家族の介護の人生
私の名前は、畑沢牧子、63歳。家族は、両親と祖母だ。私は、一人娘なので、兄妹は、いない。4人家族だ。
両親は、公務員で、共働きだった。今は、退職して、家にいる。祖母は、小さな、雑貨店と農業をやっていた。働き者の祖母だった。
私は、40代の頃から、家族の介護に明け暮れていた。今もだが…
まずは、父親が、突然、脳溢血で、倒れ、救急車で、運ばれて、入院した。私は、その頃、仕事をしていたが、母からの緊急連絡で、急いで自宅に戻ったら、父が倒れていた。本当に、びっくりしたのを、覚えている。家族の病気の場面に、出くわしたのは、初めてだったので、どうしてよいかわからなかった。
父が、入院してからは、毎日の様に、病院に、通って、父を、励ました。左半身に、麻痺が、残ったので、リハビリを毎日していた。時には、私も、手や足をもんであげたりした。
何ヶ月後かあとに、退院することになったのだが、自宅に戻ってからも、何かと、大変なことは、多かった。気難しくも、なっていたので。退院してからも、リハビリに通っていたので、私が、送迎していた。その後、自分で、運転をするようになり、自分で、リハビリに、通っていた。時には、雪道で、吹雪の中、車を運転して、斜面から、落ちそうになったこともあり、心配した。すぐに、私に連絡があり、助けに向かったりした。
そんな感じで、父は、好きな旅行を楽しんだり、カメラを楽しんだりして過ごしていた。脳溢血になってから、10年が過ぎた頃に、父の大腸ガンが、見つかり、それが、末期だった事がわかり、肝臓にも転移していて、助からないということだった。残された家族は、覚悟をしていた。祖母には、ショックを受けるといけないので、父のことは、黙っていた。
そして、私は、父を看取り、葬儀をした。私は、独身なので、母と協力して、親戚の力も借りながら、父を、見送った。父は、享年77歳だった。
それから、だいぶたって、今度は、祖母が
お腹に、水がたまり、水を抜いたら、歩けなくなって、介護が、必要になってしまった。その時、祖母は、90歳くらいだった。最初は、自宅で、介護していたのだが、祖母は、夜、寝なくなってしまって、家族の方が、大変になってきたので、施設を探すことにして、探し回ったが、なかなか、なかったけれども、なんとか、見つけることが、できたので、良かったと、思っている。施設にはいってからは、毎週の様に、面会に行き、祖母と話しをしてきた。祖母は、面会に行くと、とても、喜んてくれていた。その祖母も、だんだん、弱っていき、享年105歳で、老衰で、亡くなった。大往生だった。その時も、施設から、連絡が来て、私が看取った。最後まで、私のことを、心配してくれていた。私は、祖母が、大好きだった。
そして今は、95歳になる母を、自宅介護している。母は、元気ですが、歩くのが、大変になってきている。日々、大変なこともあるが、なんとか、気分転換しながら、悔いの残らない様に介護をしている。母のことも、私が、看取ることになるだろうと思う。
私自身も、最近は、いろいろと、検査を受けたりして、健康に気をつけるようになっている。なにはなくても、健康だと思います。
こうしてみると、私の人生は、介護で終わることになるかと、思いますが、これに関しては、一人娘ということもあり、当然のことだと思っています。
ただ、自分も、幸せな家庭を築きたかったな、と、思っていますが。
これからも、私は、なるべく、健康でいたいと思っています。そのために、ウォーキングをしたりして、足腰を鍛えています。これからは、残された人生、楽しんで、生きたいと思います。




