛に襲われてるくらいっすかね」


「そ、そっか。胸の動悸とか、気持ち悪くなったりとか……()()()()()()()()とかしてない?」


「……いや、別に?」


 真剣な表情で問いかけて来る日南に首を傾げてみれば、心底ホッとしたように胸を撫で下ろしていた。ここまで生徒想いの保健医も中々いないのではないだろうか。朝斗といい日南といい、優しい教師に恵まれた事に少しだけ嬉しくなって、ホットミルクを一気に飲み干した。喉が詰まったのはミルクが甘すぎるせいか、それともこれから問いかける事への不安か。

 ソラが保健室に訪れた理由はカーペットのクリーニングではなく……日南は現行世界への鍵を持ってるのでこっちも本命と言えば本命だが、ソラが聞きたいのはカーペットの話じゃない。

 大怪我を数日で直してしまう、自分の異常さについてだ。


「それで、日南先生……あの……」


「け、怪我のことなら安心して?もう全部治ってると思うし、それは君の加護の力……だと思うから」


 加護の力。その真相は長年連れ添ったソラにすら分からない力だった。神龍バハムートに与えられた加護の力は魔術を物ともしない強固さと大地さえ叩き割る膂力を授けてくれる……だけだと思っていた。それが今回、大怪我をして判明したのが()()()()()()だ。


「た、多分……加護の力で魔力を細胞や骨に置換しているんだと思うの。『龍の血は一滴で豊穣を招き、肉は強靭な身体を作り、牙は鉄さえ引き裂く武具に、鱗はあらゆる魔術を弾く盾となる』っていう……」


「龍が存在していた神話時代のお話っすよね。それってつまり……」


「う、うん。ムートちゃんのおかげだね」


 自分の事のようにムートを褒める日南に釣られて笑みを零して、ソラはカーペットを持って立ち上がる。異常な治癒力は加護の力、つまりはムートのおかげと分かって安堵したのでとりあえずは安心だ。


「で、でも無理はしちゃダメだからね?怪我しないのが一番、だからね?」


「分かってますって。日南先生、治療とか色々お世話になりました……今度差し入れでも持ってきますから、楽しみにしといて下さいっす」


 ニカッと笑顔で応えると、少しだけ寂しそうに手を振ってくれた。保健室を後にして、ソラはカーペットを肩に担いで静まり返った学院の廊下を歩く。

 時刻は午後八時を回り、ようやく身体も筋肉痛に慣れてきた頃だ。優華と風吹は今頃部屋でお茶でもしてるだろう、と思考を巡らせてソラはふと思い出す。


「今朝の夢、何だったんだろうな」


 暗闇の中で空を見上げる赤い髪の少女。今まで現れた事が無かった、夢のようで現実のような世界。そこで交わした言葉をソラはしっかりと覚えているし、光景だって目に焼き付いている。


「暗い暗い空に、紅の星が廻る……か」


 クレナイ魔術師。それはソラが物心付いた時から父親に読み聞かせられた古い童話だ。

 まるで自分の事のように絵本を読み聞かせる父親はとても優しい表情で慈しむように読んでいた。そんな優しい父親と優しいクレナイが好きで、何度も何度も読み返すほどソラはその童話が好きだった。

 本来ならその役割は母親の役割なのだろうが、ソラに母親はいない。正確には、ソラを生んでから間もなく他界したらしい。


『愛したお前を生む為に、お前に全てを託していったんだ。俺も母さんも、お前が世界で一番大切だから』


 子供ながらに聞いた残酷な質問、どうして母親がいないのかという問いに対して返ってきた愛情の籠った言葉。一度は信じ切れずに「捨てられた」と荒れに荒れた時期もあったが、ジゥが正面からぶつかってきて、ムートがどれだけ言っても父親を信じていたから諦めた。諦めることを諦めたんだ。


「そういえばあの時も、おっちゃんにボッコボコにされたけどすぐ治ったな……」


 その後に、今日のような肉パーティーが開かれてその美味さと温かさとしょっぱさを感じた恥ずかしい記憶が駆け巡る。ブンブンと頭を振って恥ずかしさを追い払ったソラは通りかかった中庭を垣間見ると、目を引く存在がそこには立っていた。


