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東西の渡り  作者: 灰撒しずる
西山章‐山々渡り
4/17

二の一 白き王の国アムデンⅰ

 ナリュムは時に、人の世界との時差をまざまざと見せつける。緑葉が広がっていたと思った先の景色は、境を超えると一変した。木々は衣替えをし、茶、赤、黄と秋の装いになっている。鮮やかな橙に染まった空の色を映したようでもあった。

 その空に点々と黒い影がある。形は鳥だが、異様に大きいものがいくつか混ざっている。ヒタキとも、またヒカタやイナサとも差がないものたちが、羽ばたいている。

 ナリュムの一国、境に近い東端に位置するアムデン王国の民だ。

「ようこそお客人、お待ちしておりました」

 すいと見目の割に静かに旋回して横に並びながら声をかけてきたのは、隼の近衛兵だった。ヒタキとも顔見知りで、若々しい男の声で喋るので若者なのだろうと思われるが――首から下げた徽章は栄誉ある兵長のものだから、一概にそうとは断定できそうにない。

 それもヒタキにとってはおよそどうでもよいことで、ただにこりと笑んで見せた。話を通されたとおりに客として出迎えてくれた事実のほうが重要だ。

「久しいな兵長殿。王や賢者もご健勝だろうか?」

「ええ、勿論。以前にも増して羽艶もよくあられます。――さ、こちらへ」

 軽く振る世間話への返事は朗らかだ。他の、鷲やミミズクなど猛禽の多い兵士たちはどこか生真面目な雰囲気で、ヒタキたちを取り囲むかの配置についた。ヒタキと並んでも大差ない大きな鳥たちの他、並の大きさの鳥たちもその周りに供としてついている。彼らは子供などではなく――彼らの中で選ばれた者が魔法によって、より大きな体を得るものらしい。

 案内と護衛にやってきた鳥たちは、竜の翼が起こす風や揺れる尾に捕まらぬよう、絶妙の間合いで飛び続けた。隼の兵長が降下すると客の側も窺いつつそれに倣う。鳥たちは本気を出せば竜よりもずっと速度が出せるが、そのあたりの調整も上手いものだった。

 ぶつかることなく飛び進めば、崖に突き出た一端に門が見える。

 草や木の実の染料で彩られ、素朴な――大工の啄木鳥たちが嘴で削ったのだ――彫刻も見られる独特の大門だ。音を立てて開き風が抜ける中、飛び込む。

 その先は鳥の王国だ。

「〽ようこそようこそ。果樹もたわわな良い日柄、蜜の溢れるよい日柄。此方はアムデン、ナリュムの一つ。白の王の止まり木山ぞ――」

 柱の如く荘厳に立ち並ぶ大樹の枝が、列席する民の座だ。何千羽、猛禽に限らぬ種々の鳥たちが小鳥から水鳥まで、一同に会している。年中歌を歌い過ごす鶫や雲雀にルリ鳥は今日は木々に綺麗に並び客を迎える歌を囀り、白鳥の一団は近衛たちが降りてくるその上を飛び優雅な舞で歓待する。

 大地に広々開けられた木葉の他何もない空間が、竜が降りる為のいわば客間だ。その奥に挨拶にも出した知り合いの姿が見え、ヒタキはまた愛想よく笑みを浮かべた。丸い輪郭の白い梟――アムデンの賢者が羽を膨らませて、ほおうと応じる。

 ヒカタとイナサが落葉を舞い上げて降りる。ヒタキはぱっと飛び降り、前のめりになりながらも上質の絨毯よりふかふかと沈む地面を歩み、台座にしている切り株を差し引いてなお己よりも背の高い大梟と向かい合った。

 梟は、彼の物ではない大きな白い羽が付いた黒い帽子を被って、黒い襟巻をしていた。片方だけ見えている脚には金の輪の飾りがある。

「渡り殿、よくぞ参られた。王は暫し()を外しておられますが、しかと預かっております故、受け取ってくだされ」

 隼に比べ低く落ち着いた声で仰々しく話す彼はアムデンの建国に関わったという賢者で、今は王の側近、宰相を務めている。

 彼がその身の丈よりも大きな翼をひらめかせて指示を出すと、苔張りの器を吊った紐を咥えたハチドリたちが姿を現した。器の中には立派な胡桃が十、転がされている。

 王賜の食物。王が他の山や人里から訪れた客人へと与える、許しの食物だ。その土地で採れ、食べた分だけその土地の者と認められるいわば滞在の許可。以前は桑の実や、あけびだったこともある。山によって、また時期によってそれぞれだが、いずれも不可思議な魔力を貯えているようだ。

