八千草麗は諦めない①
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期末テストが終わって一週間後の放課後、私は掲示板に貼り出されたテストの上位得点者一覧を見るために職員室前にやってきていた。
この高校では毎回のテスト後に上位十名のみ、成績優秀者ということで全校に向けて名前と点数が貼り出される。生徒の間では「十傑」と呼ばれ、進学校である我が校において上位十名に入ることは憧れであったり目標であったり。とにかく全校生徒の目指すところになっている。
今回の私の順位は……。中央に位置する二年の順位表を上から順番に探していく。すると、上から四つ目に自分の名前があるのを発見した。
四番……か。中間テストの時の五番より一つ順位が上がったものの、一番上の順位を目指している自分にとっては物足りない順位だ。それに一つ上の順位まではあと四点だけど、二位との差は二十点、一位とは三十点以上開いている。
ダメ。こんな順位じゃ全然話にならない。自分の中で努力をしたつもりになっていただけだわ。もっと、もっとできることはあるはず。それを探して実践して、次のテストでは必ず満足のいく結果を出してみせる。私はなんとしてでも、二年生のうちに学年で一番上の順位をとらなくちゃならないんだから。
ただ、前向きになろうとする自分とは裏腹に、今回の順位にショックを受けている自分もいた。
正直に言って、今回はかなり気合いを入れて勉強したつもりだった。中間テストの時から勉強の時間もたくさん増やしたし、両親に頼み込んで塾にも通い始めた。それ以外にも寝る前と起きた後に英単語の勉強を始めたり、昼休みには社会科系の暗記に取り組んだり、テストで結果を出すためにかなり行動を変えた。以前に比べて勉強の量も質も確実に良くなっているはずなんだけど……。
ふと、隣の一年の順位表に目をやると、二位には知った名前が、一位には更に良く知った名前が、並んで私の目に飛び込んできた。
一 鵜久森春 八九六点
二 有金 駆 八七五点
私は思わず二度見をした。ハルくんが秀才だということは昔からよく知っていたけど、それにしても八九六点って……。
うちの高校のテストは難しい。特に理系を中心に本当に難易度が高い。去年のこの時期の私は八百点にやっと届くくらいだったし、学年トップも八五〇点前後だった。おそらく八九〇点以上なんて十年遡っても誰も出していない。もしかしたら過去最高得点なんじゃないだろうか。
「一位の鵜久森ってやつヤバくない?」
「鵜久森って……あのA組の普通そうな人?」
「真面目なのは知ってたけどまさかここまでとは」
「有金抜かれたんだ。中間はぶっちぎりだったのに」
「ていうか中間の時に鵜久森って十傑にいたっけ」
「二位の有金も十分トップの点数だよな」
掲示板の前はハルくんと有金駆の話題で賑わっている。中間テストの時にはインフルエンザで陽の目を浴びることの無かったハルくんの学力が、ついに全校生徒の知るところとなった。
ハルくんが注目されるのは嬉しいような気もするけど、注目が集まりすぎるのも考えものだ。出来なかった生徒の嫉妬を買うかもしれないし、どこの馬の骨ももわからない女子がこれ見よがしに近づいてくるかもしれない。変な虫が寄り付かないように、私がしっかりハルくんのそばにいなくっちゃ。
「まあでも鵜久森も有金もどうせ特奨だろ?」
「特奨は別次元だからな。金もらって高校来てるんだからこのくらいできて当たり前」
「きっと勉強だけして生きてきたんだろうな。なんか逆に可哀想だわ」
「やだよな勉強なんかに必死になっちゃって。どうせ部活もやってない根暗の童貞だろ」
心無い暴言が私の耳を刺した。声の方を振り返ると、私の少し後ろの方で、態度の悪そうな男子生徒の三人組がヘラヘラしながら話していた。
下衆な連中だわ。優秀な人間が周囲の嫉妬を買うのは世の常ではあるけれど、知りもしない相手のことをここまで悪く言う必要がどこにあるのかしら。まさかうちの学校にこんな下らないことを言う生徒がいるなんて。生徒会長として見過ごすわけにはいかないわ。
