【短編】「気狂い令嬢」と嗤われた私の予言は、一度も外れていません ~婚約破棄されたので、王都のバグ報告は放置して辺境に損切り撤退します~
「ヴィオレット、お前との婚約を破棄する。お前は夢と現の区別もつかぬ気狂い令嬢だ!」
煌びやかなシャンデリアの下、王太子ルカスの声が夜会の広間に響き渡った。
私は――ヴィオレット・銀鏡は、壇上でその宣言を静かに受け止めた。
(ああ、来ましたね。予定通り、二十三時四分。夢見のログと寸分違わず)
内心でそう呟きながら、私は眉一つ動かさない。
周囲のざわめき。扇の陰でひそひそと囁く貴族たち。「やはり」「あの気狂い令嬢が」――聞き飽きた台詞のBGMだ。
そう。私の中身は、前世で夢日記アプリを開発し、睡眠データ解析で起業した現代日本のIT社畜。二十八歳、独身、そして――過労死。
死んでから転生して二十年近く。この『銀鏡の巫女』のギフト、眠る間に見る未来の断片。周囲は「予言」と呼ぶが、私に言わせれば違う。
(これは予言なんかじゃない。銀鏡が映すのは、確定した未来の“ログ”です)
バグ報告書のように正確な未来を、私は幾度となく提出してきた。だが決裁者はいつもこの男だった。
「聞いているのか、ヴィオレット! 貴様は幾度も国を惑わす戯言を吐いた。もう我慢ならん!」
ルカスの隣で、男爵令嬢アメリアが勝ち誇った笑みを浮かべている。可憐な顔に、隠しきれない嗜虐の色。
「まあ、ヴィオレット様。そんなに睨まないでくださいまし。怖いですわ」
上目遣いで庇護欲を誘うその仕草。聖女を騙る贋物が。
(睨んでませんが。無表情なだけです。というか、あなたのその『聖女の加護』、どこから盗んできたか私は知ってますよ)
私は小さく息を吐いた。
反論する? 無駄だ。バグ報告を握り潰す上司に、二十年間で何を学んだか。
――聞く耳を持たない相手に労力を割くのは、工数の無駄。
それだけだ。
*
「何か申し開きはあるか、ヴィオレット。まあ、どうせまた世迷言だろうがな!」
ルカスが滔々と語り始めた。
私がいかに国を乱したか。私の予言がいかに外れ続けたか。アメリアという『真の聖女』がいかに素晴らしいか。
長い。とにかく長い。
(プレゼン資料なら三行で済む内容を五分。前世の朝会を思い出しますね)
私は静かに待った。彼の演説が終わるのを。
そして、彼が「どうだ、返す言葉もあるまい!」と締めくくった時、私はただ一言、口を開いた。
「そうですか」
「……は?」
「では、もう申し上げません。婚約破棄、謹んでお受けいたします。あわせて、公爵位の継承権も放棄いたします」
広間が静まり返った。
ルカスが呆けた顔をする。喚くと思っていたのだろう。泣いて縋ると。
だが私は、深々と一礼した。それだけだ。
「わたくしは辺境の『鏡塔』へ発ちます。皆様、どうかお健やかに」
「な……待て、ヴィオレット! そんな殊勝な態度で同情を引こうという――」
「引きません。二度と関わりませんので、ご安心を」
淡々と、事務連絡のように。
アメリアの余裕の笑みが、わずかに引きつった。私が取り乱さないことが、彼女には不気味だったのだろう。
(安心してください。負け惜しみじゃありません。これは撤退です。損切りとも言います)
私は踵を返した。
背後で「逃げるのか!」というルカスの声が飛んだが、振り返らなかった。
(逃げるんじゃない。あなたたちを、置いていくんです)
――三日後に何が起きるかも知らずに、精々勝ち誇っているといい。
*
その夜、屋敷に戻った私を待っていたのは、侍女のロッタだった。
「お嬢様……!」
そばかすの散った顔をくしゃくしゃにして、彼女は泣いていた。
「あんまりです! お嬢様は一度だって間違えたことなんてないのに! なのに、なのにみんな……!」
