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魔術学院のクレナイ魔術師  作者: 芦屋 和希
第一章 クレナイの兆し
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第一章12話 愛憎の悲劇

――――…


 昔々、気が遠くなるほど遥か昔。とある国の豊かな森の奥地、小さな村の端に一人のエルフが住んでいた。植物の知識と薬草学で村の危機を救ったそのエルフは、その美しい精神と麗しい見た目で風の神ゼピュロスの加護を授かった。


「魔法使い様がいれば、この村は安泰だ」


「魔法使い様、またきれいなお花をみにいこうね!」


「俺達も魔法使い様のような、身も心も美しい人に……」


 風の力と植物の知識を持って、彼女は魔法使いとして崇められ愛されていた。彼女もまた、亜人である自分を受け入れてくれた村の者達を愛していた。

 暖かい目をした村長、花好きな少女、逞しい青年。皆が皆年老いていく度に彼らの最期を見取り、流した涙を次の世代の子らの為に何度も拭う。愛してくれた彼等の為に魔法使いで在り続けようと誓いを立てて、移り変わる世代の子らには我が子のように接して生きて百年ほどの時間が経った。ずっと、この安寧が続くと信じて疑わなかったのに。

 ――――悲劇は唐突に、彼女を絶望へと誘った。


「はっ……はっ…!」


 雷鳴の轟く暗雲が空を覆い尽くし、人が吹き飛ぶほどの暴風が村を襲う。未曽有の大災害に見舞われた村は家屋が潰れ、耳朶を叩く雨と風が絶叫さえも掻き消していく。荒れ狂う嵐の中、魔法使いはひた走る。

 次代の村長はなぎ倒された木々に押し潰されて死んだ。花が好きだった少女は美しく成長したのに飛んできた石片で無残な死を遂げた。村を守ると意気込んでいた逞しい青年は老人となっても村の為に走り、風に飛ばされて墜落死した。

 愛した人々が、いとも簡単に死んでいく。顔を濡らすのが雨なのか涙なのか分からないほどびしょ濡れになって、それでも手の届く人達は助けようともがいた。

 研究していた植物を操る魔術を使って村の家屋を蔓で補強、子供達を守る為に身を盾にして覆い被さり背中に枝や石が突き刺さる。喉からせり上がってくる血を吐き捨てて、怯えて涙を流す子供達に笑顔を向けた。

 悲劇は、止まらない。

 大地を揺るがす轟音が響いた。何事かと外に出れば山がごっそりと喰われたように決壊したのだ。土石流が村へと突き進んでくる中、決意と共に歯を噛み締める。


「まほうつかい、さま……」


「……大丈夫よ、私がなんとかしてみせるから」


 子供達を安心させようと、震える手を固く握りしめて笑う。そして向かってくる土石流の方へと走り出した。

 あれだけの物量だと植物では押し負けてしまう。だが堰き止められなかったらこの村は土砂に埋もれて滅びてしまうだろう。それだけは、それだけは絶対に止めなくてはいけない。


「たとえ、私の命に代えても……!」


 彼等がまた平和に過ごせるように、彼女等がまた安寧に過ごせるように、子供達の笑顔を守る為に。足掻く様はきっと泥臭くて、生に固執する姿はきっと醜いのかもしれない。だけど、それでも。


「私は、愛した子らと共に生きたいの……っ!」


 迫り来る土石流を前にして、魔法使いは魔力の奔流を滾らせる。膨れ上がる魔力に身体の全てを預けて、ゼピュロスに与えられた神の力を発射する砲台と化した。

 轟ッ!と雨さえも吹き飛ばす暴風が吹き荒れ、村を丸ごと包み込む風の障壁が土石流を掻き分けていく。

 加護を通じて感じる圧倒的な自然の物量、翳した両手に襲い掛かる重圧は骨を軋ませ悲鳴を上げさせてくる。自分一人の力ではとてもじゃないが背負いきれるワケがない。


「う、ぁ、あ……」


 指が順々にひしゃげていく中、激痛に震える歯を噛み締めて魔法使いは尚も魔力を絞り出す。無理に引きずり出した風は身に余る力だと言っているのか、肌を切り裂いて通り抜けていく。止まらない土石流に身体がいつまで持つか分からない。


