邪神討伐の聖女
ああ、なんて素晴らしい日なのかしら。
私は天を見て、感嘆の溜め息を吐く。そんな私を見て、一緒に歩いていた清子さんが小首を傾げて尋ねてきた。
「どうしたんだい櫻子?湿っぽいため息なんか吐いて。ため息を吐いたら幸せが逃げるってのが、君の口癖だろ?」
髪を短く切った清子さんが、プリーツスカートを揺らめかせて首を傾げる。女だてらにテニスをたしなむ清子さん。モガとやらに憧れて美しい髪をバッサリ切った、先鋭的な女の子。その凛々しい姿かたちや言動から、女学校の王子様として大人気。
「違うわ清子さん。私、感動して吐息を漏らしてしまったの」
桜の海を指差すと、清子さんは「ああ」と納得した。私達が通学路として歩いている道は、桜ヶ丘という場所にある。桜ヶ丘は名の通り桜が咲き誇る丘。今、私達の上には雨のように桜吹雪が降り注いでいる。
「君の花がこんなに沢山、綺麗だね」
「うふふ、そうよ清子さん。私の花よ」
私は清子さんの言葉に嬉しくなる。そう、私の名前は櫻子。私の名の花が今日という日に咲き誇る素晴らしさ。私は桜の下でクルクル回る。
「おいおい何やってるんだい櫻子」
最初は呆れていた清子さんだったけど、すぐに一緒になって回り始めた。両手を水平に伸ばして、スカートが広がるようにクルクルと回る。フワリフワリと回り、私達も桜の花弁になるの。
桜ヶ丘に私達の笑い声が響く。
「これで最後か……櫻子」
息が苦しくなり、笑いながら道の脇に置かれたベンチに座る。暫く深呼吸をしていたら、清子さんが唐突に呟いた。
「ええ、明日から花嫁修業よ。相手は男爵様ですもの、しっかりと礼儀作法を修めないと!」
「ふふふ、夢見る夢子さんができるかな?」
清子さんはそんな意地悪を言う。
「出来るわ、私は宗之助様の為に頑張る!」
「巷では自由恋愛が流行っているのに、ずいぶんと古風な事だな。時代は自由恋愛だよ君ぃ」
少女雑誌で流行っている探偵の口真似をする清子さんに、私は頬を膨らませる。
「もう!私が宗之助様をお慕いしているのを知っている癖に。意地悪は嫌よ清子さん」
「ははは!ゴメンゴメン」
拗ねる私の頭を撫でる清子さん。何時もと変わらないやり取り、だけどもこれで最後。私は女学校を止めて花嫁修業をし、それから嫁ぐのだ。そうなったら清子さんとは簡単に会えなくなるだろう。そう考えたら、なんだか目が熱くなって潤んできた。私は清子さんの手を握る。
「清子さん、私の結婚式に来て。お願いよ?」
すると、清子さんは戸惑ったような顔をする。
「いいのかい?そんな事をして分を弁えない小娘と謗られないか?」
「いいわ。だって、清子さんに私の花嫁姿を見てもらいたいもの。その為にオバサン達に嫌味を言われても平気よ」
そう言うと清子さんは嬉しそうに笑う。
「なら、櫻子は私の結婚式に来てくれるかい?」
「ええ、行くわ。絶対」
「たぶん、僕達の距離はこれからどんどん離れていく。だからこそ、節目の行事は互いに会いに行こう」
「ええ、互いにお婆ちゃんになっても、ずっとよ。ずっと友達よ」
桜の下で二人の少女達は誓った。ずっと、ずっと、友達よと。
だがしかし、その誓いは守られない。
「ねえ、知っていらっしゃる?神隠しですって?」
「ええ、祝宴で花嫁が唐突に消えたんですって」
「天狗かしら?」
「あら、私は化け猫だって聞いたわ」
「巷を騒がす怪盗だとも聞いたわ」
「不思議ねぇ」
「不思議だわ」
葉桜になった桜ヶ丘で、少女達が姦しましく歩いていく。コロコロと転がる少女達の話題は、消えた花嫁から見目麗しい怪盗へと変わる。そんな少女達が通りすぎたベンチの上に、一人の少女が座っていた。悲しげに桜を見上げる少女の瞳は赤く腫れていた。
親友がいつも着けていたリボンを握り締めた少女は、ポツリと呟いた。
「櫻子」
ホロホロと泣く少女。清子が親友と再会する日は来なかった。
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「隊長、聖女が来ます。壁隊魔法隊壊滅です」
「糞!あのアマ!」
漆黒の鎧を纏う騎手が口汚く罵った。なだらかな線が続く隆丘地帯。そこには軍馬が嘶き、無数の軍旗が翻っていた。
此処は神都の直前にある丘。侵略者から故郷を守る要のとちである。隙もなく敷き詰められた布陣だが、何故か所々がポッカリと巨大な穴があき、剥き出しの大地に無数の人間が死んでいた。
彼の国はとある国の騎士である。夜と安寧を司る神を讃える宗教の宗主国である彼の母国は、王国とやらに邪教として攻められていた。
海の向こうからやって来た軍勢。話には聞いたことのある聖女の国が何故、自分達を攻撃するか分からない。だが、戸惑う間にも数々の罪状を突き付けられる。それは見覚えのない事であった。母国は必死に交渉を繰り返して罪状を否定したが、最終的には世界の悪となった。
彼等の弁は一貫していた。
【生け贄は悪】
【そんな物を欲しがる神は邪神】
【これは邪神に捕らわれた人々を救う聖戦】
【生け贄を要求する邪教を止め、邪教の神官の身柄及び財産を差し出せ】