「…………銀髪の、妖精?」


 中学生くらいの小柄な体型、男子にしては長く少女にしては短い銀髪を風にゆらして、月の無い空を見上げている。その横顔が美しすぎて胸中で思った言葉がそのまま口から出ていった。

 儚くも美しいその姿は、正に月下の芙蓉のようで視線が吸い込まれていく。

 しかし、ここは魔術学院だ。どんな理由があろうとも部外者は厳罰が下されてしまう。そこまで思い立ったソラは廊下の窓を開けて、カーペットを壁に立て掛けると軋む身体に呻きながらその人物の元へと走り寄る。


「なぁ、お前……迷い込んだのか?学院に勝手に入り込むと怖い先生に怒られるぞ」


「……迷ったといえば、迷ったね。色んな場所に行き過ぎて、あんまり道を覚えられなくなったから」


 空を見上げたまま、その中性的な人物は静かに喋る。静かだけど意思が籠った強い言葉達は一言一句が心に直接響くような音色で、ソラの胸に刻み込まれていく。

 近付けば近付くほどハッキリと見て取れるその姿から、少女だという事が分かった。軍服のような白い上着に同色の短いスカート、肌を隠すように濃いタイツを履いていて、締められているにも関わらず強調する大きな胸。銀髪は左耳に掛けられて、青い薔薇のコサージュで止めておりよくよく見れば女性的に纏まっている。

 しかし、それでも彼女が中性的に見えてしまう理由があった。


「……アンタは、迷ったらどうする?」


 宝石のような蒼い瞳がソラの目を突き刺すように覗き込んできた。これが、中性的に見えてしまう理由だ。

 気配が、立ち方が、存在が、その魂が、そこに居るだけで全てのモノを跪かせる覇気が醸し出されている。それはまるで、君臨する王を目の前にしたかのように、圧倒的な存在感が性別という垣根を越えているからだ。

 少しだけ強張る身体を見て、その女性は目線を外して再び空を見上げた。一瞬の緊張が解かれ、大きく息を吐いたソラは美しい横顔を見つめながら、


「俺は……迷ったら、立ち止まるかもしれねぇ。そんでもって、振り返るんだ」


「そこから、何が見えるの」


「……色んなもんが見えるんじゃないかな。迷いまくっててもいいじゃねぇか。色んなトコ行ってさ、でも全部が自分で選んできた道だから……なんつーか、よくわかんねぇ」


「……そう。アンタ面白いね」


 クスリと笑い流し目でソラを見る女性の見た目に反した妖艶さに今度は違う緊張が走り、隠すように空を見上げる。月も無ければ星座も分からないが、満点の星空が視界一杯に広がる光景は幻想的だ。

 そこで、とうとう身体が悲鳴を上げた。ビキィッ!と身体中に響き渡った幻聴と共に情けなく尻餅を付いたソラに女性は首を傾げる。


「怪我でもしたの」


「ちょっと、色々あって……仲の良い魔女さんが暴走しちゃってさ。身体張って止めたんだよ」


「ふーん……手、貸して」


 震える右手を伸ばせば、女性が跪いて手を握る。触れた矢先に怪訝な表情で手の平を揉んでは手の甲を人差し指でなぞり、くすぐったさから笑いそうになるのを必死で耐えた。

 触れれば触れるほど不思議そうな表情になっていく美人の顔は見ていて飽きないが、それでも気まずさの方が勝ってしまいつい声を掛けてしまう。


「あ~…どういう感じ?っていうか一体何を」


「アンタ、面倒な身体してるね。魔力が全部持って行かれてる……こういう事例は初めてだから、治せない」


「え?全部?全部ってマジで全部なの?それのせいで俺魔術使えないの!?」


「うるさい」


 面倒そうに息を吐き捨てた女性は諦めたのかゆっくりと立ち上がり、ピアスを取り外した。雫の形をした蒼いそれはサファイアのような宝石が嵌め込まれており、ぞんざいにソラの胸元に落とすと慌てて両手で受け皿を作って受け取った。そのせいで身体を支えられなくなり背中から転げてしまったが、女性は見下ろすようにソラの目を覗き込む。