「うぁああああああぁあぁぁぁぁぁあぁああぁあッ!!」


 それがどうした、だから何だと言うのだ。この百年で見続けてきた魔法使いは知っている。

 泥臭くても醜くても、愛した子らを守る心はどこまでも気高く、生きる者にこそ与えられた至高の美しさなのだと。

 過剰な魔力放出のせいで瞳から血が流れ、指は全て折れて曲がった。だが心だけは折れまいと魔法使いは存在を懸けて猛る。

 土石流が徐々に弱まっていくの感じた魔法使いは、揺れた希望の糸を掴み取ろうと目を凝らす。もう少し、もう少しで絶望が終わる。減っていく土砂の量と過ぎ去っていく嵐の先にある太陽を夢見て、もう一度強く空を望んだ。

――――揺れた希望の糸は、神様の気まぐれで呆気なく切られた。


「えっ?」


 風が止んだ。いや、暗雲はまだ過ぎ去っておらず暴風は止まっていない。止んだのは身の内から湧き出ていた加護の力だ。

 村を覆っていた風の障壁が消滅し土石流が村を端から飲み込んでいく。守る為の力が、愛しい人達の為に振りかざした力が脳裏に響き渡る声と共に消えていく。

――――我の加護で美しい君が壊れていくのは見ていられない、と。

 背後からの絶叫と悲鳴さえも聞こえないほどの絶望に心が覆われていく。どうして、どうしてと魔法使いはひしゃげた両手を力無く放り出してその場に膝をついた。

 人を愛する事は、誰かを守りたいと想う心は美しくないと言うのか。


「魔法使い様っ!!」


「っ!?」


 不意に身体が強い衝撃に揺れた。土石流に飲まれる刹那、スローモーションに感じる時の流れの中で魔法使いは衝撃の元へと目を向ける。

 かつて、魔法使いと同じような身も心も美しい人になりたいと言っていた壮年の男性が穏やかな笑みを浮かべていた。


「――――」


 瞬間、土石流が彼の姿を攫っていき轟音が目の前を通り過ぎていく。家屋の壊れる音、飲み込まれていく愛した人々の悲鳴、その全てが鼓膜の中を残響して更なる絶望へと突き落してくる。

 守ってあげられると思っていた。皆を救えると思っていた。それがこの有様だ。あの時ゼピュロスの加護が無くならなければ、きっと救えたかもしれない。自分の体が壊れてしまうことなんてどうでも良かったのに。


「なんで、なんで……」


 どれだけの時間が経ったのかわからない。鼻腔を突き刺す土の香りと雨音だけが響く曇天の下、ふらふらと覚束ない足取りで土石流の上を歩く。木の枝に躓き、誰も居なくなった村の上に位置する場所で魔法使いは一心不乱に土を掘り返す。引きずるように残された曇天は雨粒をポツポツと降らせて、跳ねた泥が顔を汚す。壊れた指は植物を這わせて補強し、迸る激痛を無視して土の中へ手を差し込んだ。

 掘っても掘っても底の見えない土砂に、魔法使いの心はどんどん汚れて濁っていく。

 爪に何かが引っ掛かり、息を呑んで更に掘り進めれば、そこには――――


「いや、いや……いやぁあああぁぁぁああぁぁぁあぁぁあッ!!」


 汚く潰れた花を握り締めた少女の体が、醜く歪んで押し潰れていた。

 張り裂ける心が慟哭を生み、決壊して溢れ出した絶望のままに魔法使いは泣き叫んだ。

 息をする事さえ忘れて少女の姿を掻き出して、胸の内に抱きしめる。どうしてこうなった、どうしてこんな事になった、何が間違っていた、私が一体何をしたというのか。


「なんで、守らせてくれなかったの!私の愛した人達を、私の守りたかったものを!なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでぇッ!!」


