第2話 PLACE・has・NO NAME(Ⅱ)
リック課長の手引きにより、アルテミシアは無事にアンドロメダ銀河役所の艦に接舷する事が出来た。もちろん、彼女達の身の安全は確保される約束で、だ。
ブラフマンを連れてアンドロメダ銀河役所の艦へと乗り込み、身柄を引き渡す事を条件にグレイさん達の身の安全は保障されたのだが、アンドロメダ銀河役所を信用しきれていないアインさんはアルテミシアへ残るという選択を選んだ。
「君の事は信頼に値するのだが、やはり俺は奴らを完全に信じる事は出来ぬ。約束を反故にする輩を何度も目の当たりにしてきたからかも知れぬが、人の噂というものは厄介なものでな。一度、風評被害が流布されればそれは人の心奥に貼り付いて剥がれ落ちぬものだ」
説得力のあるアインさんの言葉に僕は何一つ反論出来ず、それどころか共感さえしてしまい、彼を止める事など不可能だった。傭兵稼業などをやってはいても、その言動や振る舞いは王族のそれであり、王たる威厳や風格を持ち合わせているように思えた。
「それに……俺などいなくとも、君にとって心強い仲間が既にいるようだ」
意味深な言葉を残し、アインさんはアルテミシアへと戻っていった。僕はリックさんの許可を取り、アルテミシアが十分な距離まで離れた事を確認してから神器の力を解放した。
「時が止まっている間の事だから成す術が無かった、という事にするしかないな……」
自嘲気味に笑うリックさんに申し訳ない気持ちもあったが、ここから生きて帰るためにはこれが最善の策だと信じて妥協するしかない。それに、グレイさん達にはまだまだ聞きたい事がある。
そりゃもちろん、海賊行為など到底許せる事ではない。しかし、彼女達が宇宙海賊などに身をやつしたからにはそこに何かしらの理由があるに違いない。その理由を探り、ルポルタージュを作成してみたい、と思いたってしまった事も理由の一つにこっそりと入れておこう。やはりリックさん達に申し訳ない。
「それはそうと、本当にこの男がブラフマンを名乗る者で間違いは無いのだね?」
「へ? ええ……多分……」
両手足を拘束されながらも不敵な笑みを浮かべる余裕があるという事は、警戒を怠ってはならないという事。そして、僕達を見下しているという事だ。
ブラフマンを名乗る者こそが、オールトの雲やJ・D・Uと言った組織を陰から操る人物であるという事なのだが、見た目には年端もいかない青年のように見える彼がそうだと断言できる自信は無い。確かに彼はドラゴン族であり僕達人類とは種族が違うが、それを差し引いても彼がこの世界を支配する組織の最高幹部だと一概に言えるかどうかは疑問である。
「我がブラフマンを名乗る者である事に違いは無い。しかし、ブラフマンを名乗る者であってブラフマンそのものではない」
「やはりそうか……ブラフマンとは一人ではなく複数の人員で構成されているのだな?」
「銀河役所の公務員風情がそこまで調べ上げているとは驚嘆に値する。ならば隠す事も無かろう。そして……いつまでそこに隠れているつもりだ?」
そう言い放ったブラフマンの視線は僕の後方にある通路の影を指していた。誰もいないはずのそこに現れた人影は居るはずもない人達であった。
「ハーイ、アスト。元気してた? ごめんねリックさん。ピカちゃんのゲートの行き先がどういうわけかこの艦のトイレだったのよね」
「いい加減な事を言うな、新聞屋。至聖宮をうろついていたところを俺達が保護したんだろうが」
「強引に引っ張ってくるのが保護っていうワケ?」
「レ、レイアさん? それにクリスさんまで……て言うか、ピカチャンとは……?」
「あぁ、そっか。アストっちにはボナンザって言った方が伝わる?」
「ボナンザさんって、あの男だか女だか分からない人ですよね……なんであの人がゲートを?」
「ま、細かい事はあとあと。それよりも……ようやく会えたわね、ルキフ・ロフォ」
