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魔術学院のクレナイ魔術師  作者: 芦屋 和希
第一章 クレナイの兆し
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プロローグ 片道切符


 

「それじゃあ、お世話になりました」


 そう言って赤い髪の青年は深々と頭を下げた。お世話になった三年間の感謝と、見捨てずに支えてくれた目の前の夫婦に精一杯の尊敬を込めて、頭を下げたままもう一度声を大にして叫ぶ。


「おっちゃん、おばちゃん。本当にありがとうございました!」


「よせよ、ソラ坊。俺達ぁ別に……そんな……くそ、年取ると涙もろくてなぁ」


 弱々しい声に頭を上げてみれば、異常に割烹着が似合わない中年夫婦が涙を滲ませている。ヤクザにも見える厳格そうな黒髪の夫、金髪を簡素に纏めたモデル体型美人妻の異色な夫婦だ。

 夫は乱暴に涙を拭い、涙を浮かべながら優しい笑みをしている美人妻を見て青年もまた泣きそうになるのを必死で堪える。

 西暦2050年、火の暦の春。青年は新たな世界へ旅立つのだ。


「つらい事があったら、いつでも帰ってきなさい?ちゃんとご飯も食べるのよ?ムートちゃんとも仲良くね?」


「ぐす……うぉおお…あのソラ坊がこんなに立派になって……俺ぁ…俺ぁ嬉しくて嬉しくてよぉ…」


「ムートとはいつも通りやるよ。メシも、ちゃんと食うから……おっちゃん、また肉喰いにいくからさ」


 一つ一つ丁寧に言葉を返して、青年は最期に夫婦を抱き締めた。折れんばかりの力で目一杯抱き締め返されて、本当に自分を大切にしてくれていた事を改めて実感する。そんな夫婦がいたからこそようやく夢へと向かっていけるんだと感謝しつつ、青年は大きなボストンバッグを肩に担ぎ、別れを惜しんでくれる夫婦に手を振りながら走り出した。

 夢は、いなくなった父親を探すこと。

 この世界ではもう当たり前となっている魔術師という存在だった父親は、小学校卒業と同時に姿を消した。捨てられたのか、何か事情があったのか、理由はわからない。ただわかっていることは、姿を消す前に「母さんに会ってくる」と嬉しそうに笑っていたことだけだ。

 それから三年と幾月の時が流れて、今。

 赤い髪の青年――不知火(しらぬい) ソラは父親を探すために同じ魔術師の道を歩む。


「それじゃあ、行ってきます!」


 太陽に負けないくらい眩しい笑顔で、踏み出した一歩はとても軽かった。

 雲一つない青空の下を走り、道行く人の目を引くことも気に留めず、ただ夢へ向かって真っすぐに――――


「真っ直ぐに行ったらこれだよ!なんでペットの火蜥蜴(サラマンドラ)にちょっかい出してんだよお前はぁ!?」


『あのトカゲが悪いんだギャ!いなくなってせーせーするとか言ったんだギャ!』


「ちょっとした思春期だよ!好きな子にちょっかい出したがる男の性だったのにお前がガチギレしたからこうやって追われてるんだろうが!」


 ワニのような巨大な爬虫類が三頭、首のリードを振り乱して火の粉を撒き散らし追いかけてくる。街中の道路から一心不乱に駆け抜けて、ひらけた公園に走りこんだ青年は身を翻して火蜥蜴(サラマンドラ)へと向き直る。

 土煙を巻き上げて、赤い鱗を逆立てて走ってくる火蜥蜴(サラマンドラ)に対して腰を落として地面を踏みしめた。右手を引き、敵意を剥き出しにした相手を見据えて拳を握って構える。


「またあのお姉さんに謝らなきゃいけねぇな、こりゃ…!」


 一歩、大地が沈む。一手、力が収束する。同時、解き放たれた拳を赤い魔法陣が包み込み、轟ッ!と砲弾のような速度と密度の空気が発射された。

 地面を抉り飛ばした拳圧は火蜥蜴(サラマンドラ)の身体を軽々と持ち上げ、背中から地面に叩き落す。


「悪いな。ステファニー、トラガナ……デイルはもっと素直になったほうがいいぞ、ムートはやらんが…ぁああああああああっ!?地図がぁ!?」


「フン、竜の始祖であるあちしに求婚するなんて一千年早いギャ」


 ポンッ!とコミカルな音を立てて頭の上に慣れた重みがのしかかる。成人男性の頭一人分程の大きさをした、赤い鱗と小さな翼を持った生き物だ。傍から見ればぬいぐるみのようにも見える可愛らしいそれは、まさしく小さなドラゴンである。


「お世話になったおっちゃんとおばちゃんに挨拶もせず寝こけて、起きたと思ったら問題起こしてくれやがったのはどこのムートちゃんかなぁ?」


 ドラゴンらしく火の粉混じりの欠伸をしている頭の上の不遜なチビ竜に、ソラは眉を引きつらせて唸る。しかし、ムートと呼ばれたチビ竜はどこ吹く風と行った態度で、定位置である頭の上からソラの顔を覗き込んだ。その顔はとても不愉快そうに、目を細めて言う。


