手の中にあるものは
白い閃光が祠を満たしたはずなのに、視界はすぐには閉ざされなかった。
イレネスは倒れていない。膝もついていなかった。ただ世界が一拍だけ遅れて動き出したような感覚の中で、自分の前に広がる光の層を見つめていた。
短剣から放たれた魔術は、確かに彼女へ向かっていた。
だが直撃する寸前、その軌道が歪んだ。
祠の中心。
祭壇の奥。
閉じかけていたひびの内側から、淡い光が滲み出していた。
――いかせない。
はっきりとした言葉だった。
少女の声ではない。だが、あの悲鳴と同じ気配を帯びている。
封印の奥に囚われた存在が、初めて意思として干渉した瞬間だった。
光は壁のように広がり、貴婦人の魔術を受け止めた。衝突音は鈍く、鋭さを失ったまま床へと散る。祠の空気が揺れ、石柱のひびが一斉に軋んだ。
「……あら」
貴婦人の声に初めて小さなずれが混じる。
完全な余裕ではなくなった声だった。
「封印の側が反応するなんて……面倒ですわね」
イレネスは息を吸った。
足元はまだ確かだ。視界も定まっている。
自分が守られたのだと理解するまでに、ほんの一呼吸分の時間が必要だった。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉かは分からない。
それでも祭壇の光がわずかに強まり、答えの代わりのように脈を打った。
「感謝している場合ではありませんわ」
貴婦人は短剣を持ち直す。先ほどより慎重な動きだった。
彼女の視線はイレネスではなく、祠そのものへ向けられている。
「封印がこれ以上自我を持つ前に、決着をつける必要がありそうですわ」
そのとき外から轟音が走った。
獣の咆哮。剣と骨がぶつかる衝撃音。
ダニエルが祠の入口で踏みとどまっている証だった。
「ダニエル……」
名を呼びかけそうになり、イレネスは唇を噛む。
今ここで視線を逸らせない。
背中にいるこの女は、迷いを待っている。
「安心なさい。彼もすぐに静かになりますわ」
貴婦人の声は再び滑らかさを取り戻そうとしていた。
だが、その余裕は完全ではない。
「王家に仇なす芽は、摘めるうちに摘む。それが務めですの」
「それが……あなたの正義?」
イレネスの問いに、貴婦人は一瞬だけ黙った。
祠の冷気が二人の間を満たす。
「正義かどうかなど、歴史が決めることですわ。生き残った者が語る。それだけ」
短剣が再び淡く光り始めた。
同時に、祭壇の光も応えるように脈を速める。
――こわい。でも……まけたくない。
胸の奥で声が重なる。
封印の奥にいる存在と、イレネス自身の想いが、同じ方向を向き始めていた。
祠は限界だった。
どちらかが折れなければ、すべてが崩れる。
そして今この瞬間、選択の重みはイレネスの手の中にあった。




