静寂の森へ②
翌朝――。
王城の空気はどこか張り詰めていた。次の段階に進むための儀式がいま差し迫っている。
白羽の儀式の第二段階を控えるせいか、侍女も騎士も足取りが速い。
そんな中、私は聖務室前で立ち止まった。
(……胸騒ぎがする)
昨日ロザリアに言われた辛辣な言葉が原因ではない。
もっと別の、冷たい霧のような何かが背中を撫でている。
扉を開けると、文官が一人、机の前に立っていた。
「イレネス・クラーク。王命により、明朝より《グリンヴェル村》へ聖務として派遣する」
「……え?」
耳が熱くなり、頭が回らない。
グリンヴェル。
地図でしか見たことのない辺境の村だ。
「何の、聖務……ですか?」
「古代遺跡の魔力調査だ。光属性を持つ者が必要と判断された」
淡々と告げられた言葉。
だが、その中にあった“ある一行”が心臓を縛り上げた。
「同行者は……?」
「――単独だ。馬と最低限の装備を用意する」
「えっ……ひとり!?」
思わず声が大きくなる。
そんなはずがない。
聖女候補は国の宝扱いなのに、護衛もつけないなんて。
「ですが……危険では……」
「危険は承知の上だ。今回は緊急を要する。以上だ」
冷淡に言い放つと、文官は私の返事も聞かずに去っていった。
(そんな……どうして……?)
あまりにも唐突すぎた。
不安が、喉の奥を震わせる。
そのときだった。
「イレネス!」
胸を震わせるほど強く名前を呼ばれ、振り向く。
廊下の向こうから、風を切るようにダニエルが歩いてきていた。
普段の穏やかな気配はそこになく、怒りを押し殺した鋭い目。
彼が近づくだけで空気が震えたように感じる。
「聞きました。……グリンヴェルに行くと?」
「う、うん。さっき言われて……」
ダニエルは深く息を吸い、声のトーンを低くして私を見る。
「行かないでください」
「……え?」
「この派遣はおかしい。規則にも合わない。意図的です」
意図的。
その言葉が胸に刺さり、私は息を呑む。
「どうしてそんな……?」
「……君を、狙っている者がいる」
その言葉に足から力が抜けそうになる。
ダニエルは一歩近づき、私の肩に手を置いた。
「ロザリア嬢か、その派閥の誰かだ。
彼らは君を“脅威”だと認識している」
「脅威……? 私はそんな……」
「君は自覚がない。でも……光の聖印を持つ者は、王国にとって特別なんです。
妬む者も、利用したい者も、排除したい者もいる」
その目は、悲しげで悔しげだった。
「君を一人で辺境に向かわせたら……二度と戻れない可能性がある」
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
まるで世界が少し傾いたみたいに足元が不安定になった。
だが、震えかけた心を押しとどめるように、ダニエルは私の手を強く握った。
「だから……行かせない」
低く、切実な声。
「もし君が命令に従うというなら、俺が……俺が連れていく」
「えっ……でも……」
「正式許可が下りなくても構わない。俺は君を守る。
国のためじゃなくて――」
そこで、彼は言葉を噛み殺すように唇を閉じた。
私の胸がどくんと跳ねる。
彼の言いかけた本音が、熱を帯びて空気に残っている。
「明朝、王都を出る前に必ず俺のところへ。
……絶対に一人で行かせない」
その言葉を残し、ダニエルは踵を返し、廊下の奥へ消えていった。
残された私は、しばらく動けなかった。
(どうして……こんなに心が痛いんだろう)
胸の奥がじんわり熱く、ずっと握られていた手がまだ温かい。
(ダニエル……怒ってた……)
私が危険に晒されるのが嫌で、必死で、どうにか止めようとしてくれている。
その気持ちが胸に溢れて、涙が出そうだった。
「行っちゃ……だめ?」
小さく呟くと、喉の奥が震えた。
(……明日、必ずダニエルのところへ行こう)
それだけが、今の私の支えだった。
***
夜。
白羽の儀式を控えた王城は、いつもより静かだった。
しかし――。
城外れの裏門近く。
そこには黒い影がひとり、月明かりを避けながら佇んでいた。
「……明日の朝、単独で門を出る。馬車は頼む」
ロザリアに雇われた暗殺者だ。
彼は手にした短剣を月にかざし、刃の光を確かめる。
「聖女候補一人なら問題ない……森にさえ入れば、証拠も残らん」
吐き出された声は、獣のように低い。
その足元を、冷たい夜風がさらりと撫でていった。




