王都からの白い影
王都へ続く街道は、朝靄に包まれていた。
馬車の車輪が石畳を叩く音が一定のリズムを刻み、その振動が座席越しに身体へ伝わってくる。イレネスは膝の上で手を重ね、流れていく景色を静かに見つめていた。辺境の村で過ごした時間が、遠い夢のように感じられる。
あの祠。
揺れる光。
封印の奥から聞こえた幼い声。
忘れようとしても、簡単に消えるものではなかった。
「疲れているなら、少し休め」
向かいに座るダニエルが低い声で言う。鎧は外しているが、背筋の緊張は抜けていない。王都が近づくにつれ、彼の警戒心が強まっているのが分かった。
「大丈夫。眠くはない」
イレネスはそう答えたが、胸の奥には別の重さがあった。村を救えたという安堵よりも、あの場所で“何かを目覚めさせてしまった”という感覚が消えずに残っている。
馬車が緩やかに減速した。
外から人の気配が増え、空気が変わる。
「見えてきたな」
ダニエルが窓の外へ目を向ける。
白い城壁が、霧の向こうに浮かび上がっていた。王都だった。
高く、清潔で、隙のない姿。辺境とはあまりにも違う世界が、何事もなかったかのようにそこに存在している。
門前で馬車が止められ、形式的な確認が行われる。だがイレネスの名が告げられた瞬間、兵士の態度がわずかに変わった。その変化は一瞬で、しかし確実だった。
「……聖女候補、イレネス様」
呼び方が変わる。
それだけで立場が変わる。
城内へ入ると、空気はさらに澄んでいた。白い石造りの回廊に、淡い光が反射している。美しい場所だと素直に思う。けれど、なぜか胸が冷えた。
「王城へ案内いたします」
そう言って先導に立ったのは、白を基調とした装束の人物だった。年齢も性別も曖昧で、感情の起伏が読み取れない。足音が不思議なほど静かで、まるで床に触れていないように見える。
イレネスは、その背中から目を離せずにいた。
「……あの人」
小さく呟くと、ダニエルが即座に反応した。
「気づいたか」
「うん。魔力……でも、祠のとは違う」
似ているが、質が違う。
温度がない。
人の感情が薄い。
回廊を進むにつれ、イレネスの胸の奥がざわつき始めた。理由は分からない。ただ、祠で感じた“見られている感覚”に、どこか似ていた。
案内役が足を止める。
「こちらでお待ちください」
そう言い残し、白い影は扉の向こうへ消えた。
静寂が落ちる。
広い控えの間に、二人きり。
「……王都って、綺麗だね」
イレネスがそう言うと、ダニエルは短く息を吐いた。
「表面はな」
彼は窓の外を見ながら続ける。
「ここでは力が整理され、管理される。治癒も例外じゃない」
イレネスは理解した。
祠では、治癒はただ在った。
だがここでは、価値になる。
「私は……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
自分が何者なのか、まだはっきりしないまま、王都に戻ってきてしまった。
そのときだった。
扉の向こうから、かすかな声が漏れた。
会話というほど明瞭ではない。だが、確かに聞こえた。
「……予定より、早すぎますわ」
女の声だった。
柔らかく、けれど冷たい。
「祠が耐えたのは誤算ですが、問題ありません。白羽の反応は確認できました」
別の声が重なる。
低く、感情を抑えた声音。
イレネスの背筋が冷えた。
白羽。
その言葉が、胸に引っかかる。
「……聞かれているな」
ダニエルが小さく言った。
剣の柄に指がかかる。
だが扉は開かれなかった。
声も、そこで途切れる。
残されたのは、王都の静けさと、言葉にならない予感だけだった。
イレネスは胸に手を当てる。
そこに、微かな熱があった。
治癒の力が、静かに脈を打っている。
まるで、これから始まる何かを察知しているかのように。
王都から伸びる白い影は、まだ姿を見せない。
だが確かに、彼女の足元まで届いていた。




