綾辻穂香は感動する④
*
「有金。おい、有金!」
朝食を食べ終えた後、僕は席でボーッとしている有金に声を掛けた。
有金は飯を食ってる最中もずっと心ここに在らずといった様子だった。朝練でのこともあるからさすがに心配になる。
「……ん? ああ、悪い。なんだ?」
やっと僕の呼び掛けに気付いた。本当に聞こえていなかったようだ。
「目開いてんのに全然反応しないから死んでるのかと思った」
「いや、ちょっと考え事をな」
「今朝のこと?」
「んー。それも含めて色々だ。悪いな、お前とハピ子にも変な気を使わせちまって」
有金は自嘲気味に笑った。
「僕たちは全然いいんだけど」
「さ、飯も食い終わったし、俺は部屋戻って詰め将棋でもしてるわ」
有金は食べ終わった食器の入ったトレーを持ち立ち上がった。
あいつ飯食ってるときと寝てるとき以外はいつも将棋だな。
あそこまで真剣になれることがあるというのは正直に言って羨ましい。
愚直な姿勢で将棋の勉強を続ける有金。きっと僕なんかもうかなりのハンデを貰わないと相手にならないだろう。
でも。まだ江末に対しては足元にも及ばないほど実力が離れているという。
そう考えると江末って。あいつ一体何者なんだろうか。
*
合宿二日目。朝食を終え、自由時間となった午前八時半。
午前中は心から部の活動も特にないということだった。同室の有金は詰め将棋をすると言っていたし、僕も自由に過ごさせてとらおうかな。
とりあえず部屋で勉強でもして、気が向いたら外を散歩して……。あ、その前にまずロビーに飲み物でも買いに行くか。コーラ飲みたい。
階段を下りてロビーに向かうと、江末が一人でエントランスにあるスペースのソファーに座っていた。
テーブルの上にある何かを一生懸命読んでいる。新聞か何かだろうか。
「江末。何読んでんだ?」
声を掛けると江末はこちらに顔を上げた。
「……あ、王子。我は今新聞を読んでいたところ」
江末が新聞。いつもスマホを弄っているか、有金と将棋をしているかのどっちかだからなんだか新鮮だ。
「江末が新聞なんて珍しい」
話しながらふと、テーブルに置かれた新聞の記事にに目をやった。
『YASUKEオールスターの山田勝宣、プロテインを新調』
……何その死ぬほどどうでもいい記事。もっと他に何かあっただろ。ていうかどこの新聞社の新聞だよそれ。
「……王子も読む?」
僕が新聞に視線を向けていたのがわかったらしく、江末は小首を傾げて聞いた。
「いや、何の新聞だよそれ」
「……これ? 悪趣味新聞」
またすごい名前だな。いくら記事の内容が良かったとしても、読んでいることを他人に知られたくない名前だ。
「その名前って」
こんなアホな名前を自社の新聞に付ける会社は一つしかない。
「……我がいつもやってるアプリの会社の新聞」
やっぱりな。また出た。株式会社悪ふざけ。映画の次は新聞って、色んな分野に手を出しすぎだろ。
「全く信頼できない新聞だな」
「……政治とか堅苦しいことは全く書かれていない。完全なエンターテイメント新聞」
「へー。エンターテイメント新聞ね。記事が面白いのか?」
「……それもある。でももう一つ。ここに我の投稿した俳句が載ってる」
江末は細くて白い指で、広げていた新聞の左下を指した。
「江末の投稿した俳句?」
「……そう。二週間に一回この俳句コーナーに投稿するのが我の密かな趣味」
「江末にそんな趣味があったのか」
「……俳句は季節を詠う世界でも珍しい詩。日本の美しい春夏秋冬を十七文字の中に込め、自分の世界を表現するというとても創造的な行為。王子にもおすすめ」
江末は無表情のまま、ペラペラと淀みなく語った。
あまり口を動かさず、少し早口でスラスラと話し続けるこの感じ。江末が好きなことの話をするときの特徴だ。僕にハマっているゲームの話をするときもいつもこうだし。
「随分本気でやってるんだな。僕はああいう情緒を表現するようなことは苦手だな」
「……情緒とか繊細さとかは必ずしも必要ではない。自分の心の中にあるものを表現することが大切」
その語り口はまるで俳句の先生のようだ。
「まあ気が向いたらやってみるよ。で、江末の俳句は?」
「……ここ」
江末は改めて新聞の左下を指した。
ふーん。「激闘! 俳句バトル」か。
随分ポップなタイトルだな。俳句というと、もっと渋い感じというか、厳かなイメージがあったけど、現代の俳句はそうでもないのかもしれない。
「……この『豆腐スナイパー』が我」
「と、豆腐スナイパー?」
おい。俳句のコーナーなんだよなあ。そんなふざけた名前でいいのかよ。
「……三日間徹夜して考えた我のペンネーム」
「まあ確かに少しカッコいいし、センスは感じるけど」
「……でしょ? で、これが我の俳句」