 かつて、これを食べずに山に居座った者がすぐにそうと知られ、叩き殺されたという伝えもある。

「確かに、お受けいたします」

 ヒタキは小さな――とはいえ人の国で見かけるものより倍は大きく器を持つ分懸命に羽ばたくハチドリたちにぶつけぬよう用心して手を伸ばし、胡桃を掴みとって腰に下げた麻袋へと放り込む。すべて収めてしまってから改めて二つを手に移すのは殻を割る為だ。

 二つを押し付けるようにして片手で割り、中身を口に放り込む。他で食べる胡桃よりも濃厚で甘く、心地良い風味が口に広がる。海に入る際の魔法ほど劇的ではないものの、そうして一欠片でも飲みこめばこの常ならざる山の岩や土、森の木々がどことなく馴染むのだから、不思議なものだった。

 山の王よりの祝福、加護、そして呪いだ。

「さて、荷を見せて頂いても宜しいですかな」

 梟は円らに黒い瞳でヒタキを眺め、胡桃の一欠けが喉を通ったところを見届けるとさっさと促した。

 飛ばずに歩いて客人の竜に寄るのは言わずもがな、客人への配慮に他ならない。立てば威厳に溢れ飛べばなんとも見栄えのする彼が両の足で歩むと、のそのそという言葉が相応しく実に愛くるしいのだが、その感想はいつもヒタキの胸にしまわれている。

「勿論です。暫しお待ちください」

 ヒタキは竜の手綱を引き、殻の中から取り出した実をまた口に放りつつイナサの傍へと向かった。食べながら歩き話すのも、此処では非礼ではない。ヒタキはアムデンのそこを気に入っていた。

「渡り人殿の竜はいずれも実に立派ですな」

「ありがとうございます。――重かったろう。ご苦労」

 ヒタキはイナサを労いながら荷の留め具を外し、ガチャガチャと音を立てて布包みを地に下ろしていた。額同士を寄せる竜の親愛の仕草も挟み、それから荷を纏めていた頑丈な縄も解きにかかる。縄が緑をしているのは蓬染めの為で、古くからある魔除けの一つだった。

「ああ可愛い可愛い。暫く持っていておくれ」

 解いた、まだ使い道のある紐を近くで揺れていたイナサの尾に何気なく結んでしまってから、ヒタキは包みに屈みこんだ。布に穴を開け通していた留め紐も解いて払う。中身は人の国で鍛えられた武具だった。

 剣や槍に矢、鎧などの防具まで。鉄で出来た物々しい装備だ。装飾などは程々に見られるが、特に珍しくもなければ名工の作品というわけでもない、ありふれた品だ。脇に置かれた小麦でも入っていそうな麻袋の中身は、穀物とは似つかぬ鉄の礫だ。

 こうして運ばれるのももう三度目となるので、たとえば兜などの大きさは鳥たちに合うように調整されているところもあるが、そんな物は少数だ。九割がマトリなどがそこらの町の鍛冶屋から掻き集めてきた物だ。

「ほっほう、有り難い。これであの小賢しい虫もどきを蹴散らしてやれますぞ」

 アムデンの者たちは長年、争っていた。国と国との戦いではないが非常に手を焼いている。その相手に対抗するための武器が、この人の手による品々なのだった。

 鉄でできていることが何より重要だった。ナリュムにも鉄鉱山の王国――鍛冶製品の生産地は存在するが、アムデンとは親しい関係に無い上、非常に離れた所にあることもあって大層値が張る。賢者曰く、祭事の剣ならともかく、戦で消耗される武具としては優秀とは言い難い。

 そこで思い至ったのが東西の渡り、人の国より現れる客人の存在だった。人の世においては普通の剣や鏃程度、そう珍しいものでもないと賢い梟は知っていたのだ。

 そうして、ユカリたちとアムデン国は取引相手と相成った。

「して、代価は何をお望みですかな」

「薔薇色の蝶を捕まえさせて欲しいのです。できれば袋にたんまり溜まるだけ」

 人の望むものは、鳥たちにとって大したものではなかった。鍛冶巨人たちが千年樹の丸太や、鉄鍋一杯の梟の血を求めたりするのとは大違いだ。今日もまったく困りも憤りもしない要求がヒタキの口から発されたので、梟宰相は気分よく羽をふっくらとさせた。