屋敷の使用人たちが遠巻きにこちらを見ている。その前で、ロッタは声を張り上げた。
「お嬢様の予言は全部当たってました! 私、ずっと記録してたんです! 全部、全部!」
(ロッタ……あなたという子は)
二十年、誰も信じなかったこの屋敷で、彼女だけが私の『ログ』を検証し続けていた。記録魔の侍女。私の唯一の理解者。
「泣かないで、ロッタ。あなたの記録は、いずれ意味を持ちます」
私はそっと彼女の頭に手を置いた。
そして、机に向かった。
その夜、銀鏡が最後の夢を見せた。
三日後――王都を『竜潮』が襲う。魔物の氾濫。王太子とアメリアの判断ミスにより、防衛線は崩壊し、王都は半壊する。
私は幾度も警告した。握り潰された。
(もう、いい。あの人たちのことは、もう知らない)
だが――辺境の民には罪はない。
私は銀の手鏡を手に取り、その裏に細く刻んだ。竜潮の刻限、進軍の経路、殲滅に最適な布陣を。
翌朝、辺境へ発つ前に、私は一人の男の元へ向かった。
竜人将軍、ガイゼル・ヴォルガルド。
硬質な銀鼠の肌、赤銅色の瞳。王都では『冷酷な人斬り将軍』と恐れられる男。
だが、この人だけは――知っている。
「ガイゼル将軍。これを」
私は手鏡を差し出した。
彼は無言でそれを受け取り、しかしその大きな手は、まるで壊れ物を扱うように震えていた。
「……あなたの夢を、また、俺に」
「ええ。三日後の氾濫。すべて記してあります。信じてくださいますか」
「信じる」
即答だった。一片の迷いもなく。
「あなたの夢は、俺が唯一見られる世界だ。疑ったことなど、一度もない」
(……この人は、ずるいですね)
夢を見られない竜人。生まれてから一度も。だからこそ、私の『夢見』を世界で最も尊いものだと言う男。
私は少しだけ、目を伏せた。
「では、お願いします。辺境の民を――どうか」
ガイゼルは手鏡を胸に抱き、深く頷いた。宝物を守るように。
*
三日後。
私の『夢見』の通り、竜潮は王都に押し寄せた。
地平を埋め尽くす魔物の群れ。空を裂く咆哮。
王都では、王太子ルカスとアメリアが指揮を執っていた。
「案ずるな! アメリアの聖女の加護があれば、この程度の氾濫など!」
「ええ、殿下。わたくしの加護が、みなさまをお守りいたします」
だが――加護は、発動しなかった。
「な……なぜだ!? なぜ加護が発動しないの!?」
アメリアの顔から血の気が引いた。当然だ。彼女の『聖女の加護』は、私の銀鏡ギフトの残響を盗み見て真似た、ただの贋物なのだから。
防衛線は誤った布陣のまま崩壊した。魔物が城壁を越え、王都は瞬く間に半壊した。
「ど、どうなっている! 報告を! 各方面の被害を!」
ルカスが喚く。飛び込んできた伝令の言葉に、彼は耳を疑った。
「も、申し上げます! 辺境軍――辺境軍のみ、被害ゼロ! ガイゼル将軍が完璧な布陣で魔物を殲滅し、王都西部への流入を食い止めております!」
「なに……?」
「まるで、氾濫の全てを事前に知っていたかのような采配で――!」
ルカスの顔が凍りついた。
「なぜ辺境だけが……なぜあの女の言葉だけが当たった!?」
――その叫びが、すべての答えだった。
辺境の戦場。
ガイゼルは手鏡を握りしめ、その裏に刻まれた布陣の通り、寸分違わず軍を動かしていた。
「予言通りだ。彼女の夢は、いつだって現だった」
魔物の最後の一体が崩れ落ちる。辺境の民は、一人も欠けていない。
ガイゼルは手鏡越しに、遠い王都の空を見た。
「終わったぞ、ヴィオレット。……あなたの言った通りに」
*
竜潮が去った後、王都は混乱の中で真実に直面した。
宮廷に集められた記録が、それを暴いた。
ロッタが二十年間、記録し続けた予言の検証記録。それが公爵家を通じて宮廷に提出されたのだ。
「ヴィオレット様の『夢見』は……一度も外れていない?」
