表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術学院のクレナイ魔術師  作者: 芦屋 和希
第一章 クレナイの兆し
14/42

第一章13話 嵐の先へ



「私に、私達に、触れるなぁっ!!」


 吹き荒れる暴風は強い拒絶を示し、風が鋭い刃物となって頬を通り抜けていく。突っ込んだソラの背後で肌を裂かれた神楽は小さく舌打ちすると手の平に魔力を集中させ、竜巻ごと魔女を抑え込むように土壁を展開した。


「あぁ、汚らしい土の臭い……また私から奪うのか!そんなに私が疎ましいのか!」


「言ったろ、俺はお前を疎まねぇ!」


 轟ッ!と膨らんだ竜巻が土壁を吹き飛ばし、宙を舞う土片に紛れてソラが吠えながら拳を振りかぶった。魔女を守る竜巻に拳を叩き付けると小さな爆発音と一緒に頭一個分ほどの穴が空き、その先に垣間見えた魔女の姿に息を詰まらせる。

 ほんの一瞬、時間にして数秒の邂逅の中、目には一筋の涙が映った。

 壊れていくのを見続けてきた悔しさ、自分にはどうすることもできないのに大切な人が傷付いていく様を見届けてきた、芦屋 風吹(あしや ふぶき)の心が音の無い声を紡ぐ。

 ――――この人を助けて、と。

 すぐさま竜巻が修復され、再び魔女を覆い隠すと反撃の茨が顔面目掛けて差し込まれ、ソラの体が後方へと勢い良く弾かれる。


「づぁ……!?」


 ヤスリで削られたような衝撃が頭を走り、空中で受け身を取ったソラは足から地面に着地、明滅する視界を振り払って触手の如く突き刺してくる茨を避けながら竜巻の周りを走り避ける。途中でムートが別れて炎弾を放つがビクともしない。どころか、攻撃してきた相手に反応するのか風の弾丸が迎撃してきた。


「ギャッ!?」


 身体を反転させ、翼を撃たれたムートを奪うように抱えたソラは一息で高く跳躍。その隙を神楽の土壁が間に挟まって生成されるとタイミングの良すぎるフォローに笑みを零した。しかし、嘲笑うように竜巻の一側面が妙な形に歪んだ。

 瞬間、キィン!と甲高い音と共に風の刃が土壁を切り裂いてソラへと放たれる。音を聞いたと同時にムートを強く抱き込んで守るが、


「が、は……っ!?」


 メキメキッ、と連射される風の刃が背中に直撃した。魔力という質量を持った刃に殴られて強く吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。まるで固い岩をぶつけられたような衝撃に息がつまり、咳き込めば詰まった喉から血が吐き出された。

 叩き落されたソラを庇うように、神楽が前に立って続く風の刃に対して三枚重ねで壁を作り上げる。


「ソラッ!大丈夫ギャ!?」


「硬いだけで、衝撃は完全に殺せねぇってか。そういう情報は先に教えておけっての」


「げほっ……ついでに言うと、傷付いてないだけで、普通に痛かったり……背骨、折られたかと思った…」


「お兄さんが欲しいのはそういうネガティヴ情報じゃねぇんだけどなぁ……ノシ付けて返してやっから、ちっと休んでろ」


 神楽がパン!と両手を合わせると魔力が迸る。周囲の大地が抉り取られて凝縮、分解され再構築されると土が鋼の光沢を持って西洋の盾のような物を生成。とある神話において、太陽のように輝く神の前へ立つ為に作られた超常の盾だ。余りにも巨大、そして鈍重である為に普通の人間である二人には動かすことすら叶わない代物だ。


「顕現せよ、太陽の前に立ちしもの(スヴェルの盾)!」


 しかし、今の状況においてそれは大したことではない。バチバチと紫電を発して作り出されたそれが二人の前に落とされると、轟音を伴って地面に深く食い込んだ。放たれた風の刃が甲高い金属音を響かせて、ソラは目の前の光景に思わず唸る。