「ほう、薔薇色。それはどうするのです、茶菓子に摘まむのですか? それとも酒の友――ああ、パテにでもするんですかな。きらきらとしそうですな」

「いえ、人はあまり虫を食いません。けれど薬にはなるらしいのです。黄金と交換してもらえるほど価値がある。……擦り潰して使うそうなので、パテといえばそうですね。さすがは賢者殿」

 病や怪我を癒す真っ当な薬ではなく、貴族たちの間で流行っている――体の、特に秘部に塗りつけて使う媚薬なのだとはさすがに告げなかったヒタキに、ほほほう、と梟は笑う。

「お世辞がお上手だ。いや宜しい、何も問題はありませぬぞ。蝶の居所をよく知る者を案内に付けましょう。他に欲しいものは?」

 機嫌は上々、この人間を甚く気に入っている彼は、対価の枠を二つ目まで広げた。

 これがユカリの交渉の基本だ。自らは余分に望まない。相手がその気を見せたときだけ、その好意に見合う分だけ何かを望む。相手の反応を先に見ること。異形や精霊を相手にする上で、それはとても重要なことだった。

「……欲を申しますので、無理なら断って頂いていいのですが」

 望むにしても敬意と遠慮を忘れてはならない。ヒタキは少し考えた後、控えめに切り出した。

「以前頂いた夜色のあの酒、また貰えませんか。気に入ってしまって」

 ヒタキが望んだのは二度目にアムデンを訪れた時に盃に注がれた、人の国では見たこともない芳しい酒のことだった。夜風のようにすっとして、上等の布団に横たわっているような気になる美酒だ。

「構いませんよ。丁度今年の分が出来たところなのでまだ若いですがね、寝かせたものともまた違って美味いのです。まずは今宵たっぷり振る舞いましょう」

「ありがとうございます」

 梟は特に悩むこともせず、むしろ客が自分たちの造った酒を気に入っていることに気をよくして軽く請け負った。一つの成功にヒタキの顔に年相応――外見相応の笑みが浮かぶ。

 まず己の口に合う物だし、売っても素晴らしい値が付くに違いなく、蝶の分と合わせれば相当の稼ぎだ。一族の者たちへの土産としても、珍しくて美味くて丁度よい。

「ではひとまずこれにて。――寝床に案内致しましょうぞ。前より気に入ってもらえると嬉しいですな」

 宰相が告げると近衛を初めとする鳥の兵団が寄ってきて、武器の検分を始めた。到底武器を持ちそうにもない小鳥たちも興味深げに、ミミズクの頭の上などから覗きこんでいる。

「王のお帰りでございます! 王のお帰りでございます!」

 その横を控えめに歩いて竜の手綱を取ったヒタキの耳に、武具の触れ合う音よりもはっきりと一声飛び込んでくる。

 伝令の雲雀が美しい声で告げたのを、他の鳥たちが斉唱するように広めていく。人の言葉で分かるものもあれば、ピチチヒョロロと鳥の声でしかないものも交ざっている。コンコンコンと響くのは、啄木鳥やアカゲラが木を打っている音だろう。

 如何に多くの鳥が此処に集っているのか、王が尊敬されているのか、知らしめるようだった。

 ヒタキは振り返り空を仰いだ。確かに見える。何処であろうかと探すまでもない。

「大いなる白鷲セイム様、アムデンの王のお帰りである!」

「お帰りなさいませ、王よ!」「ご無事の帰還なによりでございます」「〽頂よりもなお高く、飛びゆく影は気高く白く、風を追い越し雲を消す――」

 風が乱れたのは謳われる王の羽ばたきの為。木の葉が舞い上がり、枝やミミズクの頭にしがみついていた小鳥が何羽か転げ、ヒタキの頭巾も吹き飛びかけた。同時に影が落ちる。

 わっと沸いたその中に舞い降りたのは、人とも変わらないどころか大男よりも更に大きく、小屋ほどもある大鷲だった。白く美しい羽を持ち精悍な顔立ちをした大鷲の中の大鷲、鳥たちが一斉に讃えるとおり、ナリュムは一国アムデンの王である。

