建前
第二王子派の華やかな宮廷から離れた、どこか乾いた空気の漂う控室。その窓辺で、ロザリア・フォン・ハーケンベルグは優雅に紅茶を傾けていた。
白磁のカップを細い指が静かに包む。その所作は完璧に淑女のもの。だが、その薄い唇に浮かぶ笑みだけは、ひどく冷たかった。
(いいえ、完璧よ。これ以上ない“自然な排除”だわ)
彼女の視線は机の上へ――そこには王立地理院が作成した地図が広げられている。
王都から遠く離れた、北の辺境。
“ブラウの森”と呼ばれる鬱蒼とした深林の近くに、小さく記されている村――《グリンヴェル》。
そこにはいくつかの古代魔法の遺跡が点在し、時折“魔獣の異常出没”が報告される。
王都の貴族が近づかないのも無理はない。
(聖女候補の見聞を広げる“奉仕活動”。表向きはそれで十分。辺境なんて、わざわざ誰も気にしないわ)
イレネスを遠ざける理由など、作ろうと思えばいくらでも作れた。
王都での初期審査を終えた聖女候補たちには「地方視察」という建前がある。
ロザリアはその仕組みを巧みに利用し、“偶然”を装ってイレネスだけを辺境へ送る計画を立てたのだ。
(あの娘さえ消えれば、わたくしの前途は開ける。聖女の座も、第二王子殿下の未来も)
細い指が、地図の一点――《グリンヴェル》をなぞる。
(……さようなら、イレネス。あなたは、聖女としての器でもなければ、王都で生きていける才覚もない。わたくしが“正しく処理”してあげる)
ロザリアの瞳に宿る光は氷より冷たく、揺らぎさえしない。
その頃――
***
王宮の別棟、騎士団専用棟。
夕陽が沈む頃、ダニエルは執務机の前で眉間に皺を寄せていた。
隊長直属として渡される文書の中に、妙な一枚が紛れていたからだ。
――《聖女候補イレネス 地方視察割当:北辺領グリンヴェル村》。
通常ならば、視察には必ず護衛が数名つけられる。だが添付資料には――
「……同行騎士、無し?」
ダニエルの声が低く震えた。
地方視察の名目で候補者を単独行動させるなど、あり得ない。
文官の書類ミスか? それとも――。
(……いや、これは“意図的”だ)
彼は即座に悟った。
イレネスは、聖女候補の中でももっとも異質な存在だ。
聖印の発現が特異で、その強さも未知数。
“誰か”が排除したい動機は十分にある。
脳裏に、一人の貴族令嬢の名が浮かぶ。
(ロザリア……)
近頃の彼女は、イレネスに対して露骨な敵意を向けていた。
それはダニエルだけでなく、多くの騎士が感じていたほどだ。
書面を握る手に力がこもる。
「辺境の村……。魔獣が出る場所じゃないか」
胸がざわつく。
悪い予感が、じわりと背を伝った。
(イレネスを……一人で行かせるわけにはいかない)
隊長の許可も、王宮の決裁も必要だ。
だが、もし全てが“仕組まれたこと”だとしたら――時間をかければかけるほど彼女は危険に晒される。
「……俺が行く。必ず守る」
夕陽を背に立ち上がる。
その表情は、騎士のものではなく――イレネスという一人の少女を想う男のものだった。
***
その夜。
ロザリアは馬車の中で静かにほほ笑んでいた。
(明日、書面通りにイレネスは王都を出る。護衛も付かず、辺境の村へ。)
薄いレースのハンカチで口元を隠し、喜悦を飲み込む。
(魔獣の群れが“偶然”襲うかもしれないし――)
馬車が揺れた一瞬、彼女の瞳に凶悪な輝きが宿る。
(あるいは、わたくしが用意した“あの手”が確実に仕留める)
ロザリアは、明日を思い描いて楽しくて仕方なかった。