「すっげ……」


「目ぇキラキラさせてるとこわりぃけど、コレめっちゃ燃費悪いからお兄さんもキッツイんだゾ!」


 盾の向こうからは無数の斬撃音が響き渡り、ブチ破ろうとしているのが分かる。盾を生み出した神楽は魔力を放出し続けて形を保っているのかその度に脂汗が滲んでいた。

 不意に、風が止んだ。ともすれば音すらも消えたかと思った静寂が、盾の向こう側に勢いよく引き寄せられることで破られる。


「おいおい冗談だろ、魔女さんよ……ッ!」


 魔女が、大気を吸い込み始めたのだ。掃除機のように吸われ続ける中、巨大な盾を遥かに越える天災のような竜巻が蠢き始める。立ち上る魔力の渦が雷鳴を轟かせ、世界を蹂躙戦と天が憤っているようにも見える様は正に天変地異と呼ぶべきか。

 あれが直接叩き付けられたら、自分達どころか学院すらも吹き飛ぶだろう。どれだけの結界を重ねても無意味、魔術師だろうと何だろうと全てを消し飛ばす圧倒的な暴力が目の前で発射を今か今かと待ちわびていた。


「ハハハ……どんだけの魔力使ってんだっての……おい、赤いの」


 神楽は苦笑いを浮かべるとソラに首を向けた。一瞬の間を置いて向き直った神楽の目には光が消え去っており、これまで余裕を見せ続けた彼が、諦めた顔で告げる。


「逃げろ」


「……っ」


 悟った終わりにソラは息を呑む。神楽の腕は魔力放出を続けたせいかオーバーヒートして出血、足は震えて立っていることすら不思議な状態だ。それでもソラ達の為に、ソラ達を逃がす為だけに身体を張り続ける。


「コレ以上は、お兄さんの体も盾も持たねぇんだわ。その加護があれば射線から逃げるだけでも大分マシに……」


「ダメだ」


「おい、赤いの。我儘言ってる場合じゃ」


「ダメだッ!!」


 今までにない迫力の言葉に、神楽は目を見開く。

 ふらふらと立ち上がったソラの握り締めた拳は痛いほど固く、覚悟を灯した瞳は燃え滾っていた。

 ここで逃げ出したら、自分の誓いから逃げることになる。此処から逃げ出したら、身体を張って助けてくれた神楽の努力は意味が無くなる。涙を流して『救って欲しい』と告げた芦屋 風吹(あしや ふぶき)の心も、何もかもが台無しになってしまう。

 何より、此処で諦めたら――――


「ここで諦めたら、アイツらは一生救われない」


「――――」


「だから俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


「何か……策があるんだな?」


 力強く頷いたソラはムートに向き直る。何かを察したのか嫌々と首を横に振るが、覚悟を灯した瞳を前に首を下げると、暫くの沈黙の後頷いた。

 魔女の竜巻が激しさを増し、神楽の盾がより一層派手な音を散らしていく中、本能に呼びかける何かが神楽の身体を走り抜ける。


「……ウソだろ、赤いの。お前……っ!」


 ムートの身体から迸る赤い奔流。それが膨大な魔力だと分かって、そのムートへと手を翳すソラの行動に驚愕する。

 人が神々や悪魔、妖精から加護を授けられるようになって幾星霜。ソレを最初に生み出したとされるのは御伽噺の少女だったという。

 龍に愛された人類最初の加護持ち、亜人と人間の両方を愛した、世界を救った少女――――()()()()

 戦う術を持たなかった少女はその身に宿る加護の力を武器として纏い、迫り来る魔界の軍勢から今の現行世界を守り抜いたという。

 その記述を見た一人の偉大な魔術師が長い長い年月を掛けて、加護を与えてくれた神々と信頼関係を築き上げて、遂には成し遂げて見せた。

――――加護の力の具現化だ。

 絶大な加護の力を制御して具現化する所業は、魔術師達にとって一つの極致だ。世界でも一部の魔術師にしか辿り着けなかった領域であり、どれだけ知識を得ようとも手が届かない力。

