揺れる想い、滲む嫉心
ロザリアとの一件から数日。午前の聖務を終えて回廊を歩いていた私は、正面から歩いてきた人物に足を止めた。
「イレネス様、先日のお礼をまだ申し上げていませんでした」
整った金髪を揺らし、宮廷魔術師アーヴィングが微笑む。
彼は、以前儀式で魔力の補助をしてくれた相手だ。
「いえ、お礼だなんて。私のほうこそお世話に──」
「あなたほど魔力の流れが美しい方は珍しいんです。よければ、また調整を……」
柔らかな笑み。距離は近い。
そのとき、影が一つ差し込んだ。
「アーヴィング殿」
低い声に振り返ると、ダニエルが静かに立っていた。
「……殿下。これは失礼いたしました」
「彼女に用があるのなら、今は控えていただけますか」
柔らかい言い方なのに、拒絶は明白だ。
「今日は私が案内しますので」
アーヴィングは一礼し、去っていった。
彼が完全に見えなくなったとたん、ダニエルはこぼすように息を吐いた。
「……あの男、距離が近い」
「そう、かな?」
「近いです」
やけに即答だった。
「あなたにあれだけ目を向ければ、誰が見ても分かります」
声が、少し低い。
胸がじん、と熱くなる。
もしかして──と思ったとき。
「……イレネス。あまり他の男に優しくしないでください」
「え?」
「いや……その。私が落ち着かないので」
人前だというのに、耳まで赤くなっている。
昨日よりずっと、距離が近い。
(これ……嫉妬、だよね)
「ダニエルって、そういうとこ分かりやすいよね」
「わ、分かりやすくありません!」
「うん、分かりやすいよ」
「イレネス……」
名前を呼ばれただけで、胸が跳ねる。
けれどその瞬間。
「まぁ、殿下。奇遇ですわね」
背後から甘い声が響いた。
真紅のドレスを揺らし、ロザリアが現れた。
「ご体調はいかがかしら? 第一王子殿下も心配しておられ……」
「お気遣いには及びません。問題ありませんので」
ダニエルは微笑んだが、瞳の温度が違った。
「それより……ロザリア嬢。彼女への物言い、今後は控えてください」
「わ、私はただ忠告を──」
「忠告という名の牽制は不要です」
柔らかい口調なのに、鋭い。
「彼女は、王宮における私の“関係者”です」
「えっ……?」
思わず心臓が跳ねる。
ロザリアは一瞬ひるんだ。
「か、関係者……? 殿下、それは──」
「深い意味ではありません。ただ……彼女が傷つくのを見るのが嫌なだけです」
さらりと告げたのに、ロザリアには決定的な一言だった。
そして──私にとっても。
(“嫌”って……どういう意味……?)
聞きたくて、聞きたくなくて、胸がざわつく。
ロザリアは硬い笑みのまま、ドレスの裾を握りしめた。
「……そうですの。殿下がそこまで仰るのなら、私は下がらせていただきます」
悔しさを押し殺しながら去っていく背中が、妙に痛々しく見えた。
◆ ◆ ◆
ロザリアが完全に消えると、ダニエルはぽつりと呟く。
「……あなたが困っているところを見るのは、苦手なんです」
「ダニエル……さっきの“関係者”って──」
「気にしないでください。あなたを守るための言い方です」
その割に、握られた手は離れない。
指先に熱が宿り、ゆっくりと絡まる。
「……でも、それだけじゃないかも」
「え?」
「いや……なんでもないです」
言いかけて、彼はふっと視線をそらす。
その横顔は、告白していないのに告白しているようだった。
(ずるい……そういう顔するの)
胸がぎゅうと鳴る。
その瞬間、遠くからざわめきが聞こえてきた。
『最近、第二王子殿下が……』
『あの平民の娘と……』
『ロザリア様が黙っていないわよ……』
噂は、私たちが想うより速く広がっていた。
そして。
柱の影から、金色の瞳が静かにこちらを見ていたことに、そのとき私はまだ気づいていなかった。
第一王子ラインハルトが、小さく笑みを刻んでいた。
(……また面白い駒が増えたな)
その眼差しは、獲物を見定める捕食者のようだった。




