「……会いたいな」
春が過ぎ、梅雨に入る前の五月。新しく入ってきた一年もまだ初々しさが残っている。部活にも入って各々が学校生活を過ごしている中、三年の高久月は、つまらないと感じ始めていた。八年前に起きた非現実的な体験が彼に今の現状を満足させない。それほど当時十歳だった彼には衝撃的で新鮮な経験だった。見るものすべてが見たことのないものばかりで、好奇心旺盛な子供には十分な刺激と言えよう。いや、しかし。当時の月は純真な子供らしからぬ子供だったことを、誰が知っていようか。十歳にして現実主義とは可愛くない部類に違いない。
「……会いたいな」
晴れ渡る空を見上げて月は呟く。
つまらなさすぎるよ、ここは。刺激が欲しい。どんなことでもいい、退屈しないでいられる毎日が欲しい。
会いたい。皆に。八年前、一緒に冒険した皆と。もう一度……。
教室で物思いに耽っていた月をクラスメイトがサッカーに誘った。人数合わせだということは分かっていたが、月はなにもしないでいるよりはとクラスメイトと共に教室を飛び出したのだった。校舎から出た時、聞き慣れた声に月は思わずそちらに足を運ぶ。
「ごめんなさい」
幼なじみの神田万樹が悲しげな瞳でそう言ったのを耳にする。彼女の前に一人の男子生徒。告白されでもして断った、というところか。
「あたし……好きな人がいるから……」
そう答えた万樹の言葉に月はハッとする。
「それって高久先輩ですか?」
と男子生徒。
「月は関係ない。本当にごめんね?」
謝る万樹の瞳に映る人物が誰なのか月には痛いほどよく分かっていた。彼女の好きな人は黒髪の似合う男の子で、心の優しい人だ。でも、彼女は彼に会えない。会えるはずがないのだ。
だって万樹の好きな人は異世界の人間なのだから……。
月は少し考え事をしてから、クラスメイトたちが待つグラウンドへと向かった。
「……つまらない、なんでだろう」
時間いっぱいサッカーを楽しんでからサッカーボールを手に月は独り言を呟く。
「なに贅沢言ってんの、それだけパーフェクトのくせに」
「万樹」
いつの間に現れたのか、万樹は月からボールを奪うとニッコリと笑った。
「スポーツ万能、眉目秀麗。小学校の時の答案を下級生に見せたいわ。昔は十点ぐらいしか取れない成績だったって」
「やめろよ、ますます拍車かかってるな、俺いじめ」
クスクスと楽しげに笑う万樹。こんな性悪な万樹を好きになる輩は多いが、彼女のどこを見ているのだろうかと月は時々不思議に思う。けれど、そんな彼女も一人の寂しさを知っている。大切な者を失った気持ちは誰よりも知っているのだ。
十年前に川で溺れて亡くなってしまった彼女の実兄。その原因が月であることを彼女は知らない。月は一人ずっと苦しんでいた。万樹の兄を見殺しにしてしまったことに、ずっと後悔し続けていた。そんな彼を救ったのは、死んだ万樹の兄本人だった。今、誰かに話したところで誰も信じてくれないだろう。異世界での冒険だけでなく、万樹の兄である神田一樹に会ったことも。けれどすべて本当にあったこと。異世界で出会った人々の温かさは、今もまだ記憶に残っている。夢ではなく、本当にあったこと。
「ほら、戻るぞ。チャイムが鳴ってる」
そう言って月は、万樹と共に校舎の中へと姿を消した。
放課後、いつものように寄り道をして帰る。雑木林に学校の裏山、工事跡地に異世界に行った時の道。寄るところはたくさんある。たまに図書館に行ったり、本屋に行ったり、ゲームセンターに行ったりはしているが、それでも一人になりたい時は誰も来なさそうな場所に寄ったりする。気分で決めた場所は雑木林。
「いいな……やっぱり」
ザワザワと木が揺れ、木の、緑の匂いが心を落ち着かせる。ふいに胸のあたりが苦しくなり、彼は胸を抑えた。そして体を眩い光が包み込み、月は光と共に消えてしまった。