白羽の名を呼ぶもの
控えの間に残された静けさは、王都のそれらしく整いすぎていた。音がないわけではない。ただ、余計なものが削ぎ落とされ、必要な気配だけが均等に配置されている。イレネスはその均衡の中に身を置きながら、胸の奥に残る違和感をやり過ごせずにいた。
先ほど聞こえた声。
白羽という言葉。
祠で感じた、選ばれるという感覚。
偶然で片づけるには、重なりすぎている。
「イレネス」
名を呼ばれ、顔を上げる。ダニエルがこちらを見ていた。その視線は鋭いが、彼女を急かすものではない。様子を窺っている、というほうが近かった。
「顔色がよくない」
「大丈夫。ただ……王都って、息をするのが少し難しいね」
冗談めかして言ったつもりだったが、ダニエルは笑わなかった。
「無理に慣れようとするな。ここはそういう場所だ」
その言葉の意味を問う前に、控えの間の扉が静かに開いた。先ほどの白い影とは別の人物が現れる。今度は年若い女官で、儀礼的な微笑を浮かべながら一礼した。
「お待たせいたしました。聖女候補イレネス様。王城奥へご案内いたします」
聖女候補。
その呼び名にも、まだ慣れない。
回廊を進むにつれ、装飾は増え、人の気配も濃くなる。だが視線は意図的に逸らされ、露骨な好奇や敵意は向けられなかった。それがかえって、不自然だった。
「見られている」
イレネスが小さく言うと、ダニエルが頷く。
「評価されている。値踏みだ」
王城の奥。
白羽の儀式を執り行う広間の手前で、一行は足を止めた。
「ここから先は、お一人で」
女官の言葉に、ダニエルの眉がわずかに動く。
「護衛は」
「必要ありません。ここは王家直轄の領域です」
必要ないのではなく、入れないのだと理解した。ダニエルは一瞬、言葉を選ぶように黙り込み、それからイレネスを見た。
「すぐ戻れ。おかしいと思ったら、無理をするな」
「うん」
短く答えたが、不安は消えない。それでもイレネスは一歩前へ進んだ。扉の向こうから、微かな魔力の流れを感じ取っていたからだ。
広間は白で統一されていた。床も柱も天井も、過剰なほど清浄で、影が薄い。その中央に、羽根を模した紋章が刻まれた円陣がある。
白羽の儀式。
「ようこそ」
声が響いた。
玉座の前に立つ青年が、ゆっくりと視線を向ける。
第一王子だった。
穏やかな微笑。整った所作。だが、その目は笑っていない。イレネスは無意識のうちに、祠で感じた“乾いた悪意”を思い出していた。
「辺境での働き、聞いている。村を救ったそうだね」
「……私一人の力ではありません」
「謙虚だ。だが重要なのは結果だ」
王子の背後で、白衣の者たちが静かに動く。その中に、あの白い影がいた。視線が一瞬だけ交わる。感情は読めない。それでも、確かに彼女を見ていた。
「これから白羽の反応を確認する。恐れることはない」
恐れがあるとすれば、それは儀式そのものではない。イレネスはそう思いながら、円陣の中心へ進んだ。
足元に立った瞬間、胸の奥が温かく脈打った。
祠と同じだ。
呼ばれている。
「……来た」
誰かが小さく呟いた。
イレネスは目を閉じる。
治癒の力が、静かに溢れ始める。攻撃でも、防御でもない。ただ在る力。傷を探し、満たそうとする力。
床の紋章が淡く光った。
白い羽根の形が、ゆっくりと浮かび上がる。
広間に、息を呑む気配が広がった。
王子の口元が、わずかに歪む。
「やはり……白羽は、君を選んだ」
その言葉が落ちた瞬間、イレネスの脳裏に、祠の少女の声が重なった。
――いっしょに。
ここで選ばれることが、終わりではない。
むしろ始まりだと、彼女は直感していた。
白羽の儀式は、まだ途中だった。
そして彼女自身も、まだ何者でもない。
王都の白い影は、確実に形を取り始めていた。




