表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/56

不穏

 王宮では、春の柔らかな陽光が差し込む朝だった。けれどそのまばゆい光とは裏腹に、空気のどこかにざらついた不穏が混じっている――そんな予感が、胸の奥に小さく引っかかっていた。


 噂、政治の渦、王族の影。そのどれもが、私の足元を静かに揺らし始めている。

 けれど、まだこのときの私は気づいていなかった。

 “揺らぎ”は、もうすでに私自身を狙い始めていたことを。


 聖務室に控えていた侍女が気を張った声で告げる。


「イレネス様、ロザリア様がお呼びです。至急、応接室へとのこと」


「ロザリア様が……?」


 胸がざわついた。昨日、第二王子の前であれほど面目を潰されたロザリアが、私に用があるとは思えない。それでも呼ばれた以上、行かないわけにはいかない。


 扉を開けた瞬間、背筋にひやりとした空気が走った。


 ロザリアは窓辺に立っていた。真紅のドレスが光を受けて艶やかに輝き、その横顔はどこか掴みどころのない微笑を浮かべている。


「来たわね、イレネス」


「……ご用件をうかがってもいいでしょうか」


「そんなに警戒しないでちょうだい。今日は、あなたに“良い知らせ”があるのよ」


 口元に浮かんだ微笑。その裏にあるのは――底の見えない深い闇だった。


「良い知らせ……?」


「ええ。あなた、癒しの力に目覚めたのでしょう? それなら王宮としても、あなたをもう少し深く聖務に関わらせるべきだと判断されたの」


 ゆったりと、優雅に歩み寄ってくる。


「ちょうど、王都から離れた辺境に“奇病”が出ているとの報告があったわ。原因も不明で、治癒師も手を焼いているとか。あなたの力があれば、助けられるかもしれない――そう、私は進言したの」


「ロザリア様が……?」


「もちろんよ。聖女候補として、困っている民のために動くのは当然でしょう?」


 言葉だけなら正しい。

 けれど、その“正しさ”が恐ろしく見えた。


「……でも、なぜ私を?」


「あなたは王城でもっとも清らかな魔力を持っていると、神官たちが噂しているのよ? なら、今のうちに経験を積むことは大切だわ」


 そう言いながら、ロザリアは扇をひらひらと揺らし、艶やかに目を細めた。


「それに――あなた、ここ最近“少し調子に乗っている”みたいだから」


「……!」


 その声は甘い毒だった。

 街で手を繋いだことも、侍女たちの噂も、ダニエルの態度も……すべて、ロザリアの耳に届いている。


「第一王子殿下も、あなたの噂を気にかけておられるわ。聖女候補にふさわしい謙虚さを学ぶのは、とても良い機会だと思うの」


 微笑は柔らかく、刃は鋭い。

 ロザリアはそういう女だ。


「辺境行きの聖務は二日後。手配はこちらでしておいたわ。準備なさい」


 命じるような声音に逆らえず、私はただ頷くしかなかった。


 けれどこのときの私は、まだ知らなかった。

 “辺境の奇病”が、ロザリアが流した虚偽の情報であることを。


 そして、私を待っているのは治癒ではなく――“死”であることを。


 ◆ ◆ ◆


 その日の午後。

 王宮の廊下を歩いていると、背後から静かな気配が近づいてきた。


「イレネス」


「ダニエル……?」


 振り返った瞬間、胸が波立つ。

 彼の表情は穏やかだったけれど、その奥に隠された緊張がひどく濃かった。


「ロザリア嬢の使いが、あなたに辺境行きを提案したと聞きました。本当ですか」


「……ええ。聖務の一環だって」


「聖務? 辺境に奇病が出ているという話は、僕の耳には入っていませんが」


 その言葉に、心臓がぎゅっと掴まれたように感じた。


「で、でも私は癒しの力に目覚めたばかりだし、経験を積むには――」


「危険です」


 遮った声は、いつになく深い。


「あなたは狙われています。王宮での噂も広がりすぎている。兄上もロザリア嬢も、それぞれ違う思惑で動いている……その真ん中に、あなたがいるんです」


「でも、私は……民を助けるべきで――」


「あなたが消えたら? あなたが傷ついたら? そのとき民も王家も救えない。違いますか」


 言葉が出なかった。


 ダニエルはゆっくりと息を吐き、私の肩にそっと手を置いた。


「辺境へ行くなら……必ず僕に知らせてください。僕はあなたを――」


 そこで言葉を切り、少し目を伏せた。


「……守らなければならない理由があります」


 まっすぐな声だった。

 胸が熱くなり、何かを言い返そうとしたとき――


「ダニエル殿下!」


 遠くから近衛兵が駆けてくる。


「至急、執務室へ! 第一王子殿下が――」


「兄上が? 何があった」


「“例の件”について協議が急務とのことです!」


 例の件。

 その言葉に、ダニエルの瞳が鋭く細くなる。


「……イレネス。今日は部屋からあまり出ないでください。いいですね」


「うん……約束する」


 背を向けて走っていく彼の後ろ姿に、不安の影がゆらめいて見えた。


 ◆ ◆ ◆


 一方その頃――


 豪奢な部屋の奥でロザリアは扇を閉じ、ひとつ息を吐いた。


「……やっと、片付けられる」


 冷たい瞳は、すでにイレネスを“消す”未来を見据えている。


 そして別の棟では、第一王子ラインハルトが薄笑いを浮かべていた。


「辺境へ行かせたか。ふん……良い駒だ。利用価値が尽きたら、そのまま消えてもらえばいい」


 二人の思惑は交わらず、しかし狙う先だけが重なる。

 それはただ一人――イレネスだった。


 ◆ ◆ ◆


 そして夜。


 ダニエルは机に広げられた地図を凝視していた。


「……辺境の村に奇病。どう考えても不自然だ。ロザリアが関わっているなら、なおのこと」


 手を握り締める。


「イレネスを……誰にも渡さないし、傷つけさせない」


 そのとき、彼の胸の奥で静かに決意が固まった。


 彼女が行くなら、自分も行く。

 理由はどう取り繕っても構わない。

 ただひとつ――


「僕が守る」


 それだけは揺るがない。


 王宮の影が動き出す中、イレネスの知らぬところで、運命の歯車が大きく回り始めていた。


 ――新章は、ここから“命を狙われる辺境行き編”が始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