1-1.『漆黒の鎧』
午後11時半。
東京上空に昇った月は、厚い暗雲によって隠された。
街を照らすのは人工的な光。
建物の灯り、車のライト、道行く人々が見つめるスマートフォンの画面。
それらを彩るのは雑然とした音。
電車の走行音、自動車のエンジン音、飲み会帰りのサラリーマンが漏らす愚痴。
それらは一方で、暖かく、騒がしく。
また一方で、冷たく、静かだった。
整然と並べられた高層オフィスビルと、等間隔で植えられた樹。
全てが人の手によって作り上げられたような空間を、涼しい風が通り抜ける。
このコンクリートジャングルの街は眠らない。
しかしそんな世界にも、光や音の届かない場所があった。
そのひとつが、この月極駐車場だ。
三方を古い雑居ビルに囲まれたそこは、今ではもう誰にも使われなくなっていた。
立地が悪い上に狭く、汚いくせに無駄に高い壁のせいで月の光も入らない。
一部が割れて欠けている看板には、黒いカビが生えており、くすんだ黄色の光を弱々しく発していた。
しかし、そんな誰も見向きもしないような場所に今、ふたつの影が存在していた。
共に人型をしているものの、明らかに人間ではない。
看板の黄色い光が、それらの姿を映し出す。
片方の影が、もう片方の影を壁際に追い詰めていた。
追い詰められている影は、赤い鎧を纏っていた。
鮮血の如くあざやかな深紅の体は、狼のようにトゲトゲとしたシルエットをしている。
指先から伸びる鋭利な爪と、腰部から生えた金属質の尻尾。
顔を覆う仮面も、狼を模した鼻の高い形状をしている。
そして最大の特徴は、オレンジ色の光を放つその鋭い瞳と、全身に走った血管のようなライン模様だった。
その輝きが、赤い鎧の姿を暗闇に現す。
対するもうひとつの影は、黒い鎧の騎士だった。
数枚の薄いプレートが階段状に重ねられた腹部と、横長の装甲が配置された胸部。
両脚には金属質のブーツを履き、滑らかな表面を持つカバーが太腿を覆っている。
背中を守る巨大なディスクと、二の腕まで被さるように大きく垂れ下がった肩のアーマー。
肘から先はガントレットで覆われ、右腕には漆黒のランスを、左腕には銀色の円形シールドを装備していた。
二本の角が生えたメットには、西洋甲冑の兜のように、縦に五本のバーがある。
そして赤い鎧と対を成すように、その黒い鎧は、全身からアイスブルーの輝きを放っていた。
鎧を形成するプレート一枚一枚と、シールドの周りを縁取るように引かれたグラスファイバー製のライン。
それらに施された幾何学模様と、仮面のバーから覗く六本の隙間。
その全てがアイスブルーに発光し、黒い鎧のシルエットを闇夜に浮かび上がらせていた。
黒い鎧が、ランスを突きつける。
オレンジ色の光が、その切っ先を鈍く照らした。
《観念しなさい》
赤い鎧に向かって、威圧的な口調で命じる。
しかしその声は、見た目のイメージと大きくかけ離れた、気の強そうな女性のものだった。
電子的なエコーの掛かった、少女のような。
赤い鎧は動かない。
黒い鎧も動かない。
一瞬が永遠にも感じられるほどの静寂の中で、ふたりの膠着状態は続いた。
不意に、今まで光っていた駐車場の看板が、切れかかった電球のように点滅する。
瞬間、止まっていた時間が動き出した。
張り詰めた空気を破り、赤い鎧が飛び出す。
突きつけられていたランスを左腕で弾くと、黒い鎧に襲いかかった。
右手を大きく振りかざし、その鋭い爪でズタズタに引き裂かんとする。
しかし、黒い鎧の行動は速かった。
弾かれたランスを咄嗟に放すと、腰を落とし捻る。
そうして体をバネのようにし、全身を使って左腕を横に振った。
銀色のシールドが、襲いかかってきた影を勢いよく殴り飛ばす。
赤い鎧は宙を舞い、コンクリートの地面に嫌というほど体を打ちつけた。
すかさず、黒い鎧は飛びかかり、赤い鎧にのしかかる。
そして両腕を捻り上げ、取り出した手錠を掛けた。
その手錠は、どうやら普通の手錠ではないらしい。
妙に角ばった銀色のそれが、アイスブルーの光を放つ。
瞬間、赤い鎧はビクリと痙攣し、そのまま意識を失った。
赤い鎧が活動を停止したのを認め、黒い鎧は立ち上がる。
《クロヒョウより本部へ》
倒れた躯体を見つめながら、静かに言った。
《被疑者『カイドウ レイ』確保》
夜が更けていくに連れ、独特のボルテージを上げていく東京。
その不可思議な熱気から離れ、冷たい空気が流れる駐車場。
そこで相変わらず、弱々しく、来ることのない客を呼び込む薄汚れた看板。
淡い黄色の光に照らされた黒い鎧は、疲れたように溜息を吐いた。
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