 どれだけ嘆いたところで現実は変わらない、目の前の惨状こそが結果だ。全ては、神が気まぐれに裏切らなければこんな事にはならなかった筈だ。そう思った時、魔法使いの美しい精神がドス黒い何かに飲まれ始めた。


「許さない……」


 黒く黒く、水を入れたグラスに泥水が注がれるように。美しかった精神というグラスが泥水に耐えかねて形を歪め、茨の棘のように奪われた憎悪と後悔を世界へと向ける。


「……私から愛した人達を奪った風が、世界が、神が!私は憎い!この憎しみが、憎悪に塗れたこの醜さが、人の本当の美しさを知らないお前に鉄槌を下してやる!あぁ、神よ!」


 血走った眼で天を睨む魔法使いは、その憎しみによって忌むべき魔女へと自らを堕とした。この世界の不条理を呪い、愛した人達の無念を晴らすべくして誓いを叫んだ。


「私と同じように、お前の愛した子らを私が奪ってやる!魂が枯れるまで、永遠にッ!」


 こうして、かつて魔法使いと呼ばれた美しい心を持った女は魔女として生まれ変わった。後世に語り継がれた魔女の話は噂により捻じ曲がり、村を襲った自然災害すらも魔女の仕業として畏怖されていく。

 長い長い時間の中、愛した村の人達の死を擦り付けられて続けた魔女は自責の念と復讐心に囚われて心を壊され続ける。

 本当は、人を愛したかった。例え叶わない願いだとしても、もう一度人の美しさを信じたかった。何度も自分を責めて、もう一度やり直そうと胸の内に巣食う復讐心を抑えつけて人に寄り添ってみれば、待っていたのは絶望だ。

 魔女というだけで蔑まれて拒絶されて、そしてまた心がヒビ割れていく。そうやって心が壊れていく度に復讐へと心が駆り立てられるのだ。

 もう憎しみなのか愛情なのかも分からなくなるほどの長い時間が過ぎた頃、魔女の心にはゼピュロスへの想いしか残っていなかった。

 ゼピュロスの加護を持つ最後の人間、芦屋 風吹(あしや ふぶき)に会うまでは。



――――…



「格好いい啖呵切るじゃないか赤いの。んでんで、どーするつもりよ?」


 暴風を巻き起こす魔女を尻目に、首を鳴らしながら神楽が問いかける。バシンッ!と手の平を拳で殴ったソラは魔女を真っ直ぐに見据えながら、


「どうするもこうするも、俺にはコレしかねぇよ。真正面からブン殴って、アイツ自身が分かってねぇ気持ちと向き合わせる」


「それって説得かい?もし失敗したどうするつもりなのかねぇ」


「成功とか失敗とか、そんなもん必要ねぇよ。泣いている子に手を差し伸べるのなんて、当たり前のことだろ」


 思わぬ言葉に目を丸くした神楽は一瞬後に小さく噴き出した。その様を見て首を傾げるソラは神楽に目を向けると、当の本人は顔を片手で覆いながら曇天の空を仰ぐ。


「あー……本っ当に、馬鹿が付くくらい真っ直ぐですげぇわ赤いの」


「何だよそれ、褒めてんのか?」


「褒めてる褒めてる、多分な。んじゃまぁ……主役は譲ってやるぜ?お兄さんがフォローしてやっから、好きに暴れろ」


 おうっ!と威勢良く応えたソラは腰を落として臨戦態勢に移った。吹き荒れる風の向こうで涙を流す、意固地な奴に前を向かせる為に。

 大地を踏みしめ、加護の力を乗せた足が地面を抉り飛ばして暴風へと突貫する。その背中を目で追って、神楽はポツリと呟いた。


「ソラに輝く太陽のようで眩しいよ、お前さんは。その眩しさが――――少し羨ましい」


 その言葉は誰にも届かず、風に飲まれて消えていった。


 


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