ボクとキミとの禅問答
少年と少女の、何気ない一日を描いたものです。会話が主ですので、ト書きの部分は飾りでも構わないくらいです。たぶん。
「ねえ、虫は好き?」
窓辺で本を読んでいた彼女は、突然そう言って切り出した。
「基本的には、嫌いかな」
「基本的には?」
てっきりボクの意見なんかどうでもいいのだと思っていたから、少し驚いた。
机から肘を離し、対面の彼女へと向き直る。
「うん、基本的には。触れるには触れるけど、あいつら、すぐに飛びかかってくるから」
飛びかかってくると、反射的に逃げるか払うかしてしまうので、触るどころの話ではなくなるのだ。よって、嫌いだ。
触れるのは、せいぜいカブトムシくらいのものだ。カブトムシはいい奴だ。そうそう飛ばないし、ご丁寧に持ち手まで付いている。
「触れないから嫌いなの? 嫌いだから触れないの? どっち?」
「どっちかと言えば、触れないからの方かな。カブトムシ以外は、触ろうとも思わない」
「カブトムシ?」
「いや、こっちの話。それで? 何が言いたいのかな?」
彼女はパタン、と本を閉じると、頬杖をついて窓の外に目を遣った。
「触れないから嫌い、っていうのは、きっと健全な考え方なんだと思う。ワタシもそうだから、そうじゃないと困る」
「確かに、自分からマイナーぶるのはちょっと痛々しいかな」
「でも、その逆の考え方はたぶん、健全以上に美しいものだと思うの」
「へえ、例えば?」
少し意地が悪かったかもしれない。自分で考えない内から質問をして相手を困らせるのは楽しくもあるが、自分の無能を晒しているようなものだ。
彼女も探り探りで話し始めたようで、すぐには答えが返ってこなかった。
彼女はしばらく何か呟くと、思いついたように声を上げた。
「そう。例えば、納豆」
「納豆?」
その例に、思わず笑ってしまう。美しいだのと言っていたのに、あまり見栄えはよくない発酵食品が登場してしまった。
彼女は少し不機嫌そうにこちらを一瞥したが、すぐに窓の外に視線を戻した。
「納豆ってネバネバしてるし、独特な臭いもあるから、敬遠する人はずっと避けていくでしょ?」
「まあ、食わず嫌いとかの部類かもね」
「でも納豆は体にとてもいい栄養が豊富で、食べられない人からしたら、憧れの的かもしれない」
「食べられない人は、まず納豆を嫌うんじゃないかな?」
ボクはピーマンが食べられない。食べられないから、嫌いだ。
ところが、彼女はその先へと言葉を進めて行く。
「そこが違うの。『嫌い』と『出来ない』は、同じじゃない」
彼女はきっぱりと言い切る。きっとここからが、彼女の言いたかった本題なのだろう。
「嫌いだから食べられない、ってことは、納豆を食べられると言っていることと同じなの」
「ん……? ごめん、ちょっとよく分からない」
「つまり、食べられるのに、嫌っているの。食べられるのに、主義主張宗教のように、納豆を嫌っているだけなの」
「……分かった。分かったけど、それのどこが美しいのさ?」
ここで虫に言い換えても、しっくりとはこない。虫が触れるのに嫌っていることなんて、農家のおじさんとかが悩みの種として抱えているくらいしか思い当たらない。一体、それのどこが美しいというのだろうか。
「重要なのは、『嫌いだ』と言い切っていること。ワタシは、それこそが美しいものだと思う」
「『触れない』、『食べられない』と言い切るよりも?」
「うん。好き嫌いは、世の中で一番純粋なものだよ」
「それは、言い換えると愛になるけど?」
まさかこの問答の末に行き着くところが、愛は世界を救う、みたいなものだったとは。
彼女は頬杖をやめてこちらへ体を向けると、風がそよぐように小さく頷いた。
そして身を乗り出すと、彼女はボクの頬に触れて言う。
「だから、ワタシはキミに触れるんだよ?」
少しでも誰かの参考になれれば、幸いです。