 今は玉座代わりの巨木の切り株を捉えたその鈍色の鉤爪は、ヒタキの体を抱きこむのも容易いほどの大きさ。嘴は一つでヒタキの頭を呑むだろう。

「ご予定より早いお帰りですな」

「ああ、早く済んだ。――ようこそ渡り人殿」

 二羽の山鳩が掴んできた木彫りの冠を頭上に受け止めながら大鷲は嘴を動かし、柔らかく落ち着いた男声を発した。威厳ある王の雰囲気だった。

「久しゅうございます、鳥の王。人の国よりお望みのものを持ってまいりました」

 ヒタキは恭しく一礼して右側、先程広げた荷を示す。近衛の隼が丁度爪先を引っ掛けていた物を掴んで飛び立ち王の元へと見せに行くと、紛うことない鋼の鈍い煌めきに満足気な頷きが返った。

「大いに助かる。胡桃は十、確かに其方へ渡ったであろうか」

「ええ、確かに頂きました」

「ではゆるりとされよ――皆の衆、宴の支度を急ぎたまえ」

 三度目ともなればやりとりは簡潔に終り、また喝采が起きた。

 ヒタキは梟の賢者に連れられ竜たちを連れ、アムデンでの寝室に案内された。台のように置かれた大岩の窪みに枝で拵えられた編み籠のような寝床は人と竜が入って余りある大きさで、綺麗に洗われた苔の布団が敷かれていた。その上に木の骨組みがかけられ、鼠の毛皮の屋根が載っている。

 以前はそうした物の用意もなく、この山は狼や熊も出ないものだから地に転がったり枝に布を張ったりして横たわったものだが。過去の功労あってか待遇は更によくなったようだ。

「こんなに大きくなってから揺り籠で寝るとは」

「人の赤子が寝る物が我々の巣にも近いのは興味深いことですな」

 ヒタキが冗談を言うと梟は笑った。宴の準備がちゃんとできているかどうか己が目で確かめてくると告げ彼が飛び立った後は誰の案内もなくなって、ヒタキはふうっと息を吐いて伸びをし、二頭の竜を繋ぐ縄を外してやった。鞍と荷も降ろし、その中から布と記録用の紙と筆記具を取り出す。

 苔の上に布を引き寝転がり、家に居るかのだらけた姿勢で板張りの紙を相手にナリュム滞在初日の記録をつけ始める。間に、ヒカタが寄り添って眠り始めた。イナサも一度はやってきたが、彼は苔の布団よりも落葉のほうが気に入ったらしく、岩の陰で身を丸めている。

 山の様子や取引の仔細を書きつけるのは慣れたもので、尖らせた黒鉛の先はすぐに丸みを帯びた。話したことなどのメモに加え、自身と竜の体調も付記して完成だ。

 欠伸を零し眠たげにしたヒタキは、記録と筆記具をしっかりと荷袋に戻し紐まで締めてから頭巾を脱いで再び横になり、目を閉じた。

 暫くの滞在の許可は貰っているがいつ何が起き此処を発つことになるか分からない。見送ってもらえるような事態ならばまだ良いがそうとも限らず、最悪の時はいつでも飛びだせるようにと務めるのがユカリの教えだった。財である荷はなるべく解かず身の近く。竜を休めたら即座に鞍と共に括ること。ヒタキも几帳面な性質ではないが、渡りの際のあれこれは間違えず、気を抜かずにやることにしている。それで助かったことも何度もある為に、未だ怠慢を犯す気にはならないのだった。

 そうしてうとうとと微睡み暫くして日もすっかり沈んで辺りが闇に浸った頃、ヒタキを起こしに来たのは賢者とは似つかぬ灰色の小さな梟だった。宴の支度が済んだとの言葉に、ヒタキはいくらか服装を整えてから寝床を出た。鳥たちは賢者の指示を受け、竜にも果物を運んできてくれた。

 宴会場は、出迎えの時と同じく賑やかで華やかな様相だった。

 広々と空を覗かせる広場に浮かぶ灯り袋は光る虫を集めた物。月明かり星明りより一段明るく照らされる切り株や倒木のテーブルには山の果実や野菜、肉の料理が惜しむことなく並べられている。料理は葉の上に載せただけの物も多いが、いくつか木製の皿が見られるのはやはり、木を削る鳥たちが作った品に違いない。特に酒を注ぐ木杯は、嘴で掬ったり突き舐めたりしない人に合わせたものだ。

 ヒタキの席が用意された辺りは人の食事に近いものが並んでいたが、山芋のスープの横にある山と積まれた丸焼きは小鳥かと思えば野鼠だったり、少々離れた卓を見遣れば生の肉――というか毛皮を剥いだだけの獲物の死骸が横たわっていたり、はたまたまだ動いているコオロギの籠があったりするのだった。もう慣れたが、初めて見た時はヒタキもぎょっとしたものだ。

