「目的は決まったね」
翌朝、近くの港で大陸沿いを南下し、東へと一日かけて海を渡ると、ロースレントから南西に位置する港町にたどり着いた。さすがに月も目立つ制服から旅人用の動きやすいものに着替え、鞄と制服は大きな袋の中に入れて抱えている。
「ここからロースレントはどのぐらい?」
「ざっと馬で一週間……」
シンキの説明を全部聞く前に月は持っている袋をシンキの頭に殴りつけた。リヴァイアもリヴァイアで助けようとも手伝おうともしない。
「もう二度と馬に乗るか!なにか乗るものないのか?車とか……」
過去に長時間馬に乗り、散々な目にあった月はシンキの案を却下した。
「くるま?なにそれ?」
「……ああ……、ないわけね。不便だな、ここも」
リヴァイアの反応に月は心底残念そうに呟いた。それを耳にしたリヴァイアが思い出したように口にする。
「あんまり使いたくないんだけど、龍族には特有の術があってね。特定の場所まで一瞬にして移動するんだけど、やるには広い場所と相当の魔力が必要なんだ」
「聞いたことないですね、そんな術があるんですか?」
頭を撫でながらシンキが立ち上がる。
「これは遺伝として頭の中にあるんだけど……、僕自身龍族じゃなくて人間として生きていたいから使いたくないんだ」
自分で提案したのに乗り気ではないリヴァイアに月は笑顔で答える。
「いいよ、無理しなくて。別のルートを考える」
「……ぁ……っ。……ううん、やるよ。今は僕の事をどうのと言っている場合じゃないから」
「なら近くの人が来ない広い場所がある、そこにしましょう」
シンキの言葉に二人は頷き、彼の後ろをついて行く。丘を少し登り、平たい場所を見つけると、リヴァイアは近くに落ちていた枝を拾い、次に己の指先を切り血を枝に滴らした。軽く傷口を布で絞めて止血し、血に染まった枝で地面になにか図を描き始めた。ここの世界の字……いや、龍族の文字で書かれていてさっぱり何が書いてあるのか分からない。完成した図形はとても細かく真似をするには不可能なぐらいに複雑だった。
「二人とも、この上に立って」
言われるがままシンキと月が図形の上に立つ。リヴァイアも立ち、能力で手にしていた枝を燃やすと、図形が発光した。リヴァイアの呪文をきっかけにその術が発動する。
気づけば、懐かしいロースレントの近くの道だった。
「うわぁ……本当に一瞬で着いちゃったよ。でも八年もなると変わるなぁ……」
そうは言っても月は嬉しそうだ。その後ろでリヴァイアが膝をついた。音に気づいた月は、かなり消耗しているリヴァイアを見て本当に彼女が無茶をしたのが分かった。慌てて彼女のもとへと向かう。
「大丈夫か!?……顔色悪いぞ」
「魔力をほとんど使ったからね、少し大人しくしていれば大丈夫。先に行っていいよ、僕は後から行く」
リヴァイアが辛そうな顔で笑う。しかし、仲間を置き去りにするような人間ではない月は、ムッとした表情でしゃがみこんでリヴァイアの顔色を再確認すると、ひょいっと彼女を横抱きにする。突然の月の行動にリヴァイアはぎょっとした。シンキも声には出さなかったが、かなり驚いているようだった。
「ゆ、月!?お……降ろして!」
「嫌だね、目の前で人が体調崩してるのに、放っておけるかよ。ほら、しっかり首に捕まってろ」
「……」
リヴァイアも最初は困った表情を浮かべていたが、抵抗する力もないので大人しく月の言う通りに首に手を回した。それでも少し違和感を感じるのか、ボソリと呟く。
「魔力が戻ったら降りるからね!」
彼女の訴えが月の耳に届いた様子はない。シンキはそんな二人を微笑ましげに見つめている。
さすがに八年前と違ってシンキが街を出歩いていても人々がざわつくことはなかった。きっと現国王が彼の弟であるミリアだからだろう。弱冠十歳にして国を統べる王となった彼は、ずっと現在に至るまで国民の支持を落とすことなくやりとげているようだ。本来ならば現国王の兄であるシンキが国王になるはずなのだ。シンキは長兄の死が原因で国を捨てた王族。ゆえに末の子であったミリアが継いだ形になる。このことについてシンキは多くを語ろうとはしない。だから月たちも聞かないのだ。 顔を隠さずにいたシンキのおかげで、すんなり城内に入ることができた。ここまでくると、さすがのリヴァイアも一人で歩けると言って、無理矢理月から降りた。妙に怒っているように見えるのは気のせいだと思いたい。
