1-3.『非日常の日常』
『村田犯罪科学研究所』
そう呼ばれる、近未来的な外見をした巨大な施設。
その3階にある会議室D-3Bに、彼の姿はあった。
ブラックコーヒーのカップを片手に、憂いの篭った目で窓の外を見つめる、30代後半くらいの男。
端整な顔立ちをした彼は、スーツ姿がよく似合っていた。
ネクタイは紺色に輝き、そのピンには黒いヒョウの飾りが付いている。
そこまで広くはないその会議室には、ロの字型にテーブルが置かれ、最大12人が囲めるように椅子が配置されていた。
東側の壁は全面ガラス張りで、午前10時を回った今でも、眩しい陽の光が室内を満たしている。
彼はそこで、独りで静かに座っていた。
仕事中とは思えない、ゆったりとした時間が流れる。
そんな中、不意に微かな足音が耳に届いた。
それは段々と近くなり、この部屋の前で止まる。
そして次の瞬間、ピッという電子音と共に、会議室の自動ドアがスライドした。
「お疲れさま、総一」
そう声をかけて入ってきたのは、白衣を羽織った30代前半くらいの女性だった。
少し長めの茶髪をアップで纏めた彼女は、ホチキスで留められた十数枚のレポートを持っている。
「昨晩の報告、上がってきたわよ」
彼女は流れるような動きで、総一のすぐ隣に腰掛けた。
椅子をクルリと回し、彼の方に体を向ける。
総一はコーヒーカップを置くと、微笑みながらレポートを受け取った。
「ありがとう。けど、なんで手渡しなんだ? メールで送ってくれた方が、手早く済むのに」
「別にいいじゃない。なんかそういう気分だったの」
彼女はそう言いながら、心の中で叫んだ。
一緒に居たいからよ! 気づいてよ!!
分かるわけないじゃない。もし本当に分かるんだったら、とっくのとうにフラれてるから。
ちょっ、なんでフラれる前提なの!?
ていうか、そんなに分かってほしいなら、本人に直接言えばいいのに。
無理だって! 恥ずかしいじゃない!!
残念だったわね、意気地なしさん。
勝手な自問自答で、彼女は少し傷ついた。
しかし目の前の彼は、お構いなしにレポートを読み進めている。
自分には、特に興味がないようだ。
彼女は小さく溜息を吐いた。
それから、一度咳払いし、再び口を開く。
「そこに書いてある通り、今回の装着者は『海堂 玲』、25歳男性フリーター。『フェンリル』を用いてコンビニ強盗を働いたけど、知っての通り、あなたと『クロヒョウ』に昨晩逮捕された」
彼女はレポートの内容を、かいつまんで説明した。
それを聞いた総一が、書類から目を上げる。
「……フェンリル?」
「昨日、アイツが使ってた『アーマー』の名前。見た目が狼っぽかったから、そう名付けたの」
「普通に『オオカミ』とか『ウルフ』とかで良かったんじゃないか?」
彼は眉をひそめた。
しかし、そんな彼に、彼女はさらりと言う。
「けどフェンリルの方が、カッコいいでしょ?」
「……そうか」
首を傾げつつも、総一は頷いた。
いつもそうだ。
彼女は『分かりやすさ』や『実用性』よりも、『カッコよさ』を優先するタイプの人間だった。
そしてその『カッコよさ』が、彼にはイマイチ理解できないのである。
「それにしても、せっかくアーマーを手に入れたのに、やったことと言えばコンビニ強盗か」
「あら、そんな小さいホシじゃご不満?」
彼の呟きに、彼女はからかうように笑った。
「いや、被害が小さいに越したことはない。が……普通こんな力を手に入れたら、もっと何かあるだろう? なんでこんなことに……」
「他に思いつかなかったんじゃないかしら? 宝くじで一等が当たっても、すぐには有用な使い方なんて思い浮かばないものでしょ?」
「さぁ? 宝くじは買ったことがないから、分からないな」
冗談めかして、総一は小さく笑う。
彼女も釣られるように、穏やかな微笑みを浮かべた。
少なくとも、顔には。
ほわぁ〜…… 今の、なんか夫婦っぽくない!? ぽくない!?
ぽくない。自意識過剰。
ねぇ見た!? 今の総一の笑顔! 見た!?
まぁ、確かにいい表情だった。
でしょ〜!!
うぜぇ……
目の前で、同僚が自分の表情ひとつに一喜一憂していることを、総一は知らない。
「まぁ、ありがとう。レポート、確かに受け取った」
そう言って、彼は書類を置き、彼女を見る。
しかし、彼女も彼を見つめたまま、動こうとしない。
「……どうした? 研究室に戻らないのか?」
「そんな追い出すようなこと言わなくてもいいじゃない」
「いや、そういう意図で言ったわけでは……」
慌てて弁解しようとする総一。
それを見て、彼女は悪戯っぽく笑った。
「分かってる。けど、もう少しここにいてもいいでしょ?」
「あぁ、もちろんだ」
そこで会話は途切れ、静寂が戻る。
総一は、残っている仕事を整理しながら、コーヒーを啜っていた。
彼女もまた、表面上ではそんな風を装っている。
しかし、その心の中は、全く穏やかではなかった。
どうしよどうしよ!? なんか話しかけた方がいいのかな!?
ウザがられるだけ。やめときなさい。
やっぱりそうかな…… けど、無言でもいい! 幸せ〜……
うわキモ。こんなのが自分とか嫌すぎ……
やばいニヤけそう! 顔に出しちゃダメ、顔に出しちゃ……あぁ〜我慢できないかも!!
我慢しなさい。その気持ち悪い面、表に出したら公害レベル。
あっ、そうだ!! ちょうど、近くに新しいイタリアンがオープンしたんだった! この機会にデ、デートに……!
そのときだった。
彼女の思考を遮るように、総一のスマートフォンが鳴る。
「すまない」
一言謝り、彼は黒いそれをテーブルの上に出した。
ディスプレイには『クロヒョウ』と表示されている。
それを見て、総一は笑顔を浮かべた。
同時に、慣れた手つきで、通話ボタンをタップする。
「どうした、クロヒョウ?」
《メンテナンスとリペアが完了したわ。確認しに来なさい》
スピーカーから流れてきたのは、電子的なエコーのかかった少女のような声。
昨晩現れた黒い鎧のそれと、全く同じものだ。
「分かった、すぐに行く」
総一がそう答えると、通話は勝手に終了した。
彼はスマートフォンを仕舞うと、残っていたコーヒーを飲み切る。
そしてレポートを小脇に抱え、席を立った。
「それじゃあ、ちょっと行ってくる」
「えっ、あっ…………えぇ、いってらっしゃい」
開きかけた口をパクパクさせ、喉まで出かかっていた言葉を何とか飲み込む。
彼女は引きつった笑顔を浮かべ、会議室を去る総一の背を見送った。
あぁああ!! なんてタイミングで、もう!
今回ばかりは同情する。
もう許さない! クロヒョウのOSにウィルス仕込んでやる〜!!
それ開発者特権の乱用。やめなさい。
だってだってだって〜!
はいはい。もう総一もいないんだし、さっさと仕事に戻るわよ。
悔しさと恥ずかしさで顔を赤くし、小さく地団駄を踏む。
彼との距離は、まだまだ縮まりそうにない。
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