「代わりにあげるよ。貰い物だけど、一年くらい私が持ってたからお守りにはなる」


「ど、どうも?」


「いくら身体を鍛えたところで、加護の反動は魔力無しじゃ消しきれない。身体が分解されなかっただけマシだ……加護の主に感謝しな」


 不穏な事を口走った女性は大きく伸びをする。揺れた大きな果実よりも気になるのは、どうして此処にこの女性がいるのか。雰囲気に飲まれてしまったせいで聞きそびれてしまっていたことを思い出して、ソラは寝転がったまま問いかける。


「結局、迷子なのか?それとも誰かに用があったりとか」


「迷子じゃないし用なら終わった。そろそろ戻らないと怒られるから、私は行くよ」


「ちょ、ちょっと待てって!」


 首を傾げる女性をなんとか引き留めて、ソラは軋む身体を無理に動かすと全力で立ち上がった。足の筋肉が情けなく震えて、伸ばした背筋が反抗的な痛みを訴える。正直に言えばこのまま寝ていたいが、大事なことを聞きそびれてしまっている。


「ぐっ……ぐぎぎ……!い、一個だけ聞かせて、くれ!」


「……根性見せた相手に応えないのは失礼か。なに?」


「名前、教えてくれっ!」


「…………は?」


 無感情な顔で首を傾げた女性に、盛大に滑ったらしいソラは恥ずかしさに顔が熱くなっていく。しかし、言った手前退くことは許されない。見ず知らずの自分の身体を気遣ってくれて、その上お守りまで貰ったのに名前も知らないなんて失礼極まりないだろう。

 こんな形でも、せっかく知り合えたのだから次はちゃんと声を掛けれるように是非とも知っておきたいのだ。

 しばらくの逡巡、後に女性は口を開いた。


「……まだ名乗れない、いや名乗るモノがないんだ。貸してるからね」


「貸してる……名前を?」


 魔術師の世界に置いて、名前を貸すという行為は自分の人生を譲るようなものだ。()()という概念は形を現わし、それだけで存在を証明する標である。

 ロレナが魔女と忌み嫌われていたように、魔女という言葉には魔女狩りや異常な力を持つ人間、呪術を使って人畜に害を成す存在など様々な意味合いが込められており、それらのイメージによって存在の認知が歪められたせいでロレナは狂気に呑まれたのだと神楽は言っていた。

 衆人環視による認知次第で変動してしまうのは神様も同じであり、魔術師にとっても例外ではない。故に魔術師は自身を歪めない為に、あえて名前を名乗るのだ。自分の存在を証明し、確立する為に。

 だと言うのに、この女性は名前を貸しているなどと言っている。これが優華や朝斗ならば大騒ぎの大問題だったろうが、ソラは女性の落ち着きぶりを見て自分も慌てないように努めた。きっと何か、事情があってのことだろう。


「いつか、また会えたら名乗るよ。アンタと私は不思議な縁があるようだし」


「……わかった、絶対また会うからな。色々お礼したいし」


「期待はしない。その役目は私のモノだからね」


 意味深なことを言った女性は背を向けると、手を振りながらどこかへ歩いて行ってしまった。月明かりを浴びながら、風にさらわれるかの如く消えていった。

 見送ったソラは胸中に訪れた温かさに疑問を浮かべて、直後に響く身体中の悲鳴に冷や汗を流し始める。


「や、やべぇ……立ったはいいけど、動け、ねぇ」


「そんな赤いのに、いつもニヤニヤ這い寄るお兄さんが手を貸してやろう」


「うぉおおおおおおっ!?」


 超至近距離で背後から話しかけてきた神楽に驚いて絶叫、そのまま肩に担がれてしまい痛みで身体も絶叫する二重苦。ケラケラと笑う神楽は肩にソラ、空いた手にカーペットを持って寮へと歩き出す。