ブラフマンを名乗る男をキッと睨みつけたレイアさんは彼の事を『ルキフ・ロフォ』と呼んだ。それこそが彼の本当の名であり、彼こそがDOOMやフェイを使役してこの世界を支配しようとしているJ・D・Uの頂点に立つ男であり、一連の騒動の黒幕なのだ。
「レイア・ルシール……お前の存在は認められるものではない。特異点の存在は全ての理を不安定にさせる……ここに居てはならぬお前は、尚更に許される存在ではない」
「意味分かんない御高説ありがと。でも残念、アタシはここに居るの、生きてるの。アンタ達がこの世界をどうしようが勝手だし、アタシの知ったこっちゃないけど、歪んだ思想でもって人類を間違った方向に導こうとしてるんだったらさぁ、それは看過できないってのが人情じゃない?」
この状況下でどうしてこの人はこんな風に軽口を叩く事が出来るのだろう。僕には、いや、僕で無くともこんな時にこんな風に話せるわけがない。ルキフ・ロフォがその気になればこの場に居る全員を一瞬で殺せるだろうに、相手を挑発するような事を平気で言ってしまうこの人が何を考えているのかクリスさんは分かっているのだろうか。
「君子危うくば近くに寄って目にも見よ、ってね。昔の人は良い事言ったわ。これぞジャーナリズムの精神ってワケよね。アンタ達のこれまでの悪行をキッチリと記事にまとめてあげるわ」
嘘でしょ……なんでクリスさんまで? しかもなんか色々間違えてるし。もうこうなったらどうなっても知るもんか。そもそも僕一人でこの二人を止められるはずもない。
「そういえばシンさん達は?」
「シンはどっか行ったっきり。ミリュー達は……あれ? この艦に居るんじゃないの?」
「彼女達には身の安全を第一に考えて居住区画へと避難して頂いた。それとシン君だが、彼には我々の依頼を遂行して貰っている」
「あら、戻ってきたの?」
「ああ、彼からこれを預かっている」
そう言ってリックさんはレイアさんにメモリチップを手渡した。そのチップにはJ・D・Uに関する重要な情報が入っているという。それが衆人の目に曝されれば一気に組織を壊滅させる事が出来るかもしれない────しかし、事はそうすんなりと運ぶものではない。
事実として、ルキフ・ロフォの表情が崩れる事は無く、むしろ余裕さえ感じ取れる。彼の力なら、この場をいともたやすく切り抜ける事は充分に可能だからだろう。
「人間という生き物はよくよく情報などというあいまいなものに左右されるのだな。その真偽を確かめる事をさほど重要視しない事こそ愚かだとは思わぬのか? 我らが統治してきたからこそ『今』という平穏があるのだ。今という生を享受する事が悦楽、それが全てだよ」
情報を発信する事が僕達ジャーナリストの使命なのだが、そこには当然として真偽を確かめる事も含まれる。ルキフ・ロフォの言葉は僕達に対する侮辱だ。そんな言葉を聞いて人一倍この仕事に誇りを持っている僕の上司が黙っていられるはずもない。
「言いたい放題言ってくれるじゃない。アンタにアタシ達の何が解るっての? アタシ達ジャーナリストはみんなの目の代わりに本質を見抜き、みんなの耳の代わりに真実の声を聞く。そして、みんなの代わりになって危険を冒して、みんなに真実を届けるのよ! 今を生きる? 悦楽? ふざけるんじゃないわよ! こんなのは生きてるなんて言わない。生かされてる……いや、飼われてるって言うのよ。誰がそんな人生を望んでるって言うの? 誰も望んじゃいないわ!」
「ホムンクルスが何を言う……」
「アタシ達は人間! ホムンクルスなんかじゃない! この際だからアンタに一言だけ言っておくわ。これはアタシの持論なんだけど、可愛いは正義なの。でも、アンタは微塵も可愛くない。よって、アンタは正義じゃない!」
人差し指を鼻っ面に突き付けられたルキフ・ロフォは暫し表情を固まらせ、やがて僅かに首を捻った。
そりゃそうなるよ……




