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祠に潜む気配と、村を覆う沈黙

 魔物の咆哮が森を震わせ、木々から枯れ葉がぱらぱらと落ちてきた。

 ダニエルはイレネスを背に庇ったまま剣を構え、森の奥に渦巻く気配を鋭く睨みつけている。


「森の中で動いているのは……一体じゃない。数が多すぎる」


「そんな……ここって、そんなに危険な場所なの?」


「普通なら、だ。だが今は違う。これは“人為的に呼び寄せられた魔物の動き”だ」


 イレネスは息を呑んだ。


 魔物が一時的に集まる現象は、確かに自然では起こりうる。

 しかし、ここまで密集して迫ってくるのは異常だ。


 イレネスが小さく震えると、ダニエルは振り向かずに言った。


「怖いなら、目を閉じて俺の背中を掴んでろ」


「……だ、大丈夫。これくらい……っ」


 そう言いながらも、指先が彼のマントをきゅっと握る。

 ダニエルの肩がわずかに揺れて、イレネスは自分が彼を笑わせたのかと戸惑う。


「イレネス、おまえは無理をしすぎる。そういうところだ」


「そ、そんなこと……」


「ある。……でも、そこが好きだ」


「え? 今聞こえなかった、なんて?」


「気のせいだ。気にするな」


 明らかに誤魔化された。

 けれど追及している余裕はない。


 森の奥の気配は、徐々にこちらへ向かってきていた。


 イレネスは魔力を集中させ、周囲の気流を探る。

 すると、奇妙な揺らぎが村のさらに奥へ伸びているのが分かった。


「……ねぇ、ダニエル。村の奥って、祠があるんだよね?」


「ああ。この村の信仰の中心だと神官長の文書にある」


「そこから“何か”が流れてきてる。魔物が集まってる理由は、祠の方向。間違いないよ」


「……祠が魔物を引き寄せている、というのか」


「引き寄せてる、というより……何かが破れかけている。そんな感じがする」


 イレネスの声は震えていなかった。

 危険を前にしても、彼女の中で湧き上がる感覚は別のものだった。


 ──あそこに行かなきゃ、何かが起きる。


 根拠はない。

 けれど確信に近い感覚が胸を締め付ける。


 ダニエルは少しだけ視線を落とし、彼女を見つめた。


「行く気なのか?」


「うん」


 迷いない返答だった。


「危険だぞ」


「知ってる。でも……ここで逃げたら、後悔する」


「……はあ。分かってはいたが、やっぱりおまえは止まらないのか」


 ダニエルは剣を下ろし、深く息をついた。

 そして、イレネスの肩へ手を置く。


「行くなら、俺が側にいる。絶対に離れるな」


「……うん」


 胸の奥に温かい何かが灯る。

 それが何か、イレネスはまだ名前を知らない。


 ***


 祠へ向かう道は、村のさらに奥まった場所にあった。


 壊れた柵、倒れた木々、荒れ果てた畑。

 どれも人の生活の気配が消えて久しいことを示している。


「この村、もともとこんな状態だったのかな……」


「いや、違う。三年前の報告書を見る限り、普通の農村だった」


「じゃあ、どうしてこんな……」


「祠を中心に何かが起こっている。十中八九、封印だ」


 封印——

 イレネスの背筋がひやりと震える。


「そんな重要な場所に、私ひとりを送ってきたなんて……」


「神官長は知らなかった。命令書に見えるものを、別の誰かが書き換えたんだ」


「だれ、かなんて……聞かなくても分かる……」


 ロザリア。

 そう名前を出すのは簡単。しかし、イレネスは言わなかった。


 証拠がない以上、ただの“推測”にしかならないから。

 そして——ロザリアがそこまで自分に執着している理由も、まだ分からなかった。


 黙ったまま歩き続けると、風の流れが変わる。


 祠の近くへ来た瞬間、空気が妙に重たくなった。


 魔力が渦を巻いている。

 まるで、そこだけ異空間が裂けかけているような、ねじれた圧力。


「……なにこれ。結界?」


「普通の結界じゃないな。抑えるためではなく、隠すための力だ」


 ダニエルが剣の柄に触れたまま周囲を見渡す。


 祠の周りに漂う空気は、普通の人間なら気づけないほど微細な魔力の流れだった。

 だが、イレネスにははっきりと感じ取れる。


「ねぇ、ダニエル……」


「なんだ?」


「祠の中から、声がする」


 ダニエルの顔が一瞬で険しくなった。


「声? 誰のだ?」


「わからない。でも……“助けて”って、何度も……」


 イレネスの瞳が震えていた。

 その震えは恐怖ではない。

 迷っているのは自分の感覚が正しいかではなく、その声を無視していいのかどうか——その一点だった。


 祠の扉は重く閉ざされ、苔むしている。

 誰も近づいていないことが分かる。


 イレネスはそっと扉へ手を伸ばす。

 瞬間、祠の内部から吹きつけるような冷気が彼女の指先をかすめた。


「——っ!」


 思わず息を呑む。


「イレネス!」


 ダニエルが駆け寄り、彼女の手を掴んだ。


「何かに触れたのか!?」


「ううん……ただ、すごく寒かっただけ。でも……」


 彼女は扉を見つめ、ぎゅっと唇を噛んだ。


「入らなきゃいけない気がする。たぶん、祠の中に村がこうなった理由がある」


「……そうか」


 ダニエルは剣を抜き、イレネスの前に立った。


「俺が先に入る。絶対に俺から離れるな、いいな」


「うん。ありがとう、ダニエル」


 微笑むイレネスに、彼は目を逸らした。


「礼は後でいい。今は慎重に行くぞ」


 祠の扉が、きい、とかすかに開く。


 その奥に広がっていたのは——

 暗闇と、古い祈りの残骸と、何かを封じ込めたまま歪んでいく結界の気配だった。


 イレネスの心臓が大きく脈打つ。


 ここにある“何か”を解かなければ、村は救われない。

 そして、彼女自身もまた——この場所と無関係ではいられない。


 祠の闇へ踏み込む足取りは、確かに震えていたが、迷いはなかった。

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