 塩の類はないので肉や野菜の味付けは物足りないが、乾いたパンや果物ばかりを食べる時期を思えばやはりよかった。何より果物はどれも美味で――美味い酒にもなっている。

「さあさお飲みくださいな、今年の酒ですよ」

「ありがとう」

 梟は言葉どおり、たっぷりと酒をと申しつけていたようだ。酌についた山鳩が丸太を抜いた酒桶から柄杓で掬い上げて木杯に満たしてくれる。

 数種の果実と草花をアムデン秘伝のレシピで醸し漬けたという酒は、夜闇のように青を帯びた美しい黒色をしている。これがそのみっしりと濃厚そうな見目に反し、飲み口の軽いことは夜風の如し。何とも不思議な香りと、程よい甘みと酸味、ほろ苦さが調和している。以前に貰った時一口で気に入ったヒタキは建前ではない満面の笑みで、山芋のスープとどんぐりのパンをいくらか貰った後は、木の実を摘まんで杯ばかり空けていった。

「お客人、料理はお口に合いましたかな」

「ああどうも。向こうではあまり食べない物だけれど、独特で楽しいものだ」

「それはようございました。……うちの息子たちがもうじき歌を披露するのです。楽しんで頂けたらよいのですけれど」

 飛んできたルリ鳥が話しかけてくるのに、ヒタキは杯を掲げて応じた。

 アムデンの者たちは見た目こそ鳥だが人と同じ言語を用いるので意思疎通が容易で、ナリュムの中でも極めて友好的に接してくる。羽毛も嘴も無く猿にしては毛の少ない生き物を初めて見る者は不思議そうに、また気味悪そうにしているが、何よりも敬う王と賢者がにこやかに歓待している客なのだから妙な気を起こす者は一羽たりともおらず――楽しく飲み食いしているうちに気も緩んでくるらしい。

「今日はどのような歌を?」

「秋の歌でございますよ! 冬が来る前にたらふく食べて楽しむ、愉快な歌です。実は私の曾祖母が歌詞を作ったものでしてね、これがなかなか洒落も利いていまして」

「へえ。ではあなたは名のある歌い手の一族なのかな」

「ああいえそんな……ちょっとばかり知れていると言うだけでして。続いているのもほんの十代ほどでして」

 大概おしゃべり好きの彼らは、珍しく来た客相手に嘴がむずむずとしてくるのだ。特に小鳥の類は歌うか喋るかが性分であるから、こうなると止まらない。ヒタキとしては酒の肴に聞いていれば土産話にもなるので、適当に相槌打つくらいは造作も無いことだったが――そうではない者がいて、テーブルの端で得意気に胸を張っていたルリを嘴で後ろから掬い上げた。

「ぴあっ」

「喧しいぞ君たち、もっと優雅にできないのか。お客人、耳障りな輩が失礼を」

 悲鳴を上げて転げる青い小鳥を睨んで落ち着いた声で言うのは、白鳥の一羽だった。

「いいや、賑やかでいいことだ。白鳥殿は舞い手だから歌は好みではないのかな?」

 ヒタキは笑って肩を揺らし、どちらも下げることの無いように柔らかく言葉を紡いでから杯を呷った。酌と相手をしてくれていた山鳩は既に酔いが回ってパンを枕に眠りこけているので手酌でおかわりを貰う。もう何杯目だか知れない。

 白鳥は丸い嘴を上下に振るようにして、ゆっくりと肯いた。

「ええ、歌もまあ悪くはないのですが、能天気にやって綺麗に飛ぶことを忘れているこやつのようなのは感心致しませんね」

「ああお前は歌が下手糞で自分が色の無い羽だからって私たちを妬んで!」

 オオルリはすぐに復活して、白鳥とは比べるべくもない小さな羽を広げて叫んだ。キンとするその声に、ヒタキも一時肩を竦めた。

 白鳥はといえば、またルリ鳥の言葉が癇に障ったようだ。不機嫌そうに羽が揺れる。

「君、それは王に対する侮辱ともとれるぞ。白がもっとも美しい色なのだ」

「セイム様はそれは格別でいらっしゃるが……ああーお客人、人の国では私のことを美しいと言いますよね、ねえ」

「お世辞ばっかりよく聞いているんだな」

「何をぅ」

 どことなく低くなった声に、小鳥の声がもごもごと口籠ったのは束の間。すぐにやる気を取り戻し話の先をヒタキに向けたが、人間代表が答えるよりも早く上から聞こえた、鼻で笑う調子に最早喧嘩腰となる。枝にも乗れぬ平べった足だ、自惚れのお喋り屋だ、やっぱりお前の白い羽はよろしくない、無暗に派手な奴とは違う……と言い合いは続く。