 何故ならば、必要なのは知識でも魔術の腕でもないからだ。ともすれば誰でも持っているようなモノで、だからこそ誰もが忘れてしまう儚くて脆いモノ。


「我が身に宿りし偉大なる者よ。我が肉体は盾となり、我が魂を矛と化し、誓いと共に理を覆さん。神龍の名において、神々の威光を此処に示せ」


 それは、想う心。誰かを慈しみ、誰かを救う為に一歩を踏み出す勇気を持った強い心だ。

 かつての魔女が持っていたように、御伽噺のクレナイが持っていたように。その美しい心は神々さえも魅了して虜にする。そうして、愛しい子らを守る為に神々もまたその力を与えるのだ。

 立ち塞がる障害を切り開く矛――――()()を。


「その魂を我が矛として認めよう。我が名を高らかに、誉れを持って――――私を呼んで、ソラ」


 幼少竜(ミニ・ドラゴ)のムートに、赤い髪をした誰かの顔が映って見える。脳内に直接響く可愛らしい声に頷いて、不安そうなムートに場違いな明るい笑顔を見せてやれば微笑んだ気がした。

 ムートの赤い魔力が腕を伝って身体を優しく抱き締める。温かい熱に身を任せて、全身を駆け巡る奔流は力へと変わっていく。

 力を腕に、誇り高き名を胸に抱いて、ソラは高らかに告げる。


「我が名は――――神龍、バハムート!」


 瞬間、轟ッ!と爆炎が火柱になってソラを包み込んだ。吸い寄せられていた大気が焼き払われ、周囲に火の粉が散らばり風を喰い殺していく。全てを焼き尽くさんとするその炎はソラを守る盾のように、右腕に集まった炎は矛として顕現する。

 篭手だ。右手の先から肘までを覆い尽くす、龍の意匠が施された煌びやかな篭手が装着されている。紅蓮の炎を身に巻いて、ソラは拳を握り締めた。

 その力は、助けを求める者の為に。その炎は、涙を流す者を浄化する為に。


「――――神楽ぁ!!」


 息を吸い込んで、腹の内から友の名前を叫んだ。意図を察した神楽が盾を放棄してソラの後ろへと勢い良く跳躍、退避する前にソラの右腕が引き絞られ篭手が赤熱、太陽のように眩い光を放ち始める。


「いや、いやいやいやイヤイヤイヤイヤァっ!!」


 同時に、魔女の慟哭が響いた。それはまるで叱られた子供のように、失うことを恐れた誰かのように、拒絶の意思がより強い暴風を呼び周囲に破壊をもたらしていく。


「私は、私はもう止まれないの!止まるなと私の魂が叫ぶのよ!もう止めて、もう奪わないで!私の心は、復讐の嵐の中でしか救われないのぉ!!」


 バキィン!と甲高い音を立てて盾が崩れた。直に吹き荒れる暴力の風はソラの身体を貫き、加護の力を越えて肌が切り裂かれていく。それでも、真っ直ぐにその先にいる涙を流す人へと目を向けた。


「止まれないなら、俺が止めてやる。そんな嵐の中でしか救われないとか思ってるなら、俺が青空の下に連れ出してやる」


「やめて、やめてよ……どうせ死ぬくせに、私を置いていくのに。私に、夢を、見させるなぁああああぁあぁあぁあぁぁぁぁあああッ!!」


 瞬間、叩き付けるように伸ばした片手を合図に危惧していた魔女の竜巻が放たれた。境界を揺るがす大災害その物がソラに放たれ、天変地異さえ引き起こしたそれが只一人を粉砕する為に向けられる。

