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選別の対価

 広間の空気が、凍りついたように静まり返る。 円陣から放たれる白光は、イレネスの指先にまで熱を伝えていた。 その光は優しく、それでいて抗いがたい強制力を持って、彼女という存在を王都の奥深くへと繋ぎ止めていく。


 ラインハルト王子は玉座の前から一歩も動かず、ただ細められた瞳でその光景を眺めていた。 満足げな、あるいは長年探し求めていた道具をついに手に入れた蒐集家のような、底冷えのする眼差し。 イレネスは、自分の内側から引き出される魔力が、自分だけのものではなくなっていくような感覚に襲われた。


「見事だ。これほどの純度は、建国史の記述以来ではないか」


 王子の傍らに控えていた白衣の男が、震える声でそう漏らした。 白い影と呼ばれた案内役だ。その平坦だった声に、初めて剥き出しの狂熱が混じる。 男たちの視線は、もはや一人の少女としてイレネスを見てはいない。 白羽を宿す器、あるいは奇跡を具現化するための部品。 そう定義されたのだと、イレネスは直感的に悟った。


「ラインハルト様。私は……」


 イレネスは震える声を振り絞り、王子の名を呼んだ。 しかし、彼はその言葉を遮るように、優雅な動作で手を挙げた。


「何も言わなくていい、イレネス。君の功績、そしてその資質は、もはや疑いようがない。この白羽の輝きこそが、君を真の聖女として認めた証だ」


 聖女。 その言葉が投げかけられた瞬間、背後の重厚な扉が左右に開かれた。 待ち構えていたかのように入ってきたのは、数人の女官たちと、儀礼用の正装に身を包んだ神官たちだった。


「聖女様をお迎えせよ。穢れを払い、最上階の『白鳥の間』へ。今この時から、彼女は王国の宝であり、同時に国家の象徴である」


 王子の命令は絶対だった。 近寄ってきた女官たちの手つきは、恭しいが、逃げ道を塞ぐような確実さを持っている。 イレネスは反射的に後ろを振り返った。 閉ざされた扉の向こうにいるはずの、あの人の気配を求めて。


「ダニエル……」


 思わず口を突いて出たのは、頼りない私をずっと支えてくれた彼の名前だった。 しかし、ラインハルトはその名を耳にした瞬間、わずかに眉を寄せ、酷薄な笑みを深めた。


「騎士ダニエルか。彼は確かに、君をここまで運んだ優秀な猟犬だ。だが聖女よ、君の居場所はもう、野を駆ける犬の隣ではない。彼は彼の務めに、君は君の務めに戻るべきだ」


「待ってください。彼は私の護衛で……」


「護衛ならば、他にいくらでも用意させよう。それとも、私の近衛騎士では不満か⁉ 」


 ラインハルトの瞳に、否定を許さぬ圧が宿る。 イレネスは息を呑み、言葉を失った。 自分を呼ぶ声が、いつの間にか個人のイレネスではなく、抽象的な聖女という役割に置き換わっている。 王子にとって、私という人間はその役割を果たすための付随物に過ぎないのだ。


 円陣の光が徐々に収まり、広間に元の白々しい静寂が戻ってきた。 イレネスは女官たちに左右を固められ、ゆっくりと歩き出す。 背中に受けるラインハルトの視線が、まるで細い糸のように彼女に絡みついている気がした。


 広間を出ると、そこには厳しい表情で立ち尽くすダニエルの姿があった。 彼はイレネスの姿を見るなり、詰め寄ろうとしたが、神官たちが掲げる儀礼用の杖によって阻まれた。


「退がれ、騎士。ここからは聖女様の清めの儀だ。俗世の者が立ち入る場所ではない」


「清めだと⁉ 彼女をどこへ連れて行くつもりだ」


 ダニエルの声には、隠しきれない怒りと焦燥が滲んでいた。 イレネスは彼の目を見つめた。 傷だらけになりながら辺境の祠で戦ってくれた彼。 私の我儘を許し、いつも背中を守ってくれた彼。 今すぐその腕の中に飛び込みたかった。 けれど、女官たちの力は強く、イレネスを前へと押し進める。


「ダニエル、私、大丈夫だから……‼ 」


 せめて彼を安心させようと、イレネスは精一杯の声を上げた。 だが、その言葉が虚しく響くほど、王城の廊下は長く、白い。 ダニエルの姿が遠ざかっていく。 彼の、こちらへ手を伸ばそうとして、法という壁に阻まれた悔しげな表情が、網膜に焼き付いた。


 螺旋階段を上り、王城の最上部へと連行される。 行き着いた先は、一面の窓から王都を一望できる、美しくも牢獄のような部屋だった。


「こちらがイレネス様の新しいお住まいです」


 女官の一人が、事務的な微笑を浮かべて言った。 贅を尽くした調度品、柔らかな絨毯。 しかし、窓から見える王都の景色は、あまりにも遠かった。 下界の喧騒は一切届かず、ただ空に近い場所。 ここは、神という名の偶像を閉じ込めておくための籠なのだ。


 イレネスは、一人残された部屋の中で、自分の手のひらを見つめた。 白羽の反応は、確かに自分自身の内側から湧き出たものだった。 けれど、あの祠で聞いた「たすけて」という声は、今も消えずに胸の底で震えている。


 ――いっしょに。


 あの子の声は、私を呼んでいた。 王都のシステムに取り込まれるためではなく、もっと別の理由で。 私は選ばれたのではない。 あの子が私を、唯一の希望として掴んだのだ。


「私は、負けない……」


 私、イレネスは、静かに自分に言い聞かせた。 誰かの期待に応える聖女ではなく、あの祠に沈んでいた悲鳴を救うための聖女になるのだと。


 そのためには、この美しすぎる城の裏側を暴かなければならない。 ラインハルト王子の目的。 白羽の儀式の真実。 そして、歴代の聖女たちが、なぜ歴史の影に消えていったのかを。


 イレネスは窓に手をかけ、まだ見ぬ敵が潜む王都の夜を見下ろした。 遠く、街のどこかにいるはずの彼の無事を祈りながら。


 物語は、王都の深部、淀んだ聖域へと足を踏み出そうとしていた。

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