ほう。どれどれ。あれだけ雄弁に語っていたからかなりハードルが上がっているけど。
僕は江末の綺麗な指が指し示す一行に目を向けた。
本邦初公開。江末ふみさんの渾身の俳句がこちら。
『フルネルソン 中日ネルソン 昼寝るそん』
……。
…………。
「なにこれ」
残念だが一つも意味がわからん。
日本の美しい春夏秋冬が云々と語っていたのはどこに行った。
「……このときは野球がテーマだった。我の俳句、どう?」
「いや、どうもこうも。どういう意味なんだ? これ」
もしかしたら素人の僕が気付かないだけで、何か特殊な技法を使っていてるのかもしれない。ていうかそうであってくれ。
しかし江末は僕の言葉にきょとんとした様子で、
「……意味? 意味は特にない」
意味なかった! わーい☆
「意味ないってお前。さっきの日本の春夏秋冬をとか言ってたのはなんだったんだよ」
「……季語を入れることでそこはしっかりと表現されている」
「この句の中に季語あんの!?」
「……ある。ネルソン」
ふーん。ネルソンが季語だったのね。うん。異議あり。
「おい。ちょっと待て。ネルソンて人の名前だろ。季節もクソもあるか」
ネルソンは確か数年前中日ドラゴンズにいた助っ人外国人のピッチャーだった気がする。
「……でも我が持っている歳時記に載っていた」
江末は付箋が大量に貼られた文庫本サイズの本を取り出した。そして僕にページを開いて見せる。
『ネルソン 季節:夏 理由:プロ野球のシーズンだから』
確かに書いてあった。何なんだこの馬鹿馬鹿しい本は。どうせこれも株式会社悪ふざけの本なんだろう。確認をしなくても確信ががある。
「まあ、確かに載ってはいるな」
この歳時記自体がめちゃくちゃだから何の参考にもならないが。
「……でしょ? ねえ王子。我の俳句、どうだった?」
江末は少し身を乗り出して、キラキラした瞳で僕に聞いた。
いや、そんな期待の籠もった綺麗な目で見つめられても。
「個性的であることは間違いないな。俳句として優れているのかは僕にはわからん」
ていうかそもそもこれは俳句なのかすら怪しい。
「……個性的というのは嬉しい。我は独創性のある句を創ろうと心掛けているから」
少しだけ口角を上げ、嬉しそうにする江末。
おい。照れるな。僕は一つも褒めてないぞ。
「でもまあやっぱり独創性だけじゃなくて、まずは模倣が大切なんじゃないか? もっとこう、有名な俳人の作品で勉強してみるとか」
少しでも江末の俳句が正常になるように仕向けなくては。ちゃんとした俳句を知れば、自分の俳句がおかしいことに気付くだろうし。
「……それに関しては心配いらない。いつも家では正岡子規と種田山頭火の俳句で勉強している」
ダメだった。知った上でのあの俳句だった。
「そ、そうだったのかそれは偉いな」
「……少し影響を受けすぎて二人の色が我の俳句に出てしまっているかもしれない。そこは反省」
安心してください。一つも出ていません。
「そういえば他に江末の俳句はないのか?」
もしかしたら今回のテーマが「野球」で、俳句としてはトリッキーな題材だったからあんな悲惨な句になってしまったのかもしれない。
意外と他のは俳句は普通だったり……しないか。しないよな。江末だもんな。
「……王子。よく聞いてくれた。実は次回投稿する予定の俳句をさっき書いた。是非王子にもみてほしい」
江末は嬉しそうに僕に一枚の紙を差し出した。
「お。おう。これが次に出すやつか」
「……そう。テーマは『外国』」
ではまたまた大公開。江末ふみ先生の二つ目の作品がこちら。
『インド洋 インド象 ダルシム』
……。
もはや五七五ですらない。俳句でもなんでもねーわこんなもん。
「意味は?」
「……特にない」
当たり前のように言うな。何のために俳句を詠んでいるんだお前は。
いやでも、むしろ意味がなくて良かった。この句に何か特別な意味があったらそっちの方が困る。ていうか怖い。
「ちなみに季語は?」
「……ダルシム」
「了解」
もういい。放っておこう。このまま付き合っているとこっちの頭がおかしくなってしまう。
「……どう? 王子も俳句に興味が出てきた?」
「い、いや。どうだろうな」
残念ながらあなたが詠んでいるのは俳句ではなく、五七五のリズムで意味不明なことを言う謎の遊びです。その謎の遊びに僕は巻き込まれたくないと思っています。
「……そうだ。次の週から王子も一緒に投稿してみるといい」
「いや。僕はやめておく」
江末は少し不満そうに、「……残念。王子もやればいいのに」と言ったが、僕は聞こえないふりをした。
うん。絶対にやらない。
こいつは一体何者なんだろうと改めて思った。
もしかしたら本当に宇宙人なのかもしれない。