「一晩中あちしの尻尾齧ってたのどこの誰ギャ?おかげで寝不足だったギャ」


「その説は誠に申し訳ございませんでした…夢の中でフランクフルトの海にいたからつい腹が減って……現実はめちゃくちゃ堅かったけど」


 いつものように三頭の火蜥蜴(サラマンドラ)を飼い主のお姉さんに引き渡して、ソラはぐるりと辺りを見渡した。


「気を取り直して出発……と言いたいとこだけど、やべぇ」


「何がギャ」


「さっきので地図が燃えました☆」


 いつの間にか落としていたらしい地図が視界の片隅で灰となっていく。火蜥蜴(サラマンドラ)の吐息で燃えたらしい。

 頭に手を当てて可愛らしく……男なので大変気色悪く言い訳すればムートが火球を吐いてツッコミを入れてくる。ギリギリ避けたソラは肩で息を整えながら、改めて周りを見渡した。

 ビシッとスーツを着こなした光沢のある鱗を持つ蜥蜴人(リザードマン)族、工事現場には白いシャツを肩まで捲り上げた青柳色の肌のオーク族。少し奥まで目を凝らせば猫耳の生えた壮年の猫人(ねこびと)男性が八百屋を営み、総じて亜人と呼ばれる種族が人族に混じって日常を謳歌している。

 ガラス張りのビル群は太陽の光を痛いほど反射して、周囲には間隔を空けてコンビニが点在している。隙間には色取り取りの飲食店、商い通りには古き良き個人店が立ち並び衣食住が充実していて見飽きることはないだろう。中には魔界から直接資材や食材を持ってきて販売している珍しい店もあるほど。

 科学とファンタジーがこうまで上手く溶け合っているのは、どちらか二つが欠けては成り立たない共依存性があるからだ。


「スマフォのマップにも載ってねぇ…魔力探知を搭載したGPSに引っかからないとかどんな隠匿魔術だよ…」


 科学は魔術を根幹にして成り立っている。例えば、今手の中にある携帯機器もそうだ。

 板型の通信機器、スマートフォン。携帯電話の一種で音楽も動画も見れる聴ける上に魔力探知を搭載した衛星によりGPS機能もある。と、ここまでは科学の領分だがコレを動かしている電力や機械部分には魔力を練りこんだ金属が使われている。

 電車もバスも、都市を形成する物体は全て魔力を込めた資材で作り上げ地震大国日本の耐久度を著しく引き上げた。他にも魔力や魔術を用いて科学を支えている点は多くあるが、今の状況ではどれもこれも役立ちそうにない。


「あー…良い天気だなぁ」


 生まれてから変わらない見慣れた風景も今日はやけに輝いて見えるのは何故だろうか。雲一つない空を見上げれば眩い太陽が暖かな日差しを放っている。なんて良い旅立ちの日だろうか。


「諦めて現実逃避してんじゃないギャ!」


「違う違う、これは現実逃避じゃなくてアレだ。ちょっと頭の整理をする為に意味も無く空を見上げてるだけだ……やべぇ、どうしよう」


「やっぱり逃避してるギャ!」


 ガジガジと頭を齧って訴えるムートに苛まれながら、本当にどうしようかと悩む。道は分からない上に近くに同じ境遇らしき学生も見当たらない。八方手詰まりとはこの事だろう。


「素直に聞いてみるか……あのしっかり鱗磨いてる蜥蜴人(リザードマン)さんとか」


 蜥蜴人(リザードマン)族にとって鱗を磨くという行為は最上の身だしなみだ。信号待ちでも踵を揃えて真っ直ぐに立つ姿はどこか軍隊染みているが、前を向く瞳は光が灯って凛々しい。生気に満ち満ちている彼はきっと営業職か何かなのだろう。ソラは歩み寄り、凛々しい蜥蜴人(リザードマン)のサラリーマンに話しかけた。


「あのー、すいません。ちょっと聞きたい事があるんスけど……」


「むっ……何用でしょうか?これから被疑者との打ち合わせがあるのですが」


 光るピンバッジに「弁護士!?」とソラは飛び退いて驚く。亜人と人間が入り混じるようになった今の世界において弁護士というのは最高峰の職業だ。亜人側のルールと人間側のルール、膨大な知識が必要になるエリート中のエリートと思わぬ遭遇をしてしまい、尻込みしてしまう。

 しかし、そんな事はどうでもいいとまたもチビ竜が不遜に言い放つ。


「いーからとっとと答えるギャ」


 チラリと覗き見てくる蜥蜴人(リザードマン)の弁護士がムートを見た途端「ヒィッ!?」とオーバーリアクションで後ずさった。右手に持っていた鞄が遠くへ飛んでいき、爬虫類独特の黄色い瞳が思い切り引き絞られる。


「りゅ、竜族……それも純血の竜族様!?」


「そーだギャ。おまえ達に血を分けた始祖ギャ……あちしは偉いのだギャ!」


「やーめーろーバカムート。それで、聞きたい事があるんですけど……」


 人の頭の上で胸を張るチビ竜の額をデコピンして、蜥蜴人(リザードマン)の弁護士に再度問いかける。さっきの態度が嘘のように首をブンブンと縦に振り、ニコニコと友好的な笑みを浮かべていた。