 大地を抉り飛ばして、覆う訓練場の全てをなぎ倒して。その様はかつて魔女が味わった絶望の風景とよく似ていた。


「俺はお前を置いていかない。その手を引っ張って、連れ回して、泣き止むまで俺が一緒にいてやる!お前が寄り添ったように、今度は俺がお前の心に寄り添うんだ!」


「……っ」


「だから、掴み取れ!お前の風に――――こんな空は似合わねぇッ!!」


 絶望を生んだ嵐に向かって、引き絞られた腕が振るわれた。轟ッ!と赤熱した篭手から放たれた爆炎が竜巻を丸ごと飲み込み、炎に巻かれた竜巻は踊るように空へと巻き上げられる。膨大な魔力同士がぶつかり合い、空を覆う暗雲さえも吹き飛ばして爆発し盛大な衝撃波を撒き散らした。

 美しい、爽やかな春風が通る青空が視界に飛び込んでくる。魔力の残滓が星屑のように降り注ぐその空の下には――――


「――――ほら、行こうぜ」


 あの日、あの時、確かに揺れた希望の糸が形となって差し伸べられる。嵐を越えて、もう一度見たいと夢見た太陽を背に、手を伸ばす赤髪の青年。

 青年の影に、あの時自分を助けた壮年の男性がフラッシュバックした。


『どうか、美しい貴方のままで』


 現実を受け止めたくなくて、その言葉を受け取ったら彼等の事を諦めた事になりそうで、蓋をしていた記憶。

 本当は知っていた、彼等がこんな事望んでなんていなかった事を。清らかで、暖かな心を持った彼等に愛されて知っていた筈だったのに。


「うっ、うぅ…あぁぁ……っ!」


 それでも、自分が許せなかったのだ。加護の力に縋った事を、彼等を守り切れなかった自分の不甲斐なさを、呪わずにいられなかった。だから、もう二度と同じ悲劇が起きないように風の加護を持つ者達の心に入り込み、契約を奪い続けた。

 それがいつしか、殺して回ったことになっていた。歪んだ認知と燃え盛る復讐心が捻じ曲がって混ざり合い、止められなくなっていた。

 誰にも打ち明けられない心の闇を抱えて、蓄積されていく濁った泥が自分というグラスから溢れ出した時に、誰かが居てくれたら――――誰かが寄り添ってくれたらと、どれだけ望んだ事か。


「お前のこと、全部は分からない。だけどさ……お前が芦屋 風吹(あしや ふぶき)にそうしたように、お前だって誰かの手を取っていいと思うんだ」


 青年に差し伸べられた手を恐る恐る見上げれば、太陽のような眩しい笑顔が返ってくる。その手を取ろうと伸ばした手は震えていて、触れたらまた呪われてしまうかもしれないと怖くて仕方がない。だが、ソラは逃げていく魔女の手を勢いよく繋いでその身を胸の内に抱きしめた。

 そうだ。あの村の皆に、この青年のように、嵐を越えた先で手を差し伸べて欲しかった。ただそれだけで良かったんだ。もう一度誰かの手を取って、我が子のような人達と愛し愛され、支え合っていられれば、それだけで。


「ほら、やっぱり」


「えっ……?」


「嵐の中より、青空の下の方が綺麗だ」


 日に照らされた美しい魔女を見て、ソラは笑顔を浮かべた。太陽のような眩しい笑顔に、魔女の顔からは涙が零れ落ちていく。

 胸に広がる暖かな気持ちが喉からせり上がってきて、痛くも苦しくもないのに目から涙が止まらない。頬を伝う雫は熱く、抱き締められた身体が彼の優しさに包まれていく心地よさに打ち震えていた。

