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鵜久森春は間に合わない⑥

 僕が慌てて職員室から出ると、ドアの脇に綾辻が立っていた。僕が出てくるのを待っていたらしい。


「ご、ごめんなさい鵜久森くん。急に飛び出してきちゃって」


 綾辻は僕に向かって申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。先ほどの件で機嫌が悪いかと思ったが、意外と冷静なようだ。


「いやそれは全然いいんだが……。とりあえず職員室の前で話すのもあれだから教室に戻るか」


「……はい。そうですね」


 綾辻の言葉に力はなく、かなり落ち込んでいるようだった。先ほどまでの天真爛漫で元気な様子が感じられない。そりゃそうか。あれだけ仲が良さそうな従姉に向かって「ばかああああああ」って絶叫したんだもんな。


「そもそもどうして先生はあんなことを言い出したんだ?」


 ことの発端は先生が僕と綾辻に毎日一緒に帰れと言い出したことだ。あの発言の真意は未だにわかっていない。


「わたしですね、ちょっと方向音痴なんです」


 綾辻は僕の一歩後ろを歩きながら、ゆっくりと話し始めた。前の学校で方向音痴が理由でたくさん苦労してきたことを。

 そして今日、初めてとはいえ学校に来るのに四時間もかかったことも、朝僕と会った時に学校とは反対方向に全力疾走していたこともすべて方向音痴が原因らしい。


「最近はちょっとずつ治ってきたんですけど、やっぱり今日みたいに初めて行くところは苦手で……。変ですよね。高校生にもなって一人で学校にも行けないなんて」


 綾辻は「あはは……」と自嘲気味に笑った。


「そうか……。それで清沢先生も綾辻のことを心配してあんな話を」


 先生はきっと自分の可愛い従妹が自分の学校に来るのだから一肌脱がなければと思ったんだろう。

 元々生徒思いな先生だ。それが自分の身内となれば余計に気合が入り、結果として空回りしてしまったわけだ。


「そうなんです。きっと愛ちゃんもわたしのためを思って、わたしが転校して来る前から色々と考えていてくれたんだと思うんですけど……」


 綾辻は少し悲しそうな表情で自分の上履きの先を見つめながら足を進めた。

 綾辻も先生の思いはちゃんと理解しているらしい。だからこそあんなことを言って出てきてしまったことを後悔しているようだった。


「そうだろうな。今日見ていただけで先生が綾辻のことが大好きなのは十分すぎるくらいに伝わってきたし」


「それなのにわたし、大声でばかなんて言っちゃいました……」


 綾辻は声を震わせ、今にも泣き出しそうだった。


「いや、でも仕方がないんじゃないか?」


「……え?」


 僕の言葉が予想外だったのか、綾辻は歩く足を止め、驚いた顔で僕の方を見た。


「僕は綾辻があの場面で怒るのは当然だと思うぞ。先生は今日の話を事前に綾辻にしていなかったんだろ?」


「はい。そうですけど……」


「だとしたら先生は僕にも綾辻にも説明を端折りすぎなんだよ。急にお前ら今日から一緒に帰れって言われたら誰だって狼狽えるだろ」


「そ、そう! そうなんですよ! 愛ちゃんはいっつも急なんですよ!」


 綾辻は眼尻に少し溜まっていた涙を拭い、急に元気になって僕に顔を近づけた。


「愛ちゃんは昔から私のことなのに私に相談せずに勝手に決めて、すぐ行動しちゃうんです! おまけに空気が読めないから人にたくさん迷惑を掛けて……!」


 綾辻はずんずん僕に近寄りながら先生に対する不満をぶちまけた。その勢いに僕は思わず尻込みする。


「そ、そうなのか……」


「全くあんなんだから愛ちゃんは美人なのに未だに結婚が出来ないんだよ! 鵜久森くんにまであんなに迷惑をかけて!」


 綾辻は誰に言うわけでも無く不平不満を続けた。

 でも確かにそれは僕も思ったな。あのグイグイ行く感じと空気の読めなさ。最近の草食系男子だったら後ずさりしてしまいそうだ。


「でもいいな。そんな従姉がいて。そこまで猪突猛進で綾辻のために何かできるなんて、余程綾辻のことが大切なんだろうな」


 綾辻は僕の言葉に一瞬ハッとした顔になり、


「そ、それは、わたしも愛ちゃんには感謝していますけど……」


「ただ清沢先生はしっかりしているように見えて意外とメンタルが弱いから、きっと今頃むせび泣いていて仕事どころじゃなくなっているだろうな」


 先生は一度クラスが騒がしかったことを教頭に注意されて「なあ鵜久森、私は教員に向いてないのかなあ」と半べそで相談してきたことがあるほどだ。あの人豆腐メンタルなんだよなあほんと。


「うっ……確かに」


 綾辻も綾辻で思い当たるところがあったようで、苦笑いを浮かべた。


「まあでも、綾辻が戻れば一発で元気になるんじゃないか?」


「そうですか……?」


「ああ。それは絶対に間違いない」


「……そうですね! わたし、今から職員室に戻ります! 愛ちゃんと仲直りしなきゃ!」


 綾辻は迷いの晴れた顔で元気よくそう言い、職員室に向けて踵を返そうとした。しかし何かを思い出したように足を止め、くるっと僕の方を向いた。


「鵜久森くんて優しいんですねっ!」


「さあ、どうだろうな」


「でもよかったです、鵜久森くんが優しい人で」


「どうして?」


「愛ちゃんが言い出したことって、昔からどんなに無茶苦茶でもたいてい実現しちゃうんですよ!」


「ん? それってつまり……」


「えへへ。なんでもないです♪」


 その後、僕と綾辻は職員室に戻って先生方に騒ぎの謝罪をした。そして綾辻は職員室の隅っこで体育座りで悲しみに暮れていた面倒くさい二十九歳の先生と、抱き合って仲直りをした。


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