「……私は……月を……かもしれない……」
心のどこかで会いませんようにと願っていた。会わなければ嫌われることも恨まれることもなかったはずなのだ。覚悟はしていた、いずれは敵として月の前に現れるだろうということを。そして実際に会ってしまってドキッとした。心臓が大きくはね上がるのを抑えながらも、相手に動揺していることを悟られないように平静を装った。万樹の心が分かったのか、獅子が助け船を出してくれたのは今でも嬉しい。幸い彼の『言葉』は月たちには聞こえなかったが、獅子の言ったものはとても辛いものだった。
《村人たちの我らに対する怨念が強い、早急に離れたほうがいいだろう》
昨晩、一匹の狼からの報告に万樹は自分の耳を疑った。見たこともない髪と瞳の色をした者が一人で村を襲っていると。嫌な予感がして急いで戻ってきたが、すでに遅かった。代わりに見慣れた顔ぶれが三人いて、今に至る。村人たちは万樹たちに対して“幻光石を奪った盗賊まがいの動物使い”という認識した後、恨みや憎しみを抱いたまま何者かに殺された。本当に悪いのは誰なのか。幻光石を強奪した万樹なのか、それとも問答無用で切り捨てた人物なのか。村人たちは悪くない。すべては幻光石が招いてしまった不運でしかないのだから。
「ねぇ、ルーク……。私は正しいことをしているのよね?」
獅子の名を呼び、万樹は尋ねる。ルークという名の青き獅子は己の首回りを抱き締めながら背中に乗っている主に淡々と告げた。
〈最終的にはそうなる〉
「……それまでに私は何人の人たちを巻き込んで犠牲にしていくんだろう……」
〈いちいち気に病む必要はない〉
優しさも温かさも全くない言葉。彼のような獣には、そういった感情はなく、ロボットのように自分に課せられたことを確実に成功させるという事務的、機械的な言動をすることを万樹は最近になって気づいた。特に、このルークという名の獅子は他の獣と違って、己に課せられた使命を自分の意思で放棄することもできる。本来ならば絶対にないことだが、ルークだけは特別なのだ。それほどの力を内に秘めていることを万樹は知っている。いや、むしろルークの本性を知っていると言ったほうが正しいだろう。万樹が二度目にこの世界に足を着けた時、最初に出会ったのはこの青き獅子。彼は言った。
《我と共に幻光石を集めるのだ、それが貴女に課せられた使命、そして呼ばれた理由》
あの時から万樹は決めた。青き獅子ルークと共に旅をすること、彼の望みを叶える為に月を裏切ることを。全ては誰にも知らされなかった真実のために。本当のことを言えない辛さ。今になって胸を苦しめている。“正しいことをしている”けれど人には“滅ぼそうとしている”と思われるのが悲しい。言ってしまいたい、本当は違うんだよって。幻光石を集めるのには意味があるんだよって。けれど、このことは言えない。ましてや月には絶対に。
「……私は……月を……かもしれない…」〈そうしたくなければ、前に進むことだ〉
ボソリ呟いた万樹の言葉など、ルークにはすぐに耳にすることができる。そして主に、ただ後ろを見ずに先に進むことだけを願った。自分の不安な思いと恐怖が込められた予測が現実にならないことを彼女は切に願う。
――私は、月を……かもしれない。