有金駆は失神する②
「ストーーーーーップ!!」
僕の唇が有金の泡だらけの口と接触しようとしたまさにその時。ロビーの入り口からこちらに向かって叫ぶ声がした。
ハッとして顔を上げると、信じられないものでも見てしまったかのような表情の会長がフロントの辺りで立ち尽くしていた。
会長は頬の辺りをぴくつかせなから、ズンズンとこちらに歩み寄ってくる。そして僕たちの目の前まで来て、
「あなたたちは一体何をしているのかしら」
「か、会長! 有金が大変なんです! ちょっと色々あって気絶してしまって」
「あらそう。それでどうして鵜久森くんとこの男か顔を近づける必要があるのかしら」
「僕のキスでこいつを起こすんですよ! 早くしないと手遅れになるかもしれないんです!」
「な……!? き、キス!?」
会長は僕の発言にギョッとした顔をした。そして僕に続いて江末も真剣な表情で、
「……麗。時間がない。王子は一刻も早く駆にキスをするべき」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。言っていることの意味がわからないわ」
会長は頭痛でもするのか、こめかみの辺りを左手で押さえた。
「八千草先輩! とにかく有金くんには今すぐに王子様のキスが必要なの!」
綾辻も一生懸命に主張する。
「状況がよくわからないのだけれど、とりあえずこの男が目を覚ませばいいのね」
「……それはそう。だけど王子のキス以外に方法はない」
会長は江末の言葉に数秒考える素振りをし、
「私に一、二分でいいから時間をくれないかしら。私がこの男を起こすわ」
「え!? 八千草先輩が有金くんにキスをするの!?」
「な……! そ……するわけないでしょう! 綾辻さん。言っていい冗談と悪い冗談があるわよ。当然別の方法に決まっているわ」
「そっか。そうだよね。でもじゃあどうやって有金くんを起こすの?」
綾辻は会長の言葉に首を傾げる。
「三人ともちょっと待っていなさい」
会長はそう言うと、旅館の入り口の端にある水場のスペースまで歩き、そこにあるバケツに水を溜めた。そしてそのまま水のたっぷり入ったバケツを持って僕らのところまで戻ってきた。
「そのバケツ、どうするんです?」
僕が聞くと会長は平然とした顔で、
「これ? こうよ」
言葉と共に、持っていたバケツの水を有金に向かってぶちまけた。
「……な! え!? 会長!」
「……う、麗!?」
「ちょ、八千草先輩! 急に!?」
僕たち三人が慌てふためく中、会長は普段通りのすました様子だ。
そして水をぶっかけられたびしょ濡れの有金はというと、
「ぷはっ! ……あれ? 俺なんでこんな水浸しに」
普通に起きた。まさかこんな方法で起きるとは。でも乱暴だし科学的な裏付けは一切ないから良い子は真似しちゃだめだぞ☆
目を覚ました有金は体を起こし、キョロキョロと辺りを見回している。自分が旅館の入り口でびしょ濡れの状態で倒れている状況が理解できていないらしい。
「……駆!」
「有金くん!」
有金に綾辻と江末が駆け寄った。
「お? ああ、すまん」
「……無事で良かった。口から泡を吐いて倒れるからビックリした」
「そうか、俺はまた一颯のやつに」
有金は状況が飲み込めたのか落ち着きを取り戻してきた。自分が竜崎のビンタで気を失っていたことは覚えているらしい。
ていうか今「また」って言った? なにあなた。気絶するの今日が初めてじゃないの?
「そうだよ。一颯ちゃんのビンタで泡を吐いて倒れちゃったんだよ。でもそこを八千草先輩が起こしてくれて」
「そうだったのか。生徒会長が」
有金は会長の方を向き、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「別に私はあなたが一生気絶したままでも良かったのだけどね」
会長はそう言うと、空になったバケツを持ち上げて先ほどの水場の方へと歩き出した。しかし数歩歩いたところですぐ止まり、
「有金駆はいいとして、鵜久森くんは後でお説教だから」
「え、僕ですか!? どうして僕が」
どちらかというと説教されるべきは有金じゃない?
しかし僕が不満を述べようとすると、会長はゆっくりこちらを振り返り、
「どうしたもこうしたもないわ。言うことが聞けないのかしら」
あ、あれ? 会長、もしかして怒ってる?
一見ニコニコしているけど、目は全く笑っていない。むしろ怒気を孕んでいる。
「わ、わかりましたけど……」
「そう。ならいいわ。夕食が終わったらフロントの前に来なさい。遅れたら承知しないから」
会長はそう言い終えると、再び歩を進めて水場にバケツを戻し、旅館の中へと戻っていった。
どうしよう。やっぱりこれめっちゃキレてるやつだ。
「ハルくん。何か八千草先輩を怒らせるようなことしたの?」
綾辻も会長の怒りに満ちた様子を察したらしい。
「いや、むしろ僕が聞きたい。全く心当たりがない」
「……王子は普段から人として必要なデリカシーが欠落している。心当たりがなくても麗を傷つけている可能性がある」
無表情の江末はサラッと僕に悪態をついた。
「失礼なことを言うな。僕だって人並みのデリカシーくらいある」
「……まあ王子は本来地球外の生命体だから仕方がないことではある」
勝手に頷いて納得する江末。だからデリカシーくらいあるっつーの。ていうかまだその僕が宇宙人の設定続いてたのかよ。
「ハルくん。お説教の前に謝りに行ってみれば?」
「んー。とはいっても何で機嫌を損ねているかわからないし」
「……理由がわからなくても行くべき」
「そういうもんか?」
「そうだよ。八千草先輩が怒ったままなのはハルくんも嫌でしょ?」
「まあ確かにそうだけど」
仕方がない。心当たりは全くないけどこちらから謝罪に行くとするか。昔から会長が機嫌を損ねた時は僕の方から歩み寄って解決してきたもんなあ。
「なあ悪い。そろそろ誰かタオル持ってきてくれねーか?」
ずぶ濡れの有金が申し訳なさそうに申し出た。
「……あ、すまん有金」
オー。完全に存在を忘れていた。アイムソーリー。