 さてどうやって治めようか、梟の賢者でも呼ぶべきか。考えて視線を他所に逃しながらヒタキはまた酒を含んだ。

 とりあえず酒桶がひっくり返されなければそこまで問題はないし喧嘩も独特で土産話にはよい気はするのだが、隣で言い争いというのはやはりなんとなく、困ってしまうものだ。

 酒を進めて酔わせてみようか。しかし説教が増える酔い方だとなお困る。――などと、杯を傾ける手は止めず怒り上戸な同胞シナヒのことなど思い浮かべた折。ひゅっと頭上の高いところで、風が切れた。

「客を困らせるのではない! ルリは青で白鳥は白、鴉が黒というのに貴賤も上下もあるものか。どれも変でもないどれも美しい!」

 真上から飛び込んできてルリと白鳥、ついでにヒタキも萎縮させたのは、あの隼の兵長だった。早口に捲し立ててヒタキの横に降りる。

 音もなく飛ぶものだから、気づけば傍に居る。ヒタキは紫の目を丸くしはたと瞬いて、すっかり大人しく項垂れてそっぽを向いた二羽を見て笑った。

「すみませんこの者たち本当は夜寝ているものですからちょっと頭が馬鹿になってまして」

「客に付き合わせて、こんな時間にすまないな。……どちらの方もそれぞれ美しいと評判だよ。森で囀る様も、湖で泳ぐ様も、どちらも王が見物に行かれるほどで。絵にもよく描かれるそうだ。もっとも私なんかは見せてもらったこともないのだけれどね。絵描きが描いて額縁に入れるやつと言ったら、今日持って来た剣すべてでも買えるかどうか」

 小声で耳打ちする隼に、ヒタキは頷きを返して少し大袈裟に言ってやった。仲の悪い二羽は他にも気に食わない所があった風だったが、そう言われると悪い気はしないのかやはり鳥頭というやつか、ちらりと顔を見合わせては寛容な雰囲気を見せた。

「ほら行った行った。歌でも踊りでも披露してきたまえ」

「ああ兵長さんそれは勿論」

「なんたって今日は宴だからな」

 納得してどこか誇らしげな二羽は隼に追い払われて、それぞれ仲間のいるほうへと飛んでいく。ヒタキは喉を鳴らして笑いながら、まだ酒の残る杯を片手に柄杓を掴んだ。とぷりと掬い上げるのは己ではなく、隼の分だ。

 少し持ち上げ示してみれば隼は客人の意図に気づいて、少し悩む素振りを見せた後、その辺に転がっていた薄い皿の縁をちょっとつまみ出したような雫型の食器を控えめに押しやった。

「さあ飲もう。鳥の国には羽を染める店がある……という物語が人の国にはあるが、此処には無いのかな」

「頂きます。――そうですね。皆銘々、自らの羽を自慢に思っておりますから。しかしその店は面白そうではあります」

 そこに注いで、手にしていた杯をぶつけて勝手な乾杯の動作も済ませたヒタキが問うと、隼は皿の尖ったところをを嘴で掴み、器用に喉に酒を注いで一息で乾してから言った。小気味よい飲みっぷりと話に乗ってきたのに、ヒタキは相好を崩して己も酒を呷り、頬杖をつく。

「兵長殿は、何色になりたい?」

「やはり白には憧れるのです。王の見事な羽といったら――護符にと一枚頂いたことがあるのですが、惚れ惚れします」

 少々照れくさそうに言う隼はやはり、少し若い雰囲気だった。心より王を慕っている風の言葉に、ヒタキは目を細めてまた酒を注いだ。

 〽やがて静かに木々噤み冬がこれどもその前は、原は赤く火を焚く如く、今は実りの鮮やかさ。たわわに……

 済んだ声の合唱が夜の森に響く。ルリの子供たちが唄い始めたのを聞きながら、また水鳥たちが舞を始めたのを眺めながら、渡りは様々な鳥と杯を交わした。

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