「こんなとこで黄昏るにはちと若過ぎるな赤いの。風吹ちゃんがめちゃくちゃ心配してオロオロしてたゾ」


「黄昏てたワケじゃ……マジで?アイツ本当に良い奴だよな」


「どっかで転んでないかな、迷子になってたりしないかな、って」


「思ってたのと違ったぁ!完全に子供を見る親目線でした!」


 全くもって不本意な扱いではあるが、それはそれとして割烹着とか似合いそうだな、と昔ながらの母親スタイルの風吹を想像してみたり。

 運ばれている間は神楽と他愛のない会話を重ねて、部屋に着くとそこには大変ご立腹な優華が居た。なんでも連絡事項を伝えに来た朝斗がノックも無しに部屋を開け、着替えを見られたらしい。傍らに崩れ落ちる中年男性の悲しい姿に「うわぁ」と声を上げて、神楽と二人揃って合掌しておいた。

 それはそれとしてカーペットについて優華に説明すると、怒られると思っていたのに嘆息するだけでお咎めは無かった。そもそも何か言われる方がおかしいのだが。


「残念だけど、貴方のせいじゃないもの。残念だけど」


「なんで二回言った?あわよくば俺のせいにしたかったのかお前この野郎」


「そんな事しないわよ。ただ溜まったストレスは吐き出したいだけ……」


「ヒュー、随分とアグレッシブなことで……巻き添え喰らう前にお兄さんは撤退しようかね。はいお届け物でーす」


 荷物扱いされたソラが優華の手に渡ると「うっ」と小さな呻き声を上げて落とされた。頭から落ちたソラは悲鳴を上げながら床を転がり、その様を見てひとしきり笑った神楽が自室へと戻っていく。

 流石に悪いと思ったのか、涙目でうずくまるソラに手を貸してベッドへと連れていくと、毛布の中からひょっこりとムートが顔を出した。


「なんか、あの鳥男の匂いがするギャ」


「おっ、ちょっとは元気出たかムート。匂いって多分コレのことだろ」


 ブレザーの内ポケットから取り出した一枚の緑羽根をムートの前に翳すと、もの凄く不機嫌な表情で睨み付けてきた。急な態度の変化に目を丸くしていると、拗ねてしまったのか乱暴に毛布を被ってしまいソラは首を傾げる。


「この浮気者ギャ、ふんッ!!」


「えぇ……」


「ムートちゃんは私に任せて、貴方もお風呂に入りなさい。鳥臭いわよ」


「ムートが目当てだろお前……まぁ、ずっと寝たままだったらしいし入るかぁ、いててて……」


 ムートが目当て、という言葉に聞き耳を立てていたのかソラがベッドから立ち上がった瞬間ムートがバタバタと慌ててベッドから飛び出した。逃さず、優華の目がギラりと光ると猫もびっくり飛び出したムートを空中で捉え、猫なで声で頬ずりし始めた。


「うふふ、つ・か・ま・え・た☆」


「ソラ、ソラ!嫌だギャ!助けて欲しいギャ!ソラぁああああああああッ!!」


 ムートの悲鳴と可愛がる優華の声を背に、ソラは脱衣所に入るとシャツを脱ぎ捨てて自分の身体を眺めてみる。

 加護の力で治ったらしい身体、その中でも一番重傷だったという骨折した右腕を色んな角度から見るも特に変わった所は無く、やはり正常に治っている。

 魔装――――魔術でもない超常の力を武器として扱った代償は右腕一本だ。たったの一発放っただけで()()()()()()()と考えれば、やはり今の自分には分不相応なのだろうが、あの漆黒の男に対抗する為には手放せない力なのもまた事実だ。

 目下の目標は、とにかく魔装に慣れて制御することだろう。そう思いながら遠い道のりに溜息を吐き出して、一糸纏わぬ姿になると風呂場を開けて足を踏み入れ、


「どぅわっ!?」


「わぁっ!?」


 床との足の間に石鹸が挟まり、漫画のように盛大に滑ってコケた。今日は厄日だ、と自分の不幸を嘆いて次の瞬間に疑問が浮上する。自分の叫び声と同時に聞こえた、聞こえてはいけない声だ。転んだ拍子に何かを押し倒したソラは身体の下に感じる柔らかい感触に戦慄しながら、恐る恐る目を開く。