 亜人と人間の境界がなくなったとはいえ、種族間の上下関係や交友関係は亜人特有のものだ。ドワーフ族とエルフ族の仲が悪いように、蜥蜴人(リザードマン)族が始祖たる竜族を崇めるのは至極当然のことである。


「何なりとお申しつけ下さい!望むならどれだけ不利であろうと法廷すら捻じ伏せて……」


「あ、いや、そういうのはいいッスから!えっと……東部魔術学院の門……でいいのか?知らないッスか?」


「東部魔術学院の門……あぁ、学院の入学者で御座いますか。生憎と私は北部魔術学院の出なので東部のは少し見識が甘く……」


 軍隊染みた動きは北部魔術学院特有のものか。と納得しながらソラは場所を知らないと聞かされて項垂れた。その様子を見て頬を掻く蜥蜴人(リザードマン)族はソラと同じように辺りを見渡していた。しかし、やはりというべきか周りに学生の姿は見えない。


「力になれず、申し訳御座いません……」


「いやいや、こっちこそいきなりすいませんッス……地道に探すかぁ」


「………あなたは、随分と変わっておりますね」


 え?と顔を上げたソラに、屈託のない笑みを浮かべる蜥蜴人(リザードマン)の弁護士。彼はキッチリ締めたネクタイを緩めて手を差し伸べる。握手の形で伸ばされた手を思わず掴み、


「人と亜人に境界はない……そうは言っても、私達亜人は人からすれば異形の姿をしている。どれだけ月日が流れても異形と接する時は特有の距離感を感じるものです」


「はぁ……」


「あなたにはそれがない。躊躇なく握手に応じてくれた事も含め、まるで私達亜人を人間のように扱っているような……とても良い心地よさがあります。あなたが竜族様と誓約しているからでしょうか、末端である私にも分かるのです」


 力強く握手して、それだけ言うと蜥蜴人(リザードマン)族の弁護士は背中越しに手を振って爽やかに去っていく。格好良く去っていったところ悪いが事態は全く好転していないのだが。ついでに言えば時間だけ消費して悪い方にしか転んでいないのだが。


「恰好付けて行っちゃったギャ……何ギャあいつ」


「そう言うなよムート……しっかし、どうしたもんか。気持ち良く送り出してくれた手前、めちゃくちゃ恥ずかしいけど一回おっちゃん達のとこに戻って……」


「やっと、見つ、けたぁ……!」


 慌ただしい足音がしたかと思い振り返れば、膝に手を当てて荒い呼吸をする金髪サイドテールの少女が現れた。少女の纏う制服がソラと同じ学院のもので、思わず感嘆の声を上げる。

 大きく深呼吸した少女が額を拭い、顔を上げると日本人らしい茶色の瞳がムートを注視し、次にソラの顔を見て思い切り眉を顰めて口を開く。


「貴方達ねぇ!なんで学院の門から真逆の方に突き進んでんのよ!?わざわざ貴方達の家まで行ったのに、周囲一帯探してもいないんだからっ!」


「あちしのバカマスターが地図を燃やしたアホだからギャ」


「オイやめろ、あんまり罵倒すると喜んじゃうだろ俺が……冗談だけど」


 あまりにも酷い言われようなので悪ノリして捻った返答をすれば、初対面の少女がそのまま受け取ってしまったらしく青ざめた顔で引いていた。


「き、気持ちわる……」


「冗談だって言ったよね!?俺にそんな特殊性癖ねーよっ!!」


 必死で弁解するソラを金髪の少女は溜息で答えると、腰に手を当てて真っ直ぐに瞳を見つめて手を差し伸べる。先程の蜥蜴人(リザードマン)と同じく握手の形で差し出された手と少女の顔を見比べれば、ムスッとした少女が無理やり手を繋ごうとひっつかむ。

 ソラは手繰られた手をするりと抜けて回避。少女の眉根が吊り上がり、もう一度ソラの手を掴むとまたもソラは逃げる。少女の額に青筋がいきり立ち、なりふり構わずソラの手と握手しようと両者の手が荒れ狂う。


「なんで逃げんのよ!?友好の証に握手しようとしてるだけじゃないの!大人しく握り潰されなさいよっ!!」


「友好の証に握り潰すってどんな蛮族だよ!?ほのかな敵意を感じたから拒否ったらこれだ!山姥かお前はっ!」


「だぁれが血みどろで人肉大好きな醜女婆だぁ!?!?」


「そこまで言ってねぇよ!ぬわっ、ちょっ、拳握ってんじゃねーか握手はどうした握手は……がはぁ!?」


 少女の拳が顎にクリーンヒットし、ソラの視界が明滅する。膝から崩れ落ち、暗転していく世界の中で少女の焦った顔が見えた。その隣にはムートが呆れ顔で飛んでおり、小さな手を組んで見下ろしている。


「女の子に酷いこと言った罰ギャ」


 溜息交じりに吐き出された言葉を最後に、視界が真っ黒に染まりきった。



 

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