揺れる心、追跡の森
ダニエルたちの剣戟の音が遠ざかるにつれ、イレネスの心拍は高まっていった。
動いてはいけないと分かっている。
それでも、じっと待つだけなんて――耐えられない。
「ダニエル……無事でいて」
彼女は馬から降り、木陰に身を寄せるように少しだけ歩いた。
森の入口から離れすぎないよう気をつけながら、耳をすませる。
霧の中で、遠い叫びが木々を震わせた。
(戦ってる……!)
胸が痛くなるほど締めつけられる。
自分のせいで、あの人が危険に飛び込んでいると思うと、身体がこわばった。
しばらくして――。
足音がこちらへ向かってくるのが分かった。
複数の足音。重く、急いでいる。
イレネスはぎゅっと拳を握りしめ、息を飲んだ。
「イレネス!」
霧を割って出てきたのは、血のついた肩を押さえるダニエルだった。
後ろの騎士も腕を負傷している。
「だ、大丈夫なの!?」
「……あぁ、かすり傷だ。奴は逃げた。森が……妙に気配を隠す」
彼は辛そうに息をついたが、その瞳はイレネスを見つけた瞬間、安堵で揺れた。
「あなたが無事で、よかった……本当に」
その声があまりに真っ直ぐで、胸が熱くなる。
「ご、ごめんなさい……私のせいで」
「違います。責めるべき相手は別にいる」
ダニエルは、わずかに眉を寄せた。
だが“誰か”の名は出さない。
確信があるわけではない、ただ、嫌な予感が胸に残っているというような表情だった。
「……誰かが、あなたをここに誘い出した。偶然ではありません」
「でも、まだ……犯人は……」
「分かっています。証拠がない以上、軽々しくは言えません」
彼はそう付け加え、ほんの一瞬だけ視線を王都の方向へ送った。
その仕草だけで、何かを“察している”ことが分かる。
だが、あくまでも匂わせるだけ――名前を挙げることはしなかった。
「あなたを一人で行かせなくて、本当に良かった」
そう言って、彼はイレネスの髪をそっと撫でた。
その手はやや震えていた。
恐怖でではなく――心底、彼女の無事を喜んでいる震えだ。
(どうして……こんなに胸が熱いの)
イレネスは目を伏せる。
「わたし……あなたが来てくれるって信じてた。ずっと」
「任せてください。俺は――あなたを守るために剣を握っています」
その言葉に、身体がふるえた。
霧が晴れ始め、薄日が差し込み、二人の影が並んで地面に伸びる。
騎士の一人が進み出て言った。
「この先の森は危険です。ひとまず街道に戻りましょう。イレネス様、今は王都へお戻りになるべきかと」
だがイレネスは小さく首を振った。
「……行かなきゃ。使命だから。
怖いけど――逃げたくない」
その声は震えていたが、しっかりと前を見据えていた。
ダニエルは苦笑し、肩を落とす。
「強い……本当に強いんですね、あなたは」
彼の目には、尊敬と、抑えきれないほどの感情が滲んでいる。
「分かりました。なら俺が行く。必ずそばにいる」
「……うん。お願い」
こうして、イレネスは“独りで向かうはずだった旅路”を、
“彼と共に進む道”へと変えていった。
しかし――。
霧の中、ほんの少し離れた木陰で、誰かが気配を殺して二人を見ていた。
小さな靴の跡だけが、湿った土に残されている。
その先に続くのは、王城の上流階級者たちがよく履く、高価な靴の形。
(邪魔が……入った)
かすかな囁きと共に、影は森の奥へ消えた。