 どれだけの時間、待っていたのか分からない。だけど今はどうでもいい。今この瞬間こそが、魔女の待ち望んだ嵐の先なのだから。

 あの日見た夢の先で、彼女は太陽に負けないくらい美しく笑う。


「……ありがとう、少年」


「へっ?頑張ったのはお前と芦屋 風吹(あしや ふぶき)だろ?」


「……バカ」


 ぐにっ、とソラの頬が左右に引っ張られて抓られる。もう完全に敵意は無くなっており、抓られた頬は見た目通りの痛みを伝えてきた。両手を振り回して痛みに悶えているソラを遠巻きに見ていた神楽は気が抜けたように尻餅を付いて、暖かい日差しの中で笑いあう二人に小さく嘆息する。

 そんな神楽の元へ歩み寄ってくる足音がして、ゆっくりと振り向けば疲れ果てた顔をした優華が居た。


「なーんかイチャイチャしてるけど、何がどうなってこうなったのよ」


「おや御剣(みつるぎ)……おっと、優華ちゃん。寮長はまだ生きてるかい?」


 隣に立った優華に思い切り睨まれて、降参の意を示した神楽は改めて言い直す。ふん、と鼻を鳴らした優華は崩れたサイドテールを直しながら、


「日南先生に預けてきたから大丈夫よ、きっと。それで?あれはどういうワケ?」


「あー…和解したっつーか、河川敷の殴り合いが終わって友情が芽生えた的な?」


 キュッ、と結びなおした優華は腰に手を当てて嘆息した。今度はソラが頬を引っ張り、怒った魔女がコツンと頭を叩く様子は只じゃれあっているようにしか見えない。今さっきまで命を懸けて戦っていた仲とは到底思えないが、日差しが差し込む晴れやかな太陽を見れば妙に納得した。


「魔女の盲執は、ある意味で愛情の裏返しだったってワケだ」


 茨の魔女が恋していたのは、風の神ではなく沢山の人達だった。ともすればその心は聖母のように広く、深い愛情だったのだろうと神楽は推測する。

 優華が言ったようにただの破壊や復讐が目的ならばあの天災級の竜巻をぶつければそれで終わりだ。それを最後までしなかったのは彼女が持つ深い愛情があと一歩のところで踏みとどまってくれていたからに他ならない。膨らみ続ける憎悪と誰かを愛したい聖母のような慈愛、相反する心がせめぎ合った結果、暴走してしまいヤンデレになったということだ。

 神楽は小さく声を漏らして笑う。


「赤いの……お前さんの目には、他人の心が映って見えるのかね」


「えっ?どういう意味よ?」


 おーい!と手を振るソラが魔女を引っ張って走り寄ってくる。申し訳なさそうに顔を伏せる魔女は制服の裾を掴んでモジモジと二人を伺う。

 その様子に大きな溜息を零した優華は右手を差し出した。握手の形で伸ばされた手と優華の顔を交互に見れば、優しく微笑まれる。ゆっくりと繋いだ手は強く握られて、


「色々あったけど、水に流すことにするわ。毒気抜かれちゃったし、魔女の友達なんてそうそう出来るものじゃないわよね」


「とも、だち……」


「えぇ、もちろん。芦屋 風吹(あしや ふぶき)じゃない……貴方の名前を聞かせて?」


 優華の問いかけに目を丸くした後、恥ずかしそうに視線を彷徨わせてはパクパクと声にならない声を出す。久しく忘れていた上に、今までずっと魔女やら魔法使いとしか呼ばれてなかったからか改めて自分の名前を名乗ることの気恥ずかしさに耳が赤くなっていく。

 だけど、繋いだ手を離したくなくて。


「私は……ロレナ。薬師のロレナ。沢山傷つけて、ごめんなさい。でも、お願いがあるの!」


 目を痛いほど強く閉じて頭を下げる。図々しいと思われても仕方がないと考えていた。これだけ周囲に被害を出して、あまつさえ目の前の年端もいかない子供達を傷付けたのだ。裁かれることも覚悟はしている。

 それでもこれだけは譲れない、と固く閉じた目を恐る恐る開ければ、首を傾げるだけの三人がいた。ポーズでも何でもなく、本当にただ疑問を浮かべている少年少女達に心から感謝して、意を決したロレナは叫ぶ。