「ふ、風吹?わりぃ!今すぐどくから怒らないで、く、れ……」


「いたたた……ソラこそ、大丈夫かな?どこか怪我してない?」


「…………」


「ソラ?」


 開いた口が塞がらないとはこの事だろうか。心配そうに体のアチコチを触ってくる風吹の顔は熱で頬が上気しておりとても蠱惑的で、長い髪が絞られてハーフアップに纏められて可愛らしい。何より、風吹も一糸纏わぬ姿なのだから色々と見えてはいけない所が丸見えだ。

 白い肌が大胆に曝け出され、纏め上げられたうなじは煽情的に、女の子座りで覗き込むせいで覗かれる鎖骨が視線を釘付けにしてくる。これだけで一般的な性意識を持った人間ならば鼻血を吹いて倒れてしまうんじゃないか。

 しかし、ソラが絶句した理由はそこではない。


「お、おお、おまえ……ふ、ふぶき」


「うん?どうしたの?やっぱり頭打ったりとか……」


「ちがう、チガウ。ふぶき、ふぶき…………()()だったの?」


「あれっ?神楽君から聞いてない?僕、()()()だよ」


 風呂場を支配する静寂はたっぷりと一分程の時間を掛けて、ピチョンと落ちた水滴が空気を引き裂いた。元々おかしいとは思っていたのだ。

 ソラはムートやおばちゃんのせいでエロスに対しての耐性が著しく高いと自負している。だがしかし、それは()()によってもたらされる物だ。自分ですら気付けなかった完全な抜け道であり、普通に生きていればほぼ起こり得る筈がなく、その存在は漫画などのフィクションでしか見た事が無い、異常に可愛い()()によるエロス。

 エロスの耐性を慣れによって獲得したソラが、別のベクトルから慣れていないエロスを叩き付けられた。


「お…………」


「お?」


 途切れた言葉に可愛らしく首を傾げる風吹を無視して、脳みそが一気に情報を処理しようとして大混乱に陥ると次々にバグっていき余計に頭が回らなくなっていく。視界がぐるぐると回り、奇妙な浮遊感や身体を走る痛みや考えなきゃいけない事や、とにかく色々な物が交錯してとうとうパンクした。脳みそが高負荷に耐え切れずに焼き切れたような感覚と、ブチッ!と電源を引き抜いたような耳障りな音が鼓膜に響き渡る。

 素っ裸で倒れたソラを慌てた様子で心配する風吹の声をぼんやりと聞きながら、辛うじて弾き出された言葉の続きを紡ぐ。


「男の娘、すげぇ……」


 風吹にとっては意味が分からない言葉を残して、ソラの意識が途絶える。

 嵐のように次から次へと巻き起こる様々な事も、もう勘弁して欲しいと願いながら。



――――…



「それで、次は誰が行くのさ?」


 とある山奥に、廃棄された寂れた教会があった。バシリカ型のその教会堂は最奥部の十字架が傾いており、ステンドグラスは輝きを失い割れている。石柱には植物の蔦が蔓延り、経年劣化で崩れたのか瓦礫が点々と落ちていた。

 淫猥な空気の流れる中央交差部、古びた椅子に座った男がどこに向けるでもなく言葉を放つ。


「そうですねぇ、あっちにも厄介な人物がいるので我が息子は当分使えないでしょうし」


「誰が息子だ。殺すぞ」


「うーん、怒った顔もそそりますねぇ……手塩に掛けて育てたんですから、息子も同然でしょう?」


 傾いた十字架の前で本をくるくると回して弄ぶ金髪の男は、離れた位置で壁に寄りかかる漆黒のローブに身を包んだ男にデレデレした表情を向ける。

 漆黒の男は盛大に舌打ちを吐き捨てるが、それさえも愛おしいのか嬉しそうに鼻を鳴らすと弄ばれていた本を開いて書き記し始めた。


「今日は我が息子が舌打ちしてくれました。日々増していく嫌悪感に背中がゾクゾクして……」


「いつも通りの親バカはいいからさ、まずは()()をどうにかしろよお父様?」


 立てた親指を手首から回して、端の方で蠢いている淫猥な空気の発生源を指さした。暗がりに置かれた診察台をベッド代わりに、二つの影が動いている。


「んっ、はっ、んぅ……もっと、もっと頂戴」


 粘り気のある水音が響き渡り、肉と肉がぶつかり合うと音と一緒に流れて来る強烈なフェロモンのような匂い。薄く短い栗色の髪を汗で濡らして、影の上にまたがるのは悪魔の尻尾と羽根が生えた中学生くらいの少女だった。

