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1-2.『朝のお仕事』

ふと目が覚める。

少しぼやけた視界で、頭上の目覚まし時計を確認した。

時刻は6時12分。

セットした時間より8分ほど早い。

彼はタイマーをオフにすると、左目を軽く擦った。

ベッドから降り、もてもてと歩く。

目指す先は、反対側の窓。

手触りの良いミントグリーンのカーテンが、後ろからぼんやりと光っている。

それを両手で開いた瞬間、飛び込んできた光が目に刺さった。


「痛っ」


思わず呟きながら、咄嗟に左手を翳す。

恐る恐る退けると、そこには一面を覆う輝き。

強烈だが柔らかな陽の光が、部屋中を明るく照らし出していた。


「おはよう」


のどかな朝を受け止めるように、彼は言った。

そのふわりとした笑顔が、とても可愛らしい。


薄手の寝間着越しに分かる、筋肉があまり付いていない細い身体。

寝癖で天井を目指す黒髪は、実は一切の癖がない天然のストレート。

肌は白く、体毛も薄い。

極めつけは、その顔だ。

母親似の彼は、ほどよく整った顔立ちをしていた。

俗に言うイケメンとは、どこか違う。

細くても骨張っていない、女性のような顔。


彼の名前は宮代 秀二。

お世辞にも男らしいとは言えない、十六歳の青年。


彼は寝巻きの上から半纏を羽織り、部屋を出た。

妹を起こさないよう、足音を殺して静かに階段を下りる。

そして風呂場の隣にある洗面台へ着くと、レバー型の蛇口を上げた。

冷たい水が、ホースの中を通る音と共に勢いよく流れ出る。

それを両手ですくい、優しく顔を洗った。

さらに二、三回と繰り返してから、濡れた顔をタオルで覆う。

空気に触れ、一気に冷たくなった瞬間に、柔らかなこれでふんわりと包み込むのが、秀二は好きだった。


タオルを綺麗に掛け直し、目の前の鏡を開く。

中には、幾つかの化粧用品が仕舞われていた。

一部は秀二と父親のものだが、それ以外の大半は妹のものだ。

彼は霧吹きを取り出すと、暴れる寝癖にたっぷりとかけた。

続けて、コンパクトな櫛と黒いドライヤーを手に取る。

コードを繋いでスイッチを入れると、縦に細長い口から熱風が噴き出した。

それを湿った寝癖に当てつつ、愛用の櫛で梳かしていく。

そろそろだろうか。

そう思いドライヤーを止めると、ペタリと撫で付けられていた髪が、ほどよくフワリと浮き上がった。

出来栄えに満足すると、今度は洗顔クリームに手を伸ばす。

それを鼻の下と両頬、さらに顎から喉元にかけて延ばしていった。

ある意味で優しいその顔は、だからこそ余計に薄めの髭が目立つ。

彼はそういうことを気にするタイプだった。

プラスチック製の安全カミソリを軽く水で濡らし、上から下へ撫でていく。

それから顔に残ったクリームを流し、タオルで拭った。

最後に、剃った部分を指でなぞってみる。

目では見えないが、触れるとまだ少しだけザラリとしている箇所があった。

だが、これはもう仕方ない。

以前に逆剃りも試してみたが、カミソリ負けしたため、やめたのだ。

彼は道具一式を片しつつ、時計を確認した。

三本の針は、ちょうど6時半を指す頃。

いい感じだ、朝食の準備を始めよう。


洗面所とドアを挟んで隣にあるのがキッチンだ。

リビングとは繋がっており、それぞれソファとテーブルを置くことで、ダイニングと分けている。

秀二は半纏を自分の椅子の背にかけると、代わりにエプロンを寝巻きの上から纏った。

昨晩仕掛けた炊飯器の表示を見て、ちゃんと炊き上がっていることを確認する。