この国では、統治者は全員神官である。その財産とはすなわち国を差し出せという事だ。そして生け贄だが、それは世界の穢れを一身に受け止めている夜と安寧を司る神を癒す為の儀式だ。50年に一度だけ行われるそれは神聖な物で、宗教の最も重要な行事だ。選ばれた少年少女達は、神の元に赴き仕える。これは、自分達の為に休まず働いている神の為にも、止めることはできない。
なのに、彼等は野蛮と一蹴する。無関係な国に口出しして、無理矢理信仰を捨てさせる方がどれだけ野蛮か、彼等は知らないのだろうか?野蛮な国には礼儀は要らないと、開戦宣言もしない野蛮な国は分からないのだろう。
その国と戦がおこり沢山の無垢の民が死んだ。邪神に支配された人々を守る為の戦争なのに、邪教徒は殺される。男は殺され、女は犯されて殺される。幾つもの村や町が無くなり、略奪された。それは、まるで彼等が汚物だと言わん行いであった。軍はなすすべがなかった。
そのような一方的な虐殺が何故可能なのか。それはとある女のせいだった。たった一人で軍すらを滅ぼし、彼等の魔法を無効化する異様な力を操る化け物。見たこともない漆黒の髪と瞳を持つ美しい女は、奴等からは聖女と呼ばれていた。
舌打ちする隊長は、騎馬を駆って聖女のもとに駆ける。迫る聖女をせめて此処で足留めしようと、討伐部隊は戦場を駆け抜けた。
そこで彼等が見た光景は……。
それは憐れな少女。
「助けて……おねがい……助けて」
「これは……やはり」
傷付いた彼等の目の前では、一人の少女が泣いていた。
見たことのない、純白の布を多用した服を纏った黒髪の少女。その服の前面は誰かに切り裂かれたのか、破れ白い肌や発展途上な胸の膨らみが丸見えになっている。
その少女の白い柔らかな肌には、一見すると美しい刺青が彫られていた。
まろやかな膨らみからヘソの辺りまで、細かい花弁が彫られているそれは、美しいが狂気に満ちていた。刺青とは、真皮と呼ばれる場所に墨をいれて肌を着色する技術だ。色粉をつけた針を肌の深くまで入れるのは、激しい痛みを伴う。それは大の男でも悲鳴をあげて断念するほどだ。
そんな物を、感覚が鈍い背中ではなく前面にいれているのだ。幼いとも言える少女に与えられた痛みがどれ程か分からない。その、少女を戒めていた刺青の一部が、不自然に消えていた。
「やはり、隷属の刻印」
魔術師の一人が呟いた。戦闘中に刺青に気付いた彼が解除の呪文を唱えたのだ。普通ならソレくらいで解除出来ない物だが、魔術師は国屈指の才能を持っていた。
その無効化に成功。それは少女の意思を自由にした。
「助けて、助けてください。誘拐されて、体を勝手に使われたんです。もう弄られるのは嫌ぁ、助けて家に帰して。清子さん、お母様、お父様、宗之助様助けて」
その言葉で全てが分かった。
座り込んで泣きわめく少女。そこには彼等を邪教徒と罵りゴミのように殺した姿はない。憐れな被害者だった。
彼等は少女を助けた。
自分の状況を知らなかった彼女は、理解すると彼等に協力すると告げた。そうして聖女を失った王国軍は明らかに力を落とした。彼等の反撃は成功し、幾つかの都市を取り戻した。
少女も戦った。とある騎士に守られながら力を使った少女の力は凄まじく、敵を凪ぎはらった。やっと、苛烈な侵略への反撃の光明を見いだし国は救われる。
そう思った時
少女に笑顔が戻った時
唐突に全ては終わった
「やめてやめてやめて」
「ああ、間に合いましたね。もし性交していたらどうしようかと思いましたよ。まだ清い身だと確認して安心致しました」
「やめてやめてやめて」
「邪教徒に捕らわれて怖かったでしょう?さあ、さっさと役目を終えて帰りましょう。国王がお待ちかねですよ。そんな汚い物は捨てなさい」
「やめてやめてやめて皆を殺さないで」
「何を言っているんですか?邪教徒の長とその信徒は貴方が全て浄化したんじゃないですか?」
「やめてやめて殺さないで殺さないで」
「ああ、壊れたか。まあ良い。後は豊穣の儀式のみ。壊れようが体さえあれば善し」
「やめて助けて助けてやめてやめて」
髪を掴まれて少女はズルズルと運ばれる。その手に愛し始めたばかりの騎士の首を持ったまま、美しい少女は運ばれる。
神官の一人が騎士の首を少女の手からもぎ取り捨てたが、少女の呟きは止まらない。命を乞う声は、彼女を助けてくれようとした者達の血で、赤く染まった王の間に虚しく響く。騎士の首は、その床に落ちて跳ねた。
そして、とある国はまた豊かになった。
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【後日談】
「良かったのかサクラコ?他の娘達は天に帰ったのだろう?」
「はい、やっとオーガ様が身を固めて頂きましたから。皆、安心して逝きましたわ」
「では……」
「私は後悔していません。妖の身になって、貴方と永遠の時を迎える事ができて幸せです」
「ありがとう」
「アードルも、待ってくれてありがとう」
とある魔物の国にはとある夫婦がいる。それはデュラハンの夫婦。夫は邪神を信仰していた国の元騎士。妻は元聖女の少女。魔物の国には、昔の仲間達も何人かいる。国王は死者の王、騎士の部下は高位ゾンビになっていた。
二人は今の幸せを噛み締めながら、穏やかに日々を過ごす。天気の良い日には、縁側で互いの首を持ちながら日向ぼっこをしている夫婦が見る事ができる。