 馬乗りにされている影は、高校生ほどの美形だ。首元には高級そうなネックレスと軟派なピアス、腰の部分にはタトゥーが掘られており、見るからに遊び慣れているような青年。

 しかし、その青年の両手両足は診察台の四方に鎖で縛られ、絡み付いた尻尾が首を締め上げる。徐々に締まっていく気道に全力の抵抗を試みるが、跨る悪魔は絶望に染まった青年の表情にゾクゾクと背筋を震わせて恍惚な表情を浮かべる。


「んんんっ!んぅーーー!んんぅーーーッ!!」


「なぁんでイヤがるの?気持ちイイこと大好きなんでしょ?あたしの事、満足させてくれるって言ってたじゃーん……ほら、あたしの中ウネウネしてて気持ちイイでしょ??」


 少女が下腹部をさすると、比例するように青年が声にならない声で叫んだ。愛おしそうに下腹部を撫でる少女はペロリと唇を舐めると、激しく腰を動かし始める。耳に残るネチャネチャとした水音が激しさによって増していき、繋がった部分は青年の心に反して絶頂を迎えようとしていた。

 蛇のように顔を寄せた少女が、囁く。


「いたいけな女の子達を騙して、犯して、壊して…んんっ…いっぱい捨ててきたんでしょ?悪い事してきたからこうなってるんだよ?あなたが喰べた分だけ、あなたも喰べられるの――――自業自得だね、お兄ちゃん♡」


 迎えた絶頂と同時にゴキッと響く骨の音。それは行為と生命の終わりの音だ。ただの肉の塊となったソレは泡を吹き鼻水やら涙やらで美形も台無しだ。最後の瞬間を見て満足したのか、少女は肉塊から降りると置いてあったバスタオルを纏って月明かりの下へと姿を現す。


「食事は終わりましたかねぇ。アレは魔術師じゃないようですけど……まぁたつまみ食いですか?」


「いいでしょー別に。お兄ちゃんと違ってあたしは適度に発散しないと頭変になっちゃうんだもん。あとナンパしつこかったから分からせたかったの!」


「召喚される度に見せつけられるコッチの身にもなれよな……ただでさえ色々我慢してんだからさ」


「むぅー!うっさいチャラ男!ヘタレ!小っちゃい癖に!」


 それは言うなよ!と椅子から立ち上がって怒る男に、少女は可愛らしくふざけた悲鳴をあげて金髪の男の背へと駆け込んだ。

 強烈なフェロモンと行為の匂いにさりげなく鼻を摘まんだ金髪の男は、そのまま話を続ける。


「さて、次に誰が行くかですが……もう本人には向かって貰ってますよ。いやはや、あの歳であそこまで仕事が早いとは教育の賜物ですよねぇ」


「……早過ぎんじゃねぇか。()()も色々嗅ぎ付けてるぜ」


「俺も色んな建前上まだ戻れないんだけど。どうするつもりさ」


「別にすぐ動くワケじゃないですよ?彼にも色々準備があるだろうから先に行って貰ってるだけですし……時期を見て、ですから。代わりも上手く入り込めたようですし気楽に行きましょ気楽に~」


 飄々とした態度で言い放った金髪の男に溜息を吐き出して、漆黒の男は闇の中に溶けて消えていく。面倒そうに頭を掻いた男は目の前に広げられた暗い穴に吸い込まれるように入るとその姿を消した。

 消えていった仲間達を見て、寂しそうに目を伏せる少女の頭を撫でる金髪の男は、優しく微笑んで見上げてくる少女に聖職者のように言葉を授ける。


「もちろん、君にも働いて貰いますよ?まずはお兄さんと合流してくださいね」


「はーい!その後はどうするのー?」


「うーん、ほぼ間違いなく彼がそうでしょうから……上手く追い詰めて下さい。きっと面白い事が起きますからねぇ」


 そう言いながら金髪の男は本を弄ぶ。その先の未来と、思い描いた赤髪の少年の運命を弄ぶように、笑いながら本を回す。

 くるくる、くるくると。



――――…


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