祠へ続く影の道
祠の内部には、外からの光がほとんど届かなかった。
扉を閉めると昼間だとは思えないほどの闇が広がり、空気の流れさえ止まったように感じられる。
。
イレネスは胸の奥に小さな不安が浮かぶのを感じた。
だが背のすぐ前にはダニエルの気配があり、彼の存在が心を支えてくれる。
「足元に気をつけろ。段差がある」
ダニエルの声は低く抑えられ、祠の静寂に吸い込まれるように響く。
その声一つでイレネスの呼吸が安定する。
「ありがとう。大丈夫。ついていく」
イレネスは足取りを確かめながら進んだ。
祠の床には古い文字の刻まれた石板が敷かれ、長い年月の中で磨り減った線が複雑な模様となって繋がっている。
それはまるで古い脈管が今もなお生きているかのようで、じわりと魔力が足元を撫でる。
「この祠、ただの信仰施設じゃない。結界の基点になってる気がする」
「感じるのか」
「うん。まるで……祠そのものが呼吸してるみたい」
イレネスの指先にふわりと触れる魔力の波、柔らかいはずなのに、どこか焦りを帯びた震えを含んでいる。
そんな彼女の横顔を見つめながら、ダニエルは歩みを止め、彼の視線には驚きが混じる。
「おまえの感知は神官長でも知り得ない精度だ。どうしてそこまで……」
「私にも分からないよ。でも、感じる。ここに沈んでいる何かが、すごく危ういって」
イレネスが祠の奥に目を向けたとき、通路の先で風が揺れた。
風のはずなのに湿り気はなく、むしろ乾いた息のようだった。
「今の……」
「ああ。誰かいる」
ダニエルは剣を軽く構えた
しかし足を踏み出す前に、イレネスが腕を掴む
「ちょっと待って。あれは……生きた人の気配じゃない」
通路の曲がり角に映った影を彼女は確かに見えたのだが、人の背丈ほどの影が壁に沿って揺れ、だがその動きは人間のものではなかった。
関節がおかしい。
足が地に着いていない。
揺れ方が影と光の法則に合わない。
その不可思議な存在に、イレネスの背が粟立ち……しかし同時に奇妙な懐かしさも感じ取った。
「影が……何かを探してる」
「探してる?」
「ううん、違う。何かを待ってる。私たちをじゃない。もっと別のものを」
イレネスが声を潜めた瞬間、影がぎょろりとこちらを向いたように見えた。
気配が膨らみ、通路に冷気が走る。
「イレネス、下がれ」
ダニエルが彼女を背に押すも、影は襲ってこない。
ただ揺れ、祠の奥へ吸い込まれるように消えた。
「何だったんだ……」
「ここに閉じ込められてた何かだよ。たぶん、祠の封印が持ちこたえられなくて、形を保てなくなってる」
イレネスは胸の痛みに似た感覚を覚え誰かが助けを求めているような感じもするうえに、助けになるものが必要なのだと祠そのものが叫んでいるような気がする。
「早く奥へ行こう。結界の中心が壊れかけてる。外の魔物が集まってる理由も、きっとあそこ」
「分かった。だが俺の後ろから離れるな。いいな」
「うん」
ダニエルが歩き出すと、イレネスは自然とその背に手を伸ばした。
掴んだわけではない、ただ、触れるか触れないかの距離にいることで勇気が湧いた。
祠の奥へ進むにつれて、空気はさらに濃く淀み壁の紋様はうねりのように捻じれ、まるで封印そのものが息を荒げているようだった。
「ここ……何か変だよ。空間が歪んでる」
「感じる。剣の反応が落ち着かない」
通路を抜け、二人は祠の中心部に入るとそこに広がっていたのは、想像を超える景色だった。
『中央に古い祭壇
その周囲には石柱が円形に並び、柱にはすべて無数のひび
そして柱同士を繋ぐように張られた細い光の糸が、限界を超えた弓のように震えている』
「結界が崩れかけてる……」
「こんな状態でよく持ちこたえてるな」
イレネスは一歩踏み出し、祭壇を見つめた瞬間、胸の奥で声が響く‼
――たすけて‼
息が止まりそうになる。祠の奥に沈んだ何かが彼女を呼んでいた。
「ダニエル……ここ、誰かが閉じ込められてる。悲鳴みたいな声が聞こえる」
「聞こえるのはおまえだけか」
「うん。でも私にははっきり聞こえる」
彼女が祭壇へ手を伸ばしかけたとき、祠の外から地鳴りのような音が響いた。
「魔物か」
「結界が崩れ始めているから、外の魔物が呼び寄せられているんだよ」
イレネスは焦る気持ちを押さえられなかった。
時間がない、早くしなければ村がまた犠牲になる。
「結界を安定させないと……」
「やり方は分かるのか」
「全部は分からない。でも、この祠の魔力の流れを整えれば、一時的に抑えられると思う」
「なら、俺が時間を稼ぐ。おまえは祭壇の魔力循環を見てくれ」
ダニエルの声には迷いがなかった。
イレネスは彼の横顔を見つめ、胸の奥が熱くなるのを感じる。
「ありがとう。ダニエルがいてくれてよかった」
「当たり前だ。おまえ一人にこんな場所を任せて帰れるか」
彼の言葉はいつもより素直で温かかった。
その温度が心を支え、イレネスは決意を固める。
「やるね。祠を守るためじゃなくて……ここに閉じ込められてる誰かを救うために」
イレネスが祭壇へ向き直った瞬間、祠の奥の光がかすかな脈動を見せその光は苦しげで、懇願するように揺れていた。