「風吹は、風吹のことは責めないであげて!この子は壊れそうな私の為に身体を貸してくれたのよ!私はどうなってもいい、()()のことを全部話してもいい、だから……!」


「じゃあ罪を償わないといけませんよねぇ、茨の魔女さん♪」


 唐突に声がした。トンッ、と軽い音がしたかと思えばロレナの身体がふわりと小さく浮かび、ゆっくりと軽い衝撃の元へと目を向ける。

 剣だ。真っ黒な美しい剣が背中を抜けて胸から突き出ており、三人が目を見開いた瞬間、魔女の真後ろに不自然な暗い穴が出現した。

 闇のように蠢く暗い穴から、陽気な声と共に二人の男が現れる。


「いやぁ~、お尻が軽くてしょうがないねぇ。流石は愛に生きた魔女……そんな簡単にペラペラ喋られても困るんですよ~」


 黒いパンスネと跳ねた金髪、真っ黒な教会のローブを羽織った見るからに怪しい人物だ。その隣には漆黒のローブで顔まで隠した男が二本の剣を携えて立っている。黒い鞘から抜き放たれている様子から、剣を突き刺したのは漆黒の男の方だろう。

 ソラは膝から崩れ落ちるロレナを慌てて抱えて、


「ごめ……なさい…私……」


「おい、おい!しっかりしろロレナ!」


「手遅れ、よ……私の、魂は……死神、に……」


 突き刺された剣から黒い煙のようなものが噴き出て、それと同時にロレナの声が弱まっていく。元凶の剣が音も無く引き抜かれ、宙を舞って漆黒の男の手元へと戻ると刀身に薄緑色の美しいモヤが掛かっていた。


「ごめん、ね…風吹……どうか、どうか……優しい、この子達の、力に……」


「もういい、いいから喋るな!今先生のとこに……っ!」


「……君も、どうか健やかに……生きて…」


 優しく頬に触れたロレナの手を握り締めるが、ソラの声も虚しくロレナの身体から魔力の残滓が立ち上っていく。その全てを吸収した黒い剣を漆黒の男は鞘に納め、同時に目を閉じた身体からはロレナの意識が消えた。


「いきなりごめんねぇ、少年少女達。そろそろ限界かなーとか思ってたら本当に暴走しちゃってさぁ、うちもどう対処しようか頭を悩ませていたんだ」


 空気の読めない軽い声が響き、優華は男達を睨み付けた。しかし、金髪の男はにっこりと笑うと魔女の起こした惨状を楽しそうに見渡し始める。まるで、こうなる事を望んでいたかのように。


「うーん、こりゃあ酷いねぇ。君達も傷だらけだし、大変だったでしょ?」


「貴方達、一体何者なの……ロレナをどうするつもりよ!?」


「おっと、自己紹介がまだだったねぇ。我々はBlack box……通称B.Bだ。情報通の東雲君の耳になら届いてるんじゃない?」


 陽気に笑いながら扇子を仰ぐ金髪の男はちらりと神楽を流し見ると、神楽は臨戦態勢を取りながら舌打ちを吐き捨てた。

 どうやら戦う意志はないようだが、こちらとしても好都合だ。自分は満身創痍、優華はもう雷を纏えず戦えない、唯一動けるのはソラだけだが今の精神状態ではとてもじゃないが期待できないだろう。