同時に、手鍋に水と昆布を入れ、弱火にかけた。


続けて、冷蔵庫からキャベツ、キュウリ、トマトを取り出す。

それらを軽く洗い、濡らしたまな板の上で刻んでいった。

キャベツは千切りに、キュウリは薄めの輪切りに、トマトは八当分にしてヘタを取る。

そしてふたつの白い小鉢に入れれば、簡易サラダの完成だ。

みずみずしい何色もの緑と、ルビーのように輝くトマト。

我ながら中々いい。


そうしている内に、にわかに鍋がふつふつと沸き立つ。

彼は慌てて昆布を取り出し、小さな皿の上に置いた。

昆布出汁の独特な香りが、鼻をくすぐる。

次は味噌汁の準備だ。

特に理由はないが、朝は豆腐とワカメの味噌汁と決めていた。

ネギは洗って細かく刻み、木綿豆腐は手のひらに置いて賽の目に切る。

そのまま豆腐と乾燥ワカメを一掴み投入し、煮立つまで待つ。


待っている間におかずの準備だ。

ここで新たに使う野菜は、ごぼうと人参。

まずごぼうを洗い、包丁の背で皮を削ぐ。

丸裸になったそれをさきがきにし、冷水で満たしたボウルに放り込めば完了だ。

ごぼうのアク抜きをしている間に、人参の皮を剥き、千切りにしていく。

ついでに、先ほどダシに使った昆布も一緒に千切りだ。


タイミング良く鍋が煮立ってきた。

一度火を止め、おたまを使って味噌を溶かす。

そして再び火を入れると、彼はおかずの準備に戻った。

沸騰しないよう鍋に気を配りつつ、隣のコンロにフライパンを置く。

少し強火で表面を温めながら、香りの良いごま油を引いた。

そこへ先ほど刻んだ三種の野菜を落とし、全体に火が通るよう炒める。

パチパチと跳ねる油の音が心地いい。

あとは酒とみりん、醤油を絡めれば、きんぴらごぼうの完成だ。


そのときだった。

不意にリビングのドアが開き、寝巻き姿の女性が現れる。

秀二と良く似ているが、彼よりも多少男らしい(!)その顔と、腰まで届きそうなほど伸びたロングは、正しく彼の妹、宮代 飛鳥だ。

寝起きの不機嫌そうな表情とボサボサの寝癖から、彼女が秀二よりも面倒臭がりだということが、容易に分かる。


「おはよう、飛鳥」


彼の挨拶に、飛鳥は何も答えない。

いつものことだ。


「もうすぐ朝ご飯できるから、顔洗って寝癖直してきて」


きんぴらごぼうをピカピカの白いお皿に分けながら、秀二は時計を確認した。

7時を少し過ぎた頃だ。

大方、目覚ましのアラームを止めて、すぐに降りてきたところか。


「分かってるっての……」


だいぶ不機嫌そうな声で、飛鳥は答えた。

しかし、彼女は洗面所には行かず、ドッカリとソファに腰掛ける。

そのままテレビをつけ、適当にザッピングし始めた。

といっても、平日の朝など、どのチャンネルもニュースか子ども向けの番組ばかりだ。

終いには毎朝の通り公共放送に落ち着き、リモコンを放り投げる。

彼女は面倒そうに立ち上がると、リビングを出て行った。


妹が朝の準備をする間、秀二は朝食を完成させていた。

細かく刻んだネギを入れ、味噌汁は完成。

ついでに動物性が足りないため、きんぴらごぼうを作ったフライパンに再び油を引き、卵をふたつ割る。

そして水を一掬い入れ、鍋の蓋を被せて蒸し焼けば、半熟目玉焼きの出来上がりだ。


「よしっ」


少し嬉しそうに呟きながら、秀二は目玉焼きをきんぴらごぼうと同じ皿に移す。

味噌汁は茶色のお椀によそぎ、御飯はそれぞれ水色とピンクのお椀に盛った。

立ち昇る白い湯気が、食欲をかき立てる。

最後に、ふたつのコップに麦茶を注ぎ、それらをテーブルへ運べば、朝の仕事の半分はお終いだ。