宮廷魔導士が、震える声で報告した。
「外れたとされた過去の予言は、すべて――王太子殿下が握り潰し、対処されなかった結果、そのまま『的中』していたのです」
広間がどよめいた。
(外れたとされた過去の予言は、すべて――あの男が握り潰し、対処されなかった結果、そのまま『的中』していた。バグ報告を放置したのは、報告者ではなく決裁者です)
狂っていたのは、ヴィオレットではなかった。
現を見ようとせず、真実の報告を握り潰し続けた――王太子ルカス、その人だったのだ。
「ち、違う! あれは偶然だ! あの女が仕組んだに決まっている!」
ルカスが喚くほど、その言葉は空虚に響いた。
さらに調べが進み、アメリアの『聖女の加護』が贋物であることも露見した。彼女はただ、ヴィオレットの銀鏡ギフトの残響を盗み見て、聖女を演じていただけの模倣者だった。
「わ、わたくしは……わたくしはただ……」
言い訳の言葉も出てこない。竜潮の際に加護が発動しなかった事実が、何よりの証拠だった。
王は決断を下した。
王太子ルカスは廃嫡。
聖女を騙ったアメリアは投獄。
「なぜだ! なぜこんなことに! ヴィオレット、戻ってこい! お前がいなければ――」
(失ってから気づく、ですか。前世の職場でも、辞めた優秀な人材を後から惜しむ上司、いましたね)
遠く辺境で、その報せを聞いた私は、ただ静かに紅茶を啜った。
「戻りません。二度と、と申し上げましたので」
ロッタが横で、こっそりガッツポーズをしていた。
(よし……!)
*
辺境の『鏡塔』。
王都の喧騒から遠く離れたこの地で、私は思いのほか穏やかな日々を過ごしていた。
ロッタは辺境の暮らしにもすぐ馴染み、相変わらず私の身の回りを甲斐甲斐しく世話してくれる。
そして――
「ヴィオレット」
塔の一室に、ガイゼルが訪れた。
竜人将軍。竜潮を被害ゼロで退けた英雄。だが今、その硬質な顔には、いつもの寡黙さの奥に、隠しきれない何かが滲んでいた。
「どうかしましたか、ガイゼル将軍」
彼は、私の前で――片膝をついた。
(え。これは、夢見のログにはなかった展開です)
さすがの私も、内心で固まった。
ガイゼルは、あの銀の手鏡を、そっと差し出した。まるで指輪のように。
「あなたの夢は、いつだって現だった」
低く、けれど確かな声で、彼は言った。
「俺は生まれてから一度も、夢を見たことがない。だが、あなたの夢だけは信じられた。あなたの言葉だけが、俺の見られない世界を映してくれた」
赤銅色の瞳が、まっすぐに私を見上げる。
「この先の夢に――俺を映してはくれないか」
(……ああ、もう。無骨で、言葉数の少ない男が、ありったけの想いを直球で投げてきた)
私は銀鏡を手に取り、ふっと覗き込んだ。
鏡の中には――彼と並ぶ、私の未来が、確かに映っていた。
夢見のギフトが、初めて見せてくれた、温かい未来のログ。
私は、思わず笑ってしまった。前世からずっと凪いでいたこの心が、久しぶりに、少しだけ揺れた。
「ええ」
私は頷いた。
「……なお、寝相の悪い夢は保証しませんけど」
「?」
ガイゼルが、きょとんとした顔をする。
(冗談が通じない。それも、この人らしい)
扉の隙間から、ロッタが手鏡越しにこちらを覗いてニヤついているのが見えた。
(きゃー……! お嬢様、ついに……!)
(見てますね、あの子。……まあ、いいでしょう)
私は小さく息を吐き、それでも――差し出された手を、そっと取った。
二十年、いや前世を含めれば四十八年。ずっと一人で、淡々と、工数を計算しながら生きてきた。
でも、この未来のログには。
ちゃんと、隣に誰かがいる。
(悪くない。……いえ、なかなかの、良い未来です)
鏡塔の窓から、辺境の穏やかな陽が差し込んでいた。