「ある目的の為に、あらゆる闇に蔓延っていると噂の魔術組織だったかい?全世界でお尋ね者の今一番おアツイ組織……」


「――――それが、どうした」


 ロレナを優華に預けて、ゆらりと身体を揺らして立ち上がったソラは拳を握り締めた。

 ロレナの過去は分からない。だが、心が壊れてしまうほどの長い間ロレナが苦しんでいたことは分かる。

 どれだけの時間、泣いていたのだろうか。どれだけの年月を苦しみと共に生きていたのだろうか。

そんなロレナがようやく手を取れたのに。やっと前を向いて、明るい空の下で笑えるようになったのに。

 ――――この男が無慈悲にも奪い去っていった。


「お前ぇ……ッ!」


「……来いよ、赤髪」


 漆黒の男が声で火蓋を切った瞬間、ソラの身体が爆発的な加速に消えた。一瞬で懐に入ったソラは籠手を纏った右腕を振りかぶり、アッパーの要領で突き出すと引き裂かれた空気が爆散して衝撃波を生む。

 紙一重で避けた漆黒の男は金髪の男を突き飛ばすと続く回し蹴りをスウェーで避け、身を翻して距離を取る。訓練場の残ったアリーナ席に飛び込み、高速で走り出した。

 対してソラの右腕が赤熱、発光し手の平から炎を発射してブースター代わりに突っ込んだ。高速で追いすがるソラに対して、同等の速度で動き回る漆黒の男は訓練場を縦横無尽に駆け抜けてソラの攻撃の全てを素手で弾いて見せる。


「らぁッ!」


「……っ!」


 ボンッ!と空を切った拳が炸裂音を放ち、爆発に吹き飛んだ男が着地すると同時に振り被られたソラの拳をローブに掠めながらカウンターの一撃。呻き、開いた口を食いしばって引き剥がす為に炎を射出するが、それも簡単に躱されてしまい顎に掌底打ちが叩き込まれた。


「あ、が……」


 一瞬だけ刈り取られた意識は、追撃の回し蹴りによって引きずり戻される。ドンッ!と訓練場の端から端まで吹き飛ばされたソラは壁に沈んだ身体を起こそうともがいた瞬間、顔面を掴まれ轟音と共に更なる衝撃がソラの身体に伝播し、ビシィッ!と壁が盛大な亀裂を生んだ。


「――――っ」


「こんなもんか?」


 震える手で顔面を掴む腕を捕まえると右手を翳し、返答の炎が発射された。零距離発射の紅蓮の炎だ。しかし、自分が灼けることも厭わない一撃は全くの無意味だと思い知らされる。

 キン、と美しい音色がした。それは炎を、魔力を、空気さえも撫でるように斬り捨てた音だ。

 紅蓮の炎を真っ二つにした男の手には煌びやかな剣が握られている。その剣さえあれば、覇王にすらなれそうな異常な存在感を放つ剣は、この男が持つには余りにも似つかわしい聖剣のようにも見えた。


「あららら、その剣は抜いちゃダメって言ったじゃないかぁ~。ただでさえ知ってる人が多いんだ、君の存在がバレちゃったら大変大変」


「チッ……」


「まっ、目的のモノは見つけたんだ。気分が良いから見逃してあげるよ?優しいからねぇ僕は」


 ケラケラと扇子を仰ぐ金髪の男が何もない空間に手を翳すと、先程の暗い穴が再び現れた。漆黒の男が手を離すとソラが力無く崩れ落ち、篭手から元の姿に戻ったムートが叫ぶように呼び掛けるが返事は無い。

 剣を鞘に納めた男はその様子を見て唇を引き締めると、目を背けるかのように穴の方へと歩き出す。


「茨の魔女はこっちで処理するからご心配なく♪期待しているよ、赤い髪の少年」


 にこやかに手を振って、暗い穴に吞まれていった二人を神楽と優華は呆然と眺めることしか出来なかった。次元の違う戦いと、それを圧倒的な力で捻じ伏せた漆黒の男。例え万全の状態であってもまともに渡り合えたか分からない。


「……今は、この窮地を脱したことを喜ぶべきね。芦屋 風吹(あしや ふぶき)とソラを早く保健室に……!ちょっと、何ボーっとして……」


「あの剣、は……」


 ただ一人、神楽だけはあの漆黒の男が誰かを認識して、更なる恐怖で唇を震わせていた。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