ていうかそれ以前に、ハルくんのことを悪く言うなんて絶対に許せないし。
「ちょっとあなたたち……」
私が三人組に話しかけようとした時、聞き覚えのある声が間に割り込んだ。
「……愚かな地球人共。今の言葉は看過できない」
綺麗な金髪のサイドテールの小さい女子生徒が、私より一瞬早く三人組の前に出た。睫毛が長くて開ききっていない目に、日本人離れした白い肌。そしてこんな時でもいつもと同じ、相変わらずの無表情だ。
「……は?」
三人のうちの一人が間の抜けた声を出した。突然現れた小さな女子生徒を前に呆気にとられた様子だ。
「……自分より優れた相手に嫉妬する気持ちはわかる。王子と駆の二人は嫉妬されても仕方がない程に優秀。でも二人を貶めるような発言をするのは間違っている」
金髪の女子生徒は三人組の様子などお構い無しで、澱みなく淡々とした口調で正論をぶつけた。
「いや……ちょ、お前急に……」
三人は予想外の展開に情けなく狼狽えた。いつの間にか周りの視線が自分達に集まっていることに気が付き、三人揃ってキョロキョロと目を泳がせている。
「……急とかそういう問題ではない。とにかく、今言ったことを取り消してほしい」
女子生徒は無表情のまま三人を見つめ、詰め寄った。
「……チッ。わかったよ。取り消せばいいんだろ。別にあいつらのことなんてどうも思ってねえよ」
三人のうちの一人が舌打ちをして、負け惜しみのように言った。
何がどうも思ってないだ。自分達が悪いのに、なんて態度の悪い奴らなんだろうか。
しかし金髪の女子生徒は無表情から一転、ホッと安心したように一つため息をつき、
「……取り消してくれるならそれでいい。二人に代わって感謝する」
と、自ら頭を下げた。どう考えても悪いのは三人組だが、悪口を取り消してくれたことに心から感謝しているらしい。
これには三人組も予想外だったようで、
「は? なんでお前が頭下げんだよ」
「こいつおかしくね?」
「おい、もう行こーぜ」
と、あれこれ言いながら、結局ばつが悪そうにどこかへと消えていった。それに合わせるように、事の成り行きを見ていた周りの生徒達も、安心した様子で掲示板の前から離れていく。
金髪の小さな女子生徒は三人組が去っていくのを無言で見送ると、ゆっくりと目を閉じ、今度は肺の奥に溜め込んだ息をすべて吐き出すような、大きな溜め息をついた。
「……はうぅーっ……。よ、よかった……」
いつもの平坦な口調とは違い、心の底から安心したかのような彼女の声色から、改めて勇気を振り絞っての行動であったことを思い知る。
「江末さん」
掲示板の前に一人残った勇気のある彼女に、私は声をかけた。
「……う、麗!? ……いるとは思わなかった。もしかして我のことをずっと見ていた?」
江末さんはいつもは半分しか開いていない目を大きく見開いて驚いた。あの場に自分の親しい人間がいるとは思っていなかったのだろう。
「ええ。ごめんなさい。でも、とてもかっこよかったわ」
「………………う……そう言われると、恥ずかしい」
江末さんは少し頬を赤く染めると、それを隠すようにぷいっと反対側を向いた。そして反対側を向いたまま、
「……王子と駆が悪く言われているのを聞いて、いてもたってもいられなかった。それだけ。ただの自己満足」
「そうだったのね」
「……だからその……二人には言わないで欲しい」
少しだけこちらを向いて恥ずかしそうにするその様子は、十五、六歳の年齢よりも少し幼く見える。
「でも二人がさっきのことを聞いたら喜ぶんじゃないかしら」
「………………や。恥ずかしい」
「うふふ。そう。わかったわ内緒にしておくわね」
「……麗と我の二人だけの秘密」
江末さんはそう言うとこちらを向き、小さな口に真っ直ぐ伸ばした人差し指を当てた。
私はその様子があまりに可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
本当は今日のことをハルくんに教えてあげたいけど、天使のように可愛らしいこの女の子と秘密の約束を作るのもなんだか素敵な気がして、心の中にそっとしまうことにした。




