森の入口で交わる影
グリンヴェルへと続く街道は、いつもよりも重い霧に包まれていた。
夜明け前の光がわずかに差し込むが、霧が光を吸い込み、輪郭を曖昧にしている。
イレネスは馬に揺られながら、何度も背後へと視線を送っていた。
(……胸が締めつけられる。あの人、本当に来てくれるだろうか)
ダニエルとの約束。
出発前に必ず来てほしいと言われ、彼女は厩舎の近くで待ち続けた。
だが、朝の鐘が一つ鳴った時、王都の別の区画で騒動が起こり、ダニエルは急遽そちらに向かわざるをえなかった。
仕方なく、彼女は命令に従う形で出発したが――胸の奥は不安のままだ。
「……早く、追いついて」
祈るように呟く。
その声は霧に吸われ、すぐに消えた。
馬が進むたびに、森の入口が近づく。
背の高い木々が壁のようにそびえ、朝の光を遮っている。
息をのむほど静かだ。
そのとき、小さな影が路肩で揺れた。
(なにか……いる)
視線を向けると、木漏れ日の隙間から人影がゆっくり現れた。
旅装束を着た青年のように見えた。
しかし、顔はフードに隠れ表情は読めない。
ただ、その立ち姿にはどこか不自然な“気配”がある。
イレネスは、咄嗟に馬を引いた。
「お、おはようございます……?」
慎重に声をかける。
フードの人物は、ゆっくりと歩み寄りながら、低く笑ったように見えた。
「こんな朝から一人とは、ずいぶん勇敢なんだな」
声は、妙に冷たい。
背筋がぞくりとした。
「……少し、道に迷われたんですか?」
「いや。俺は、君を待っていた」
「わ、私を……?」
その言い方に違和感を覚えた瞬間、フードの下で光がちらりと閃く。
短剣の刃だった。
(――っ!)
逃げなきゃ、と身体が反応するより早く、馬が突然大きく嘶いた。
霧の向こうから、蹄の音が駆けてくる。
ずしん、と地面が震えた。
「……イレネス!」
耳が熱くなるほど強い声が響いた。
馬上から霧を割って現れたのは、ダニエル――いや、彼だけではなかった。
鎧を着た二人の騎士も続いている。
彼の目は怒りに燃え、まるで獲物を睨む獅子のように鋭かった。
「離れろ、貴様!」
ダニエルが剣を抜くと同時に、暗殺者は森へと跳び込む。
その動きは獣のようにしなやかで速い。
「イレネス、無事ですか!」
「だ、大丈夫……! だけど、今の人……!」
「追います。あなたはここから動かないで!」
だが、イレネスは震える声で叫んだ。
「ま、待って! 森の中は危ないよ!」
その声に、ダニエルは一瞬振り返る。
その眼差しは迷いと焦りに満ちていた。
「心配しないで。……必ず戻る」
彼はその言葉を残し、霧の中へ消えていった。
イレネスは、馬の手綱を握ったまま立ち尽くす。
(どうして……どうしてこんなことになるの)
薄明の森は、美しいはずなのに、不気味な影だけが濃く揺れていた。




