有金駆は落ち目の逆を行く⑫
「ぐっ……!負けました」
江末と有金の最初の対局は江末の勝利で終わった。ガチンコの勝負ではなく江末による指導対局で、途中でそれに気が付いた有金は圧倒的な力の差に絶望を感じたと後で話していた。
「悔しいが全く勝てる気がしねえ……」
有金は自玉が詰んだ盤上を見つめたまま、誰に言うわけでもなく呟いた。
「……王子。駆は本当に将棋を始めて三日?」
有金と向かい合って座っている江末は顔だけ僕の方に向けた。
「ああ。僕たちが三日前に駒の動かし方を教えたんだ。その後はここで僕と対局したり、家でネット対局をしたり、本を買って研究したりしているらしい」
「……だとしたら間違いなく天才。普通はこんなに早く強くならない」
江末はお世辞を言うようなやつではない。ということはアマチュア五段の目から見ても有金の将棋の才能はかなりのものなようだ。
「でもお前は俺より遥かに強いじゃねえか。いくら俺に才能があっても埋まる差だとは思えねえよ」
「……今の対局だけで力の差に気が付けるのもセンスがある証拠。それに我は四歳からずっと将棋をやっている。始めて三日の地球人にはさすがに負けない」
江末は冷静に淡々と言葉を口にした。江末の言葉がお世辞じゃないことはきっと有金にも伝わっているだろう。
「俺は今からでもお前みたいな力が付く可能性はあるのか?」
有金は現在高校一年。四歳から始めた江末とではキャリアに雲泥の差がある。経験がものを言う世界であれば、いくら才能があってもその差が埋まることはないだろう。
「……それはわからない。駆次第。でも駆には光るものがあるのは間違いない。今日の中盤のこの手……」
江末は細く綺麗な指で駒を動かして局面を中盤にまで戻した。
「……我は駆がどう指してくるのかを試した。正解の手と不正解の手がハッキリしている局面だった」
「で、俺の手は正解だったのか?」
「……それが、どちらでもなかった。全く頭になかった新しい手を指された。指されてみて初めていい手だと気がつく妙手だった」
「そこは瞬間的に閃いたんだ。これで五分まで戻したと思ったのに、結局上手くかわされちまったけどな」
有金はやれやれと大袈裟にリアクションをとった。
「……駆は今回の対局が指導対局だとわかっていた?」
「ああ。あまりに俺を試すような妙な手が多かったから途中で気がついたぜ。それにお前は対局を始める前に、実力を見させてもらうって言っていたしな」
「……実はこの駆の手で、我は指導対局から全力で叩き潰す対局に方針を変更した」
「どうしてだ?」
「……始めてたった三日の地球人に読みで上を行かれたことに腹が立ったから。それほどまでにいい手だった」
江末は真っ直ぐ有金を見てそう言った。
「そこまで言われると照れくせえな」
「……でも、一ついい手があっただけでは将棋は勝てない。もっとたくさん将棋の勉強をするべき」
「将棋の勉強か……」
「……方法はいくらでもある。本を読んで手筋を学ぶこと、詰め将棋を解くこと、たくさんたくさん強い相手と対局すること。特に駆は強い相手と指せば指すほど強くなると思う」
「でも強い相手なんてそうはいねえだろ。お前だってあっという間に俺の方が強くなっちまうかもしれないぜ?」
「……それなら大丈夫。我はあと千回対局しても駆に負けない自信がある」
無表情でそう言う江末の言葉は力強かった。言われた有金も全くブレない江末の様子を見て思わず息を飲んだ。
千回やってもお前には負けない。余程の自信がなければ出てこない言葉だ。
「ふふっ……。はははは!お前すげえな!ちびすけのくせに」
「……我はちびすけではない。泣く子も黙る地球外生命体の江末ふみちゃん」
江末はふふんと胸を張った。あまり凹凸の見受けられない胸部を一生懸命反らしている。かわいい。
「そうか、わりい。江末だったな。将棋は奥が深えな!もう一回やろうぜ!」
有金は楽しそうに笑いながら言った。それは決して自嘲ではなく、心の底から楽しそうで、将棋が自分にとって素晴らしいものであると確信をしたような笑いでもあった。その目は宝物を見つけたかのように輝いている。
こいつってこんな表情をするのか……。
部室に来た初日にギャンブルが止めれないことを苦しそうに語っていたあの時と、同一人物とは思えない。
有金は今きっと、夢中になれるものを見つけたんだ。
「……今ので駆の棋力がわかった。今度は指導対局ではなくて駒落ちでガチンコ勝負」
「ガチンコ勝負か……。面白えじゃねえか。よし。俺が勝つまでやるからな」
「……いいよー」
ノリ軽っ!
そんなわけで二枚落ち(飛車角落ち)で江末と有金の第二戦が始まった。
「がっ……!負けました」
有金敗北(瞬殺)。
「頼む!もう一回!」
「……いいよー」
再び二枚落ちで第三戦。
「げっ……!負けました」
有金敗北。
「時間的に最後の一回!」
「……いいよー」
「ごっ……!次こそ最後!」
「……いいよー」
「ぎっ……!泣きの一回!」
「……いいよー」
「だっ……!更に泣きの一回のおかわり!」
「いや待て。一生やり続ける気かお前ら。何時だと思っているんだ」
二人の将棋が白熱してきたので放置し、僕たち三人は各々のテスト勉強を始めていたのだが、下校時刻が過ぎても延々とやろうとするのでさすがに止めに入った。
「な、もうこんな時間なのか!?」
有金は夢中で指し続けるあまり、辺りが暗くなっていることにも気がついていなかったらしい。
「仕方がない。今日は帰るか」
有金はサッと将棋の駒を片付けると、自分の鞄を持ち上げた。
「おい、ちびすけ。明日もやろうぜ」
「……だから我はちびすけではない。泣く子も黙る地球外生命体の江末ふみちゃん!」
江末は「江末ふみちゃん」のところを強調した。有金、同級生なのにちびすけは可哀想だからちゃんと覚えてやってくれ。
「そうか悪い。江末だったな。明日もこの部室で四時から。大丈夫か?」
「……いいよー」
江末は無表情に平坦な声色で答えた。
……いいのか江末。お前が来てくれるのは嬉しいが、一応テスト前だぞ。
久しぶりに部室にやってきた江末だけど、優しくていいやつなところは変わっていなかった。