再び半纏を羽織りエプロンを畳んでいると、リビングのドアをバンッと開き、制服に着替えた飛鳥が現れた。

寝癖もなく、ポニーテールのように一本に纏められた黒髪を揺らし、テーブルに着く。


「いただきます」


そのまま、秀二のことなど待たず、味噌汁に口をつけた。

そんな彼女を仕方なさそうな目で見つつ、彼も向かいに座る。

飛鳥と違い、寝巻きに半纏姿のままだ。

こぼして汚れると困るので、彼はいつも着替える前に朝食をとっていた。


「いただきます」


きちんと両手を合わせた後、彼はまず塩の瓶と和風ドレッシングを手に取った。

塩はパラパラと目玉焼きにかけ、ドレッシングは数回振ってサラダにかける。

ちなみに、飛鳥は目玉焼きに醤油をかけるのを好んでおり、喧嘩になったことがあった。


「そういえばさ」


食べながら、秀二は妹に話しかける。

飛鳥は答えないどころか、見向きもしない。


「昨日は帰ってこなかったみたいだね、父さん」


「……」


やはり無言。

それどころか『分かり切ってることを一々言うな』とでも言いたげに睨まれた。

テレビから流れるアナウンサーの声が、静かな食卓にやけに響く。

それは秀二にとって、少し苦痛だった。


「ごちそうさま」


カチャンと音を立て、飛鳥が箸を置く。

食べ終わった食器を片そうともせずに、彼女はリビングを去ろうとした。

見ると、トマトが残してある。


「飛鳥、トマト……」


言いかけた秀二の言葉が終わる前に、リビングのドアはバタンと閉じられた。

彼は溜息を吐きながら、トマトを自分の皿に移す。

それを彼女の代わりに食べ、彼も箸を置いた。


「ごちそうさまでした」


そう独りごちると、食べ終わった食器を重ねて流しへ運ぶ。

そのまま彼は、再び半纏からエプロンへと着替えた。

ここからは朝の仕事の残り半分、皿洗いだ。

まず容器に洗剤を入れ、水を注ぎ、スポンジで泡立てる。

次に全ての食器と箸、フライパンや鍋、炊飯器の釜などを丁寧に洗い、念入りに流す。

最後にそれらを乾燥棚に立てれば、朝の仕事は全て完了だ。


「はい、おしまいっと」


ふぅと息を吐き、彼はエプロンをハンガーに掛けた。

半纏を抱え、階段を上がる。

ちょうどそのとき、学生鞄を掴んだ飛鳥が部屋から現れた。


「いってらっしゃい」


秀二は微笑む。


「あっ……」


鉢合わせたのが意外だったのか、飛鳥は小さく声を上げた。

しかし、すぐに目を逸らすと、彼の横を通り抜けて行ってしまう。


「……」


足早に階段を下りる妹を見送ってから、秀二は改めて自分の部屋に入った。

ずっと着ていた寝巻きを脱ぎ、白いインナーとワイシャツを纏う。

それからズボンを履き、ブレザーを羽織った。

続けて、姿見の前に立ち、ワインレッドに輝くお気に入りのネクタイを締める。

そうして制服に着替えた秀二は、鍵や財布、白いスマートフォンなどをポケットに仕舞った。

腕時計を巻きつつ、時間を確認する。

いつもより少しだけ遅い。

電車に間に合うだろうか。

彼は肩から鞄を掛けると、焦りながら部屋を出た。

階段を小走りで駆け下り、ローファーに足を滑り込ませる。


「いってきます」


最後に、彼は誰もいなくなった家にそう言った。

少し重たいドアを開け、外へと飛び出す。

もちろん、ちゃんと鍵も閉めて。

お読みいただき、ありがとうございました。

少しでも気に入っていただけていれば幸いです。


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