昔と変わらない城内の廊下を渡っている途中、城の者たちのシンキを見る態度が冷たいと月は薄々感じ取っていた。それは本人はもちろん、敏感なリヴァイアも気づいている。だからあえて三人ともそれに触れなかった。玉座のある謁見の間の扉をシンキが開けて、月が先に入る。玉座までは少しばかり遠かったが、気にせずまっすぐ玉座に座る王のもとへと足を進めた。
王は眉を寄せてなにか書類を睨んでいる。左手に握られているものに月は見覚えがあった。
あれは……たしか……。
不意に王の目が三人の姿を捕らえる。そして月の姿を見て瞳を大きく見開いた。その顔は再会を喜ぶようなものではなく、なにか焦ったようにも見えた。
「月、会えて嬉しいよ!」
ガシッと月の肩を掴んで言った王の言葉は再会を喜ぶもの。しかし瞳はとても固い。それに驚いた様子もなく、月がここにいることすら不思議だと思っていないようだ。
「み……ミリア。どうした?なにかあったのか?……それに「それ」……」
戸惑った様子で月は応える。そして左手に握られているものを目にして尋ねると、王……いや、ミリアは少し月から離れて彼の前に左手を広げた。そこにあったのはシルバーで作られたペンダント。それは間違いなく最近万樹が身につけていたものだ。どうしてこんなところに彼女のものが……。
「……万樹がつい昨日までここにいたんだ。突然の来訪にびっくりしたけど、会えて嬉しかったし。……でも、今朝彼女が何者かに連れ去られてしまったという情報が来て……ずっと探しているんだけど……」
なるほど、どうしてミリアが月を見てあまり驚かなかったのか、いないはずの万樹の所有物がここにあるのか、これで理解できた。少なくとも月を知っている者は必ず相方でもある万樹も一緒だと考える。それは逆にしても同じだ。ミリアも万樹を見て、どこかに月もいるのだろうと考えていたのだろう。
「落ち着け。一国の王が女の子一人になに取り乱してるんだ。冷静に考えろ。あいつは大人しく捕まるような奴じゃない、昔と違って人に頼るようなことはしない。いいか?もしあいつが捕まったなら、何かしら手がかりを残してるはずだ。なにかないか?」
月の言葉にミリアは我に返る。落ち着きを取り戻しても心配そうな表情に変わりはなかった。そして彼の口から零れたものは最悪のもの。
「手がかりと呼べるものはない。ただ、ここにはいないという事実だけ……」
月はその台詞に引っ掛かりを覚えた。あまりにもおかしいのだ。幻光石に導かれるようにここに来た月と同じだったとしても、確実にこのロースレントに来れるものだろうか。いや、百歩譲って来れたとして、ずっと会いたがっていたミリアになにも言わずいなくなるはずがない。そして連れ去られたのなら、絶対になにかしら手がかりになるようなものを残す。……それすらも出来なかったということなのか。となると……。
「あいつは寝ていた時……おそらく意識がない時に連れ去られたんだ」
「ああ、それなら考えられるね」
とリヴァイア。
「けれど、万樹さんは誰に連れ去られたのでしょう?」
シンキの問いは尤もだ。いったい万樹は誰に連れ去られたのだ。
「それから……とても言いにくいのだけれど。ここにあった幻光石も万樹と共に消えたんだ」
「なに!?」
それは計算外だった。幻光石の様子を窺うためにここに来たのに消えたとは……。三人の行動は無駄だったのか。
「目的が決まったね」
不意にリヴァイアが言った。三人の目が彼女に向けられる。
「僕たちの本来の目的は幻光石を見つけて月がここに来た理由を知ることだろう?そして唯一の手がかりのロースレントにある幻光石が万樹と共に消えたのなら、やることは一つ。幻光石を見つければ、おのずと万樹にも会えるってことだよね?」
「……そうだな、ミリアは王としてここにいないといけないし、今自由に動けるのは俺たちだけだ。幻光石と万樹が一緒ならそのほうがいいかも」
まだ心配そうなミリアに月は「任せろ」と一言言って、シンキたちと共に謁見の間を出て行く。一人残ったミリアは互いの無事を静かに祈った。