綾辻穂香は部活がしたい①
人間は同じ失敗を二度繰り返していては成長できない。
たしか何かの番組で借金まみれの会社を一代で再建した若い社長が言っていた。
番組の最中に成功の秘訣を聞かれて答えた時のフレーズだったと思う。
その社長自体は偉そうで自信に満ちていて気に入らなかったが、その言葉だけは確かになと思った。
一度の失敗は仕方がない。人間誰にでも失敗はある。でも二度目になるとそれは良くない。前の失敗から何も学んでいないことになってしまう。
だから僕も昨日と同じ失敗は絶対に繰り返さない。
昨夜は十時前には床についたし、目覚まし時計も三つ仕掛けた。念のため母に「七時半までに起きてこなかったら顔を十回ひっぱたいて起こして」と頼んでおいた。
これで起きない人間はさすがにいないだろう。
それだけの準備をしただけあって、僕は今日、七時前に目を覚ますことができた。
二度同じ失敗を繰り返さない男。鵜久森春。
すでに朝食も食べ終え、現在七時半。昨日と違って寝癖も立っていない。
まだ学校に行くのは早いので、僕は優雅にコーヒーを飲みながら朝の読書をしている。まさにできる男の早朝だ。
トントントントントン……。と誰かが階段を上がってくる音がする。音のリズムからして小走りだ。
妹はまだ寝ているから足音の正体は母さんだろう。さっきまで洗濯をしていたはずだけど、どうかしたのだろうか。
足音は僕の部屋の前で止まり、勢い良くドアが開けられた。
「……ハル!!」
「何、母さん。朝っぱらから」
母は少し息を切らしながら切羽詰まった表情で僕の方を見ている。いつも明るくニコニコしている母なので、こんな顔をするのは珍しい。
何があったんだろうか。いくつか頭の中で考えてみるものの、僕に心当たりはない。
「美少女」
ポツリと、口からこぼれ落ちるように母はそう言った。
「は?」
「美少女が迎えに来てる」
「…………え?」
僕は鞄を持ち、慌てて部屋を飛び出した。
当然僕は誰かと学校に行く約束なんてしていない。ましてや女子と一緒に登校なんて人生で一度も経験のないことだ。
でも、今日は誰かが僕の家に迎えに来ている。それも女子が。
一体誰が。
冷静に考えると該当者は一人しかいなかった。
そうか。良く考えればあいつに一人で行かせたら四時間かかっちゃうもんな……。
階段を下り玄関の方を見ると、同じ学校の制服を着た美少女が立っていた。
綾辻穂香。昨日僕のクラスにやってきた転校生だ。
鞄を両手で持ち、目線を下げたまま直立不動。大きな瞳の小動物を連想させる顔は少し緊張しているようだった。
階段から下りてくる足音に気付いたのか、綾辻は僕の方にスッと目線を上げた。目が合った瞬間に表情から緊張が吹き飛び、パアッと笑顔が広がる。
「あ、おはよう! 鵜久森くん。せっかくお隣同士になったから迎えに来ちゃいました」
そう言ってエヘヘと微笑む綾辻。美少女は何をやっても絵になるからズルい。
「お、おう。おはよう。来ちゃいましたって一緒に学校に行くってことか?」
「え? あぅ……ご、ごめんなさい。やっぱり迷惑でしたよね……」
綾辻は今度は不安そうな顔に切り替わった。目線を下げなからもチラチラ僕の様子を伺っている。
いや、全く迷惑じゃない。清沢先生に頼まれてもいるしな。あまりに男として幸福なシュチュエーションだったから確認しただけだ。
「ハル……。その子は?」
僕の後を追い、二階から母も下りてきた。さあ困った。なんて説明したものか。
「昨日転校してきた綾辻さん。うちの隣の家なんだって」
「綾辻穂香です! よ、よろしくお願いいたします!」
綾辻はペコリと頭を下げた。うちの母に一体何をよろしくお願いするんだ。
「あー! お隣の。同じ高校なの?」
「同じ高校どころか同じクラスで隣の席」
「何それアンタ! 昨日言いなさいよ。へぇー、こんなに可愛らしいお嬢さんと……」
そう言いながら母はジロジロと綾辻のことを見ている。綾辻は少し困惑気味で、エヘヘと苦笑いを浮かべた。
「今まで一人の彼女もいたことがないハルがねえ……」
おい、やめろ。急にクラスメイトの前で恥ずかしいことをバラすな。
「……母さん。わかったからもう下がって」
「綾辻さん。うちのハルをよろしくお願いしますね。無愛想ですけど飼っていたカブトムシの三回忌をやるくらい優しい子なんですよ」
「だああああああ! もう余計なこと言わなくていいから! 行ってきます!」
僕は革靴に足を差し込み、踵を踏んだままドアを開けた。
「行こう。綾辻」
「は、はい! おじゃましました!」
綾辻はペコリと母に一礼し、急いで外に出る僕に合わせるように小走りで後に続いた。
「はあ。全く朝からあの母親は……」
外に出てマンションの廊下で革靴を履き直し、ため息をついた。
自分の親に優しい子だからとか言われるだけでも超恥ずかしいのに、そこに僕が知られたくない過去の話トップファイブに入る「カブトムシの三回忌」の話を持ってくるなんて。最悪だ。本当に最悪。
僕と綾辻はマンションの廊下を少し歩き、エレベーターで下に向かうボタンを押した。
「そ、その……ごめんなさい。勝手に来てしまって」
僕の不機嫌そうな様子を見た綾辻は、自分が迎えに来て怒っていると勘違いしているらしい。
違う。そうじゃない。むしろ綾辻が来てくれたことは嬉しい。
「いや、それは別にいいよ。むしろ昨日僕から一緒に行こうって声をかけておくべきだった」
清沢先生によろしく頼むと言われた以上、僕には綾辻がしっかり登校できるようにサポートする義務がある。
「ぅえ!? そんな申し訳なきお言葉!ちょうだいできないです」
何だその変な喋り方は。エセ江戸時代の人みたいになっているぞ。
「まあでも良かったよ来てくれて。僕としては助かった」
「エヘヘ……。でしたら良かったです」
ようやく綾辻の顔から不安な様子が消えた。
すると今度は何かに悩むように「うーんと」「えーっと」と繰り返し呟き始めた。何かを言い出そうとして躊躇っているように見える。
「どうした?」
「その……明日からもずっと来ていいですか?」
綾辻は僕の顔を見つめた。濁りの無い大きくて綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。この状態で断れる人間がいるのなら教えて欲しい。
「……綾辻が一人で学校に行けるようになるまでな」
「わぁーい! そんな日は来ないから大丈夫です♪」
それもそれでどうなんだ。行けなきゃダメだろ一人で。
下に向かうエレベーターが来たので、僕と綾辻はそれに乗り、二人で学校へと向かった。




